暁(管理人) のすべての投稿

夢は夢のまま(ナツアイ)

覚めなければ夢だなんて気付かない。
それならいつまでも夢を見ていれば、それは私にとっての現実になる。
ねえ、そうだよね?

 

 

季節のなかでいつが一番好きだろうって考えると、私は夏が一番好き。

「ねえ、ナッちゃん。ナッちゃんは季節の中でいつが一番好き?」

私は隣を歩く大好きな人にそう問いかける。

「うーん、そうだなぁ。夏かなぁ」

「やっぱり?私も夏が一番好き!子供の頃、陽が長くなるから喜んで外でいっぱい遊んだよね」

「ああ、そうだったね」

ナッちゃんの受験勉強の息抜きという名目で二人で水族館へ行かないかと誘われた時には凄く喜んだ。
何を着ていこうかを悩み抜いて前日の夜には決めたはずなのに、朝起きて用意してあったワンピースを見た時に「これじゃない」って思ってしまった時はもう約束の時間に間に合わないんじゃないかと泣きそうになった。

「アイちゃん、今日のワンピース可愛いね。似合ってる」

「そうかな?ありがとう」

ナッちゃんに褒められて、悩んだ甲斐があった!と笑みが零れる。

「あのね、アイちゃん」

「うん、なに?」

ナッちゃんは照れくさそうにポケットから小さくてカラフルな袋を取り出すと私にそっと差し出した。

「開けてもいい?」

「どうぞ」

ナッちゃんの了承を得て、私は袋をあける。
そこには四葉のクローバーをかたどったヘアピンが入っていた。
嬉しさと驚きのあまり言葉を失っていると、ナッちゃんが心配そうに口を開いた。

「アイちゃんに似合うかな?って思ったんだけど、どうかな。気に入らなかったかな」

「ううん!!!そんな事ない!!すっごく気に入ったよ!!」

興奮気味にそれを否定すると、ナッちゃんは安心したように私の大好きな笑顔を見せてくれる。

「じゃあつけてあげるよ」

「え?」

私の手からそれを取ると、ナッちゃんは優しい手つきで私の髪をすくうと髪につけてくれた。

「どうかな?似合う?」

「うん、すっごく似合ってるよ」

「ありがとう、ナッちゃん。大切にするね」

今日は水族館に二人で行けるだけじゃなくて、こんなに嬉しい贈り物もしてもらってなんて素敵な日なんだろう。
頬が緩むのが抑えられない。

「えへへ、なんだかすっごく幸せだね」

「……僕も幸せだよ」

そう言って、ナッちゃんはどこか淋しげに微笑んだ。

 

 

 

目が覚めればあなたはいないって事、現実の私は知っている。
だけど、夢の中の私はそんな事知らないで大好きな人の隣で笑ってる。
だから夢の私にとって、それは現実なの。
奪わないで、私の世界で一番大好きな人を。
朝が来るまでは、どうか。

小さな幸せ、そして…(尊市)

好きな人には笑って欲しい。
多分誰だってそう思うだろう。
香月がロクに口を利いてくれなくなった時、話せば喧嘩になってしまっていつも香月は不機嫌そうな顔ばかりしていた。
それが悲しくて、香月が少しでも笑ってくれたらいいなと思って、そんな時はいつもより気合を入れてご飯の支度をした。

 

そう、私にとってご飯というのは人を笑顔にするものだ。

 

「笹塚さん、ご飯の支度できますよー」

「ああ、ちょっと待ってろ」

笹塚さんは休みの日でもパソコンの前にかじりついている事が多い。
たまに無理矢理時間を作って、私を外へ連れ出したり、ベッドに引きずり込んだり…という事はあるが、大体はパソコンの前に鎮座している。
仕事をやっている事もあれば、私にはよく分からないが、笹塚さんがやっているようなものというのは日々技術が進歩しているらしく、定期的にそういう情報に目を通さなければならないようだ。
私は…同じ空間にいられるだけで幸せだし、笹塚さんの背中をたまに見ながら家事をするのも楽しい。
そろそろドーナツが必要かな、という時に笹塚さんのもとへドーナツを持っていくと「分かってんじゃん、市香」と褒められる。
そんな時間が日常の一部になってきたことを、桜川さんと向井さんとの飲み会の時に話すと、「もっと貪欲に!!!貪欲になっていいんだよ!カップルなんだから!!」と二人からのありがたいお言葉を頂いた。

(…貪欲かぁ)

「市香」

「-!! はいっ!!!?」

「ったく何ぼーとしてんだよ、キリいいところになったんだけど」

気付けば笹塚さんが私の目の前で片手を振っていた。
こんな近くに来られるまで気付かないなんてどれだけぼんやりしてたんだろう。
恥ずかしくなって、顔が熱くなる。

「市香」

笹塚さんが私を呼ぶ。
条件反射のようにぱっと顔を上げると、笹塚さんが凄く優しい顔で微笑んでいた。
その表情に目を奪われると、笹塚さんの手が私の顎にそえられ、気付けば唇が重なっていた。
身体を重ねるときのキスは酷く熱っぽくて、そのまま溶けてしまいそうになる。
そういうキスも好きだけど、こういう何気ない時にしてくれる優しいキスも私は凄く好きだ。

「どうしたんですか、急に」

「飯よりもキスしてほしいって顔に書いてあった」

「えっ!?」

キスの余韻でまだ熱い頬を両手で抑える。
笹塚さんは手の甲で軽く私の額を叩くと、自分の席についた。

「あんまり煽ってばっかりいると帰さねーぞ」

「煽ってなんて…!」

さっきはあんなに優しい顔をしていたのに、今はもう私をからかう時のちょっと意地悪い表情だ。

「もう!冷めちゃうから早く食べましょう!」

「はいはい。いただきます」

「いただきます」

二人で手を合わせて食事を始める。
笹塚さんはハンバーグを一切れ口にいれると、「うまい」と小さく言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、私はついにこにこしながら笹塚さんが食べる様子を見てしまう。

「俺のことばっかり見てないで、お前も食えよ」

「ふふ、そうですね。でも私、美味しそうに食べてくれる笹塚さんを見るの幸せなんです」

にこにこした私を見て、笹塚さんは呆れたように言葉を続ける。

「小さい幸せだな、それは」

「えぇ、そうですか?」

「まぁ、近いうちにもっと大きい幸せやるから…覚悟しておけ」

「え?」

笹塚さんはそう言って笑った。

 

今は笹塚さんの笑顔が私の幸せ……
近いうちに笹塚さんがくれる大きい幸せ<未来>が何なのかはー それはまだ少し先のお話。

あったかい(ヴィルラン)

人のぬくもりって温かい。
それは誰かに優しくされた時に感じる温かさとは違う、直接触れることによって知る温かさだ。
子供の頃はよくお母さんにぎゅうっと抱き締められ、お父さんには抱き上げられた。
だけど、成長していくにつれ誰かと抱き合うなんて機会は減っていった。

 

「どうかしたのか?」

「んー?どうもしないよ」

ルナリアの木の傍でヴィルヘルムが胡坐をかいて座っているのを見つけた。
驚かしてみようと思い、私は気配を殺して近づいてみるがそんな小細工がヴィルヘルムに通用するわけもなく「何してんだ?」とつっこまれてしまう。
私が隣に座ると思ったヴィルヘルムは位置をずれようとしてくれたので、それを止めて背を向けて座って欲しいとお願いしてみた。すると、さっきのような台詞を言われたのだ。
ヴィルヘルムの背中は広い。
彼の背中にそっと右手を乗せて、ゆっくり撫でてみる。
服の上からでも分かるくらい鍛えた身体。
これはヴィルヘルムが頑張ってきた証だということを私は知っている。
その背中が愛おしくて、私は甘えるようにヴィルヘルムの背中にもたれかかった。
ああ、あったかい。
耳をすませると、ヴィルヘルムの鼓動が聞こえてくる。
サァ…と風が吹いて、木々が揺れる。
ただ、こうして寄り添ってるだけでどうしてこんなに幸せだと思うんだろう。

「なあ、ラン」

「なぁに?」

「動いてもいいか」

「んー、まだ駄目」

「…なんだ、それ」

「もうちょっとだけ」

「あっそ」

それ以降、ヴィルヘルムは私が満足するまで動く事はなかった。
だけど、ちょっとだけ鼓動が早くなったことに私はひっそりと笑みを零すのだった。

誕生日の朝(真澄×いづみ)

3月30日。
みんなが見えるところに貼ってあるカレンダーには「真澄くん誕生日」と書いてあった。
それは私が過去にみんなの誕生日を聞いた時に一つ一つ書いたものだ。
真澄くんがそのカレンダーの前で立ち止まって、その文字を指でそっとなぞる瞬間を見た。

「おはよう。真澄くん、どうしたの」

「カントク」

真澄くんが珍しく早起きで、まだ誰もいない談話室にいた事に驚いた。
真澄くんは私の方を見ると、なんとなく嬉しそうな顔をした。

「随分早起きだね」

「ん」

「そして、お誕生日おめでとう」

「ありがとう、カントク」

「先に朝食、一緒に食べる?」

「ん」

「じゃあ、今用意するから待っててね」

私がキッチンに移動すると、真澄くんも一緒についてくる。

「あんたの手伝い、する」

「ありがとう。じゃあ、冷蔵庫から卵とってもらえる?」

「うん、分かった」

キッチンに二人で並ぶ事なんて滅多にないからちょっとだけソワソワする。
真澄くんの様子をみると、真澄くんは私以上にソワソワしていた。
トーストを焼いて、目玉焼きとサラダを用意する。

「目玉焼き、半熟でいい?」

いつもは一人ひとり好みを聞く時間がないので聞かないけど、今日は二人だけなので尋ねてみる。

「アンタは半熟が好きなの?」

「そうだね。半熟はカレーとの相性も抜群だしね!」

「じゃあオレも半熟にする。あんたと結婚した時、食の好みがずれてたら困るし」

「はいはい」

いつもの真澄くんの言葉を受け流す。
そうして目玉焼きを焼き終え、お皿に盛るとそれをテーブルまで運ぶ。
まだ早い時間だけど、誰も起きてくる気配がしないことを不思議に思いながらも私と真澄くんは席についた。

「「いただきます」」

二人揃って手を合わせてから、真澄くんはトーストを食べ始める。

「真澄くん、何のケーキが好き?」

「あんたが好き」

「うん、私はケーキじゃないね。生クリームたっぷりのイチゴのケーキとチョコレートケーキならどっちがいい?」

「あんたが選んでくれるならどっちだっていい」

「うーん」

真澄くんの基準は何もかも私らしい。

「私は真澄くんが食べたいって思う方を用意したいんだけどな」

「あんたがオレのことを知りたがってる……はぁ、好き」

(うーん、どうしようかなぁ。学校帰りに待ち合わせて買おうかな…)

目玉焼きの黄身を割ると、とろりとした黄身が零れてくる。
うん、今日の目玉焼きは美味しくできた。
満足いくできばえの目玉焼きを頬張りながら、目の前で黙々と食事をする真澄くんを見つめた。

「ねえ、真澄くん」

「ん?」

「今日随分朝、静かだよね。どうしたんだろ」

やっぱりこの静かさは気になる。
私がそれを口にすると、真澄くんは箸を一旦置いて、私に手を伸ばした。
その手は私の左手に触れ、両手でそっと撫でた。

「……カントク。オレ、17歳になった」

「うん、そうだね」

「あと一年でカントクと結婚できるから待ってて」

「それとこれとは話が別かな…」

その言葉にいつもよりちょっと動揺しながらも、真澄くんが私の左手の薬指をゆっくりと撫でる様を見つめていた。

「今日、みんなが朝起きてこないのはオレとカントクを祝福してるから」

「ん?」

「誕生日、一番最初にアンタに会いたかった」

そう言って、真澄くんはずっと欲しかったものをもらった子供のように嬉しそうに微笑んだ。

(…これはもしかして、みんなからの真澄くんへの誕生日プレゼントって事…かなぁ?)

私はモノじゃないんだけどな、と苦笑いしてしまう。
でも、みんなの計らいだと思うと、珍しく真澄くんとの二人だけの朝食も特別な時間に思えた。
せっかくの誕生日、たまになら甘やかしてもいいだろう。

「それじゃあ、真澄くん…今日は学校が終わったら一緒に真澄くんの好きなケーキを一緒に買いにいこっか」

「-っ!? 放課後デート…?」

「うーん…ま、みんなには内緒ね」

デートという表現はあまり使わない方がいいだろうなと思うけど、そんな風に嬉しそうな顔をされてしまうと否定する気もなくなってしまう。

「うん、ありがとう。カントク」

十七歳になった真澄くんが、これからどんな男の子から男の人に成長していくのか。
私はどんな立場であっても近くで見守りたいな、とひっそりと思った。

 

 

 

 

「来年の誕生日プレゼントは婚姻届がいい」

「うん、それはないかな」

即座に否定するが、真澄くんは小さな声で「婚姻届…証人は誰に頼むか」と言ったので聞かなかったことにした。
そんな真澄くんの17歳の誕生日の朝。

サクラ、サク(景市)

季節は巡る。
この花は、この国でしか咲かないと初めて知った時は本当になんとも思わなかった。へぇ、そうなんだ。そうそう、それくらい。
後は、ソメイヨシノがクローンだというのを聞いて、新宿で咲こうが北海道で咲こうが沖縄で咲こうがみんな同一の遺伝子を持つのかと思ったら番号で呼ばれていた自分を思い出して気持ち悪くなった。
それ以来、桜を見て綺麗だという感想を抱いた事はない。

 

「景之さん、見てください!」

二人でよく行く公園。今日も野良猫たちに会う為に二人で歩いていると、市香ちゃんははしゃいだ声をあげて俺の手を引いた。
そこにはまだ三分咲き程度だけれど、桜が咲いていた。

「すっごい綺麗ですね」

何歳になっても市香ちゃんは変わらず、感動した時にはそうやって嬉しそうに俺にそれを伝え、悲しい時には元気のない声色でそれを俺に伝える。
そういう変わらない部分も、変わっていく部分も愛おしいだなんて。

「市香ちゃんは桜の花、好きなんだね」

「そうですねぇ。多分、桜を見ると春が来たんだなぁって思うから好きです」

「春が好きなんだ」

どの季節が好きだなんて話題に上った事がなかった気がする。
確かに市香ちゃんには春 ― ひだまりの中、嬉しそうにはしゃぐ姿が良く似合う。

「春も好きですけど、一番は冬です」

「冬?」

寒い日はいつも身体を縮こまらせて俺に擦り寄ってくるのに。
意外そうだ、と顔に書いてあったのか市香ちゃんは俺の顔をみて不満げな声を上げる。

「分からないですか?冬を好きな理由」

「うーん…寒さにかこつけて、俺といちゃいちゃできる、とか?」

からかうように意地悪く笑ってみせると、市香ちゃんは首を左右に振った。
昔の市香ちゃんなら顔を赤くして力強く「違いますっ!!」とか言っただろうなぁ。だけど、こんな風に反応する市香ちゃんのことを、俺は微笑ましく思う。
だって俺のからかいに慣れるくらい、一緒にいるという事なんだから。

「景之さんに出会った季節だからです」

不意打ち。
市香ちゃんは恥ずかしそうにはにかみながら、そんな事を言った。

「だけど、こうやって一緒に桜を見れるなら春も大好きになりますね」

一緒にいられるなら季節なんて関係ないけれど。
そうだね、君と一緒にいる事によって、好きなものが増えていく。
それは凄く魅力的だ。

「桜ってこんなに綺麗なのにどうして日本だけなんでしょうね」

「ああ、最近では日本以外にも咲いてるらしいよ」

「え、そうなんですか?」

「ヨーロッパの方やアメリカとかでもね。行ってみる?」

「え?」

「遅くなった新婚旅行…なんてね」

「景之さん…はい!行きましょう!」

市香ちゃんは嬉しそうに頷いた。

 

 

俺たちにとって特別な季節はきっと冬だけだったのに。
君に出会った冬が終わって、何でもなかった春が大事な季節へと変わった。
君が色づけた俺の世界で、桜が綺麗に咲き誇っていた。

大人になって(左京×いづみ)

大人になるということはどういう事なのか。
年齢を重ねることか。
自分で稼いだ金で自活していく事か。
それとも…夢を見なくなる事か。

 

 

「あれ、左京さん!」

聞き馴染んだ声に呼ばれて振り返ると、思い描いたとおりの人物がにこにこと駆け寄ってきた。

「左京さんも帰りですか?」

「ああ」

俺のすぐ傍を歩いていたはずの迫田は現れない。
変な気を回しやがって、と小さく舌打ちをすると迫田がいない事に気付いたのか、いづみはきょろきょろと周囲を見回した。

「迫田ならいない」

「ああ、そうなんですね。いっつも一緒だから今日も一緒かと思いました」

「その言い方やめろ。いっつも一緒っていうわけじゃねえ」

「はーい」

俺の隣に並ぶので、両手にぶら下げていたスーパーの袋を右手から奪う。
ずっしりとした袋の中身を覗くと、じゃがいも、人参、玉ねぎ…と最近食べる回数が俄然増えた野菜たちがそこにはいた。

「そっち重いんで私が持ちます!」

「重い方は俺が持つに決まってるだろ。
それより、こういう野菜はスーパーじゃなくてまとめ買いをした方が安いっていつも言っているだろう」

「だってカレー作ろうと思ったらちょうど切れていて!」

「切れていて、じゃねえ。お前が隙あらばカレーばっかり作るからなくなるんだ」

こいつの身体はカレーで形成されているんじゃないかと思うくらいのカレー信者。
好きな女の手料理が嬉しくないわけではないが、カレーばかり出されてもありがたさが目減りする。

「はぁ…カレーしか作れなかったら嫁の貰い手がなくなるぞ」

「大丈夫ですよ。私と同じようにカレーを愛する人とめぐり合うはずですし」

人の気も知らないで何でもないことのように笑うから少し腹が立って頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。

「わっ…!ここ外ですよ!」

「分かってる」

芝居と向き合おうと思った時。
自分の年齢が酷く重苦しかった。
始めたばかりのころ、十座の演技は見れたものじゃなかったかもしれないが、奴の必死さが、可能性というものを見せてくれた。
それに引きずられるように万里も本気を見せた。
若いということはそれだけで輝いて見えるものなのかもしれない、と秋組のメンバーを見て思ってしまった。
俺が引っ張れるところまで引っ張ってやりたいと思った。
その時、自分はどこにもいなかった。
大人になるということは、諦めること。
自分の力量を悟ってしまえば、もう後は身の丈にあったことしか出来なくなる。
そんな俺の考えをぶっこわしたのは今隣にいるこいつだ。

「左京さん」

「ん?」

「さっき私がきょろきょろした時、よく迫田さんを探してたって分かりましたね」

「それくらい分かるだろう」

「そうかもしれないですけど。ちょっとだけ嬉しかったです」

出会った頃は生意気ながきんちょだったのにな。
照れたように微笑む表情に目を奪われるなんて。

「無駄遣いしたな…?」

「あ、ばれました?でも無駄遣いじゃないんです!!新しいスパイスを使ってカレーを…!」

大人になるということは本気で何かをしなくなる事かもしれない。

「お前はそうやってまた無駄遣いしやがって!」

「だから無駄じゃないんですってば!ああ、今さっき髪直したばっかりなのに!」

「はぁ、お前といるとガキの頃に戻った気分になるな」

「左京さんは私のこと、子ども扱いしてばっかりですよね」

「そうしないと色々持たないだろうが」

小声で呟くと、聞こえなかったらしいいづみは怪訝そうな顔をする。

「聞こえませんでした、もう一回」

そういってぐっと近づいてくる。
空いている手同士が触れて、思わず鼓動が早くなる。
ガキの頃、俺よりもっとガキだった少女に手を引かれた日のことを今でも鮮明に覚えてる。
夢と恋を、初めて見つけたあの日。

「お前といると、大人じゃいられなくなったようだ」

「なんですか、それ」

「さあな…ほら、さっさと帰って飯つくんないと間に合わないだろ」

いづみと少しだけ距離をとり、少しペースをあげて歩き出す。
大人になったつもりだったのに、いとも容易くガキの頃の感情に引き戻された。
だけど、こいつの前ではもうしばらくは大人ぶったままで。
この恋はまだ見せてやらない。

 

 

 

誰かのトクベツ(太一メイン)

特に秀でたものもなくて、誰かに強く必要とされるような特技も人望もなくて、影も薄い。
秀でた人間を羨んではため息を何度ついたかなんて分からない。
誤魔化すように笑みを浮かべて、それなりの日々を過ごした。

「幸チャンはこんなに可愛いのに恋愛対象は男なんすよねー」

「口動かす暇あるなら手動かして」

冬組の衣装作りの手伝いをしている時のこと。
せっせと手を動かす幸チャンの真剣な瞳に目を奪われる。
自分を貫くということは、凄いこと。
貫きたいと思う程強い意志もなく、それでも自分がトクベツな存在になりたいと子供じみた気持ちをずっと抱え込んでいた。
しばらく幸チャンを見つめていると、視線に気付いたのか顔を上げた。

「はぁ~…馬鹿犬、喉渇いた。お茶とってきて」

「りょ、了解ッス!」

手の止まった俺を邪魔だと部屋からたたき出すかと思いきや、幸チャンは文句を言わない代わりにそんな事を言った。
勢い良く立ち上がり、部屋を転がるように飛び出すとたまたま廊下を歩いていた臣くんに何事かとぎょっとされる。

「どうかしたのか?太一」

「喉渇いたんで、お茶取りにいこうと思ったら勢いつけすぎちゃったッス~」

へへ、と笑うと臣クンはまるで小さな子どもの面倒を見るお母さんのように優しげな笑みを浮かべた。

「お茶を持っていくならちょうどいい。さっき焼きあがったクッキーがキッチンに置いてあるんだ。それも持っていって、一緒に食べるといいぞ」

「あ、ありがとうッス~!!」

「裁縫は手伝えないからな。頑張れよ、二人とも」

臣クンと別れ、キッチンへ行くとほのかに甘い香りがした。
これが臣クンの作ったクッキーか。一個味見をしようかとも思ったけど、今部屋でせっせと幸チャンは頑張っているんだ。
味見したい気持ちを堪えて、トレイにお茶を二人分とクッキーを二人で食べる分くらい載せて、部屋へ戻ろうとする。
階段を登ったところで、今度は万チャンと出くわした。

「おい、太一。ゲームすっぞ」

「あ、万チャン。今、幸チャンの衣装作り手伝ってるところなんスよー」

「なんだよ、それじゃあしょうがねーな。また今度な」

「了解ッス!」

万チャンはおそらく至さんのところへ行くのだろう。
また徹夜して明日死んでなきゃいいけど。

「幸チャン、ただいまッス~」

「遅い。どこほっつき歩いてるの、馬鹿犬」

部屋から出て行った時とは違う衣装の作業をしている幸ちゃんを見て、本当にこの子は手際が良いというか一生懸命なんだなぁと再確認してしまう。

「ごめんッス!でも、臣クンが焼いたクッキーもらってきたッス!」

じゃん!と幸チャンにトレイに載っているものを見せると、幸チャンは持っていた針を一旦しまった。

「じゃあ、ちょっとだけ休憩。ちょっとだけだからね」

「了解ッス!」

テーブルに置くと、幸チャンの前にお茶を置く。
ありがと、と幸チャンは言ってからお茶をごくごくと飲んだ。
喉が渇いていたのを、お茶を飲んで初めて思い出したみたいな…
そんな集中力を尊敬する。

「馬鹿犬は本当に馬鹿だよね」

「え?」

「他人の色恋なんか気にしてる余裕なんてどこにもないのに」

「ああ」

さっき自分が振った話題だ。
聞いていないようで聞いていてくれたのだ。
それだけで嬉しく思える。

「俺っち、モテたいモテたい~!!って気持ちはやっぱり変わらないんスけど。
うん…誰かのトクベツになりたいなって昔からずっと思ってるッス」

誰かが自分のことを見ていてくれたらいいのに。
そうすればきっとこの心にぽっかりと空いた穴は塞がるのに。
自分は足元ばかり見ていたくせに、そんなないもの強請りをしていた。

「さっき俺が言った事聞いてなかった?」

「え?」

「馬鹿犬は、ほんっとーーーに馬鹿だね」

幸チャンはわざとらしく、ため息をついた。

「モテてないのは分かるけど。あんたが望んだ誰かのトクベツっていうのにはもうなってるんじゃないの?」

「…え?」

「秋組のメンバーだって、他の連中だってそう思ってるんじゃない?
…俺も、太一がいてくれて少しは助かってるし」

「ゆ、幸チャン…!!!」

誰かのトクベツ=恋人ではない。
かけがえのない存在は恋愛だけじゃない。
それを教えてくれたのは、新しい居場所だ。
誰かに会えば、話しかけられたり、心配されたり、遊びに誘われたり。
一緒に真剣に演技に取り組んだり、たまにはハメを外して馬鹿なことをしてみたり。
年齢も育った環境も違う人たちが集まったこの場所は、俺にとって何よりもトクベツな、大事な居場所。

「そうッスね、俺っち馬鹿ッスね」

「ほら、休憩終わり!さっさと作業に戻るよ!」

「ええ!まだクッキー残ってるッス!」

「後で食べればいいでしょ、うるさい。早く手動かして」

「はっ…はい!!!」

幸チャンは照れを誤魔化すようにいつもよりビシバシと俺をこきつかう。
でも、それがまた自分を必要としてくれているんだと思うと嬉しくなる。
実は、幸チャンの言葉が嬉しくて、泣きそうになったのは男のプライド的に内緒にしておこう。

 

高嶺の花(Fate 士凛)

ろくに会話もした頃がない頃から、彼女の姿を見かけると思わず目で追っている自分がいた。
その佇まいは彼女の名前と同じで、凛としていた。
ご両親は彼女が生まれた時にそうなる未来が見えたのだろうか
もしくは、凛とした娘に育つようにと願いを込めたのだろうか。
俺から見た遠坂凛という少女は、目で追わずにはいられない存在だった。

まぁ、今もそれは変わらないが。

 

休み時間。教室で一成たちと雑談していると入り口のところに見知った自分が立っていた。目が合うと、俺のことを手招きで呼ぶから、俺は小さく頷いてからそちらへ向かう。

「衛宮くん、ちょっといいかしら」

「どうかしたのか、遠坂」

「帰りに付き合って欲しいんだけど」

「ああ、いいけど。でも、遠坂が珍しいな。わざわざそんな事言いに来るなんて」

「そんな事…?」

ぴくり、と遠坂が反応した。
普段用事があったとしても遠坂は基本的にわざわざ教室へやってくる事はない。
放課後になってつかまることはよくあるが、今日みたいなことは本当に極めて珍しい。

「いや、悪い意味で言ったんじゃなくてだな…」

「まぁいいわ。そういう事だから。よろしくね、衛宮くん」

フンと不満そうに踵を返すと、背筋を伸ばして歩いていってしまう。
その後ろ姿は少し機嫌が悪そうだが、やはり遠坂は遠坂だ。
凛とした佇まいに俺は今も変わらず焦がれてしまう。

 

 

放課後になり、遠坂をクラスまで迎えに行くと遠坂のクラスの男達はぎろりとこちらを睨んでいた。
まぁまぁ気持ちは分かる。が、睨まないでおいてくれと苦笑いを浮かべると遠坂が「行きましょう」と周囲を気にすることなく歩き出した。

俺と遠坂が付き合っていることは一部には知られているが、かかわりのない生徒はおそらく知らない方が多いだろう。
こうやって一緒に歩いていても付き合ってるという疑いをかけられないのは多分つりあっていないからなのだろうな、と思うがそれは仕方がないだろう。
遠坂凛は高嶺の花だ。色んな偶然や奇跡があって、今俺の隣にいるのだ。

学校の門を通り過ぎ、俺たちのように下校する生徒もまばらだ。

「なあ、遠坂」

「なに?」

「今日はどうして誘いに来てくれたんだ?」

口にすると酷く自虐的な台詞な気がした。遠坂もそれを分かったらしく、不満げに睨まれる。

「士郎はどうしてそんな風に言うのよ」

「あー…悪い。いや、うん…そうだな。
遠坂が来てくれたことが自分で思ったよりも嬉しかったみたいだ」

自虐めいた台詞を吐きたかったわけじゃない。
ただ、遠坂がいつもと違うことをして、それが俺にとって嬉しかったから理由を聞きたくなっただけなのだ。

「…なによ、それ」

驚いた顔をした後、頬が赤くなっていく。
そして恥ずかしさを誤魔化すように、俺から視線を逸らした。

「ちょっと士郎の顔が見たくなったから行っただけよ」

会いにいく理由なんてそれしかないじゃない、と小さな声で遠坂がつぶやいた。

「あー…悪い」

今度は俺が照れる番だ。遠坂の言葉をゆっくりと咀嚼するみたいに俺の頭が理解する頃には馬鹿みたいに顔が熱くなっていた。

 

遠坂凛という少女は、高嶺の花だ。
凛とした佇まいに誰もが目で追いかけ、逸らすことなんて出来ない。
だけど、俺と二人でいる時の遠坂は怒ったり笑ったり照れたり、色んな表情をする。それが俺にとっては馬鹿みたいに嬉しい。

「それで、今日はどこへ行く?」

「そうねぇ…どうしようかな」

「考えてなかったのか?」

「私だってたまにはそういうときもあるわよ」

遠坂がそう言って微笑んだ。
多分これも俺にだけ見せてくれる表情。
気付いたら遠坂の手を握っていた。
遠坂は一瞬固まったが、何事もなかったような顔をして歩き始めた。
だけど、繋いだ手はきゅっと握り返してくる。

「こんな日もたまには良いな…」

目で追うだけの存在より、こうして手を繋げる存在になった遠坂凛を好きだと思った。

 

 

おやすみなさい。また明日(シュドイヴ)

機械の身体じゃなくなってもうすぐ一年が経つ。
人間の身体って不思議なもので、温かい。
一人でも温かいんだけど、二人だともっと温かい。

3000年という年月をクレイドルと二人で過ごしてきた私にとって、1年という時間は本当にあっという間だった。
そう、シュドに出会う前までは。

 

 

 

まだ仕事が片付かないから先に眠っていて、とシュドに言われて先にベッドに入っていたんだけど、なかなか寝付けずわたしは何度目かの寝返りを打った。

「寝れない?」

「シュド、仕事終わったの?」

「ああ、終わったよ」

壁際に寄ってシュドの寝るスペースを作るとシュドがそこに入ってくる。
さっきまで冷えていたベッドの中はシュドがいるだけで酷く心地よいものに変わった。

「俺が仕事終わるの待っててくれたの?」

「そういうわけじゃないんだけど…なんだか落ち着かなくて」

「落ち着かない?」

シュドが私の頬にかかった髪をそっとよける。

「いっつも一緒に寝てるシュドがベッドにいないだけで、落ち着かなくなるなんてびっくりした」

「…それって」

「シュドってあったかいからかな」

そう言ってシュドにぴったりくっついてみると、シュドが硬直した。
触れ合った部分から伝わるぬくもりが酷く愛おしくて、私はシュドの胸に頬ずりする。

「…君って本当に」

「え?あれ、シュド…なんだか顔赤い」

「…それは、うん…そうだね」

シュドは困ったように笑うと、深呼吸してから私をそっと抱き寄せた。

「君が可愛いからちょっと…いや、大分照れちゃったよ」

「ふふ、変なシュド」

不思議。
シュドに抱き締められると、すごく安心するのにすごくドキドキする。
本当はシュドのことをいえないくらい顔が熱くなってるけど…

「ねえ、シュド。覚えてる?」

「ん?何を」

「前に話したの覚えてる?春になったら一緒に花を見ようって」

「ああ、覚えてるよ」

「場所は違うけど…シュドと花を見れてすごく嬉しかった」

「うん、オレも」

「シュドといるとね、前よりも1年ってあっという間に感じるの。
でも、前はあっという間に過ぎ去っていったのに、今は違う」

「それって、どう違うの?」

「…過ぎ去ってしまうのが勿体無いって思っちゃう」

「そっか」

シュドの腕が少しだけ強く私を抱き締めた。

「もったいないなんて事はないよ。これからはずっと君の隣にオレはいるから」

「うん…」

でもやっぱり勿体無い。
本当は寝る間も惜しんで、シュドと一緒にいたい。
だけど、こうやって一緒のベッドでシュドと眠ることもわたしは大好き。

「シュド、明日も一緒にいようね」

「ああ、明日も明後日も…ずっとずっとその先も、一緒にいよう」

ずっと…がいつまで続くのかなんて分からないけど。
明日も明後日も、ずっとずっとシュドといれたらいいな。
そんなことを思ってシュドを見つめると、シュドは愛おしいものを見つめるみたいに目を細めて笑うと、わたしの額にそっと口付けてくれた。

「おやすみ、イヴ」

「うん、おやすみ…」

さっきまでなかなか寝付けなかったのが嘘のように、シュドの腕の中で私は眠りに落ちた。

忘れない背中(ヒガリン)

季節は冬。
あの夏からまだ半年くらいしか経っていないのに不思議。
あの日を凄く遠い日に思う時もあれば、昨日のことのように思い出す時もある。

「おい、どうした」

片付けを終え、グラウンドをぼんやりと見つめていると、私の頭を軽く小突く大きな手。
振り返ると比嘉先輩が立っていた。

「比嘉先輩!どうしたんですか、こんなところで」

「どうしたって、お前を迎えに来たんだよ」

比嘉先輩はスポーツ推薦で大学の進学が決まっているからもう学校にあまり来なくてもいい。
それなのに毎日のように会えるのは、比嘉先輩がわざわざ学校に来てくれるからだ。

「待っててくれるなら部活にも顔出してくれてもいいのに」

「バーカ。引退した部長が顔出してたらやりづらいだろ」

「そうかもしれないですけど…私は比嘉先輩がいてくれた方が嬉しいです」

「バーカ」

比嘉先輩は嬉しそうに私の頭をくしゃりと撫でた。

「支度してくるんでちょっとだけ待っててください!あ、ここ寒いんで玄関とか…」

「いや、ここで待ってる」

「分かりました。急ぎますね!」

「走ってすっころぶなよー」

「転びませんよ!」

愉快そうに笑う比嘉先輩をグラウンドに待たせ、私は支度をするために急いで校内へと戻った。
ジャージから制服に着替え、部活中は邪魔だから一つにまとめていた髪をほどく。
念入りに櫛でとかすと、いつも通りの髪型をつくる。
比嘉先輩には急ぐと言ったけど、いつもより支度に時間がかかってしまう。
ちょっとだけはねる髪をなんとか直して、鏡の前で笑顔なんて作ってみる。

(…これはちょっと恥ずかしい)

自分で練習しておきながら恥ずかしくなる。
カバンの中にいれてあったそれを私は確認すると、一呼吸して比嘉先輩の下へと走った。
グラウンドにつくと、夕日を背負った比嘉先輩が素振りしている姿があった。
久しぶりにバッドを振る比嘉先輩に思わず見とれてしまう。

「ん、早かったな」

「あ、すいません。待たせちゃって」

「いや、全然」

そういって持っていたバッドを置こうとする比嘉先輩に「あ、あの!もう少しだけ見たいです…!比嘉先輩がバッドを振る姿」と口にしている自分がいた。

「オマエって変わってるよな、本当」

どことなく嬉しそうな表情で比嘉先輩はもう一度バッドを握った。
バッドが空を切る音だけが聞こえる。
野球に全然興味のなかった私が、彼に誘われてマネージャーになって、そこから野球をどんどん勉強していって、今では家で野球中継をお父さんと一緒に見てしまうくらいに成長した。
だけど、どんなに上手な人が野球をやっているのを見ても比嘉先輩の背中を見つめている時のような高揚感はなかった。

「はい、もう終わりだ」

「ありがとうございました!」

「はいはい」

ぽんぽんと頭を撫でると、比嘉先輩は今度こそバッドを片付けにいってしまった。

(いつもなら頭、くしゃくしゃにするのに)

もしかしたら私が一生懸命髪を整えてきたことに気付いてくれたんだろうか。
そう思うと、どうしようもなく鼓動が高鳴った。

「比嘉先輩…あの!」

「ん?」

「これ、受け取ってください!今日、バレンタインデーなんで!」

戻ってきた比嘉先輩に私はカバンにいれていたそれを両手で差し出した。
一瞬面食らったような顔をするが、すぐ比嘉先輩は受け取ってくれた。

「サンキュ」

「…はい」

「開けてもいいか?」

「はい…!」

比嘉先輩は包みを開けると、「へぇ」と声を上げた。

「オマエ凄いな」

「喜んでもらえました?」

「ああ、すっげー嬉しい」

頑張って作ったそれは野球ボールを意識したトリュフチョコレート。
チョコレートを丸くするのにすっごい苦戦して、どれだけ試作品を食べたか分からない。

「なぁ、折角なら食わせてくれよ」

「えっ…!?」

「ほら、早く」

比嘉先輩は慌てる私を楽しそうに見つめると、口を開けた。
私は恥ずかしいのをこらえて、チョコを一個取ると比嘉先輩の口に入れる。

「ど、どうですか?」

「ん、うまい」

「良かった…!」

「オマエも食うか?」

「え、私は…」

「遠慮すんなって」

比嘉先輩は私の腰に手を回すと、強く引き寄せた。
バランスを崩して、先輩の胸に倒れこみそうなところを支えられ、そのまま唇が重なった。

「…っ!」

突然のことに私は驚いて身動き一つ出来なくて。
比嘉先輩の顔が離れた時、遅れて恥ずかしさが襲ってきた。

「オマエ、顔真っ赤」

「だって急に…!」

「こうやって食べるのが一番うまいかも」

「もう、比嘉先輩!!」

「悪い悪い」

悪いなんて思っていない顔で比嘉先輩は私をもう一度抱き寄せた。
今度はさっきみたいな強引な様子はなく、凄く優しく…

「サンキュ、リンカ」

「…来月期待してますね」

「あー…努力する」

「はい」

もうすぐ比嘉先輩は卒業してしまう。
きっと私は淋しくて、比嘉先輩がいたグラウンドを何度も思い出すんだろうけど…
あの夏と、今日の思い出が、多分私のことを支えてくれる。
そんな気がした。

ちょっとだけトクベツ(天馬×いづみ)

今日の晩御飯は特製カレーライス。
人数が多いからふんだんに肉をいれるっていうのは家計には大打撃だから、あまり出来ないんだけど今日はトクベツ。
私は駅でとある人物を待っていた。
ガヤガヤと人が降りてくるのを見つめていると、お目当ての人物を見つけた。

「天馬くん!」

「え、監督?」

そう、私が待っていたのは天馬くん。
天馬くんの元へ駆け寄ると、彼は驚いた顔をして私を見ていた。

「どうしたんだよ、こんなところで」

「天馬くんの帰りを待ってたの、おかえりなさい」

「…っ、ああ…ただいま」

にこにことご機嫌な私にどう返していいのか分からないのか、視線を私から逸らしながらも「ただいま」と言ってくれた。

「今日ね、肉が特売なの!付き合って!」

「あー…そういうことか」

「え?」

「いや、なんでもねぇ。…はぁ、スーパー行くか」

「あ、天馬くん!」

歩き出した天馬くんを慌てて腕をつかんで引き止める。

「スーパー、そっちじゃなくてこっち」

「分かってるよ!!あれだ、あれ。お前のこと試したんだよ!」

「はいはい。それじゃあ張り切って行こう!」

方向音痴な天馬くんがふらふらとどこかへ行ってしまわないように腕をそのまま掴んで歩き出す。

「そういえば今日バレンタインなのに、天馬くんの荷物は増えてないんだね」

「あ?」

街の装飾はピンクだらけ、というかハッピーバレンタインという言葉があちらこちらにあるから嫌でもバレンタインだということが分かる。

「天馬くんのことだから両手いっぱいのチョコとかもらってくるのかなーって思ってた。あ、もしかして事務所に送られてるとか?」

「全部断ってんだよ」

「え?」

「だから!ファンからの贈り物はもらわないことにしてんだよ」

「そうなんだ」

天馬くんくらいの年頃の男の子はバレンタインって一喜一憂するものだと思っていたんだけど、どうやら違うみたいだ。

「私が学生の頃はバレンタインっていうだけできゃあきゃあしてたけどなー」

「…お前は」

「何?」

「お前は誰かにやったのかよ」

「学生の頃はあげたよー、義理とか本命とか色々と」

懐かしいなぁと笑うと、天馬くんの表情は見る見るうちに不機嫌そうになっていく。

「天馬くん?」

「呼ぶな」

「やっぱりチョコ欲しかったんじゃないの?」

「いらねぇよ、チョコなんて」

「そう?」

不機嫌そうな天馬くんから手を離し、私はカバンの中からあるものを取り出した。

「後であげようと思ってたんだけど、ハッピーバレンタイン」

彼の手をとり、その手のひらにちょこんと小さなそれを渡した。

「ちっせぇ。しかもハートってガキかよ」

「しょうがないでしょ、みんなにあげるんだから大変なのよ」

二十人以上のチョコレートを用意するのはお財布的にも厳しいのだ。
大量に買ってきたチョコレートを湯銭して、型に流し込み、せっせと作ったチョコレートなのだ。今日の日中はこの作業で終わってしまった。

「なぁ、監督」

「なに?」

「これ貰うの、俺が最初?」

「うん、そうだよ」

「…ならいい」

そう言って天馬くんはチョコレートの包みを開いて、ぱくりと口に放り込んだ。

「お、意外とうまい」

「でしょ?ちょっと自信作」

「カレー以外にも作れたんだな、監督って…」

「それはどういう意味かな」

「そのまんまの意味だよ」

さっきまで不機嫌だったくせに、もうご機嫌だ。
甘いものは最強!ということかもしれない。

「今日の晩御飯はなんと…カレーです!」

「…げ、またカレーかよ」

「今日はいつもとちょっと違って手羽元を豪勢に使ったカレーなんだよ!
だってバレンタインなんだから!」

「あー、そんな事言ってたら今食ったもんも本当はカレールーだったんじゃないかって不安になるな」

「どういう意味かな?」

「なんでもね。ほら、さっさと行くぞ」

そう言って天馬くんは私の手を握った。
突然の行動にちょっとだけ驚いて天馬くんを見ると、心なしか耳が赤くなっているように思える。
誰かを贔屓するのは良くないけど…でも、はぐれたりしたら困るし。
それに今日はちょっとだけトクベツだから。
自分にちょっとだけ言い訳して、私は天馬くんの手を握り返した。

本当は天馬くんにあげたチョコレートだけハートの形なんだけど、この子は気付くのかな。
気付かなくても構わないと思いながら、左手のぬくもりを愛おしく思った。

Sweet×Sweet(和南×つばさ)

アイドルという職業は季節感のないものだと思う。
真夏に冬のシチュエーションの撮影をすることもあれば、逆もしかり。
だから今って何月だっけ?ということが良くある。けど…

(右を見てもチョコレート、左を見てもチョコレート…)

この日だけは多分、間違えようのない。

「バレンタイン特集かぁ…撮影したのいつだっけ?」

「二ヶ月前くらいじゃなかったか?」

「そもそもバレンタインって俺たちはもらう側のはずなのにねぇー」

「トゥンク!それもまた一興です!」

メンバーが思い思いにしゃべりながら撮影は進む。
ちなみに今の撮影は春の特集記事。
あと数カットで撮影は終わりだろう。
カメラマンの向こうににこにこしながら俺たちを見つめる澄空さんの姿があった。
嬉しそうに俺たちを見つめる澄空さんの笑顔に、俺も知らず知らず笑みが零れた。

 

「みなさん、お疲れ様でした!」

「ありがとう、つばさちゃん!ねぇねぇ俺かっこよかった?」

「はい!すっごく素敵でした!」

「やったー!」

撮影が終わり、控え室に移動すると澄空さんが冷たいドリンクを用意しておいてくれていて、それを一人ひとりに手渡してくれる。

「はい、増長さん」

「ありがとう、澄空さん」

ドリンクを受け取るときに、少しだけ手が触れる。
そんな些細なことにさえ、俺はまだドキドキしてしまう。
ちらりと彼女の表情を盗み見ると、どうやら同じだったらしく彼女の頬も心なしか赤くなる。
受け取った飲み物を一口飲むと、自分が思っていたよりも喉が渇いていたことに気付かされる。

「はぁ、美味しい」

「今日の撮影、普段より照明つかってたんで喉渇くかなーって思ったんです」

「そっか。澄空さんは本当に俺たちの事をよく見てくれてるね…ありがとう」

「いえ!喜んでいただけて嬉しいです!」

その後、今日のスケジュールの確認が入る。
今日の俺の予定はもう一本雑誌のインタビューがあり、他のメンバーも違う雑誌インタビューやラジオへのゲスト出演などある。

「それじゃあ、私は増長さんについていきますので他のみなさんももう一息頑張ってくださいね!」

人数が少ないところを優先して澄空さんはついてくれる。
だからトクベツ俺を贔屓したわけじゃないけど、少しだけ嬉しい。
頬が緩みそうになるのを誤魔化すように、残っていた飲み物を一気に飲み干した。

「あ!それと皆さんに!」

いつも持っているカバンからいくつかの包みを取り出し、俺以外のメンバーに渡していく。

「わー!チョコだ!」

「これはもしやつばささんの手作りですか!?」

「ありがとう、つばさ」

「悪いな」

キレイにラッピングされた半透明の袋の中には丸いチョコレイトが入っているのが見えた。

「お口にあえばいいんですけど…いつもの感謝の気持ちを込めました!」

「モモタス!これは飾るしかないでしょうか!!」

「多分食べないと腐るよ、ミカ…」

「あれ?リーダーには?」

ふと、暉がそう口にした。すると、澄空さんは顔を真っ赤にした。

「あ、増長さんには後で…!」

「ふぅん、後で…」

にやりと笑う暉を龍が軽く頭をはたいて諌める。

「つ、次の準備もあるしそろそろ行こうか!澄空さん!」

「はいっ!そうしましょう!それじゃあ皆さん、お疲れ様です!」

何とも言えない空気に耐えられなくなり、俺と澄空さんは慌てて支度をして楽屋を飛び出した。

 

「増長さん、あの…」

「うん」

次の現場はここから歩いていける距離だ。
まだ余裕のある時間なのに、二人で少し駆け足で移動する。
今日という日は、なんだか街が浮き足立ってる。
俺もそんな一人にすぎないんだと隣にいる彼女のせいで嫌でも思い知らされる。
学生の頃、周囲の男友達がそわそわしているのを見てどうしてチョコ一つでそんな風になるんだろうと不思議だったけど、今なら凄く分かる。

「やっぱり楽屋についてからにしますね」

「…うん」

まだ明るい時間。
誰が見ているか分からないから手を握ることは出来ない。
スタジオに入り、挨拶を済ませると用意されてあった楽屋へと入った。
ばたんとドアが閉まるのと、ほぼ同時くらいに俺はつばさを抱き締めた。

「増長さん…!」

「ごめん、少しだけ」

俺たちを嬉しそうに見守る笑顔を見た時から一刻も早く抱き締めたいって思ってた。
メンバーに渡されたチョコを見て、少しだけ妬いたのもあって自制心なんてどこかへ行ってしまった。
ぎゅうっと抱き締めると彼女は俺とは違う人間なんだと強く思う。
あまり強く抱き締めたら壊れてしまうんじゃないかと思ってしまう。
しばらくして、身体を離すとつばさの顔は赤くなっていた。

「あの…これ」

つばさはさっきのようにカバンから包みを取り出して、俺に差し出す。
それはさっきメンバーに渡したものとは違って、箱に入っていた。

「これ、あの…さっきのと違うよね?」

「当たり前です、これは本命チョコ…です」

そう口にしたつばさは自分の言葉に恥ずかしくなったのか、俺に押し付けると頬を両手で押さえた。

「…ありがと。開けてもいい?」

つばさがこくりと頷くのを確認して、その箱を開けるとハート型のチョコレートが入っていた。

「ありがとう。凄く嬉しい」

月並みな言葉になってしまうけど。
世界でたった一人のトクベツな人からトクベツなチョコをもらえるということが嬉しいという言葉以外に表現できない自分が悔しい。

「和南くん、いつもありがとうございます」

箱を持つ俺の手にそっと触れる。

「いつも…私のことを大切にしてくれて、大好きでいてくれてありがとうございます。私もあなたのことが、大好きです」

そう言って、つばさは優しく笑ってくれた。

「君には一生敵わない気がする」

「え?どういう…」

俺の言葉に不思議そうな顔をするつばさに笑いかけると、そのままそっと唇を重ねた。
楽屋とか人目につく場所でこういうことをするのは危ないかもしれないけど、今日という日だけは許してほしい。

「来月、楽しみにしてて」

「…はい、楽しみにしてます」

見つめ合って微笑むと、もう一度甘いキスを送った。

恋をするなら春がいい(真澄×いづみ)

春組、夏組、秋組、冬組…と順調に進んでいき、最初の頃はがらんとしていた寮もすっかり大所帯だ。
気の合う子、合わない子…やっぱり色々あるみたいだけど、組を越えて楽しそうにしている姿を見るとほっとしてしまう。

「じゃー行って来るねーカントクちゃん!」

「俺、監督といたいんだけど」

「今日はオレと一緒に行く約束してたじゃーん!」

一成くんは積極的に色んな人としゃべるからか、真澄くんとも良好(?)な関係を築いているようだ。
春組以外の子とわいわいやってる真澄くんを見るとちょっとだけ安心してしまう。

「いってらっしゃい、二人とも。頑張ってね」

「…あんたがそういうなら、頑張ってくる」

ひらひらと手を振りつつ、今日も一成くんが真澄くんをひきずるように出て行く姿を見送る。
真澄くんは…なんていったらいいんだろう。
生まれて初めて見たのが私だといわんばかりに私しか目に入らない…ようだ。
それはまるで母鳥に付き従うひな鳥のような…

(自意識過剰すぎる考え方だけど…)

気を取り直して、営業周りをするための資料作りに戻る。
飲食店にフライヤーを置いてもらったり、ポスターを貼ってもらう事だって集客につながるんだから。
頑張らないと!と頬を軽くはたいた。

 

 

「ねぇねぇ、まっすー!たまにはLIME返信ちょうだいよ~」

「めんどくさい」

「カントクちゃんは返してくれるのになぁ」

「…監督にLIMEしてんの?」

「うん、ちょくちょくね~!」

「…ふうん」

一成の言葉に少しだけいらっとしながらもオレは隣を歩く奴を見た。
監督はみんなの監督…ではある。
それは言い聞かせれているから分かっている。
俺だけをトクベツ扱いするなんてきっとあの人には無理だろうし、困った顔はさせたくないから言わない。

「ふぅ~!お疲れ!まっすー!」

「お疲れ」

駅前で二人で手分けしてチラシを配り終えると、一成はにこにことスマホを片手に俺に近づいてくる。
一歩引こうとすると、一気に二歩分くらい詰め寄られて距離が縮む。

「イエーイ♪お疲れ様~」

パシャリとシャッター音が響く。

「勝手に写真取るな」

「まぁまぁ」

俺の言葉を聞き流して、スマホをいじる。

「はい、送信~」

「誰に?」

「カントクちゃんに!チラシ配り終わったよ~っていう連絡」

「それなら俺がしたのに」

「じゃあまっすーもカントクちゃんにLIMEしよう!」

 

どれくらい時間が経っただろう。
テーブルの上に置いていたスマホが振動していた。
手に取り、誰からのLIMEか確認すると一成くんだった。

(そういえば真澄くんも一成くんから頻繁にLIME来るって言ってたなぁ)

彼のマメさは見習うべきかもしれない、と頷きながらLIMEを開くと

『順調に配りおわったよー』

という言葉と共に真澄くんとのツーショットの写真が添えられていた。
一成くんのキメ顔の隣には、真澄くんのちょっと不機嫌そうな顔があって思わずくすりと笑ってしまう。

スマホがもう一度振動し、今度は真澄くんからのLIMEだった。
開いてみると、桜の木の枝の写真だった。
まだ咲く季節じゃないからつぼみすらない、ただの桜の木。
どうしたんだろう?と首をかしげていると、真澄くんからメッセージが届いた。

『あんたと出会った季節がもうすぐ来る』

その一文に、私はどうしようもないくらい胸を締め付けられる。
あと何ヶ月もしないで、春組が結成した日がやってくるのだ。
今までの人生の中で一番早い一年だった気がする。
役者として何も残せなかったと思った私に、私の演技が好きだと言ってくれたのは真澄くんだた。
その言葉があったから、私の役者人生は報われたのだ。
あのたった一言で。

「真澄くんはずるいなぁ」

ぐいぐい迫られるのは正直どう受け止めていいのかわかんないし、今は恋をしている場合ではない。
だけど、ふとした時に真澄くんを思い出す。

『あっという間だね。
チラシ配りお疲れ様。気をつけて帰って来てね』

そうLIMEを返すと、すぐ返事が返ってきた。

『こうしていると夫婦みたい。すぐ帰る』

『夫婦みたいではないね』

『じゃあ恋人』

『いや、それはもっと違うかな』

会話をするようなテンポでやりとりは続く。
今は恋をしている場合じゃないけれど。
もし、私が恋をするなら……なんてね。

帰ってくるだろう二人を出迎えるために私はリビングへと向かった。

 

 

勘違い(天馬×いづみ)

フライヤー配りは当番制…というわけではないが、公演のチケット販売前は空いてる人が二人一組になって配りに行くのが定例になった。
同じ組で行くことがどちらかといえば多いが、今日はたまたま誉さんが中庭でぼんやり空を見上げていた(後から聞いたらよくわからん詩を考えていたらしい)のでとっ捕まえて配りにいってきた。

リビングへ行くと監督が笑顔で出迎えてくれる。
両親はいつも忙しく飛び回っているから、家に帰ったって誰もいないのが当たり前だったから、誰かが待っていてくれるという事は新鮮で…むず痒い。

「おかえりなさい。お疲れ様、天馬くん。誉さん」

「ああ…ただい」

「うむ!監督くん、出迎えご苦労!存分に労うといい!」

オレが言い終わる前にご機嫌に誉さんが遮ってくる。
思わず舌打ちしそうになるが、こんな事にいちいち目くじらを立てるような俺じゃない。
ふん、と鼻息荒くオレは手を洗いに洗面台へと消える。
戻ってくると、まぁ…慣れた香ばしい香りが漂っていた。

「おなか空いたでしょ?カレー用意してあるから!」

既に席について食べ始めている誉さんはご機嫌だ。

「監督くんが作るカレーは何度食べても美味しいな。これも一種の芸術ではあるのだね」

「芸術ではねーだろ。ただのカレー馬鹿。それよりちゃんと手洗わないと汚ねぇだろ」

「キッチンで洗ったから問題ないのだよ。天馬くんは意外に細かいことを言うのだな」

「細かくねーよ。ったく…いただきます」

小さく言葉にすると、監督は「召し上がれ」と笑った。
今日のカレーは定番のカレーだ。きっとこれが今日の夜とか明日にはカレーリゾットとかそういうアレンジをきかせてくるんだろう…
オレの身体、いつか黄色くなるんじゃないだろうかと少々の心配を抱きながらもカレーライスを頬張る。
…いや、美味いんだけどな。育ち盛りとしては、肉が食いたい。
多分そういったらカレーに大量の肉が投入される気がするから言わないでおく。
黙々と食べていると、目の前で同じように食べていた誉さんが「ふむ」と呟いた。

「なんだよ、じっと見つめて」

「いや、天馬くんはにんじんが嫌いなのに監督くんが作るものなら食べるんだね」

「ばっ…!!!」

「え?天馬くん、にんじん嫌いだったの?」

誉さんの余計な一言に驚いた顔で監督が俺を見つめた。
誉さんはそれを肯定するように余計な一言を続けてしゃべる。

「今朝だってワタシが天馬くんに置き去りにされたニンジンを哀れんで食しただろう」

「誉さん、黙れ」

「そうだ、監督くん!その時に思いついた詩を聞きたいだろう?」

「いや、今は間に合ってるかな・・・?」

「ふむ。そうか?食べ終わったら存分に披露することにしよう!」

ようやく満足したのか、その後は誉さんは大人しくカレーを食べていた。
俺は…監督の視線が痛くて顔を上げたくない。
ただ黙々とカレーを見つめながら、そうだよニンジンだって親の敵といわんばかりの勢いで食べる。

「ごめんね、天馬くん」

「何が」

「てっきり凄い勢いで食べるからニンジン好きなんだと思って多目にいれてた」

道理でオレの皿にやたらとオレンジ色の物体が多いと思ってたんだよ、ずっと。
他のやつの皿を見てもそんなに多くないのにいつもおかしいなおかしいな、と思っていたけど。

「はぁ~」

「今度から気をつけるね」

「いや、いい」

嫌いなものは嫌いだけど…

「アンタがオレのためにいれてたんなら…いい」

少しでもオレを見ていてくれるならそれも悪くない。

「おお!ではワタシのニンジンも天馬くんにあげよう!」

「いらねーよ!あ、おい!いれんじゃねー!!!」

ひょいひょいと誉さんがオレの皿にニンジンをいれてきた。
それを監督が楽しそうに見守ってるから、まぁ…悪くはないなとちょっとだけ思った。

 

 

次の日からも変わらないニンジンの量にやっぱり減らしてくれといえばよかったとちょっとだけ後悔しながらオレは今日もカレーを食べている。

ファンサービスも楽じゃない(天馬×いづみ)

ファンサービスといえば、ウィンクだろうと意気込んでウィンクをしてみたはいいものの…

「ウィンクって意外と難しいもんだなぁ…」

部屋で練習すると幸に馬鹿にされること間違いなしのため、誰もいない時間を見計らって洗面台の前で練習をしていた。
右目でウィンクしようとすると力が入って、なぜかぎこちないっつーか左目もうっかり閉じてしまいそうになる。
だけど、ファンサービスといえばウィンク…と自分から言った手前俺が下手だというのはよろしくない。
パチン、パチンと何度も練習を繰り返していると

「天馬くん、どうかしたの?」

「うぉぉっ!!?」

「えっ!?」

突然背後から声をかけられて驚きのあまり声が出た。
振り返ると、監督が俺の声に驚いたのか目をぱちぱちさせて立っていた。

「さっきからずっと洗面台にいるからどうしたのかなって思って」

「あー、いや…別に」

「もしかして部屋に帰れなくなっちゃった?」

「んなわけあるか」

そこまで俺は方向音痴じゃないと訴えると、監督はふふ、と楽しげに笑った。
その笑顔に思わずときめいてしまい、頬が熱くなる。
いやいやいや。
芸能界で綺麗だったり可愛いと思う異性は数え切れないほど見ている。
真剣に仕事に取り組む姿に共感した事だって幾度とある。
だけど、こんな風に誰かが笑ってくれるだけで胸が苦しくなるなんて事は今まで一度だってなかった。

「あ、でもなんだか顔赤い気がする。もしかして風邪かな?」

監督の手が俺の額に触れる。
少しひんやりとした手が気持ち良いが、触れられた事実により熱が駆け巡る。

「風邪なんてひいて…」

「でも顔熱いよ?」

そんな心配そうに見つめないでほしい。
どうしていいか分からなくなり、俺はとっさに俺に触れている監督の手を取った。

『ファンサービスっていうのは、スキンシップも大事だろ』

なんていうありがた迷惑な言葉を思い出しながら。

「演技の練習、してたんだよ」

「演技?こんなところで?」

「でも、お前がキスの練習付き合ってくれるっていうなら…してもいいけど?」

にやりと笑って、手の甲にキスを落としてみる。

「-っ…!」

監督の頬が一気に真っ赤になったかと思ったら次の瞬間チョップを食らわされた。

「いってぇ!」

「あんまり大人をからかわないの!」

俺が握っていた手を振り払い、監督はその手を空いてる手で隠すように握りしめた。

「ここ、寒いからあんまり長くいない方がいいよ!」

そんな俺を気遣う捨て台詞を残して、監督は去っていった。

「・・・はぁ、何してんだ。俺」

頭を抱えてずるずるとその場にしゃがみこんだ。
やった俺のほうが100倍照れてる。
多分なんとも思ってない奴に触られようが、手の甲にキスをしようが俺はなんとも思わない。
でも…他の女に触りたいとは思わないから。
やっぱりファンサにはウィンクしかあるまい。

俺は決意を新たにし、鏡の前に立ったが…
自分の顔が思ってた以上に真っ赤だったので、今日の練習はやめることにした。

たまにはベタも悪くない(響乃×憂)

「あなたって本当に…」

「何ですか?照れてます?」

「そんなわけ…ない、でしょ」

 

よくドラマとか、恋愛漫画で見かけるだろう。
デートの最中通り雨に降られた二人。
偶然目に付いたその場所に濡れた身体を温めに入る…なんて。

「ベタすぎて何にも言えないわ」

そもそも私たちは妖怪なんだからわざわざホテルに入って雨宿りをする必要なんてないはずなのに。
「そこはお約束でしょう」と響乃がご機嫌でぐいぐい私の手を引くのであっという間にこんな状況に陥ってしまった。

「先輩、そんな濡れたまんまでいたら風邪引きますよ」

「そんなわけ…くしゅんっ」

「ほら、言わんこっちゃない」

響乃は楽しそうに私を見下ろすと、ためらいもなく私の服に手をかける。

「ちょ、何する気!?」

「何って脱がせる気ですよ?」

「自分でできるわよ!」

「何を今更照れちゃってるんですか」

慌てて響乃の手を払いのけると、響乃はしょうがないなぁと笑って自分の着ている服を無造作に脱ぎ始めた。
なんというか、響乃の裸を見る機会なんて普段そうそうない。
修学旅行のとき、一緒にお風呂に入った時以来まともに見てないと…思う。
あの時はあの時でいっぱいいっぱいだったからあんまり見てなかったけど、響乃の身体は男らしい体つきだった。
普段どちらかといえば線の細いタイプの異性に囲まれているせいか、響乃はやはり新鮮だ。
見入っていると、私の視線に気付いたのか響乃は顔をこちらへ向けた。

「先輩、俺の裸がそんなに新鮮ですか?」

「…っ!そんなんじゃ、」

「ほら、早く脱がないと俺が脱がせますよ」

「分かったわよ!」

再度促されて私はしぶしぶ洋服に手をかけた。

「…なんで見てるの」

「だって先輩も俺が脱ぐところ見てたじゃないですか。
だから俺も先輩が脱ぐ姿みたいな~って」

「嫌よ!あなたはさっさとお風呂に入ってきなさい!」

「先輩ってば可愛いんだから。じゃあ、先に入って待ってますね」

ひらひらと手を振ると、響乃はバスルームへと消えていった。

(…今、先に入って待ってるって言った?)

いやいや、そんな恥ずかしい事出来るわけない。
そう否定するが、ぶるりと身体が震えた。

(このままでいたらホテルに入った意味ないわよね)

なんとか自分を納得させ、私は濡れた服を脱いでいく。
身体にまとわりついていたものが取り除かれるだけで随分楽になるものだ。
身体を隠せそうなタオルを手に取り、私はおそるおそるバスルームへ入った。

「今お湯ためてるんで先に身体洗いましょー」

「…あなた!タオルは!?」

視界に飛び込んできたのは全裸の響乃がバスタブにお湯を張りながら手でかき混ぜている光景というなんともいえないものだった。

「え、だって風呂ですよ?タオルまかないでしょ」

「でも、」

響乃が蛇口をひねると勢いよく熱いシャワーが出てくる。

「先輩、そんなところ突っ立ってないで早く」

「…う、」

うろたえる私がおかしいのか、響乃はくすりと笑って私の腕を掴んだ。

「ほら、身体冷え切ってるじゃないですか。温めてあげますよ」

わざとらしく耳元で囁くように言われて、手に持っていたタオルがタイルの上にはらりと落ちた。

「響乃…」

熱っぽい目で見つめられ、気付けば私もその気になっていた。
シャワーの音が、響く。

「んっ…っァ、」

執拗に私の舌を追いかけてくる響乃のそれはいつもより熱を持っていて、なんだか別の生き物みたいだ。
翻弄されながらも、しがみつくように響乃の背中をきつく抱く。

「大胆ですね、憂」

「寒いからよ…!」

「どれだけ抱いても憂は可愛いままですね」

目を細めて愛おしいものを見つめるような響乃の表情に鼓動がはやくなる。
はじめは付き合おうといわれた時、なんなんだろうコイツと思ったのに。
からかわれてるだけだと思ったのに。
いつの間にか、響乃に心を奪われていった。

「年下のくせに生意気…」

いつもより熱い口付けで既に涙目になっていたけど、響乃を睨みつける。
だけどそんなの響乃を煽るだけだってさすがの私も分かってる。

「そんな俺が好きなくせに」

意地の悪い笑みを浮かべて、唇を塞がれる。
舌を絡めるキスも、触れるだけのキスもどっちも好き。
それを知ってるのか、響乃は私をからかうみたいにどっちも与えてくる。
キスの合間も忙しなく動く響乃の手がじれったい。

「…むさし、」

強請るように名前を呼ぶ。

「何して欲しいか、言えます?」

そんなの言えるわけがない。
私が首をふるふると横に振ると響乃は愉快そうに笑った。

「本当に可愛いんだから」

その声は酷く優しげなのに、響乃のそれはとても凶暴そうに熱を持っていて。
与えられる衝撃に備えて私は響乃の背中に回した手に力を入れた。
そんな時、どれくらいの強さで爪を立てたら、この男の背中に跡が残るんだろうなんて安い官能小説みたいなことが頭に浮かんだ。

「-っぁン…っ、あ」

響乃を受け入れたとき、私は今までのなかで一番強く彼の背中に爪を立てた。

 

 

 

・・・

「先輩、気持ちいいですねー」

「なっ…」

「お風呂ですよ、お風呂。いやー、こういうところのお風呂って広くていいですね」

行為が終わって、すっかり疲れ果てた私は響乃に抱きかかえられながらバスタブにつかっている。

「先輩、耳真っ赤ですよ。もしかしてやらしい事考えてました?」

「そんなわけないでしょ!今したばっかりなのに」

「ふーん。俺はいつでもOKですけどねぇ」

ぎゅっと後ろから抱き締められると、なんとも言えない気持ちになる。

「なんだかベタすぎて恥ずかしい…」

「いいじゃないですか、ベタ。俺は好きですよ、こういうの」

「あっそ…」

「そういえば今日、随分激しかったですね。やっぱりこういう場所だといつもより興奮…」

「やめなさい、そういう事いうの」

「だって背中」

「…! 痛かった?」

「いえ。ただあなたが俺の身体に何かを残すって悪くないなぁって思いました」

「…そう」

ベタな真似も、恥ずかしいって顔を覆いたくなるようなことも。
私も、あなたとなら悪くないかもしれない。
いや、たまになら。
うん…たまになら。

そんな事を思いながら私はちょっとだけ甘えるように響乃にもたれかかるのだった。

夏。君とみんなと。(天馬×いづみ)

「あっちぃぃ」

季節は夏。
稽古に明け暮れる日々が続いている中、ある事件が起きた。
稽古場のクーラーが壊れた。
窓を開けたりしてなんとか空気の入れ替えをしようとしていたけれど、陽が昇るにつれて上がる気温。
昼ごろにはすっかり稽古場はサウナのようになっていた。
滴る汗をぬぐっていると、監督はそんなオレたちを見て考えるように腕組みする。

「蒸し風呂状態だね…うーん、クーラーの修理の電話はしてあるんだけど色んなところで修理お願いされるらしくて、今日来れるかわかんないんだって」

「げっ、マジかよ」

「はぁ~、言ってもしょうがないけどこんな状態だと茹だこになりそ」

「う、うん…そうだね。このままじゃ僕達干上がっちゃう」

メンバーの顔を見ると、みんな同じように汗だくだ。

「あ!湯気がさんかく~!」

「それって蜃気楼!?マジやば!」

「こんな状態で稽古したら身体壊しそうだし、一回休憩にしよっか」

「さんせー」

監督の言葉にそれぞれ頷くと、ひとまず稽古場を後にする。
ぞろぞろと歩いてるときにふと一成が口を開いた。

「夏といえば!やっぱアレじゃない?」

「アレ?」

「またくだらない事思いついただけでしょ」

「まぁまぁ幸ちゃん、みんな!期待して待ってて!俺ちょっくら行って来る!」

言うや否や一成は元気良く飛び出していった。

「…あいつ全然元気じゃねぇか」

「まぁ、一成くんだからね」

何を閃いたか分からないけど、監督と一成の背中を見送った。
寮に戻ると、一旦汗を流そうということになりシャワーに入った。
火照った肌がようやく落ち着きを取り戻し、さっぱりした良い気分でリビングに戻ると、一成たちのはしゃいだ声が聞こえた。

「…何してんだ?」

「おそいよ、テンテン!」

「あ、おかえり。天馬くん!見てみて、これ!」

「さんかく~!さんかく~!」

監督と三角が手に持っていたのは、

「カキ氷?」

「正解っ!やっぱ夏はこれっしょ!」

「一成くんがカキ氷つくる機械、借りてきてくれたの!」

「へぇ」

ガリガリと氷を削る小気味いい音がする。
さらさらと積もっていく氷を三角が楽しげに見つめている。

「はい!テンテンの分!」

削り終わると、一成がそれをオレに手渡してくれた。

「おう、サンキュ」

「シロップはやっぱり全部がけ?」

「なんでだよ!!一つでいい!」

「え~、テンテン以外にチャレンジ精神足りないな~」

「足りないなー」

そう言って三角が食べているかき氷を見ると、赤と黄色と青と緑と白が混ざってとんでもない色になっていた。

「お前、それマジで上手いの?」

「ん~。三角の味がする~」

「いや、しねえだろ。オレはメロンだけでいい」

「分かった、じゃあメロンね」

監督がオレの氷に緑色のシロップを丁寧にかける。

「サンキュ」

スプーンですくい、口に運ぶと懐かしい味がする。

「つめてぇ」

「カキ氷っていいよね、なんか」

「ん?」

「子どものころの戻ったみたい」

一成と三角が楽しげにここにいない二人分のカキ氷を用意する姿を見ながら、監督は楽しげに笑った。
その笑顔はどこか大人びていて、思わず目を奪われる。

(…いや、こいつは大人だし。何を今更)

カレーが好きで、レパートリーもカレーばっかりで。
オレたちのことを良く見ていて、ダメだっていう時には手を差し伸べてくれる。
ただ、優しいだけじゃなくて、厳しさも教えてくれる。
それがオレたちの監督―立花いづみだ。

「あー…ガラじゃねぇ」

「え?」

オレの呟きにこちらを向く。
今目が合うのはなんだか恥ずかしい。
オレは食べていたかき氷を一口すくうと監督の口に無理矢理突っ込んだ。

「-っ!!天馬くん何を…!!」

「子どものころに戻ったみたいなら、色んな味食いたいだろ?」

慌てる監督はいつもの監督で。それにちょっと安心している自分がいる。

「ねぇ、天馬くん。カキ氷のシロップって見た目が違うだけで味はおんなじなんだって」

「は?マジかよ」

「ふふふ、豆知識だね」

監督の持つイチゴのシロップがかかったカキ氷を一口すくって食べる。

「…全然わかんね」

「まぁ、刷り込みみたいなものだよね。カキ氷って」

偶然出会って、舞台に立ちたいというオレの願いを後押ししてくれて。
一成、三角、ちょうどシャワーから上がったらしい幸と椋がリビングにやってきて夏組が揃った。
きっと監督がいなかったら、オレたちは今こうやってカキ氷をみんなで食べることはなかっただろうな。

いつか出演した映画で
『恋とはするものではなく、気付けば落ちているものである』
なんて台詞があった。

その台詞を言ったときには分からなかったけど、なんとなく、今はそれが分かる気がした。

「ねぇ天馬くん」

「ん?」

「カキ氷にカレーかけたら…」

「やめろ」

今はまだ明確にならなくてもいい。
この夏、この時間。
かけがえのないものを手に入れたような気がしているから。
…あと、笑ってるお前が見ていられれば。
今はそれで十分。

「天馬くん、何笑ってるの?」

「いや、別に」

オレは溶け始めたカキ氷をまた一口食べる。
なんだか、夏の味がした。

 

 

 

深夜のカレー(真澄×いづみ)

夜。
練習が終わった後、次の公演に向けて色々と整理していた。
疲れたからといって後回しにしていると最後に泣くのは自分だ。

「ん~…!ちょっとおなか空いたなぁ」

時計を見ると0時を過ぎたところだ。
今から何か食べるのは太る…けど、おなかが空いていては捗るものも捗らない。
私は重い腰を上げ、キッチンに食べるものを探しにいくことにした。
もう皆(ゲームで忙しい人は除く)眠っているだろうと思っていたのに、キッチンには灯がついていた。
そして、この香りは私の大好きな香り…

「あれ?真澄くん、どうしたの?こんな時間に」

キッチンに立っていたのは真澄くんだった。
思ってもみなかった私の登場に驚いたのか、勢い良く振り返りといつものように嬉しそうな顔をした。

「花婿修行中」

「花婿…?」

「そう、あんたと結婚するなら美味しいカレーを作れないとあんた困るだろうから」

「うん、それは聞かなかったことにしようかな」

真澄くんの隣に立ち、手元を覗き込むと美味しそうなカレーがそこにはあった。

「ちなみにこれは何カレー?」

「ひよこ豆のカレー」

「へぇー!ひよこ豆って言ったらキーマカレーとかの方がイメージにあるけど、普通のカレーに入ってるのも美味しそうだね!」

「俺のあんたへの愛情がいっぱい入ってるから美味しいに決まってる」

「うん、それは置いておこうね」

真澄くんの言葉を聞き流していると、スパイスの香ばしい香りが食欲をそそり、思わず私のおなかがきゅうっと音を立てた。

「…あんたは腹が鳴っても可愛い。好き」

「おなかの音を褒められても嬉しくないかな…」

苦笑いを浮かべると、真澄くんがじっと私を見つめて「食べる?」と尋ねてきた。

「いいの?」

「本当は一晩寝かせてからあんたに食べさせようって思ったんだけど、いい」

真澄くんはお皿にあまっていたご飯をよそって、レンジで温めた後作りたてのカレーをたっぷりご飯にかけてくれた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう!真澄くんは食べないの?」

「ん。俺はあんたが食べるの見たいから」

席に着くと、真澄くんは私の正面の位置に座った。
スプーンで一口分すくい、口へ運ぼうとするとじぃーっと期待と不安に満ちた目で真澄くんが私を見ている。

「あんまり見つめられると食べづらいかな…」

「俺のこと好きになって…」

「ないから。そういう照れじゃないから」

どういっても見つめてるつもりなのだろう。
見ないでくれという願いは聞き届けられなさそうだし、目の前に大好物があるこの状況でもう我慢は出来ない。
私は「いただきます」と言って、カレーを一口食べた。

「…!! 美味しい!ひよこ豆の食感もすごく良い!それにこの…」

あまりの美味しさに食べる手と感想の言葉が止まらない。
行儀が悪いと思いつつもカレーの美味しさを真澄くんに伝えたくて、ついついしゃべってしまう。
そんな私を見て、真澄くんは安心したように笑った。

「良かった…あんたが喜んでくれて」

「…真澄くん」

「あんた、俺(たち)のためにいっつも一生懸命頑張ってくれてるから」

「…うん。大事な部分が抜けた気はするけど…うん。ありがとう、真澄くん。
カレー、すっごい美味しい」

ちょっと過剰なほど私への押しが強くて…段々それを受け入れつつある自分がいて、少しだけ怖かったりする。
でも、こうやって私のために何かしようと思ってしてくれる行為は凄く嬉しい。

「うん…あんたの笑った顔が見れて良かった。あんたの笑顔、好き」

(私も真澄くんが笑った顔、好きだけどね…)

以前たまたま女の子に囲まれている真澄くんを見た。
あの時の真澄くんはつまらなそうに誰にも視線を遣ることもしなかった。
そんな彼がなぜか私には、年相応の優しい笑顔を見せてくれる。
…本当は少し、ドキドキしている。
だけど、そんな事を知られたら色々と大変なことになりそうな気がするから。
まだこの気持ちは誰にも知られないよう内緒にしておこう。

とっておきの深夜のカレーライス。
今まで食べたどのカレーライスよりも美味しいと思ったのは、多分…

 

デートのお誘い(マイアリ)

「よっ、アリシア」

なんでもないある日の午後。
ふらりと私の前に現れた実兄。

「あんた…私のところばっかり来ていて大丈夫なの?」

「お前のところばっかり…てわけじゃないけど。まぁ、大丈夫だよ」

へらりと笑うのは相変わらず。
セラスに守られて、家のなかでごろごろとしている私のことが心配なのだろうか。
マイセンは私のところに頻繁に会いにくるようになった。
私がまだ姫だった頃は滅多に帰ってこなかったくせに。
今更時間や距離を埋めるようにマイセンは私のところへ足を運んだ。

「それより家にばかりいて暇だろ?お兄様とデートしよう」

「…は?」

「なあ、アリシア。恋っていいものだぞ。人生を豊かにする」

「…実の兄の恋愛事情なんて聞きたくないんだけど」

「まあ、お兄様はモテるからな」

「ふーん」

言われなくてもきっとこの男は色々な女性に好意を寄せられただろうということくらい容易に想像つく。

「だからそんなお兄様にエスコートされたくないか?」

「されたくないわよ。なんであんたとデートなんて」

呆れて思わずため息が出た。
マイセンをちらりと見ると、少しだけ淋しそうな表情をしていた。
ああ、マイセンのああいう顔今まで何度も見てきた。

「しょうがないわね…デートなんてお断りだけど、気晴らしに買いものに付き合ってよ、お兄様」

そんなマイセンの顔を見たくなくて、私は冗談めかして兄の誘いを受ける。
マイセンはゆっくり瞬きすると、いつものように軽薄な笑みを浮かべた。

「仰せのままに。マイプリンセス」

「私はもうプリンセスじゃないわよ」

マイセンに差し出された手を取る。
指先から何かが伝わりそうで、それが少しだけ怖い。

「…お前は俺のお姫様だよ。昔からずっと」

「本当、あんたって馬鹿よね」

私は小さく笑った。

「でもあんた、私が恋なんてしたらどうするの?」

「さぁ…どうするだろうなぁ」

「ま、今のところそんな予定はないけどね」

私はマイセンの腕を取ると、ぎゅっとしがみついてみせた。
するとマイセンが息を飲むのが分かった。

「……っ」

「何よ、変な顔して」

「いや…お兄ちゃんは心配だよ」

「だから付き合ってあげるんじゃない」

「はいはい」

誰がどうみたって私たちは兄妹に見える。
そんな兄の腕に自分の腕を絡める私は余程のブラコンに見えるかもしれない。

(…ま、たまにはいいか)

久しぶりの兄との時間。
恋っていいものだと笑う兄を見て、一体この男は誰のことを考えたんだろうと馬鹿みたいな独占欲に私は小さく笑った。

ワールドエンド(アキアイ)

このセカイはまるで椅子取りゲームのようだ。
誰もが求める場所にたどり着けるわけではない。
オレが求めたのは、初恋の人の隣。

「湊戸、一緒に帰ろう」

「…アキちゃん」

教室まで迎えにいくといつも困ったような顔をする。
朝迎えにいってもそうだ。
いつだってオレの顔をみて困ったように笑う。
十年前で止まった時間は彼女の笑顔まで奪ってしまったようだ。
困った顔に気付いていないふりをしてオレはいつも彼女の隣でへらりと笑う。
お互いに作った笑みしか見せれなくなったのは、あの事故が原因だとしても。
十年という長い時間、オレの求める場所はもういない彼女の初恋の人が奪い続けている。

彼女を家に送り届けた帰り道。
子どもの時、みんなで遊んだ公園の前を通りかかった。
子どもの時のオレは身体が弱くて泣き虫で、いつもいじめられていた。
そんなオレを助けてくれたのは、君だった。
今度はオレが君を助けたいというのは身勝手な言い分。
ただオレが隣にいたいだけ。
オレは君の笑顔が見たかった。

 

 

 

 

「ねえ、アキちゃん」

館から戻ったオレたちを待っていたのは、動き出した時間だった。

「ん?なあに?キスでもしたくなっちゃった?」

「違うよ!」

「冗談だよー、アイちゃんってばお固いんだから」

以前のように教室へ迎えにいっても、朝迎えにいってもアイちゃんは困ったように笑わなくなった。
オレを見て、優しく微笑んでくれるようになった。
それだけでも泣きたくなるくらい嬉しい。

「…手、つないでもいい?」

アイちゃんから珍しくそんな可愛いおねだりをされて、オレはすぐ左手を制服で拭く。

「はい、どうぞ」

「拭かなくてもいいのに」

差し出したオレの手を、アイちゃんがきゅっと握った。
オレより小さなその手が愛おしい。
ただの学校からの帰り道なのに、こんなにも幸せな時間ってあるんだろうかと思うくらいオレは幸せだ。
ずっと君の隣にいるのが、オレだったらいいのにって願ってたから。
今度はオレが君を守りたいってずっとずっと思っていたから。
隣を歩くアイちゃんを見ると、照れくさそうだった。

「アイちゃん、自分から手繋ごうっていったのに照れてる」

「だ、だって…!手なんてあんまり繋がないから」

「だったらこれからはいっぱい手を繋ごうねー」

「…うん」

調子よく言った言葉にアイちゃんは恥ずかしそうに微笑みながら頷いてくれた。

「オレ、アイちゃんが笑ってくれるだけで幸せだなーって思っちゃうんだよね」

「アキちゃん…」

繋いだ手に少しだけ力を込める。
それに応えるみたいにアイちゃんもオレの手を握り返してくれた。

「あとはオレのこと、大好きになってくれたらなーなんて」

俺たちなりの速度で。
ゆっくりと恋をしていけたらそれでいいのに。
可愛すぎるアイちゃんを見ていたら、ちょっとだけ欲張りな気持ちが漏れてしまう。
アイちゃんはオレの方を向くと、優しく笑った。

「もう…私は、アキちゃんのこと大好きだよ」

何よりも欲しかったセカイが、ようやくこっちを向いた。

お酒と可愛い(世裏×未白)

何歳から大人で、何歳までが子どもなのか。
そんなものは明確には分からない。
お酒を飲めるようになったからといって大人になったわけではない。

「世裏さん、大丈夫ですか?」

「ん~?だいじょーぶだいじょーぶ」

私が二十歳になってから、二人でこうやってちょくちょくお酒を飲むようになったけど、初めてお酒を飲んだ時に私がひどく酔っ払ったのをきっかけに思い切り飲む時は家で飲むというルールが出来た。
今日は翌日、世裏さんの仕事が休みということもあり、思い切り飲もう!という事になり、世裏さんの家でお酒を飲んでいた。
酔っ払う割合は私のほうが高いと思うけれど、今日は珍しく世裏さんの方が先に酔っ払ってしまったようだ。

「酔っ払いの大丈夫はあてになりません」

「まぁまぁ。ほら、君ももう少し飲みなさい」

そう言って、まだグラスに半分以上入ったチューハイを勧めてくる。
勧められるまま私はちびちびと飲むが、そんな私を世裏さんがご機嫌に見ていた。

「世裏さん、あんまり見られたら恥ずかしいです」

「照れてる未白ちゃんもかわいいよ」

「…そういう事は酔っていない時に言ってください」

「じゃあ、今言わなくてもいいのかな?」

「…酔ってる時でもそうじゃない時でも言ってください」

「素直でよろしい」

世裏さんは嬉しそうに笑うと私の頭を撫でる。
酔っ払っているからか、いつもより少し雑になでられている気がするけど、それも新鮮で私は大人しくそれを受け入れる。
世裏さんは恥ずかしがり屋で、あんまり好きとかそういう事を言ってくれない。
照れる彼に言わせるのもちょっとだけ楽しいんだけど、調子に乗ると「大人をからかうんじゃありません」って怒られてしまう。

「世裏さん、大好きです」

「俺も君のことが、大好きだよ」

まるで猫がすりよるみたいに世裏さんは私の肩に擦り寄る。
年上の男の人に可愛いなんて言っちゃダメかもしれないけど、やっぱり世裏さんは

「可愛いんだからしょうがないよー」

「ん?なんか言った?」

「世裏さんが可愛いから困ってるんですー」

「おっさん捕まえてかわいいはないんじゃないですかぁ?」

「ふふ、だって」

可愛いと思うのはしょうがない、と言葉を続けようとすると視界が急に反転した。
頭の後ろに回された手によって、衝撃はあまりなかったけど…
この体勢は、組み敷かれている

「よ、世裏さん?」

「かわいいのは君の方でしょ?」

狼につかまってしまったウサギのような気分といっていいんだろうか。
熱に浮かされた瞳に捉えられ、私は言葉がもう出てこない。

「んっ」

重なった唇はいつもより凄く熱くて。
まだ酔ってなかったはずなのに、頭がくらくらしてきた。長いキスから解放されると、世裏さんは私の耳朶にキスを落とした。

「っ…!世裏さん…!」

「未白ちゃんも酔っ払ったのかな?顔、すっごい赤いよ」

お酒のせいではない火照りを指摘されると、より一層顔に熱が集まる。

「私が酔ったのは、お酒にじゃなくて…世裏さんにです」

私の上にいる彼をじぃっと見つめて、そんな恥ずかしい台詞を言う。

「はぁ…君には参りました」

「じゃあ、もう一回キスしてください」

さっきの世裏さんは可愛いなぁ、と微笑んでいた世裏さんじゃなくて…
悔しいくらいにかっこよくてドキドキしてしまったから甘えるようにキスをねだってみる。
世裏さんもお酒のせいだけじゃない頬の火照りを誤魔化すように小さな声で「可愛いのは俺じゃなくて、君だよ…」と言って、もう一度キスをしてくれた。

 

 

少し早く起きた朝、小さな幸福(実彰×香夜)

朝、いつもより少し早く目覚めた私は身支度を整えると台所に立ち、朝食の準備を始めた。
ついこないだまで父様と自分の分を用意していたのに。
用意する分は同じでも作る相手が違う。

「おはよう、香夜さん」

「おはようございます、実彰さん」

声をかけられ、振り返ると実彰さんが立っていた。

「私も手伝おう」

「いえ、もうすぐ出来ますので待っていてください」

「そうか…分かったよ、香夜さん」

そう言いながら実彰さんは私を後ろから黙って見つめている。
さすがに見つめられたままだと少し気まずくて、振り返ると実彰さんはどこか嬉しそうな顔をしていた。

「どうか、しましたか?」

「いや…あなたが私のために食事の用意をしてくれているのがなんだか嬉しくてつい見つめてしまった」

居心地が悪かったなら申し訳ない、という実彰さんが少しだけ可愛くて。
その気持ちも凄く嬉しくて、私は自然と笑みが零れた。

「私も厨房に立つ実彰さんを見るの、凄く好きです。
お客さんのためにお料理を作る姿を見ているだけで凄く幸せな気持ちになります」

日ごろ考えている想いを言葉にすると、ふわりと優しい体温が私を包んだ。

「私は厨房からあなたの声を聞くだけで凄く幸せな気持ちになっているよ」

「…実彰さん」

私を後ろから抱き締める実彰さんの体温が、好きだと思った。
好きだという想いが、はらはらと降り積もる雪のように私の心に溢れていく。

「お料理、もうすぐで出来ますから…」

「ああ、すまない。だけど、もう少しだけこのままでいてもいいだろうか」

「…はい」

少し早く起きた朝。
早起きすると良い事があるというけれど、私にとってはとびきりの幸福な出来事が起きた。
きっと今日も一日、素敵な日になるだろう。
何でもない日でも、実彰さんといるとそんな毎日が続くのだ。
そんな事を想いながら、実彰さんの手にそっと触れた。

おあずけ(尊市)

大きな事件が解決したとしても、私たちは警官だ。
事件がなくならない限り、忙しい日々に身をおくことになるのは仕方がないこと。
シフト制の休みをあわせることの難しさは、例えば同期の飲み会を開くときにも痛感していた。
あー、今回はあの子がいない。どの子がいない。
寂しいな、と思う気持ちもあるが、仕方がないと思っていた。
だけど。
恋人となれば話が変わってくる。
すれ違いの生活。
仕事が終わる時間も一緒なわけがなく、休みも重ねることなんて滅多にない。
そして、なおかつ…

「そろそろ時間になっちゃいます」

「ん」

そう言いながらも笹塚さんは私を壁際へ追いやって、離れようとしない。
香月から言い渡される門限を破るのは何度目だろう。
その度に香月からお小言を言われ、何ともいえないため息をつく弟を見るのが少しだけ心苦しい。
香月が独立するまでは、一緒に暮らしたい。
笹塚さんは私のその言葉を反故にする気はない。
だけど、一緒に過ごす時間が限られている私たちにとっては、門限という制限はかなり厳しいものだ。

何度も落とされる優しいキスに、帰りたくないなぁなんて気持ちも浮かぶ。
だけど、きっと香月はまたため息をつくだろう。

「ささづかさ、」

また唇を塞がれる。
それをさっきから何度も繰り返し

「-っ、」

私は笹塚さんの唇を両手で塞いだ。
「…市香、この手はなんだ」といいたそうに睨む瞳に私は困ったように目の前の人を見つめる。

「もう駄目、です」

舌打ちが聞こえ、笹塚さんが私からようやく離れた。
私を送るために上着を羽織ろうと背を向けた笹塚さんに、たまらない気持ちになる。

「笹塚さん…」

思わず後ろからしがみつくように抱きつく。
離れたくない、なんて口に出来ないけど。

「おい、バカ猫。いつかの再現か」

「いえ、そんなつもりはないんですけど…笹塚さんの背中って抱きつきたくなるというか」

「このままベッドに引きずり込むぞ」

「それは…ダメです」

「なら…」

「だけど、今度は…香月から外泊許可もらってくるんで」

弟に外泊許可をとるというのは、酷く気恥ずかしいけれど。
ぎゅっと強く笹塚さんを抱き締めた。

「手、離せ」

「…」

言われて、笹塚さんから手を離す。
振り返った笹塚さんは珍しく少し赤くなっている…ような気がした。

「覚悟しておけよ」

そう言って、また優しいキスをしてくれた。

「…笹塚さんこそ覚悟、していてください」

「へぇ、言うようになったな」

にやりと笑った笹塚さんに、言いすぎた気もしたけれど。
そろそろ笹塚さんともっといっぱい一緒にいたいという気持ちが燻っていたから良しとしよう。
そんな事を考えながら、身支度を整えて、外に出ると当然のように笹塚さんの腕に自分の腕を絡めるのだった。

 

練習(カズアイ)

「カズヤくん」

数年ぶりに目を覚ましたカズヤくんは衰えた筋力を取り戻すためにリハビリを続けている。
病室に顔を出すと、カズヤくんは難しい顔をして目の前のものと格闘していた。

「アイ、おかえり」

「うん、ただいま。調子はどう?」

カズヤくんは私を見ると、ふわりと笑う。
その笑顔にほっとして、パイプ椅子に腰かける。

「うん」

ずっと眠ったままだったカズヤくんはまだ一人で満足に歩くことはできない。
それは少しずつ毎日の積み重ねをしていくしかない。足の筋力が衰えている事以外にも色々と問題があった。
箸をうまく使えないのだという。
それの練習を兼ねて、タクヤくんはお箸で食べるように甘納豆を大量に買ってきて、それを箸で食べるようにと言いつけたそうだ。

「何個か食べれた?」

「全然」

お箸を持つ手はぷるぷると震えていた。
私が来る前から練習をしていたんだろう。
あまり無理をするのも良くないと思い、私は手を伸ばした。

「今日はもうやめにしよっか」

「…じゃあ、アイが食べさせて」

「え?」

「あーん」

カズヤくんは戸惑う私なんてお構いなしに目を閉じて口を開けた。
それはまるでひな鳥が親鳥にえさをねだるような…そんな可愛らしさもある。
カズヤくんは、甘え上手だ。
紋白さんの時から、気付けば体温を感じる距離にいたりして。
ベッドに一緒に潜り込んだ時も、疚しさを感じなかった。
だから照れる自分のほうが疚しいのかな、とか考えてしまうこともしばしば。

「…しょうがないなぁ」

恥ずかしさを誤魔化すように、カズヤくんがつかっていた箸を代わりに持って甘納豆を口へ運んだ。

「美味しい?」

「うん。自分で食べるより、アイが食べさせてくれるほうが美味しい」

「カズヤくんはずるいんだから」

困ったように笑うと、カズヤくんは不思議そうに小首をかしげる。

「アイも食べたい?」

「うーん。でも、それはタクヤくんがカズヤくんのために買ってきたものだから…」

「わかった」

カズヤくんと視線がぶつかったと思ったら、次の瞬間ー
彼に強く手をひかれて、そのまま唇が重なった。

「ーっ!?」

歯がぶつかるかと思ったのに、そんな事も起きず。
重なった唇から、カズヤくんの舌が私の中へと割り込んでいた。突然の深いキスに驚きを隠せなかったけど、口の中に甘さが広がって、唇が離れる頃にカズヤくんが何をしたかったのかようやく気付いた。

「アイ、美味しかった?」

「~っ!カズヤくん!こういうのは、その…あんまりしちゃダメだよ!」

恥ずかしさのあまり、キスが終わっても顔を上げることが出来ない。
でもきっとカズヤくんは不思議そうな顔をしてるんだろう。

「俺は美味しかったよ、アイとの…」

「わー!分かった!私も、おいしかったから!もうそれ以上は」

ばっと顔を上げると、カズヤくんは満足そうに笑っていた。

「アイのためにも、頑張ってリハビリするから。
もう少しだけ、待っててね」

カズヤくんはそんな事を言いながら私の頬をゆるりと撫でた。

「うん、待ってる。いくらでも待てるから」

カズヤくんの手にそっと触れる。
カズヤくんに振り回されてばかりだけど、それが嫌じゃなくて。
幸せだな、とカズヤくんの手から伝わるぬくもりに愛おしさが募った。

 

二人の跡(レビ×ジェド)

「例えば、だけど」

「? うん」

薪や食料を求めて、雪が止んだ頃を見計らって外に出た。
誰も通っていない証のように真っ白な雪原は何度見ても美しいと思った。
しかし、生活のためには何分色々必要だ。
一歩一歩踏みしめて歩くと、ふと手がぬくもりに包まれた。

「目が覚めた時、オレがいなかったらどうする?」

レビの手は、自分よりも冷たくなっていたがそれでもその手を離したいとは思わなかった。
強く握り返すと、不安げな瞳をしたレビがこちらを向いた。

「そうだなぁ…まず、怒るかな」

食料になりそうなものなんてなかなか見つからない。
やっぱりそろそろ住み家を変える必要があるかもしれない。
薪になりそうな木の枝を拾う。
手を繋いでいると、拾いにくいけど今手を離したらいけない気がした。

「それからすぐ家を飛び出してレビを探しに行くけど…
でも、きっとレビは家の前とかでうずくまっている気がするから。
その時は、レビの手を握るかな」

言葉の一つ一つを噛み砕くように、レビは何も言わないで私の言葉を最後まで聞いて、そして笑った。

「…なんだよ、それ」

「レビが言い出したんだろ」

不貞腐れたのかと思いきや、次の瞬間レビが急に飛び掛ってきて、雪の上に二人で転がった。

「レビ…っ!あー、薪が」

「あー…あー、悪ぃ。なんだよ、もう」

悪いなんて思っていないくせに、レビは謝罪の言葉を口にしながら私をぎゅうっと抱き締めた。
好きな人に抱き締められて、嬉しくないわけがない。
だから、私もレビの背中に手を回した。

「ったく。拾うの手伝ってよ」

「分かってるって」

止んでいた雪がまたはらはらと降り始めた。
いつもだったら焦るけど、今はこうしていたいと強く思った。

 

 

 

 

「レビ!急がないとまた吹雪くから!」

散らばった木の枝を拾い、それから食料になりそうな山菜を雪をかけわけていくつか見つけて、私たちは雪の上を懸命に歩いた。

「お前、歩くの早いんだよ!」

「レビより雪道に慣れてるからね。
それはいいからほら、」

私は繋いだ手を強く引く。
レビはそれだけで嬉しそうに笑うから、私もそれで嬉しくなってしまう。

さっき二人で倒れこんだところにはもう雪が積もって、跡なんてなくなっていた。
もしかしたら私たちなんて、その程度の存在なのかもしれない。
けど、レビと手を繋ぐだけで生まれる幸福はきっと他の誰かに理解されるものではない。
それでいいし、それがいいのだ。

「ジェド」

「ん?」

「さっみいなぁ」

「ああ、寒いな」

「早くオレたちの家に戻らないとな」

「うん、そうだね」

晴れでも、雪でも、家があろうがなかろうが。
レビがいるならそれでいい。
たった一つの幸福を、私は逃がすまいと強く握った。

 

 

しょうがない(アキアイ)

「アキちゃん」

オレの好きな人は、オレのことをアキちゃんと呼ぶ。
子ども扱い…いや、男扱いされていない呼び方を変えたいと思った事は何度かあったが、今となってはこのままでいいや、なんて思っている。

「アキちゃん、起きて。アキちゃん」

肩を揺するアイちゃんの手。
その手が愛おしくて、まだ何度も呼んで欲しくてオレは眠ったふりを続ける。

「…もう、しょうがないなぁ」

苦笑交じりに発したであろう言葉にオレも笑いそうになる。
アイちゃんはしょうがないなぁってオレに対してよく言う。

「珍しく図書室に寄るって言ってたから見にきたのに…」

さっきまではちゃんと真面目に調べ物をしていたんだよ。
終わって、アイちゃんを待っている間退屈になってしまって、机に突っ伏していたらそれをアイちゃんが眠っていると勘違いしただけなんだけど。
隣に座ったアイちゃんを盗み見ようと、うっすら目を開けてみると、アイちゃんはオレの顔をじぃっと見つめていた。
普段、そんなにオレのこと見つめたりしない分思いのほか照れくさい。

「アキちゃん、起きてるんでしょう」

「…すーすー」

「アキちゃん」

ちょっとだけ怒りを含んだ声にオレはようやく目を開けた。

「おはよう、アキちゃん」

「ん、おはよ。起きてるってなんで分かったの?」

「アキちゃんのことだもん」

恋に臆病だったアイちゃんは、少しずつオレからの愛情を受け入れ慣れてきた。
そのささやかな進歩に、オレがどれだけ喜んでいるかきっと彼女は知らない。

「そっか。オレのことだから分かるんだ」

「うん、そうだね」

頷いたアイちゃんに、愛されているという自信が少し見えた気がした。
それがたまらなく嬉しくて、アイちゃんの手をぎゅっと握った。

「あー…毎日アイちゃんに起こしてもらえる生活おくりたーい」

「え、え?」

「ていうオレの気持ちも分かっちゃうんでしょ?オレのこと分かってるアイちゃんなら」

少しだけいつもより踏みこんで。
アイちゃんが、一歩下がってしまったら今度は気をつけて。
そんな事を繰り返してばかり。

「…どうだろ。でも、私もアキちゃんに毎日おはようって言いたい…かな」

「…っ!」

窓の外を見れば、もうすぐ日が沈みそうだ。
冬は日が沈むのが早くて困るね。アイちゃんの顔が見づらくなっちゃうから。

「あー…しょうがないなぁ、アイちゃんは」

赤くなった頬を誤魔化すように、オレは笑った。

 

 

 

【プレイ感想】剣が君

本当に…本当に世間から遅れてようやく剣君プレイしましたっ!!!!
面白かったです、はぁ…余韻(遠い目)

雑な感想で申し訳ないです。
とっても面白かったです!!香夜ちゃんが、最初控えめでただのいい子ちゃんヒロインなのかと思ったら全然そんな事なくて、ごめんなさいもありがとうも言えて、ちゃんと自分の気持ちを伝えたり、堪えるところは堪えたり…とても良かったです。ありがとう。リジェだからすっごいびびっていたんだけど、とんでもなかったです。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

黒羽実彰

黒羽さん…めちゃんこ泣きました。
いや、剣君というお話しがどういう方向の話なのか正直わからなくて、共通√序盤からもしかしてお父さん死ぬん??死ぬの??って凄いドキドキしてたんだけど、お父さん死ななくて本当に良かった。
そして、荒魂 、奇魂 が終わって「こんな哀しい話あんの??」ってめっちゃ泣いてたんですけど。好きとも言わず、最期の口付けだけで終わるなんてなんちゅう哀しいお話なんだ…剣を選ぶということは誰かと寄り添って生きることができないんだ…ってめっちゃ泣きました。
和魂があまりにもハッピーエンドすぎて全私が泣いた。
すっごい良かったですね。お父さんともハッピーに生きられるED。ありがとう、ありがとう。

縁さんは自√以外がただののんべえでダメな奴だなって想いましたwwww
何者なのかな~ってわくわくしていたらなるほど…剣が抜けないのもそういうわけか。と納得しました。
意外に一番好きなEDは世界、香夜ちゃんを守って死ぬEDです。
縁がようやく求めたものを守れたのか…と思うとなんともいえない気持ちになった。
農家になるのも良かったです。

あんの鬼ぃぃぃぃ!!!!!って泣いた。
なんであんなめった刺しにするの!!?螢が死ぬことなんてなかったのに…ってめっちゃ泣きましたし、えぐられました。国に戻って長(多分言い方違う)になるEDも良かったなぁ…江戸に残って奔走するのも凄く良かったです。
ただ、鬼ということを隠して旅するのになんで頭巾になったの??
いや、あのEDにはそれが必要だったからわかるんだけど、いつも通り布巻いてる方が良かったのでは…って想いました。
鈴懸

キツネと狸可愛い!!!って序盤からすっごいテンションあがっていたのですが、マダラとハチモク!可愛かった…
鈴懸があんまりにもまっすぐで一生懸命だから、香夜ちゃんがセーブかけたり、振り回されたり可愛かった…
鈴懸が死んだEDも香夜ちゃん心配で出てきちゃう(わけではないけど)のが、ああ…本当にお別れなんだなって思うとたまらないものがありましたね…
一緒に高尾山で暮らすのも江戸でお医者さんやるのもどっちも可愛かったな…
鷺原左京

左京さーん!!!プレイする前は女の子っていうか、主人公この子でしょ?って思っていた時もありました(遠い目)
プレイ始めたら全然左京さん、男だったね!
剣√の左京さん、しんどすぎて…憎しみに囚われてしまって、ああ…ああなったら左京さんは幸せになる道は確かに残されてなかったよな…そう思ってもやっぱり哀しいよね。
その分、君√のED2種、最高に幸せでハッピーでした!!!
唯一のお子様存在ルートに泣いた。子どもがいてもいつまでも恋人のような二人に幸あれ
九十九丸

九十九丸、登場時からやけに肌白いな~~そしてなんか目死んでない??って思っていたんだけど、なんかもうその通りだったね…
剣√EDしんどすぎて、あの人に好かれる九十九丸が他人に不気味がられて避けられていくのが哀しかったです。
大人になった九十九丸とハッピーになってくれて本当ありがとう!!!君√、幸魂本当に良かった…幸せになれ

手のぬくもり(巳継×静)

いつか、必ず別れは来る

私も、巳継もそれを理解しながら手を繋ぐ

 

「ねえ、静。今日はデートしない?」

「…デート?」

「そう。君とどこかへ行きたいなってずっと思っていたんだ」

眠る前に巳継が私を抱き寄せた。
甘えるみたいに額をくっつけて、そんな事を言い出した。
巳継の体温が心地よくて、私は自然と笑みを漏らした。

「うん、いいわよ。あなたの行きたいところに行きましょう」

「それじゃダメだよ。二人が行きたい場所に行くんだよ」

だってデートだからね、と巳継が優しく笑った。

(ああ、好きだ…)

そんな乙女みたいな事を、ガラにもなく思ってしまった。

「それじゃあ、公園に行きたい」

「いいね、そうしようか」

「だから、ほら…早く寝ましょ」

「うん、そうだね」

巳継の頭をなでてやると、彼は安心したみたいに笑う。
この笑顔は、私にあと何回向けられるんだろうか。
そんな事をふっと考えていた。

 

 

もしも私が人間だったら。
もしも巳継が妖怪だったら。

そんな”もしも”を何度も考えてしまう。
妖怪にすることは出来る。
だけど、私はそれを望んでいない。
同じように生きられないけど、別れが来るその時までは一緒にいられる。

 

 

「今日はいい天気ね」

「そうだね。君は太陽の下でも平気なんだね、そういえば」

「え?」

「だって妖は闇に生きる存在だろ?だったら日中起きてるのも辛いんじゃない?」

「私は吸血鬼とかじゃないんだけど…」

確かに妖は昼間は寝て、夜に活動する。
そのサイクルが出来上がっているから夜のほうが活動しやすいという部分はある。
けど、人間たちの生活にまぎれて、買い物したり、ぶらぶらしたりすることも好きなので、日中起きていることはさほど苦ではない。

「巳継に合わせてたら慣れてきちゃったわ」

「…そっか」

どこか嬉しそうに綻んだ顔を見て、しょうがないなぁと私は笑った。

「ねえ、静」

巳継は私に手を差し出した。

「手、繋いでもいいかな」

「そんな事、いちいち確認しなくたっていいわよ」

「うん、ありがとう」

差し出された手をとる。
いつも眠る時に私を抱き締めてくれる体温だ。

「どうかした?」

「え?あ、いや」

ぼうっとしていることに気付かれたようだ。
私は誤魔化すように曖昧に笑う。

「あと何回、こうやって手を繋げるのかなーって」

「…そうだね、何回だろうね」

きゅっと私の手を握る巳継の手に力が籠もる。

「今まで何回手を繋いだか、君は覚えている?」

「…覚えていないわ」

数を数えることは、終わりへ近づいているみたいで怖くなった。
だから私は数えることはやめたのだ。

「じゃあ…あと何度手を繋いだって、関係ないだろうね」

「…そうね」

「今、こんなにも幸せなのは静がいるからだよ」

「やめてよ、急にそう言うこと言うの」

「思った時に言っておかないとダメだろ?」

そう言って笑う巳継を好きになったのだ。

「…そうね、私も幸せよ」

こんなガラにもないことを言うくらいには、彼に恋焦がれている。
いつかこの手が離れる時、私は彼がくれた数々の笑顔みたいに微笑むことが出来るだろうか。

「ほら、もうすぐ公園よ」

例え二度と会えなくなったとしても、私は巳継と繋いだ手のぬくもりは決して忘れない。
忘れまいと強く思った。

 

待ちぼうけ(マイアリ)

人を待つことは好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。
嫌いといっても、約束があってその時間に遅れてくるとかはあまり気にならない。
だけど、約束なんて何一つないのに待っている自分が嫌いなのだ。

 

 

「ご主人様、窓を開けていると体が冷えますよ」

「…そうね」

セラスの言葉に私はそっと窓を閉め、カーテンを閉めた。
前回、うちに来てから数ヶ月経った。
あまり頻繁に訪れるわけではない実兄を待つのはあまり良い事ではないだろう。
そうは思いながらも、あの軽薄な笑顔が見たいと思ってしまった。

「ねえ、セラス」

「はい、なんでしょうか」

「マイセン、どこにいるのかしら」

「…そうですね、マイセン様のことですからきっと遠くの国とかでしょうか」

「そうよね。マイセンだものね」

なぜか分からないが世界中を放浪している兄。
ふらりと現れて、お土産を私に渡すとあっという間に去ってしまう。
兄離れ、したつもりだったんだけどな。

「セラス、温かいものが飲みたいわ」

どことなく沈んだ顔をしていたであろう自分を誤魔化すようにセラスに微笑む。
セラスはかしこまりました、とだけ言って部屋を出て行った。
ソファに座ってセラスを待っていると、窓をコンコンと叩く音が聞こえた。
そっとカーテンを開けると、そこには顔を見たいと思っていた兄の姿。
いつものように軽薄な笑みを浮かべた。

「何やってんのよ、マイセン」

窓を開けて、呆れた顔でマイセンを見下ろした。

「よっ、アリシア。元気にしてたか?」

「そりゃ元気よ。それよりもなんでそんなところに」

「すぐ行かなきゃいけないからな」

「…そう」

「…そんな顔すんなって、アリシア」

マイセンの声のトーンが、優しいものに変わる。
この男はずるい。いつだって、そうやって私が求めてるものを理解しながら何もくれない。
私も、拒まれることが怖いから求めるものを言葉になんてしない。
私たちは似たもの兄妹なんだろうか。

「ほら」

マイセンは隠し持っていた花束を私に差し出した。

「花束って…妹口説いてどうすんのよ」

「…さぁ、な。…どうしようかな」

なんであんたが困った顔で笑うの。
その言葉が口まで出掛かったけれどなんとか飲み込んで、花束を受け取った。

「誕生日おめでとう、わが妹よ」

花の香りが優しい。
子どものとき、マイセンが私の手を握ってくれたことを思い出す。
はぐれないように、ちゃんとここにいるんだよ、と言うようにマイセンは私をずっと繋ぎとめてくれた。

「……ありがとう、お兄ちゃん」

滅多に呼ばない、兄という言葉でマイセンを呼ぶ。
すると、恥ずかしいのかマイセンは視線をさ迷わせた。

「何照れてんのよ」

「いや、お前がお兄ちゃんっていうとちょっと恥ずかしいだろ」

「それが普通なのに」

「…俺とお前の普通じゃないだろ」

「それもそうね」

花束を抱える私の左手を取ると、薬指にマイセンはキスを落とした。

「…遅くなったお詫び」

マイセンが私を見上げた。
その目が、なんだか酷く熱を帯びていて私は苦しくなって左手を引っ込めた。

「だから妹口説くなって言ってるでしょ!」

「ははは、ついつい。いやー、それにしても間に合わないかと思ったなぁ、今年は」

焦った焦ったというマイセンに私はわざとらしいため息をつく。

「あんたがいい加減なのには慣れてるわ」

「…そっか」

次、いつ会えるのか。
その約束はくれない私のたった一人の兄。

「でも、遅刻しなかった事だけは褒めてあげる」

「はは、ありがとな」

マイセンは笑うと、マントを翻して私に背を向けた。

「もう行くの?」

「ああ、またな」

「…ええ」

何度も何度も見送った背中を、好きだという感情だけで引き止めることは出来なかった。
窓とカーテンを閉め、私は花束をそっと抱き締めた。
ああ、きっと花粉がついてしまうだろうけど、セラスの小言くらい今は聞き入れよう。
ふと、花束に飴玉の包みがまぎれていることに気付いた。

「…ばか」

食べる前から何の味かは予想がつく。
包みを開けて、口へ放り込むとやっぱりイチゴの味がした。

キミの名前(弓弦×市香)

「ほーしの!」

昼休み、星野が所属する部署へと顔を出す。
彼女はパソコンとにらめっこしていた。

「あ、冴木くん」

「今日さ、ひさしぶりに仕事終わったら飲みにいかない?」

飲むジャスチャーをし、星野を誘う。
すると、にらめっこしていた星野は笑顔に変わった。

「うん、いいよ。明日休みだし、私も今日、飲みたいなって思ってたんだ」

実は星野のシフトをこっそりと確認しておいた。
誘うなら休みの前日。
そうじゃないと星野はあんまり酒を飲まないから。
けど、毎回休みの前日に誘うと不審がられるかもしれないのでそこは気をつけている。

「じゃあ、仕事終わったら玄関で」

「うん、分かった」

星野と約束を交わし、俺はご機嫌に階段を駆け上った。

仕事が終わり、私服に着替える。
鏡の前で髪もちょっとだけセットしなおす。
鼻歌を歌いそうになりながらも、それを堪えつつ玄関へ移動する。
星野はまだ来ていなかった。壁にもたれながらスマホを取り出し、時間を潰していると駆けてくる足音が聞こえた。

「お待たせ、冴木くん!」

「いや、全然。じゃあ行こうか」

いつもの店を目指して二人で並んで歩く。
季節は秋。
夜になると風も冷たくなってきた。
東京の冬は雪も降らないし、寒くないだろうと思いきやそんな事はない。
雪がない分、冷え切った空気に凍りそうになる。
そんな季節がもうすぐ来るのだ。

「もうすっかり寒くなったね」

「ああ、そうだな。まだかろうじて息は白くならないけどあっという間に冬だな~」

「あっという間だね」

星野はどこか寂しげに笑った。
きっと、例の事件が頭の片隅から離れないんだろう。

「ま、今日はぱーっと飲もうぜ!
俺のおごり!って言いたいところだけど、今月ピンチなんだ」

「冴木くんいっつもピンチだよね。
それにおごって欲しくて飲みにいくわけじゃないし」

さらりと言われた言葉にうっかりときめく。

「星野は優しいなー」

「そんな事ないよ」

星野は優しい。
優しいだけじゃない、強さを持っている。
俺は知っている、お前の強さ…正義を。

店に着くといつもの場所が空いていたので、そこに通される。
生ビールを頼み、それから適当につまめるものを注文する。

「じゃ、お疲れー」

「お疲れ様ー」

乾杯をして、ビールをゴクゴクと飲む。
星野は意外にイケる口で、最初の一口で半分近く飲み干してしまう。
多分、飲まなきゃやってられないっていう気分だったのかもしれない。

「そういえば星野ってさー、パソコン作業苦手だろ?」

「え?どうして?」

「だってお前、パソコンに向かってる時険しい顔してるぞ」

「…っ、キーボード叩くだけなら苦手っていうわけじゃないと思うんだけど。
エクセルとか苦手なんだよね…」

はぁーっとため息をついて、枝豆を食べる。

「お前って分かりやすいもんな」

「そんな事…まぁ、確かに言われるけど。
香月にもよく顔に出てるって言われるし」

星野の弟は絶賛反抗期らしく、ほとんど口を利いてくれないそうだ。
会話すると大体口論になってしまう、とこないだも零していた。

「男の子って難しいね」

「まぁまぁ、一生反抗期ってわけじゃないんだし」

そう言って、二杯目のビールを注文する。

「冴木くんの小さい頃ってどんな感じだったの?」

「え?」

「あんまり聞いた事ないなーって」

「そうだなー、俺の小さい頃は」

父親だと思いたくもないような男の手によって、母親と真っ白な何もない部屋の中で過ごし、その母親からも存在を否定され続けただなんて言ったら星野はどんな顔をするんだろう。
酒を飲んで、少し紅くなっている頬や、少し潤んだ瞳を見て、そんな事を思った。

「どこにでもいるような普通の男の子だよ」

「普通の男の子かぁ」

「そう。正義に燃えてたまんま大きくなりました」

「ふふ、そうなんだ」

星野は深くつっこまずに笑うだけだった。
それに安堵する自分と、悲しく思う自分がいた。
もっと俺を知りたいと思って欲しい。いや、あんまり踏み込みすぎてはダメだ。
でも、俺に散々踏み込んだ後、星野が真実を知ったらどうするんだろう。
俺を哀れむのか。俺を憎むのか。それとも…

「星野の小さい頃は?」

「私の小さい頃は、そうだなぁ…家の手伝いしたり、香月と遊んだりだったかなぁ」

「ふうん。そっか」

本当は星野市香の経歴全てを把握しているから聞かなくても分かっているけど。

「でも、星野って市香って言うだろ?で、弟は香月。姉弟なんだなーって名前で良いよな」

「そうかな?」

「しりとり…ていうのが合ってるか分かんないけど、続いてるなーって分かるし」

「ふふ、確かにそうかも」

運ばれてきた二杯目のビールを受け取る。
ナスの煮浸しを口に運んだ星野は、思い出したみたいに言葉を紡いだ。

「そういえば、冴木くんに市香って言われるのってなんだかくすぐったいね」

「え?」

「んー違うか。職場ならもちろん星野って呼ばれる事がほとんどだし、最近だと香月にしか呼ばれてないかも」

「なあ、星野」

「ん?」

「じゃあ俺の事もちょっとだけゆづるって呼んでよ」

「え?どうして?」

「星野の声で、聞きたいなーなんて」

苦し紛れの言い訳を口にしてみる。
冴木弓弦なんて、この世に存在しないから。
酒のせいかなのか…俺を、俺として呼んで欲しいなんて思ってしまった。

「…なんだか恥ずかしいなぁ」

「ほらほら、いいから」

冗談めかして、ジョッキを両手で持つ星野の手をつっつく。

「…弓弦くん」

深呼吸をしてから、星野は小さな声でそう言った。
周囲のガヤガヤとざわついた声がするはずなのに、それでも星野の声は確かに聞こえた。

「あ~」

「はい、呼んだよ!」

思わずテーブルに両肘をついて、顔を手で覆った。
多分、今の俺は顔が真っ赤だ。
自分で言わせたくせに、こんな事で紅くなるなんて。

「市香、俺はもう駄目だ」

苦し紛れに、彼氏ぶって彼女の名前を口に出す。
返事がいつまで経っても返ってこないから、俺は顔を上げた。

「…、なんかそれは反則だよ。冴木くん」

アルコールのせいだけではなく、星野が赤くなっていた。

それから話題を変えて、何事もなかったように俺たちは酒を飲み続けた。
店を出る頃には、すっかり外は寒くなっていた。

「この風だったらあっという間に酔いも冷めるね」

「…だな」

「冴木くんは明日仕事でしょ?」

「ああ、そうだよ。休みだったらもう一軒!って言ったんだけどなー」

「今月ピンチって言ったくせに」

星野は酒が入るといつもより感情表現が豊かになる。
だからさっきから笑ってばっかりだ。
それがまた可愛くて、俺も笑ってしまう。

「じゃあ駅まで一緒に帰ろ」

「うん」

一緒に並んで歩く。
アルコールのせいだろう。いつもより二人の距離は近い。
ちらりと星野の首筋を盗み見る。
綺麗な白い肌。そこにもう少ししたら、首輪をはめる。
彼女の命を俺が握るために。
彼女の正義で、俺を殺してもらうために。

「星野と同期でよかったなぁ、俺」

「私も冴木くんと同期でよかった」

こんな時間がいつまでも続けばいいと願いながら、もう全てが手遅れだ。
星野の笑う顔をみて、なぜだか泣きたくなった。