季節は冬。
あの夏からまだ半年くらいしか経っていないのに不思議。
あの日を凄く遠い日に思う時もあれば、昨日のことのように思い出す時もある。
「おい、どうした」
片付けを終え、グラウンドをぼんやりと見つめていると、私の頭を軽く小突く大きな手。
振り返ると比嘉先輩が立っていた。
「比嘉先輩!どうしたんですか、こんなところで」
「どうしたって、お前を迎えに来たんだよ」
比嘉先輩はスポーツ推薦で大学の進学が決まっているからもう学校にあまり来なくてもいい。
それなのに毎日のように会えるのは、比嘉先輩がわざわざ学校に来てくれるからだ。
「待っててくれるなら部活にも顔出してくれてもいいのに」
「バーカ。引退した部長が顔出してたらやりづらいだろ」
「そうかもしれないですけど…私は比嘉先輩がいてくれた方が嬉しいです」
「バーカ」
比嘉先輩は嬉しそうに私の頭をくしゃりと撫でた。
「支度してくるんでちょっとだけ待っててください!あ、ここ寒いんで玄関とか…」
「いや、ここで待ってる」
「分かりました。急ぎますね!」
「走ってすっころぶなよー」
「転びませんよ!」
愉快そうに笑う比嘉先輩をグラウンドに待たせ、私は支度をするために急いで校内へと戻った。
ジャージから制服に着替え、部活中は邪魔だから一つにまとめていた髪をほどく。
念入りに櫛でとかすと、いつも通りの髪型をつくる。
比嘉先輩には急ぐと言ったけど、いつもより支度に時間がかかってしまう。
ちょっとだけはねる髪をなんとか直して、鏡の前で笑顔なんて作ってみる。
(…これはちょっと恥ずかしい)
自分で練習しておきながら恥ずかしくなる。
カバンの中にいれてあったそれを私は確認すると、一呼吸して比嘉先輩の下へと走った。
グラウンドにつくと、夕日を背負った比嘉先輩が素振りしている姿があった。
久しぶりにバッドを振る比嘉先輩に思わず見とれてしまう。
「ん、早かったな」
「あ、すいません。待たせちゃって」
「いや、全然」
そういって持っていたバッドを置こうとする比嘉先輩に「あ、あの!もう少しだけ見たいです…!比嘉先輩がバッドを振る姿」と口にしている自分がいた。
「オマエって変わってるよな、本当」
どことなく嬉しそうな表情で比嘉先輩はもう一度バッドを握った。
バッドが空を切る音だけが聞こえる。
野球に全然興味のなかった私が、彼に誘われてマネージャーになって、そこから野球をどんどん勉強していって、今では家で野球中継をお父さんと一緒に見てしまうくらいに成長した。
だけど、どんなに上手な人が野球をやっているのを見ても比嘉先輩の背中を見つめている時のような高揚感はなかった。
「はい、もう終わりだ」
「ありがとうございました!」
「はいはい」
ぽんぽんと頭を撫でると、比嘉先輩は今度こそバッドを片付けにいってしまった。
(いつもなら頭、くしゃくしゃにするのに)
もしかしたら私が一生懸命髪を整えてきたことに気付いてくれたんだろうか。
そう思うと、どうしようもなく鼓動が高鳴った。
「比嘉先輩…あの!」
「ん?」
「これ、受け取ってください!今日、バレンタインデーなんで!」
戻ってきた比嘉先輩に私はカバンにいれていたそれを両手で差し出した。
一瞬面食らったような顔をするが、すぐ比嘉先輩は受け取ってくれた。
「サンキュ」
「…はい」
「開けてもいいか?」
「はい…!」
比嘉先輩は包みを開けると、「へぇ」と声を上げた。
「オマエ凄いな」
「喜んでもらえました?」
「ああ、すっげー嬉しい」
頑張って作ったそれは野球ボールを意識したトリュフチョコレート。
チョコレートを丸くするのにすっごい苦戦して、どれだけ試作品を食べたか分からない。
「なぁ、折角なら食わせてくれよ」
「えっ…!?」
「ほら、早く」
比嘉先輩は慌てる私を楽しそうに見つめると、口を開けた。
私は恥ずかしいのをこらえて、チョコを一個取ると比嘉先輩の口に入れる。
「ど、どうですか?」
「ん、うまい」
「良かった…!」
「オマエも食うか?」
「え、私は…」
「遠慮すんなって」
比嘉先輩は私の腰に手を回すと、強く引き寄せた。
バランスを崩して、先輩の胸に倒れこみそうなところを支えられ、そのまま唇が重なった。
「…っ!」
突然のことに私は驚いて身動き一つ出来なくて。
比嘉先輩の顔が離れた時、遅れて恥ずかしさが襲ってきた。
「オマエ、顔真っ赤」
「だって急に…!」
「こうやって食べるのが一番うまいかも」
「もう、比嘉先輩!!」
「悪い悪い」
悪いなんて思っていない顔で比嘉先輩は私をもう一度抱き寄せた。
今度はさっきみたいな強引な様子はなく、凄く優しく…
「サンキュ、リンカ」
「…来月期待してますね」
「あー…努力する」
「はい」
もうすぐ比嘉先輩は卒業してしまう。
きっと私は淋しくて、比嘉先輩がいたグラウンドを何度も思い出すんだろうけど…
あの夏と、今日の思い出が、多分私のことを支えてくれる。
そんな気がした。