大人になるということはどういう事なのか。
年齢を重ねることか。
自分で稼いだ金で自活していく事か。
それとも…夢を見なくなる事か。
「あれ、左京さん!」
聞き馴染んだ声に呼ばれて振り返ると、思い描いたとおりの人物がにこにこと駆け寄ってきた。
「左京さんも帰りですか?」
「ああ」
俺のすぐ傍を歩いていたはずの迫田は現れない。
変な気を回しやがって、と小さく舌打ちをすると迫田がいない事に気付いたのか、いづみはきょろきょろと周囲を見回した。
「迫田ならいない」
「ああ、そうなんですね。いっつも一緒だから今日も一緒かと思いました」
「その言い方やめろ。いっつも一緒っていうわけじゃねえ」
「はーい」
俺の隣に並ぶので、両手にぶら下げていたスーパーの袋を右手から奪う。
ずっしりとした袋の中身を覗くと、じゃがいも、人参、玉ねぎ…と最近食べる回数が俄然増えた野菜たちがそこにはいた。
「そっち重いんで私が持ちます!」
「重い方は俺が持つに決まってるだろ。
それより、こういう野菜はスーパーじゃなくてまとめ買いをした方が安いっていつも言っているだろう」
「だってカレー作ろうと思ったらちょうど切れていて!」
「切れていて、じゃねえ。お前が隙あらばカレーばっかり作るからなくなるんだ」
こいつの身体はカレーで形成されているんじゃないかと思うくらいのカレー信者。
好きな女の手料理が嬉しくないわけではないが、カレーばかり出されてもありがたさが目減りする。
「はぁ…カレーしか作れなかったら嫁の貰い手がなくなるぞ」
「大丈夫ですよ。私と同じようにカレーを愛する人とめぐり合うはずですし」
人の気も知らないで何でもないことのように笑うから少し腹が立って頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
「わっ…!ここ外ですよ!」
「分かってる」
芝居と向き合おうと思った時。
自分の年齢が酷く重苦しかった。
始めたばかりのころ、十座の演技は見れたものじゃなかったかもしれないが、奴の必死さが、可能性というものを見せてくれた。
それに引きずられるように万里も本気を見せた。
若いということはそれだけで輝いて見えるものなのかもしれない、と秋組のメンバーを見て思ってしまった。
俺が引っ張れるところまで引っ張ってやりたいと思った。
その時、自分はどこにもいなかった。
大人になるということは、諦めること。
自分の力量を悟ってしまえば、もう後は身の丈にあったことしか出来なくなる。
そんな俺の考えをぶっこわしたのは今隣にいるこいつだ。
「左京さん」
「ん?」
「さっき私がきょろきょろした時、よく迫田さんを探してたって分かりましたね」
「それくらい分かるだろう」
「そうかもしれないですけど。ちょっとだけ嬉しかったです」
出会った頃は生意気ながきんちょだったのにな。
照れたように微笑む表情に目を奪われるなんて。
「無駄遣いしたな…?」
「あ、ばれました?でも無駄遣いじゃないんです!!新しいスパイスを使ってカレーを…!」
大人になるということは本気で何かをしなくなる事かもしれない。
「お前はそうやってまた無駄遣いしやがって!」
「だから無駄じゃないんですってば!ああ、今さっき髪直したばっかりなのに!」
「はぁ、お前といるとガキの頃に戻った気分になるな」
「左京さんは私のこと、子ども扱いしてばっかりですよね」
「そうしないと色々持たないだろうが」
小声で呟くと、聞こえなかったらしいいづみは怪訝そうな顔をする。
「聞こえませんでした、もう一回」
そういってぐっと近づいてくる。
空いている手同士が触れて、思わず鼓動が早くなる。
ガキの頃、俺よりもっとガキだった少女に手を引かれた日のことを今でも鮮明に覚えてる。
夢と恋を、初めて見つけたあの日。
「お前といると、大人じゃいられなくなったようだ」
「なんですか、それ」
「さあな…ほら、さっさと帰って飯つくんないと間に合わないだろ」
いづみと少しだけ距離をとり、少しペースをあげて歩き出す。
大人になったつもりだったのに、いとも容易くガキの頃の感情に引き戻された。
だけど、こいつの前ではもうしばらくは大人ぶったままで。
この恋はまだ見せてやらない。