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恋のち愛(夏深)

私が想像する恋というものは、
例えるならこはるの髪の色のように優しい色をしていて、
例えるなら七海の髪の毛のようにふわふわとしたものだった。

でも、今の私にとって恋というものはそう――

 

「夏彦、そんなところで寝ていると風邪を引くわ」

部屋を覗くと、電池が切れたかのように机に突っ伏して眠る夏彦の姿があった。
追い込みらしく、寝る時間も惜しんでいたのは知っていたし、ようやくさっき片付いたというのも雪から聞いて知っているから寝かせてあげたかったが、どうせ寝るならベッドの方が良いだろう。
夏彦の体を揺すると、眉間に皺を寄せたまま夏彦は目を開いた。

「深琴か…」

「ええ、そうよ。ほら、ベッドに移動しましょう」

夏彦の腕を引っ張ると思いのほかあっさりと動いた。
と思いきやひょいっと私の体は宙に浮いた。

「きゃっ、ちょっ!」

「お前の方から誘ってくるなんて珍しいな。でも素直に甘えてくるのも悪くない」

「ちょっと!寝ぼけてるの!?」

いつもより饒舌にしゃべったかと思えば、ベッドに私を下ろしてのしかかってきた。慌てて夏彦の肩を押して抵抗すると、ようやく意識がはっきりしてきたのか焦点が私にあった。

「-っ!どうしてお前が俺の下にいる…?」

「あなたが運んできたのよ、今!」

「そうか…」

夏彦はため息混じりに深く息を吐いて、私の上に倒れこんできた。
さっきのように迫ってくるような気配ではなかったので、私も大人しく夏彦を抱きとめる。

「……夏彦?」

返事の代わりに届いたのは気持ち良さそうな寝息だった。

「お疲れ様、夏彦」

ぽんぽんと背中に触れ、私も目を閉じた。
どうせ夏彦を動かせないんだから、私も寝てしまおう。
そんな風に思えるくらい、私の気持ちは穏やかだった。

 

能力者として使命を背負っていた頃は、時間があるなら鍛錬をし、集中力を高めて、いつでも最大限の能力を発揮できるようにしていた。
そうやってずっと生きてきたから、能力者としての使命が肩の荷から降りた時少しだけ不安もあった。
夏彦がいるんだから何も心配することはない。
だけど、彼には彼のやるべきことがあって私には何もない。
彼を支えると決めた心は寝る間も惜しんで研究する夏彦の背中を見ているだけで時折折れてしまいそうだった。

だけど、少しずつ時間が経ち、能力者だった事が自分の中で過去になり、夏彦の隣にいる自分が現在に変わった。

 

目を覚ますと私の上に乗っていた夏彦がいなくなっていた。
慌てて飛び起きると、部屋の中はすっかり暗くなっていた。
夏彦の姿を求め、私はうろうろとしていたがふと窓の外を見ると綺麗な星空があった。
外に出て、あたりを探すと夏彦の姿を見つけた。

「夏彦」

「深琴、起きたのか」

「ええ。起こしてくれたらよかったのに」

「お前の寝顔を見てたら起こせなかった」

「…! 寝顔を見るのも駄目よ!」

慌てる私を見て、夏彦は目を細めた。
夏彦は、たまにそうやって私を見つめる。
それが少しくすぐったくて、私はいつも目を逸らしてしまう。

「綺麗な星空ね」

「ああ、そうだな」

顔を上げると、綺麗な星空に目を奪われる。
星って夏彦みたいだと思うようになったのはいつからだろう。
キラキラしていて、いつまでも目が離せない。
夏彦に恋をして、私は誰かを好きになる気持ちを知った。
それは決して想像していた優しい色でもやわらかなものでもなかったけれど。
でも、胸の奥で星のようにキラキラと輝き続ける―――不思議だけど、決して手離したくないものになった。

「ねえ夏彦」

「ん?」

「私、大分星座覚えたのよ」

「ほう。じゃあ、あれは?」

「あれはね―――」

夏彦が指差した星座を見て、私は得意げに口を開いた。

 

 

ねえ、夏彦。
あなたと過ごした日々は今までのどの時間よりもキラキラとしているの。
きっともう少し時間が経って振り返っても同じように輝いているのかしら。
それが分かるくらいずっと傍にいてね。

マーマレードの恋(天いづ)

今まで生きてきた17年という歳月の中で、この一年ほど濃密な一年はあっただろうか。
小さい頃から芝居に打ち込んで生きてきた俺は、多分他の人が経験しないであろう日々を過ごしてきた。
そんな俺だから取りこぼしてきた何気ない日々―例えば、花見や花火をしたり、クリスマスにはパーティーを開いたり、年末にはみんなで大掃除をしたり…友達や家族と過ごす思い出をこの一年には詰まっていた。
そして、多分……今まで芝居の中では何度も繰り返してきたソレを、俺は初めて俺自身として体感している。

「あれ、天馬くん。どうしたの?」

「ああ、監督か」

中庭で台本の読み合わせをしていると監督がひょっこり姿を現す。

「今、幸が修羅場だからミシンの音がうるさくて移動してきた」

「そうだよね、幸くん衣装追い込みだもんね」

もうすぐ春組の公演が控えているので、衣装担当の幸はわき目も振らず作業に没頭している。さすがに瞬きさえも惜しむような作業場で、次のドラマの台本に集中できるわけもなく、暖かくなってきた事だし、中庭で練習をしようと移動してきたのだ。

「監督は?」

「今日はあったかいし、たまにはこっちで本でも読もうかなーって。あ、でも天馬くんの邪魔になりそうなら…」

「別に邪魔じゃない」

「そう? じゃあ、天馬くんのお茶も持ってくるね」

初めて会った時はなんとも思わなかった。
だけど、一緒の時間を過ごして、思い出を共有して、自分を認めてくれて…
惹かれないわけがなかった。
多分監督にとっては、俺はまだ子どもに見えている事くらい分かってる。
ふと、青々とした葉っぱをつけた桜の木を見上げた。
桜の花のつぼみがついていて、きっと一週間も経たないで開くだろうと一成と椋が話していたのを思い出す。
一週間もすればきっと幸の衣装作りも終わっているだろうし、今年はみんなと花見ができるかもしれない。

「天馬くん、お待たせー!」

「ああ、ありがとな」

中庭にある小さな丸テーブルに、紅茶の載ったトレイを置くと、監督も桜の木を見上げた。

「もうすぐ咲きそうだね」

「ああ、そうだな」

「天馬くん、楽しみでしょ?」

「そこまで楽しみになんて…!!」

「ふふ、今年はみんなとお花見出来そう?」

「ああ、今のところは…」

監督の淹れてくれた紅茶を一口。
仄かにマーマレードの甘味を感じた。
そういえば最近紅茶にジャムを落とすのが好きだと言っていた事を思い出す。
監督は持ってきた本を広げると、そっちに視線を落とした。
さらりとした髪が顔にかかる。邪魔にならないように耳にかけるが、何本かはらりと落ちる。

(……そういう表情も、あるんだな)

いつも明るく元気で、みんなの監督で、しょっちゅうカレーに心を奪われる奴だけど。
ふとした時に見せる表情が、監督は大人の女性だと言っている。
俺を見てほしくて、その髪に触れてみたくて、気付けば手を伸ばしていた。

「天馬くん?」

監督は対して驚きもせず、俺を見る。
初めて触れた監督の髪はさらさらとしていて、手から零れ落ちる感覚がこの人みたいだ。

「葉っぱ、ついてた」

「とってくれてありがとう」

ついてもいない葉っぱをはらう仕草をすると、疑いもせずお礼を口にする。
それが俺を意識していませんと言っているみたいで、妙に腹が立った。

「いづみ」

監督の名前を呼ぶ。
もう一度彼女の髪に触れ、毛先を持ち上げると、そこにそっとキスを落とした。

「いつになったら俺を意識するんだ?」

大人になったら一年なんてあっという間だというけれど、俺たちにとって一年という時間はまだ長い。
その長い時間、見つめ続けている相手がいつまで経っても俺を子ども扱いするんだ。溢れ出たって仕方ないだろう。

「え?え、天馬く…ん?」

何をされたのか認識した監督の顔はじわじわと赤くなっていく。

「なんてな。次の芝居の台詞」

「な、なーんだ!そうだよね!てっきり私は…」

監督は安心したように笑う。
その表情に、俺もこっそり安心してしまった。

「次のドラマもラブストーリーなんだね」

「まあな」

本当は全然違うけど。

「天馬くんのお芝居、好きだから楽しみにしてるね」

「ああ、ありがと」

ドラマの放送を見て、全然違う内容だって知った時、監督はどんな反応をするんだろう。
その時には、俺も誤魔化さないで気持ちを伝えられるだろうか。
すっかり頭の中をかき乱された俺は、紅茶を一気に飲み干した。
しばらくマーマレードは食べられそうにない。

 

 

あなただけを見つめています(正こは)

「こはる、どうかしたの?」

きょろきょろとある人を探していると、深琴ちゃんに声をかけられた。

「深琴ちゃん、こんにちは!
正宗さん、見かけませんでしたか?」

「ああ、正宗ならさっき向こうの方で駆と話してたわよ」

「ありがとうございますっ!」

教えてもらった方へ駆け出そうとすると、くすりと深琴ちゃんが笑う声がした。

「どうかしました?」

「ううん。ただ、こはるっていつも正宗を探してる気がして…その姿がなんだか似てる気がして」

「似てる?」

深琴ちゃんの言葉に私は思わず小首をかしげると、深琴ちゃんは私に似ているというそれを教えてくれた。

 

 

「正宗さん~!大丈夫ですかー?」

先日、台風が村の近くにやってきた。
そのせいで村はすっかり荒れてしまい、台風が過ぎ去った今、みんなそれぞれ掃除に励んでいる。
私たちはというと、図書館の周囲に落ちている大きな木の枝や、どこかのおうちから飛んできたと思われるバケツやプランターなどを片付けている。
ふと、空を見上げると図書館の屋根に引っかかっているタオルやら何やらが目に入り、それを撤去するために正宗さんが屋根の上に登っている。

「大丈夫だ!こはるは片付け終わったら先に図書館の中に入っていろ!」

「いえ、そういうわけにはいきません!」

屋根の上にいる正宗さんを放っておけるわけがない。
何も出来なくても、やりとげるまでその姿を見守っていたい。
私はうっかり足を踏み外したりしないように胸の前で手をぎゅっと握って祈るようにして、正宗さんの様子を見つめていた。

正宗さんは屋根に手をつきながら、次々とひっかかっているものを回収していく。
その手際の良さに、何も心配することはなかったとホッとする。
最後の一枚を回収すると、正宗さんは足場を確認しながらゆっくりと地上へ戻ってきた。

「お帰りなさいっ!お疲れ様です…!」

無事に戻ってきてくれた事が嬉しくて、私は思わず正宗さんの胸に飛び込んだ。
正宗さんは驚いた様子で、でも私のことをしっかりと受け止めてくれる。

「そんなに心配しなくても大丈夫だっただろう?」

「はい!でも大丈夫だと思っても心配してしまうんです」

正宗さんが怪我しないよう、風邪もひかないよう、いつでも元気にいてほしい。
優しい正宗さんは、自分の事より他の人のことばかり優先してしまうから私は正宗さんのことを一番に考えてしまうんです。

その時、ふと昔深琴ちゃんに言われた事を思い出した。

「私はひまわりに似てるそうです」

「え?」

「以前、深琴ちゃんに言われたんです。私は正宗さんの姿がないと、正宗さんを探していて。正宗さんがいると、そっちばかり見つめて。
その様子がまるでひまわりみたいだと言われました」

私がひまわりなら、正宗さんは太陽。
その言葉は私のなかでとてもストンと受け入れられた。

正宗さんは何かを堪えるみたいにぐっと息を止め、それから私の肩に額をすりつけてきた。

「どうしてお前はそう……可愛いんだ」

正宗さんがとても小さな声で何かを呟いたのに、ぐりぐりされる額が少しくすぐったくて聞き逃してしまう。

「正宗さん?」

「いや、なんでもない。掃除ももういいだろう。図書館の中へ入ろう」

「はいっ!」

正宗さんと手をつないで、図書館へと歩き出した。
図書館のドアノブに手をかけた正宗さんが何かを思い出したかのようにぴたりと動きを止めた。

「でも……俺も、こはるの姿がないと探してしまうからお互い様だな」

「…っ」

正宗さんが笑うと、それだけで私も嬉しくて笑ってしまう。
正宗さんが困っていると、私に何かできないかと傍に駆け寄ってしまう。
正宗さんが泣いたら…多分私も泣いてしまうと思うけど、優しく彼の頭を撫でてあげたい。

正宗さんもきっと同じように思ってくれているんだ。

そう思わせるような顔で、正宗さんは少し照れくさそうに笑って、私の頭を撫でてくれた。

 

Memory(ロン七)

今の私を形成するために不可欠なのは、あの船の上での出来事だ。
あんなに大勢の人との共同生活は初めてだったし、初めて年の近い女の子とも親しくなった。
そして、私は……

 

「ねえ、七海」

二人で街を歩いていると、ロンが私の手を引っ張った。

「なに?」

「あそこに人だかりが出来てる」

ロンが指さした方を見ると、街の一角に人が集まっていた。
何かを取り囲むようにしている人は、ほとんどが子どもだった。

「あなたが気にするなんて珍しい」

「そう?」

ロンは私以外の事にあまり興味を持たないから。
珍しくロンが気にした場所だ。それに私も何をしているのか、気になる。

「いってみよう」

「うん」

ロンは繋いだ手を握りなおすと、子どもたちが集まる一角へと歩き出した。
近づくにつれ、何やら聞き覚えがあるようなないような鳴き声が聞こえてきた。

「…!」

しゃがみこむ子ども達の後ろに立って覗いてみると、そこには沢山に小さな黄色い物体が箱の中で所狭しと動いていた。

「ひよこ…」

そう、それはひよこだった。

そういえば聞いた事がある。
縁日などのお祭りで、ひよこが売られている事を。
もしかしてその類なのかもしれないけれど、こんなにたくさんのひよこを見たのは初めてだ。

「船にいたひよこさんたちとは違う」

船にいた頃、料理を作ってくれたり、掃除をしたり…ひよこさんたちは忙しなく働き、時折宿吏さんを怯えさせていた。
あのひよこさんたちはきっと船にしか存在しないんだろう。
そして、今目の前にいるひよことは違う存在だろう。

「七海?」

ぼうっとしている私を不思議に思ったのか、ロンが私の名前を呼んだ。

「美味しそうだね」

ひよこさんを見つめながら、とんでもない事を口にする。
まわりにいる子どもたちに聞こえてないようで、少しだけ安心した。

「…食べ物じゃない」

「そう?こんなにたくさんいるんだから食べてもいいんじゃないかな」

「食用として売られているわけじゃない」

「ふーん。美味しそうなのに」

残念だ、とロンは全く残念じゃなさそうに呟いた。
今のロンには、あのひよこさんたちの記憶はない。
いや、そもそも彼の記憶があったとしてもひよこさんたちの事を覚えているか怪しいところだ。

「行こう、ロン」

船での出来事は私にとって大切な記憶。
こはるさんや、深琴さんと出会えた。
宿吏さんや、市ノ瀬さんとも再び出会った。
そして、ロン…あなたと出会ってしまった。

「そうだね、七海」

今度は私から強く手を握りなおす。

出会った時、船での記憶、その全てを共有出来なくても。
私とロンは今こうして一緒にいる。

「今日は一緒に寝ようね」

「…ベッドは分けるべき」

「そうかな。一つしか使わないんだから一つで十分だよ」

ぴぃぴぃと可愛らしい鳴き声に、あの頃を思い出したけど。
私は今日も明日も明後日も、この人といたい。
ただ、それだけだ。

膝上スカート(幸いづ)

幸くんの作る衣装は素晴らしい。
舞台の上で栄えるように、お話にあった衣装を作ってくれる。

夏組の第三公演のテーマは野球。
台本を読んで、誰がどの役か決まった後にはもうラフデザインを描いていた。
今回はどんなデザインの衣装が出来上がるんだろうとワクワクしていると、何度目かの稽古の後に幸くんはサイズ合わせ出来る段階まで仕上がった衣装をみんなに着せた。

「うんうん!似合ってるね!」

野球のユニフォームに包まれた夏組メンバーを見て、満足げに頷いていると「あ、椋。ちょっと動かないで。そこ止める」と椋くんの衣装をチェックしている幸くんの姿を見つけた。

椋くんの前に膝をついて、テキパキと作業をする幸くんに感心していると、ふとスカートの裾から覗く太ももに目がいってしまった。

(なんだか見てはいけないものを見てしまった気がする…)

いけない事をしてしまった気分になり、私はさっと幸くんから視線を外した。

衣装合わせも無事に終わり、みんなが衣装を幸くんに返した後、私も手伝おうと幸くんの傍に寄った。
今日は太一くんが補習で遅れてるから助かると言って、自分の衣装を私に手渡した。その衣装を見て、ふとさっきの光景を思い出した。

「幸くんの足って綺麗だよね」

思わずぽろりと零れ落ちた言葉に、幸くんが怪訝そうな顔をして振り返った。

「何今更言ってるの」

「いや、今回の衣装ついつい幸くんのスカート丈に目がいっちゃって」

普段だってスカートをはいているんだから見慣れているんだけど、今回の衣装はいつもより短くて、女の私が見ていてもちょっとドギマギしてしまう。

「いや~、私はもうあんなスカート丈はけないかも」

だから幸くんの膝上スカートに緊張してしまうんだ。
照れ笑いを浮かべると、幸くんがはぁーーっとため息をついた。
私が持っていた幸くんの衣装を掴むと、私の前に合わせて見せた。

「アンタだってまだまだイケるじゃん」

「えっ?そ、そう?」

「俺が言うんだから自信持てば?
それに足は出さないとどんどん出せなくなっていくんだから…」

自分では見えないけど、幸くんが言うんなら大丈夫なのだろう。
私を励まそうとしてくれてる幸くんの気持ちが嬉しくて、気付けば微笑んでいた。

「ありがとう、幸くん」

「今度アンタに似合うスカート選んであげる」

「え、いいの?」

「だから…」

「うん」

「そのスカートを初めてはくのはオレの前にして」

心なしか赤くなった幸くん。

「うん、分かった」

小さく頷くと、なんだかほっとしたような表情を幸くんは浮かべた。

「舞台が無事に終わったら、行こうね」

新しい夏組の舞台が無事に終わった後のささやかな約束。
それを思うと、少し未来が楽しみになった。

魔法の手(耶告×紘可)

小さい頃の私は、耶告の手のひらが大好きだった。
耶告の手は魔法の手。
美味しいご飯だってお手の物。
私の髪を可愛く結い上げてくれた時は嬉しくて、鏡から目を逸らせなかった。
そしてー

 

「紘可」

管理人室にあるソファの上でごろごろしていると、耶告がいつも通り呆れたようなため息をつく。
私は聞こえないふりをして、目を閉じていると、しびれを切らしたのか耶告が私の名前を呼んだ。

「お前、女子高生がなんつー格好を」

「ジャージだもん」

「休みの日にジャージでだらだらしてないで友達と買い物でも行って来ればいいだろ」

耶告の言う事も一理ある。
だけど、滴とは先週買い物に行ったばかりだ。だから今週は耶告のいるところでだらだらすると決めていたのだ。

「休みの日なのに、仕事あるの?」

「あ? ああ、俺か。仕事っていう程のもんじゃないけど」

「…耶告こそどこか出かけてくればいいのに。
いっつも管理人室にいる」

「お前たちが授業中とかに休み取ってるから大丈夫だ」

それは管理人として大丈夫なのだろうかと思ったが、耶告の仕事に首をつっこんでも仕方ない。これ以上何も言うまいと口を閉ざす。
もう耶告の事は気にしないで一眠りしようと反転する。
狭いソファでも心地よく寝る術は熟知している。
眠りに落ちそうになったその時、耶告が動く気配がした。

「心配してくれてたんだな、ありがとな」

私の頭を優しく撫でる手。
子どもの時はなんて大きな手なんだろうって驚いた。
私も大人になったら、耶告のように大きな手になるのかもしれないと少しだけワクワクもしていた。
成長するにしたがって、耶告と私の手のひらの大きさは近づいていった。
だけど、耶告の手は男の人の手だ。
さすがに私が耶告に追い越す事はないと気付いた。

大きな手のひらで、私を安心させてくれた耶告みたいに。
私も耶告を安心させたいなんて小さい頃の私は考えていた。

今はもうなかなか耶告の手に触れられなくなったが、その気持ちは今も変わっていない。

「やつぐ……」

眠くて、もう目は開けられない。
耶告の名前を口にすると、一瞬耶告が息を飲んだ気がした。

「…ったくしょうがないな」

耶告が何を思って、そう口にしたのかは分からないけど。
きっと目が覚める頃には、私の頭を撫でてくれている手で美味しい料理を作ってくれているだろう。
出来る事なら焼肉がいいけど、贅沢は言わない。
耶告が作るものならなんでもいい。
だから、私が眠りに落ちても。
その手を離さないで。

さめないゆめを(ナツアイ)

覚めない夢なんて存在しない。
例えどんなに良いものだとしても、
どんなに悪いものだとしても、
夢は夢でしかない。

だけど、私は…

 

 

授業が終わり、トイレに駆け込んで鏡の前に立つ。
ブラシを取り出して、少し跳ねた髪を整えて、色のついたリップクリームを塗って、私は深呼吸した。

(よし…!大丈夫!……多分)

おかしなところはないか、鏡の中の自分とにらめっこし終えたら、私は早足で玄関へ向かった。
今日こそは、彼よりも早く待ち合わせ場所に着きたい。
そんな気持ちから、私はいつもより駆け足になる。

「アイちゃん!」

校門の近くに立っていたナッちゃんは私の姿を見つけて、片手をあげて微笑んだ。

「ナッちゃん!」

「そんなに急がないでよかったのに」

ナッちゃんのところへ駆けていくと、息を弾ませてる私を見て、ナッちゃんはくすりと笑った。

「ナッちゃんこそ……今日も早いね」

「ちょっとでも早くアイちゃんに会いたかったから」

さらりととんでもない事を言うナッちゃん。
私は、駆けてきたせいだけではない胸の鼓動をうるさく感じながらも、ナッちゃんに微笑んだ。

「私も、会いたかった」

同じ学校だったらよかったのに。
何度そう思ったか分からない。
どうしてナッちゃんと同じ高校に進学しなかったんだろうと後悔はあるけれど…

「大学こそはナッちゃんと同じところに行けたらいいなぁ」

「え?」

つい、零れた本音。
ナッちゃんは驚いたように私を見つめた。

「同じ大学だったら一緒に登下校もできるよね、きっと」

大学は自由だから、もしかしたら肩を並べて授業を受ける事もできるかもしれない。
一緒にお昼を食べる事もきっとできるだろう。
想像するだけで楽しくて、嬉しい気持ちになる。

「そうだね…」

ナッちゃんは目を細めて私を見つめている。
なんだか、それは眩しいものを見つめるように。
ナッちゃんは時折私のことをそうやって見つめる。
その度に私の胸はざわざわと落ち着かない気持ちになる。
それがどうしてなのかは分からない。

「そのためにはまず、大学を合格しないといけないね」

「ナッちゃんに追いつけるように頑張ります」

「僕も頑張るね、アイちゃん」

ナッちゃんはいつものように微笑んだ。
それを見て、私も安堵する。

いつの間にか繋いだ手。
その手を離すまいと、私は強く握り返した。

 

孔(鉤紅)

あの時の私はまだ小さかったから、お母さんが死んだ事の意味をすぐには理解できなかった。
明日になっても、明後日になっても、お母さんに会えないということ。
お母さんが焼いてくれたホットケーキも、野菜がたくさん入ってるのに美味しいシチューも、私が上手に絵を描けた時やお手伝いをした時に撫でてくれた優しい手も、全て私の世界から消えてしまったという事が分かって、初めてお母さんの『死』というものを理解した。

私の心には、大きな孔が二つある。

お母さんの死によってできた孔よりも、大きなソレは彼が私に残したものでした。

 

 

***

突然館のなかに閉じ込められ、最初は記憶もなく、館で出会った彼らのことも知らなかったのに、一枚の写真から私は記憶を取り戻した。

取り戻したはずなのに…

「紅百合さん?」

「え?」

「なんだか焦げた匂いがするんだけど…」

「えっ!? あっ!」

今日はホワイトシチューにしようと決めて、私は野菜を炒めていたのに。

「やっちゃった…」

慌ててコンロの火を止めて、私は鍋の中を覗き込む。
飴色になるまで炒めるつもりだった玉ねぎは黒っぽくなり、美味しくなさそうだ。
貴重な食材になんて事を…と私が肩を落とすと、鉤翅さんが鍋の中を覗いて笑った。

「これくらいなら、大丈夫だよ。きっと」

一旦お皿に除けて、鉤翅さんは鍋の中に無事だった野菜たちをもう一度放り込んだ。

「ありがとう、鉤翅さん」

「珍しいね、紅百合さんがぼんやりしてるなんて」

「あ、うん…なんだろ……」

ナッちゃん…いや、ここでは鉤翅さんと呼ぶ事にしてるから鉤翅さんって言うけれど、小さい時からとても頼りになって、優しい鉤翅さんが大好きだった。
大人になったら、ナッちゃんと結婚したいとさえ思っていたんだ。
あんな小さい時に結婚だなんて今思うと子どもらしくて可愛いけど、恥ずかしくなる。
だって、あの頃の私は恋の意味も、愛の先も分かってなかったのに。

「記憶が戻ってから…私のココに、なんだかよく分からないんだけど孔を感じるの」

「孔?」

「うん」

両手で胸を抑えると、鉤翅さんの視線を感じて伏せていた目を彼に向けた。

「…そっか」

鉤翅さんは、哀しそうな瞳でぎこちなく微笑んだ。
その表情は、まるで世界にたった一人取り残されたみたいで私まで苦しくなった。

「きっと紅百合さんにとって、とても大切なものだったんだろうね」

「…そうかな」

「きっとそうだよ」

「……そうだね」

「紅百合さんは、誰よりも優しいから。きっと喪ったものに対しても情を残してしまうんだね」

「そんな事…」

いつも通りの笑みを浮かべて、「そろそろお肉も一緒に炒めようか」と私の目の前にある一口サイズに切られた鶏肉たちを鍋に入れるように促した。
それからは、もう一度料理に集中して、二人でクリームシチューを作った。
二人で料理をしていると、うっかり肩がぶつかったり、手が触れ合ったりする。
私はその度、心臓がきゅっとなった。
鉤翅さんが傍にいてくれると安心する。
安心するのに、胸が苦しくなる。
私はこの気持ちを知っている。

幼い頃、ナッちゃんといた時間。胸がいっぱいになったあの時と一緒。

 

私は彼に恋をしている。

 

きっと、この恋は館から現実の世界に戻る事ができた時に愛に変わるんじゃないだろうか。
そうなりますように。
そして、彼も私と同じ気持ちでありますように。

出来上がったクリームシチューの味見をして、美味しいと笑った鉤翅さんを見つめて、強く願った。

どんな私でも(隼ツグ)

時々考える事がある。
もしもあの時、あの事件が起きずに結婚していたら。
私はどんな私になっていたんだろう。

 

いつもと違う時間を過ごすと、体内時計が狂うのか、私はいつもより早い時間に目を覚ました。
ぼんやりとした意識のまま、自分の身体を後ろから抱き締める腕に触れて、昨夜のことを思い出す。

(夕べは隼人と食事に行って…)

定期的に開かれるビリヤードの大会。
私が見に行くとやる気が倍増するという隼人の言葉を受けて、いつも通り隼人の試合を見守った。
何度か見に行くうちにビリヤードのことも分かるようになってきた私は、改めて隼人の腕前に感心した。
隼人の様子を見つめながら、ミルクセーキを味わうように飲む。
そして、大会はいつも通り・・・と言ったら他の参加者に失礼だけど、隼人の優勝で幕を閉じた。
それから、隼人と夕食を食べ、「優勝のご褒美をちょうだい」と耳朶を噛まれたところまでを思い出して、私の頬は熱くなった。

(~っ!!)

初めての夜ではない。
何度も身体を重ね、隼人の体温を覚えた身体には、彼の腕の中はとても落ち着く場所になっていた。
だけど、こうして二人で迎える朝にはまだ慣れなくて、意識がはっきりしてくると段々羞恥で身体が火照ってくる。

「起きたんだ?」

「-っ!?は、隼人…起きてたの?」

「腕の中のお姫様がもぞもぞと動き出したあたりで」

「ご、ごめんなさい…!起こしてしまって」

きゅっと隼人の腕をつかむと、彼は甘えるみたいに私に頬ずりをする。
それがくすぐったいけど、心地よくて私は笑みを浮かべる。

「耳、赤くなってる」

隼人は小さく笑うと、私の耳朶に口付けを落とした。
その甘い刺激が、昨夜の名残を思い出させる。

「隼人」

「ん?」

時折考える事が、ふと零れた。

「私ね、時々考えるの。
もしもヒタキにあんな事件が起きなくて、あのまま隼人と結婚していたらって」

「うん」

こうやってフクロウで一緒に働くようになって、私は隼人という人を知って、恋をした。
外の世界で働く事で、今までの私の世界がどれだけ小さなものだったのかを痛いほど知った。
ー悪意、というものもだ。
そういうものからずっと守られてきた私は、家のために結婚をしようとしていた。

「どんな出会いだったとしても…多分、最初は警戒したと思うし、心も開けなかったかもしれないけど、あのまま隼人と結婚していても、私はあなたを好きになったんじゃないかって思うの」

隼人は素敵な人だ。
まっすぐで誠実に私を愛してくれる隼人に、きっと私は惹かれていっただろう。

「きっと隼人と恋をする運命だったんだと思う。
だけど、私は隼人と一緒に働いて、あなたを知っていって、恋に落ちた今が一番幸せ」

そんな風に思うのは、今がびっくりするほど幸せだからかもしれない。

「はぁ~」

私に回された腕がぐっと力が籠もった。

「そんな可愛い事、朝から言われたら…」

私を抱き締めていた腕が離れたかと思うと、気付けば隼人が私の上にのしかかるような体勢になった。

「離れたくなくなるんですけど」

触れるだけの優しい口付けが落とされた。

「えっ…あ、」

隼人の瞳が酷く熱っぽく見えて、それは昨夜の名残なんかじゃなくて、今灯った熱に見えた。

「もう少しだけ、貴女を独占してもいいですか」

その意味を分からない程、子どもじゃない。
言葉にするのは恥ずかしくて、こくりと頷くと、もう一度隼人と唇が重なった。

 

どんな私になってたとしても、きっとこの人の事を愛しただろう。

そんな事を考えながら、私は隼人の背中に手を回した。

たまには、そんな日も悪くない(暁七)

体が頑丈なのがとりえだと思うくらい、俺の体は健康だ。

「くしゅん!!」

そんな俺が珍しく風邪をひいてしまった。
職場である料理屋では従業員やお客さんの間で風邪が流行っていることは分かっていたのに。不覚だ。

「暁人…大丈夫?」

七海が心配そうに俺の顔を覗きこむ。

「ああ、寝てれば治る…だから、お前は今日この部屋に近づくな」

あまり近くにいては風邪がうつるかもしれない。
そう思って、七海に離れるよう言っているのだが、七海は不服そうな顔をして俺の額のタオルを取り替えていた。

「七海……」

「暁人が思ってるより、私はずっと頑丈」「わかった…お前が頑丈なのは、分かったから…
少し眠るから部屋を出ていてくれないか?」こう言えば七海は頷くしかないだろうという言い方をする。
すると七海はさっきと変わらず不服そうだが、こくりと頷いて洗面器を持って部屋を出て行った。
後ろ姿を見送り、俺は一旦目を閉じる。子どもの頃―
まだ千里の傍にいた頃。
体の弱かった千里は度々体調を崩して寝込む事が多かった。
俺はそんな千里を励まそうと、大した食材もない中懸命に料理をした。
初めて作ったクッキーはとても不味くて千里には食べさせられなかったっけ。
苦しそうに顔を歪める千里の手を懸命に握ったのがついこないだのように感じるのに、気付けば千里は大人になり、好きな女と二人で生活するほどになった。
兄としては嬉しいけど、少しだけ淋しい。
そんな事を考えるのは、珍しく風邪をひいて弱っているからだろうか。(らしくねぇな)なんだかいたたまれなくなって、寝返りをうつ。
何度かそうしているうちに気付けば俺は眠りに落ちていった。物音がして、俺は目を覚ます。
ぼんやりとした視界で、七海が心配そうな顔をしていることだけはすぐに分かった。「暁人、うなされてた」「…ああ、そうか」左手にひんやりとした感覚。
視線を下げれば、七海が俺の手を両手で握ってくれていた。「大丈夫だ、そんな顔するな」「…うん」七海の手を握り返すと、部屋に漂う優しい香りに気付いた。「お薬も飲まないといけないから、おかゆ作ったの。食べれる?」「ああ、ありがとう」一人用の土鍋の蓋を取ると、そこには薬草の入ったおかゆがおいしそうな湯気をたてていた。
七海が器によそってくれている間に俺はゆっくりと起き上がる。
少し世界が回転するような感覚はあるが、さっきよりは体調は良さそうだ。「暁人、はい」「ああ…って、なんだ。それ」七海はれんげにかゆを一口分取ると、俺の前に差し出してくる。「暁人、あーん」「…っ、」風邪を引いてるときに、熱が上がりそうなことをするのはやめてほしい。
俺がどうすべきか困った顔をしていると、七海は催促するみたいにもう一度「あーん」と言って、俺の口元にれんげを近づけてきた。「あ…あーん」俺は恥ずかしさを押し殺して、口を開けた。
七海は嬉しそうに俺へ食べさせる。
薬草の風味がアクセントになっていて熱で味覚が鈍っているのをさしひいても、美味いおかゆだ。
船にいた頃、隙あらばなんにでも薬草をいれて料理をめちゃくちゃにしていた人物が作ったとは思えない出来栄えだ。
七海が頑張って料理を覚えた証だ。「うまい」「本当?よかった」素直に言葉にすると、七海は安心したように顔をほころばせた。「だからもう自分で…」「駄目。風邪をひいてる時には無理をしちゃいけない」「…」「はい、暁人。あーん」そう言って、七海は最後の一口まで俺に食べさせ続けた。おかゆを無事に食べ終わり、風邪薬を飲んだ俺はもう一度布団に横になった。「暁人」「うん?」「暁人が眠るまで、こうしててもいい?」七海はそっと俺の手を握った。
熱のせいか、いつもより冷たく感じる七海の手。
俺の、愛おしい人の手だ。「ああ…。握っててくれ」「…うん!」風邪なんて滅多にひかなかった俺が風邪をひいたのは、気持ちが緩むようになったからかもしれない。
小さい頃から、今に至るまで俺は生きる事に必死だった。
ひたすら気持ちを張り続けた十数年。風邪が入る余地もなかったんだろう。
それが今、七海と二人で暮らすようになってようやく俺の気持ちが緩む瞬間ができたのかもしれない。俺の手を握る七海を見て、ああ幸せだな。
俺はそんな事を考えながら、たまには風邪をひくのも悪くないなんて思った。

はじめてのお弁当(文花)

文若さんの眉間には深い深い皺が刻まれる。
それは主に孟徳さんを相手にしている時だ。

(ああ、今日も…)

「丞相、この書簡に目を通していただけますか」

「いやー、さっきから目を酷使してばっかりだから疲れてきちゃったなー。
花ちゃん、ちょっとお茶でも飲んで一息…」

「丞相」

いつもの調子の孟徳さんに、いつも通りの文若さん。
孟徳さんもよく、文若さんの眉間の皺についてはツッコミを入れているが、それを改善するような行動をとってくれるわけもなく…

私は手鏡を前に、眉間に皺が寄るように力を入れてみる。

(こ、これは…)

思っているよりも眉を寄せるために力が必要だ。
それにこの状態を維持するというのは、なかなか大変だ。

「花?どうかしたのか」

「わあ!」

突然後ろから声をかけられ、思わず変な声が出てしまう。
慌てて振り返ると文若さんが不思議そうに私を見ていた。
眉間の皺は、ない。

「ぶ、文若さん。ちょっと顔に墨がついた気がして」

「特についていないようだが」

「そうみたいです!私の勘違いでした!」

手鏡を邪魔にならない位置に置き、私は何事もなかったように書簡の整理の続きに戻った。

時折文若さんの様子を盗み見ると、仕事中私の想像以上に眉間に皺が寄っている事が多いことに気付いた。
私と話している時はほとんど眉間に皺が寄っていないから気付かなかった。
仕事の時は気持ちが張るのも仕方ない。
私だって大事な書簡を扱うから、肩に変な力が入り、仕事が終わる頃には痛くなっている事もしばしばあるくらいだ。
眉間の皺をなくすためにも、文若さんに気が緩む時間を作りたい。
でもどうやって?
腕を組んで、室内をうろうろしていると廊下の方から良い香りがしてきた。

「そうだ!」

名案を思いついた私はイメージを図にするべく、いらない紙を手にとり、はりきって筆を握った。

 

 

 

想像するだけなら簡単だ。
それを実現するには、努力と鍛錬が必要なのだという事を私は身をもって知った。
生焼けの魚。不揃いに切られた野菜たち。
一時的に記憶を失った文若さんにこれでもか!というくらいダメだしされた私の料理。
あれ以来、ひっそりと練習を積み重ねている事を文若さんは知らない…はず。

今日は何度も何度も時間を確認してしまう。
落ち着かない様子の私に文若さんは首をかしげるが、一度「どうかしたのか?」と尋ねて以降は何も聞かなくなった。

(よし、そろそろいいだろう)

私は席を立ち、文若さんの傍に移動した。

「あの、文若さん」

呼びかけると、文若さんは顔をあげてくれた。

「一緒にお昼、食べませんか?」

「すまないがこの書簡を片付けてしまわなければならないんだ。
先に休憩をとってくれ」

これはいつものやりとり。
時間に余裕がある時以外、一緒にお昼を食べる事もできない。
仕事だから仕方ないと思っていつもなら諦めていたけど今日の私はちょっと違う。

「お、お弁当…!作ってきたんですっ!」

意を決して、伝えると文若さんは驚いたように目を見開いた。
それから咳払いをし、書簡に視線を戻す。

「すぐ終わらせるから、待っていてくれるか?」

そう言った文若さんの耳は赤くなっていた。

「…はい!」

文若さんの手が空くのを待ちながら、私はお茶の用意をする。
湯のみに温かいお茶が入った頃、文若さんが席を立った。

「待たせたな」

「いいえ」

机の上にお弁当箱と煎れたばかりのお茶を置く。
私たちはいつもの席に座った。

「開けていいのか?」

「はい、どうぞ」

「では…」

文若さんが少し緊張した面持ちでお弁当箱の蓋を開けた。
私もその様子をドキドキしながら見守る。

「…これは?」

「これはキャラ弁です!」

文若さんが開けたお弁当にはご飯の上にスクランブルエッグにした卵をしきつめ、海苔で目、茹でたニンジンでくちばしを作ったひよこがいた。
それ以外も、できる限り可愛らしく見えるように、おかずをちりばめた。
私にしては、上出来な仕上がりだ…と思う

「この黄色い物体は…」

「ひよこです」

「ひよこ…」

「あと、それはうさぎさんの形にきった林檎です」

尋ねられるまま、私は一つ一つ何を作ったか説明する。
文若さんはしげしげとお弁当を見つめるばかりで一向に手をつけようとしない。

「あの、文若さん?食べないんですか?」

「あ、ああ…。花が初めて作ってくれた昼食だと思うと食べてしまうのが勿体無いな…」

文若さんはふわりと微笑んだ。
私はその笑顔に安堵する。

「食べてくれないと作った意味ないですよ」

「ああ、そうだな。それではいただくとしよう」

文若さんはようやくお弁当…まずはひよこの隅から食べる事にしたらしく、ごはんと卵を口に運んだ。

「どうですか?」

「以前より腕を上げたな」

一口食べただけで、文若さんはそう言ってくれた。

「よかった」

安心したので、私もお弁当を食べることにする。
味見はしていたが、今日は特にうまくいった気がする。
ちょっと甘めの卵だけど、卵の下に鶏そぼろを敷いたので、ちょうど良い加減になっている。

「どうして急に食事を用意しようと思ったんだ?」

お茶を一口飲んで、文若さんが尋ねてくる。
仕事中にはほとんど見る事ができない優しい顔だ。

「文若さんの眉間のためです」

「…どういうことだ」

「眉間に皺を寄せてるのって、凄く疲れちゃうなって…
それを朝から夜までずーっとだと、文若さんの眉間大変な事になると思いまして」

ほっと一息つく時間を作りたいと思った。
私が文若さんにできることはそれくらいだと思ったから。
私はそう伝えると、文若さんは左手を私に伸ばし、そっと手を握ってくれた。

「ありがとう、花」

文若さんの手は温かい。
触れ合う指先から伝わる温度が、文若さんみたいに優しくて私は笑みを零した。

「大好きな文若さんのために何かできるなら、私はなんだって嬉しいです」

ずっと眉間の皺ができないようにすることはできないけど、少しの時間でも心休まれば嬉しい。

 

大好きな人のために用意したお弁当は、その日の午後いっぱい大好きな人の眉間の皺をどこかへやってくれた。
孟徳さんも不思議そうに文若さんを見つめ、「ねえ、花ちゃん。文若、どうかしたのかな?」とこそっと尋ねてきたが、私は微笑んで「秘密です」とだけ答えた。

冬のはじまり(天いづ)

冬の朝と夜はとても冷える。
吐く息が白いのをみて、より一層寒く感じた。
昼間は太陽に照らされて、暖かい時間もあるが出歩く時間は朝と夜だ。

「天馬くん、風邪には気をつけてくださいね。今、先日ロケで一緒だった方も高熱出してるらしいですよ」

仕事が終わり、寮まで井川の運転で帰宅する。
ぼんやりと窓の外の景色を眺めていると、井川がバックミラー越しに俺を見て、心配げに口を開く。

「大丈夫だ。風邪予防対策はしてる」

何年この業界にいるか分かっているくせに、井川は俺の体調面を過剰に心配する。
外出から帰ったらうがい手洗いを欠かさずすること。
俺が子どもの時から井川はその事を口を酸っぱくして聞かせていた。
その甲斐あって、俺はうがい手洗いは徹底してやる習慣がつき、その姿を見た幸は「へぇ、ポンコツ役者なのにちゃんとしてんじゃん」と言って、それ以降夏組はうがい手洗いを欠かさずにするようになった。
そんなわけで日頃から気をつけているんだから心配するな、と井川に訴えるが伝わっているのかは定かではない。

俺が子どもの頃、井川は家に迎えにくると必ず首にぐるぐるとマフラーを巻いた。
うがい手洗い以外にもこうやって暖かくして風邪を予防するんです、と自分の親が教えてくれないようなことを井川は教えてくれた。

 

寮の前に着くと、井川が車を停めた。

「それじゃあ天馬くん、お疲れ様」

「ああ。井川もお疲れ」

いつも通りのやりとりを交わし、俺は車を降りて寮の玄関へ向かう。
ああ、やっぱり吐く息が白い。
玄関のドアに手をかけると、庭の方から話し声が聞こえてきた。
こんな時間に外で誰が何をしてるんだろうと急に気になり、そちらへ向かうことにした。

「何やってんだ?」

庭にいたのは監督と三角だった。

「天馬くん、お帰り!」

「てんま、おかえり~」

二人が見上げている木の傍に俺も近づいていくと、猫の鳴き声が小さく聞こえた。

「ここに猫がいるから、寒くて風邪ひかないかって三角くんが心配してたから一緒に様子見にきてたの」

「ふうん」

監督と三角の格好は防寒なんて気にしていない部屋の中でくつろぐ格好そのままだった。そんな格好で冬の夜、外に出てたら風邪をひくのはお前たちの方だろうと…。だけど、二人の猫を気遣う姿を前にそんな事は言えなかった。

「にゃー!にゃーにゃー!」

「にゃーにゃー」

三角が猫となにやらやりとりを交わすと、安心したように表情を緩めた。

「猫さんたち、大丈夫だって~。カントクさん、付き合ってくれてありがとー」

「ううん、良かった!」

監督は三角の言葉に嬉しそうに返す。
しかし、次の瞬間ー

「くちゅんっ!」

盛大だけど、女性らしい可愛らしいくしゃみが響く。

「そんな薄着で外出るからだ」

「あはは、うっかりしちゃった」

監督はくしゃみが恥ずかしかったのか、照れくさそうに笑うと両腕をさすった。
見ていられなくて、俺は自分の首に巻いていたマフラーを外すと、監督の首に乱暴に巻きつけた。
子どもの時、井川がしてくれたように優しく巻くことは、気恥ずかしくてできなかった。

「わっ…天馬くん?」

「アンタが風邪でもひいたら困るだろ」

「でも天馬くんが寒いでしょ?」

「そんな心配するなら早く寮の中入るぞ。あと、三角も今度から夜外出るときは上着を着ろ。風邪引いたらどうすんだ」

「うん、わかった~!」

三角は「てんま心配かけてごめんね~」と言って、くるりと反転した。
寮に戻る気になったようだ。

「よし。監督もだからな」

「うん、分かりました」

三人で寮の中へ入る。
暖かい空気にほっと声が漏れた。

「天馬くん、ありがとう。これ」

「ん」

ついさっき巻いてやったマフラーを、監督は外して俺に手渡した。
受け取ったマフラーは少しの間巻いただけなのに、自分とは違う香りのするマフラーにちょっと胸が騒いだ。

「てんま~、うがい手洗いしよ~!」

「あ、ああ!そうだな!ほら、監督もするぞ!」

「はーい!なんだか今日の天馬くんはお母さんみたいだね」

監督は無邪気に笑ってそんな事を言う。
その表情が可愛くて、頬が熱くなるのを感じて視線を逸らした。

「天馬くん、顔赤いけど、もしかして風邪?」

お約束みたいなセリフを監督は本気で言う。

「そんなわけあるか!いいから手洗いうがいするぞ!」

熱くなった頬を誤魔化すように、俺は先に洗面台に向かった三角の背中を追いかけた。

 

寒い冬の始まりー
井川との子どもの時の思い出と、監督との新しい思い出。
どちらも小さな日常の一コマだけど、とても愛おしく感じた。

不確かだけど確定した未来の話をしよう(千木良×風羽)

時間が経つのはあっという間だ。
一番弟子を人間にした日の事をまるで昨日のように感じるのに。
実際はとうの昔にあいつは死に、今はあいつの子孫である風羽が自分の腕の中にいる。
「む」
抱き枕代わりに抱き締めていた風羽が、俺の顔をみて少し困ったような顔をした。
それが気に食わなくて、少し困るくらいなら全力で困らせてやろうと、風羽の鼻をつまんでやる。
「ふえんぱい…」
「変な声やな」
鼻をつままれて変な声でしゃべる風羽を見て笑うと、変だと思うなら手を離して欲しいという意思を目から感じたので、仕方なく離してやった。
「……千木良先輩は時々、遠くを見ていますね」
言葉を選ぶように、風羽はそう言った。
「アホ、お前の事考えとっただけや」
自分で口にした台詞だがこんな気持ち悪い台詞を冗談ではなく、さらりと言えてしまった事に驚く。そしてー
「おお…」
風羽は少し頬を赤らめた。
何度見ても、そういう反応をされるとむず痒い…というか、たった十数年しか生きていない人間の小娘に心を奪われているのだなと痛感する。
「先輩は口がお上手です」
「喧嘩売っとんのか」
「私を喜ばせる天才だと思っただけです。誤解させてしまったのなら申し訳ない」
「……お前は」
お前だって俺を喜ばせる天才だろう。
自分が言った事した事で、好いてる女が喜ぶなんて男冥利に尽きるだろうが。
風羽といると、余計な言葉が出てしまう。
言う必要のない言葉だと思うのに、風羽が笑ったり、困ったり、喜んだりするもんだからついつい言ってしまう。

十年前、母親が亡くなったばかりの風羽は見ていて痛々しかった。
だからじいさんとはぐれた風羽を放っておけず、手を取ってしまった。
多分、あの時からこうなる事が決まっていたんじゃないだろうか。

風羽の腰に回していた手に力をこめ、ぎゅっと抱き締める。肩口に顔を埋めると石けんの優しい香りがした。
「なあ、風羽」
「はい」
十年後も変わらず、風羽は俺の腕の中にいるだろうか。
「これから先、どうなるか…とか考えるか」
「もちろん考えます」
「どないな事を?」
「先輩に元気な子どもをたくさん産むと約束しましたし、それを実現するために今後のことは考えます」
「……」
「きっと十年後は、私と先輩の子供たちとこうやって一緒に眠ってますよ」
「複数は確定か」
「ええ、もちろん。大丈夫です、私は安産型と言われた事もあります」
「あほう、そないな台詞はセクハラや」
「む。それはそれは…」
甘えるように風羽の肩に額をすりよせてから、顔を上げる。すぐ近くに好きな女がいる。優しげな笑みを浮かべて俺を見つめる。
「しかし、俺もがんばらなあかんな」
この年になって子育ての予定が入ろうとは。まだいるわけもないが、風羽の腹を撫でてやると、風羽は嬉しそうに微笑んだ。小さく笑って、風羽に顔を寄せる。
十年後も二十年後も、ずっとその先も。
ずっと一緒にいられますように、と乙女チックな事を願いながら風羽にそっと口付けた。

かなでちゃんとお昼ごはん~響也編~

食は体の資本だと祖父は幼い私によく話していた。
ヴァイオリン作りを始めると雨が降ろうが槍が降ろうが作業の手を止めないのだと祖母は笑っていた。
そんな祖父の体を支えていたのは、祖母が作る美味しい食事なのだと今の私にはようやく分かるようになった。

「今日は…何にしようかなぁ」

早起きした朝、寮の冷蔵庫を開いて食材の確認をする。
卵、ひき肉、ほうれん草がある事を確認すると、本日の献立が決まった。

「よし、決めたっ」

最初にほうれん草を洗い、根の部分を切り落とす。それをラップに包んでレンジに入れる。
レンジが動いている間に、フライパンに油を少しひき、熱している間にスライスしておいた生姜をみじん切りにする。温まった頃合にひき肉としょうがのみじん切りを投入し、塩を軽く振ってヘラで炒める。
ひき肉としょうがを炒めてるだけなのに、これだけで美味しそうな香りがしてくる。お肉に火が通って色が変わってきたところに砂糖、しょうゆ、みりんを入れて味付けする。味見をして、いつも通りの味付けに仕上がった事に満足するとフライパンからお皿に移して、次の作業に取り掛かる。
卵を二個ボウルに割り、砂糖と塩を入れてかき混ぜて、軽く味見。
ちょっと甘めに仕上げるのが小日向流。
さっき使ったフライパンをささっと洗い、もう一度油をひいて火にかける。
フライパンはいくつかあるんだけど、洗い物を増やしたくないから都度洗ってしまう。効率はあまり良くないことは自分でも分かっているけど、変える事が出来ない。
菜ばしにちょっとだけ卵液をつけて、フライパンに落とす。
じゅっと音がしたのを確認して、一気に卵液を流し込んで、菜ばしでせっせとかきまぜる。卵がぽろぽろになってくるまで炒って出来上がり。
あとは最初にレンジに入れていたほうれん草を回収して、水にさらす。
さっとさらした後、ぎゅっぎゅっと水を絞り、三等分くらいの大きさに切る。
それをボウルに入れて、しょうゆと砂糖、塩、ごま油で味付けする。

「ごま油って美味しそうな香りするよね…」

ごま油はあまり安い調味料ではない。だけど、ごま油を一滴垂らすだけで劇的に美味しくなる事もあるから惜しまず使ってしまう。
後はお弁当箱にご飯をつめ、先ほど作ったものをご飯の上に乗せれば出来上がり。

「よし、そぼろご飯の出来上がり!」

盛り付けも綺麗に出来たし、誰もいないけど得意げに胸を張ってしまった。

「お弁当を二個…か。君は一体誰とこのそぼろご飯を食べるんだろうね」

「ニ、ニア!」

誰もいないと思っていたのに、いつの間にかニアが後ろに立っていて、お弁当を見て微笑んだ。

「確か…君の幼なじみはそぼろご飯が好物だったかな?」

「響也はおなかが膨れて、お肉が入っていればなんでも好きだよ」

「じゃあそれは最適だね」

私をからかうような笑みを浮かべると、ニアは冷蔵庫から牛乳を取り出してグラスに注いだ。

「朝ごはん、それだけ?」

「朝は食欲がなくて、いつもこうしているんだ」

「体、持たないよ」

「おや、私の心配までしてくれるんだね。ありがとう」

だけど朝食は不要だと言って、ニアは立ち去ってしまった。

「…授業中、おなか鳴らないのかな」

朝ご飯を抜いたら、間違いなく授業中や練習中におなかが鳴ってしまう。
私の体は三食(プラスおやつ)を食べないと満足しないように出来上がってしまっているのだ。

「さ、朝ごはん食べよ」

お弁当の準備も出来たので、いそいそと朝食を食べ始めるのだった。

 

子供の頃から一緒にいる幼なじみ。
だから一緒にいる事が当たり前になりすぎていて、

「響也、お昼一緒に食べよ」

「おう、ちょっと待ってろ」

昼休み。
響也の席に二人分のお弁当を持って迎えに行くと、響也の隣の席のクラスメイトが口を開いた。

「如月と小日向っていっつも一緒だよなぁ。付き合ってないの?」

「お前それ何回言うんだよ、聞き飽きた。
行くぞ、かなで」

「う、うん」

響也はなんでもない事のようにクラスメイトの言葉を聞き流すと、私の手首をつかんで歩き出した。
漫画だったらずんずんと音がつきそうな歩き方をする響也。
だけど、私の歩幅に合わせてくれているからその勢いほど進んでいない。
今日は天気が良いから屋上で食べたいな、と考えていると響也もそう思ったみたいで屋上を目指して階段を上っていく。
教室を出た後も響也は私の手首をずっとつかんで歩いている。

「ねえ、響也」

「ん?」

「なんで手首なの?」

「あ、わりぃ」

掴んでいた事を忘れていたらしい響也は私の手首から手を離した。

「昔は手、つないでたのに」

掴むなら手首じゃなくて、手にすればいいのに。
そう不満を漏らすと、響也は「なっ…」とつぶやいた。

「何、ガキみてーな事言ってんだよ!俺だって一応気を遣ってやったのに」

「何に気を遣ったのかわかんないよ」

「はー…」

響也は参ったといわんばかりにため息をついて前髪をかきあげた。

「ったくしょうがねーな」

さっきまで手首を掴んでいた手が私の手をそっと握った。

「響也の手、おっきくなったね」

「いつと比べてだよ」

「えー、響也が手を繋いでくれた頃」

「何年経ってんだよ。ガキじゃあるまいし」

「そんな事言っていいのかなぁ…今日のお弁当、響也の好きなものなのに」

「もしかしてそぼろ弁当?」

「なんで分かったの?」

「いや、そろそろかなでが作るそぼろ弁当食いたいなって思ってたんだよ」

「ふふ、そっか。しょうがないなぁ」

響也の手をそっと握り返す。
いつから男の子の手から男の人の手になったんだろう、響也は。
私の手は女の子の手から女の人の手になってるんだろうか。
きっと響也に聞いても教えてくれないだろうから聞かないけど。

好きな人の体を支えるのが、自分の作った食事だったらいいな。
隣を歩く響也を見て、そう思った。

一つの約束(ロベリゼ)

夢を見る。
処刑台の階段を一段一段登る夢。
足が震える。
ああ、俺はこんなにもみっともないのか。
あいつのように毅然とした態度で階段を登る事もできないのか。

 

「マクシミリアンさん!」

肩を揺すられて意識を取り戻す。
俺のことを心配そうに覗きこむリーゼの顔がすぐ傍にあった。

「-っ!おまえ、どうして」

「うなされているようだったので、つい…」

リーゼは申し訳なさそうに、そう呟くと俺の手を強く握った。
握られて気付く。
自分が震えていたということを。

「情けないところを見せたな…」

「誰だって怖い夢を見る時はありますよ」

俺が震えていた事をなんでもない事のように流そうとする。
それなのに、俺の手を強く握り締め続けるこいつがどうしようもなく好きだと思ってしまった。
リーゼの腕を引き寄せ、隣に寝転がらせる。

「ちょ!予告してからやらないと危ないです!」

「言ってからやったって動きに差はないだろう」

「あります!受身をとりました!」

「お前にそんな事はできないだろ」

「それはやってみなきゃわからないです!」

文句を言いながらも俺の腕に頭を乗せて、くっついてくる。
そっとリーゼの髪に触れると、やかましく言葉をつむいでいた口が途端に大人しくなった。

「どんな夢を見ていたか、知りたくはないのか?」

「そうですねぇ…マクシミリアンさんがどうしても聞いて欲しいっていうんなら聞いてあげます」

「お前も随分言うようになったな」

「マクシミリアンさんほどじゃないです」

「ふん」

知り合った当初はこんな風になるなんて思っていなかった。
こうやって二人でベッドに寝転がる日が来るなんて、本当に想像もできなかった…いや、嘘だ。想像はしていた。
想像はしていたが、実現するわけがないと思い込んでいた。

「お前がいるから…俺はどこへも行かない」

「…約束しましたから。私はあなたを信じてます」

「ああ、そうだったな」

ずっと愛し続けるなんて。
子供みたいな約束だ。

「マクシミリアンさんがおじいちゃんになって、十分生きた!っていう最期の時まで私がこうして手を握ってますから。寂しくないでしょう?」

「…ああ」

強く握られた手。
子供みたいな約束だけど。
こいつとなら、叶えられる気がするのは

「リーゼ、」

名前を呼ぶと、リーゼは薔薇のように綺麗に微笑んだ。

犠牲の上の幸福(フェルリゼ)

幸福というものは誰かの犠牲の上に成り立っていると以前読んだ本に書いてあった。私はその言葉を時々思い出してしまう。

「リーゼ、どうかしたのかい」

「フェルゼン様…」

窓の外を見つめている私をそっと後ろから抱きすくめる。フェルゼン様は私が見つめていた方向を見て、私が何を…いや、誰のことを考えていたのか気付いたようだ。

「君にとって、彼女は決して良い人という事はなかっただろうに…」

「そうですね。良い人ではありませんでした。だけど、アントワネット様がいたからここまでたどり着けたのは事実です」

アントワネット様に出会わなければ、私は今でもオーストリアで家族と共に生活していたのではないだろうか。

「もしも、時間が戻るとしたらどうする?」

「え?」

フェルゼン様は突然そんな事を口にした。

「外見を変えてくれる身代わりの薬があるんだから時間を巻き戻す薬があってもおかしくないだろう」

「それはいくらなんでも無理を言いすぎですよ。でもそうですね…もしもそんな薬があったとしたら」

 

幸福は、誰かの犠牲の上に成り立つもの。

確かに私たちが生きていくために口にしている食事だって、他の生命を奪って自らの糧にしているのだ。

だけど、私は自分が幸せを得る為に他人が不幸になっていいとは思えない。全ての人が幸福になれたらいいのに、なんて絵空事みたいな事を願ってしまうのだ。

 

「私は何度時間が戻っても、何度繰り返しても、きっと同じ道を辿ります」

「ほう、それはどうして?」

「さあ、どうしてでしょう」

ちょっと意地悪く笑ってみせると、フェルゼン様は私をぎゅうっときつく抱き締めた。

「最近の君はちょっと意地悪になってきたな」

「だってフェルゼン様が私に沢山隠し事をしているからですよ。だから私も秘密を持つんです」

「それは手厳しいな」

窓の外には庭園が見える。そこを散歩している時に話した事があった。プレゼント交換に頭を悩ませて、考えた結果、アントーニア様に一輪の薔薇を贈ったことを。あの日から随分時間が経ってしまったけど、今でも薔薇を見るとあの日々を思い出してしまう。

「フェルゼン様の腕の中が、好きだからです」

「え?」

「何度繰り返しても、私はあなたの腕の中が一番好きだと思うから。同じ道を辿りたいんです」

もしもあの時と悔やむ事だって沢山ある。私に何かできたかもしれないし、そんな力はやっぱりなくて自分の無力さをかみ締める事しかできないかもしれない。

けれど、フェルゼン様と関わっていくうちに、彼の言葉に翻弄されながらも惹かれていく気持ちがあったから―

「フェルゼン様?」

何も言葉を返してこないフェルゼン様が気になって振り返ろうとすると、振り向けないように両腕で動きを封じられてしまう。

「今振り返ってはいけません」

「えっ、どうして…」

私はその時気付いた。ちょうど私たちの前にある窓に私たちが映っていることを。そして、そこにいるフェルゼン様の顔がびっくりするくらい赤くなっていることを。

「フェルゼン様、前を見てみると…いいかもしれないです」

フェルゼン様の反応に、私もちょっと恥ずかしい事を言ってしまったな、とじわじわと熱が顔に集まっていく。フェルゼン様は窓に映っている私たちに気付くと、諦めたのか私の体を反転させて、向かい合わせになった。

「突然あなたが可愛らしいことを言うから驚いてしまったんです」

「そんなつもりはなかったんですけど」

「じゃあ、どんなつもりだったんです?」

そっと顎を持ち上げられ、唇が近づく。甘えるみたいに額がくっつくと、もう瞳をそらせない。

「フェルゼン様と一緒にいられる事が幸福だなって思ったのでそれを言っただ……」

自分から質問したのに、最後まで聞かないなんて。

重なった唇が飲み込んでしまった言葉なんてきっとフェルゼン様は分かっているだろうけど。

 

(あなたを愛して、あなたに愛されて、私は幸福です)

 

ここまで来るために沢山の悲しい出来事があった。その全てを忘れないで、私はこの人と生きていこう。

私ができるのはそれだけだから。

私を抱き締めてくれる優しい人を、私もそっと抱き締め返した。

秘密の本(イシュアス)

「ねぇねぇ、イシュマール」

「なんだね、姫」

イシュマールは毎日寝る前に何かを書いている。
覗こうとすると慌てて本を閉じられてしまう。

「何書いてるの?」

「今日あった出来事を書いているだけだ」

「ふーん。例えば?」

「この街で流通しているものなども詳しく書いているのだよ。
例えばここはオアシスが近いから、ここの特産品になるフルーツがよく出回っている。君も今日おいしそうに頬張っていただろう。だからそういうのをつけているんだよ」

「それは今日の出来事じゃないと思うんだけど。
で?今日の出来事って何?」

「君も一緒に体験しているじゃないか。それをわざわざ説明する必要はないと思うんだが」

ほら、この通りになぜか頑なに書いてることを教えてくれない。
それが面白くなくて、わたしはベッドの上で枕を抱えて転がりながらイシュマールに隙が出来るのを待った。
イシュマールはちらりとわたしの方を見ると、わざとらしいため息をついて、ペンを机に置いた。

「…君には女性としての恥じらいというものはないのかね?」

「なにが?」

「そんな格好で転がっているのは感心しない」

「何急に関白宣言みたいな事言い出してんの」

「関白宣言とは失敬な。そもそも私が関白宣言なるものをするのならばもっと細かくだな…」

「はいはい、関白宣言だなんて言っても見てる人には伝わらないわよ」

起き上がり抱えていた枕をイシュマールに向かってひょいと投げる。
イシュマールは片手でキャッチすると、もう一度ため息をついた。
私はその隙を逃さなかった。
ベッドから勢い良くイシュマールにとびかかった。さすがに飛び掛られるなんて思ってなかったらしいイシュマールは持っていた枕ごと私を抱きとめた。

「君はどうしてそう突拍子もないことを…!」

「届いたっ!」

イシュマールが先ほどまで何か書き留めていた本にようやく手が届く。

「しまった!」

「どれどれ」

「こら!君はプライバシーというものを知らないのか!?」

「はいはい、知りませーん」

「知らなければいいというものではない、こら!読んでいいと言っていないぞ!」

じたばたと暴れるイシュマールを片手であしらいながら本を開いた。

「…なにこれ?」

ドキドキワクワクと書かれているものを読むと、そこには起きた時間。食べたもの。行った場所とかそういうものが書かれていた。
まぁ、それはいいんだけど。

「これ、わたしの観察日記…?」

「ち、ちがう!そういうつもりで書いていたわけじゃない!」

「じゃあどういうつもり?」

わたしが何した、どうした、こうした。みたいな事が書いてあるのだ。
わざわざこんなものをつける意味が私には理解できない。
じっとイシュマールを見つめると観念したのか、眉間の皺をもむように指で押さえながら口を開いた。

「観察日記のつもりで書いてたわけではない。
だが、気付いたら君のことばかりを書いていたわけだから、観察日記に近しい内容になっていただけだ。
そもそも君が毎日楽しそうにしているからその出来事を記録としても残したいと思うようになってしまっただけであって、君にも多少の責任はあると思うんだが」

「ほう」

「だから君に見られたくなかったんだよ」

「ふーん」

イシュマールは参ったといわんばかりにがっくりとベッドに座り込んだ。
わたしはイシュマールの膝の上を陣取り、本を捲る。

「これは新しい拷問かね?」

「ううん。あー、こういう事あったね。イシュマールが珍しい植物見つけたって近づいたら人を食べようとする植物だったとか」

「どうしてそこをチョイスするんだね?」

「あー、あとイシュマールが食べたケバブだけ異常に辛くて死にそうな思いしたとか」

「君は私の失敗談を選んで楽しいのか?」

イシュマールの不服そうな声をあげるから、堪えきれなくなってくすりと笑ってしまう。

「あんたとの旅、凄い楽しいね!こうやって見直すの、いいかも」

イシュマールを背もたれ代わりにしてわたしはページを更に捲ろうと手を動かした。
が、その手をイシュマールに握られてしまう。

「君が喜んでくれるのは光栄なことだが、これ以上はもう駄目だ」

「ケチ」

「ケチでも何でもいいだろう」

振り返ってようやく気付いた。
イシュマールの顔が真っ赤なことに。
あー、恥ずかしかったんだと思うとちょっとだけ悪い事をしたなって気持ちになる。

「イシュー、大好きよ」

「なっ…いきなりどうしたんだね」

「今そう思ったから言っただけ。
でも、これはそれに書かないであんたの記憶に残しておいてね」

だってわたしもちょっとは照れるから。
イシュマールの首に手を回して引き寄せると、唇を奪ってやった。

悪夢はもう見ない(陸ネリ)

突然ぎゅっと抱き寄せられて、眠っていた私は目を覚ました。

「……りくさん?」

まだ夜が明けていないようなので、部屋は薄暗い。
後ろから抱き締められている格好になっているので、隣で眠る陸さんの表情は見えない。
すぅすぅと彼の寝息が耳元にかかる。
ぐっすり眠っていることに安心するが、ちょっと…いや、大分心臓に悪い。

(でも…良かった)

最初の頃は、薬の離脱症状なのか、酷く悪夢にうなされていた。
その事に気付いたのは陸さんが部屋に遊びに来ていた時だった。
連日のレポート提出に追われて睡眠時間を削っていたせいで陸さんは居眠りをしてしまった。最初は穏やかに眠っていたのに、気付いたら眉間に皺を寄せて、苦しそうにうなされ始めたのだ。
長い年月、薬に侵食されていた身体から薬を抜くということが大変なことだというのを私はその時初めて知った。
震える手に気付かれたくなくて、私は強く強く陸さんの手を握り締めた。
もう、悪夢なんかに陸さんを渡さないために。

治療の甲斐あって、陸さんは普通の生活に戻ることが出来た。
平気だというけれど、その言葉を信じきれず、私は時々陸さんに部屋に泊まって欲しいとねだった。

『ばっ…そ、そんな真似できるわけないだろう!』

真っ赤になる陸さんをなんとか説得し、泊まってもらった夜、私は陸さんが眠りにつくまでずっと手を握って、彼を悪夢に渡さないように祈った。

 

泊まってくれるようになってから、陸さんがうなされる姿を見た事がない。
今も気持ち良さそうに眠っているようだ。
安心して、私ももう一寝入りしようと目を閉じた時だった。
首筋にぽたり、と冷たいものが落ちるのを感じた。

「陸さん?」

陸さんの腕の中、なんとか身体の向きを変えて振り返ると、陸さんは涙を流していた。
もしかしてまた悪夢を…?怖くなって陸さんの肩を強く揺すった。

「陸さん、陸さん…!」

なかなか目を覚まさない陸さんに焦れて咄嗟に「陸っ!起きて!」と強く言ってしまった。

「…ん、ネリ?」

「良かった…っ!」

まだ覚醒しきってはいないようだけど、眠そうに目を開けた陸さんを見て私は嬉しさのあまり抱きついてしまった。

「~っ!!ちょっ!」

「あ、ごめんなさい!つい…」

大胆なことをしてしまったと身体を離すと、陸さんはコホンと咳払いをした。

「いや、それよりどうした?眠れなかったのか?」

「いえ…陸さんが泣いてたので、不安になって。すいません」

「俺が…?ああ、そうか」

陸さんは目元をぬぐうと、私をそっと抱き寄せた。

「お前がいなくなる夢を見た。
一緒に笑い合っていたのに突然ふっとお前が消える夢だった」

「陸さん…」

「そんな顔するな。昔見ていた悪夢とは違う」

「はい」

陸さんに身体を寄せる。
静かな部屋の中、とくんとくんと陸さんの鼓動だけが私に届く。

「陸さん、寝てるとき私のこと抱き締めました」

「そんなわけ…!いや、お前は温かいからついつい抱き締めたくなるんだ」

「いっぱい抱き締めてくださいね」

陸さんが怖い夢をもう見ないように。
私だけを捕まえていて。

「お前はたまに恥ずかしい事を…!」

「ふふふ」

「お前が嫌だって言ってもずっと離してやらないからな、ネリ」

「嫌だなんて言いませんよ。だからずっと離さないでね、陸」

陸の身体に腕を回すと、彼の鼓動が早くなった。

王子様の休日(倫毘沙×つばさ)

B-PROJECTとしての活動が少しずつ軌道に乗ってきて、以前よりも頂くお仕事の幅が広がった。
お仕事の幅が広がるという事は仕事量が増え、休息時間が減っていくのは仕方がない事。今来ているチャンスをものにしたいから皆さん頑張っている。
何が言いたいかというと、今日はそんな頑張っている皆さんの久しぶりの休日だという事です。

「北門さんはどこか出かけなくていいんですか?」

「うん。どうして?」

「せっかくのお休みですし…他の皆さんもお出かけしてるのに良いんですか?」

久しぶりの休日だということは分かっていたけど、先日のインタビュー記事が出来上がったと連絡を受けたので、届けるために皆さんのマンションにやってきた。
ちなみに普段皆さんの現場に一緒に入る事が多いので、自然と雑務がたまってしまっている私は今日も勿論仕事だ。
そんな私を見かねたのか、北門さんがお茶に誘ってくれた。

ラウンジで用意したお茶をお茶菓子にクッキーを用意して二人で頂いていたけれど、向かい合って座っている北門さんはにこにこと嬉しそうに私を見つめていた。

「どこかへ行くより、つばさとお茶している方が癒されるよ」

北門さんの視線が照れくさくて、質問を投げかけたんだけど心臓に悪い返事を頂いてしまう。

「北門さんってば、お上手ですね」

「俺はお世辞なんていわないよ。つばさ」

優しく微笑まれ、顔が熱くなっていくのが分かる。
私が視線を逸らしたり見つめ返しても、北門さんは私から目を逸らさない。
いつもいつも私に優しく微笑んでくれる。

「つばさが持ってきてくれたインタビュー記事、見せてもらってもいい?」

「あ、はい!どうぞ」

カバンに入れてあった封筒から記事を取り出し、北門さんに手渡す。
それを受け取ると、北門さんは真剣な表情で目を通し始めた。
北門さんはいつでも誰にでも優しい。動きもスマート。
女の子が誰もが夢見る王子様みたい。

「この写真いいね」

「そうですよね!私もお二人の自然な表情が出ていて凄く良いなって思うんです!」

インタビュー記事に使われているキタコレのお二人の写真は二人が楽しそうに話している場面を切り取ったみたいな素敵な写真だ。
私も記事を見た時に、等身大の二人が使われていて凄く嬉しかった。

「つばさ、嬉しそうだね」

「はい!記事の内容もお二人の普段の様子が見えて凄く素敵だと思います!」

思わず興奮して手を握り締めると、北門さんは表情を崩した。

「つばさはいつも俺たちの事で喜んでくれるね」

「もちろんです。皆さんが頑張っている事がたくさんの方に知ってもらえたら嬉しいです」

「そっか」

初めて出会った時は、こんなにキラキラした人たちが芸能界という場所には存在するんだと緊張してしまった。
だけど、一緒に仕事をしていくうちに皆さんのことを知っていって、もっともっとたくさんの人にB-PROJECTを知って、好きになって欲しいと思うようになった。
一緒に夢を見るなんて、A&Rなのにおこがましいけど、いつまでも皆さんの背中を見ていたいなんて強く願ってしまう。

「つばさがいつだって俺たちを見ていてくれるから頑張れるよ。ありがとう、つばさ」

「北門さん…」

感謝されたいわけじゃない。
だけど、北門さんの労いの言葉はじんわりと私の胸を温かくしてくれる。
北門さんはそういう気配りも出来る素敵な人だ。

「だから今度つばさのお休みの時、俺とどこかに行こう」

「はい……え?」

「うん?」

「それって…その、」

「うん、デートのつもりだよ」

「えっ…えーと、北門さん。それは…」

「楽しみにしてるね、つばさの休日」

王子様は有無を言わせない優しい笑みを浮かべた。

瞳にお願い(至×いづみ)

至さんの瞳の色は綺麗だ。
咲也くんの瞳の色に似ているんだけど、至さんの方が透き通った印象を与える。

 

 

 

今日は大量に食材の買出しがあったので、至さんにお願いをして車を出してもらった。
至さんもゲームを買う予定があったらしく、快く車を出してくれた。
寮は育ち盛りの男の子が多いので、何よりも米の消費量が多い。
特売しているお店を見つけて大量に買わないとあっという間に底をついてしまう。
至さんと並んで買い物をしているとすれ違う女の人が至さんを見て、振り返る事しばしば。
その視線につられて、ふと隣を歩く至さんの瞳に目を奪われた。

「至さんの目、綺麗ですよね」

まるでキラキラとした宝石みたいな瞳だ。思わず口をついて出た言葉に至さんは少し驚いた顔をする。

「何、監督さん。口説いてるの?」

「え、違います!」

「そう、残念」

 

 

お米を買い終わり、一旦荷物を車に運んでからもう一度お店へ戻った。

「後は日用品を買うだけなので、至さんゲーム見てきていいですよ」

「おけ。じゃあまた後で」

至さんと別れて、日用品を買う。
思いのほか早く終わったから至さんがいるであろうゲーム売場へと向かう。
至さんはなにやら真剣な顔をしてゲームを探していた。(手には既に何本かのゲームソフトがあるように見える)
まだ時間がかかりそうだったので、私は近くのアクセサリーショップに目を向けた。

(…幸くんに洒落っ気がないって言われたからじゃない。そうじゃない)

つい先日、幸くんにもっとオシャレをしたらどうだと言われたのだ。
とは言うものの、普段出かける時も知り合いの劇団の手伝いなどが多くて、動き回ることを前提にした服装になるのでスカートははかない。
髪を一つにまとめる事もあるけど、黒のヘアゴムでまとめてしまう。

『アンタまだ若いんだからもっとオシャレした方がいいんじゃない』と、幸くんにため息まじりに言われてしまったのだ。
アクセサリーでも身につけたら少しはオシャレに見えるだろうか。
ショーケースに飾られているキラキラと輝くアクセサリーを見つめて、思わずため息をついてしまった。

「監督さん、どうかした?」

「あ、至さん。もう終わったんですか?」

「うん、バッチリ」

至さんの手には買い物袋がぶら下がっていた。
沢山買えたようで何よりです。

「アクセサリー? 珍しいね」

「こないだ幸くんにオシャレしたらどうだって言われちゃって」

「ふーん」

そう言って至さんは私が見ていたアクセサリーを覗き込む。

「これとか可愛いんじゃない?」

「あ、本当だ」

至さんが指さしたペンダントはハートに花があしらわれた可愛らしいものだ。

「これ、至さんの瞳の色に似てますね。ピンクトパーズだ」

「じゃあ決まり。すいません、コレください」

「はい、ありがとうございます」

「え、至さん?」

店員さんに声をかけると至さんはあっという間にそのペンダントを購入していた。

「はい、どうぞ」

至さんは買ったばかりのペンダントの包みを私に差し出した。

「え、でも…」

「いつも頑張ってる監督さんにご褒美」

そう言われて断れるわけがない。私はその包みを受け取った。

「ありがとうございます」

「うん」

私はなくさないように包みをカバンにしまう。

「これつけてたらいつでも至さんと一緒みたいですね」

「はは、とんでもない台詞を言うね。監督さんは」

至さんは困ったように笑うと、私の手を取った。

「―っ」

「今は一緒にいるんだから、これくらい良いでしょ?」

驚いて思わず至さんの顔を見ると、心なしか至さんの頬が赤くなっていた。
それにそんな瞳で見つめられたら駄目だなんて言えない。

「…はぐれないように、ですよ」

「どっちが?」

「至さんが」

「俺のほうが年上なのに」

「ペンダントありがとうございます。大切にしますね」

繋いだ手を少しだけ強く握る。
ペンダントよりも、この手がどれだけ嬉しいか…至さんはきっと気付かない。
彼の瞳に似た宝石が、この気持ちを届けてくれたらいいのにな、なんてひっそりと願った。

幸せの探し方(シトロン×いづみ)

「カントク、今日はワタシに付き合って欲しいんダヨ!」

「え?」

ある日の午後。昼食に作ったとっておきカレーを平らげたところでシトロンくんがそんな事を言い出した。

「午後は急ぎの用事もないからいいけど…どうかしたの?」

「今日はワタシの探し物に付き合って欲しいんダヨー」

「探し物って、何かなくしたの?」

「それはお楽しみにダヨー」

ニコニコと笑うシトロンくんを見つめながら思わず小首をかしげてしまった。

 

 

 

ひとまず、後片付けをすませて私は出かける支度をする。

「お待たせ、シトロンくん。行こっか」

声をかけると、談話室で私のことを待っていてくれたシトロンくんは顔を上げた。が、その後わざとらしいため息をつかれる。

「カントク、いつもと同じ格好でがっかりダヨ」

「え?」

「今日はそれで良しとして、銭は急げダヨー」

「善は急げだね。うん、いこっか」

外に出ると、今日は良く晴れていた。こういう日は外に出るに限る。

「良い天気だねー」

「ソダネー!カントクは引きこもってばっかりだからいけないヨ」

「私よりもシトロンくんの方が引きこもってる気がするけど」

「ノーノー!細かいところはツッコまないのがマナーダヨ!」

「何の…?それはいいとして、どこに探し物にいくの?」

「ついてくれば分かるヨー!」

私を誘った時のようにニコニコと笑いながら私の手をとって歩き始めた。

「シトロンくん!?手!」

「女性をエスコートする時、こうするのがワタシの国では常識ダヨ」

以前もしれっとお姫様だっこをされてしまったし、シトロンくんの国では割とスキンシップが多いのかもしれない。動揺しつつ、大人しく彼の手を握り返した。

「カントクの手、小さくて可愛いネ」

「…あんまりそういうこと言うのは禁止」

「オー!カントク厳しいヨ!」

ふとした態度や言葉で意識してしまう。シトロンくんが男の人だということを。

 

 

「さあ、着いたヨー!」

「ここって、公園だよね?」

シトロンくんに手を引かれて連れてこられたのは寮からしばらく歩いたところにある大きな公園。
この公園は緑が豊かで、お年寄りの散歩コースにはもってこいらしい。

「ソダヨ!ここで四葉のクローバーを探すんダヨ」

「四葉のクローバー?」

「イエス!ジャパニーズ四葉のクローバーが欲しいんダヨ!」

「どこで採っても同じ気がするけど…前に貝殻集め手伝ってくれたし、いいよ。頑張って見つけよう!」

「オー!さすがカントク!」

手当たり次第に芝生に咲いてるクローバーを見ていく。
ぱっと見た感じどれも三つ葉のクローバーで、四葉のクローバーは見当たらない。

「…これも違う、これも違う」

ぶつぶつと言いながら四つ葉のクローバーを見つけるために目を皿にして探す。
どうしてシトロンくんは急に四葉のクローバーを欲しいなんて言ったんだろう。
特別珍しいものでもないだろう。
いや、もしかしたらシトロンくんの国では咲いてないんだろうか。
彼の国のことは聞いていいのか分からなくていつも深く突っ込めない。
人にはそれぞれ触れられたくない事があるだろう。
それがシトロンくんにとっては祖国の話なんじゃないかなと私は思っていた。
いつかシトロンくん自身が話したくなった時は、大人しく聞きたい。
彼がどんなところで育って、どんな事を学んだのか、どうして日本に来たのか、とか。

「あ!」

シトロンくんの事を考えながら探していると、私の手元には四葉のクローバーがあった。

「シトロンくん!あったよ!」

「オー!さすがカントク!」

離れたところで同じように四葉のクローバーを探していたシトロンくんは喜んで駆け寄ってきた。

「オー!本当に四つの葉っぱダヨ!カワイイネ!」

シトロンくんは嬉しそうに私の手元にある四葉のクローバーを見つめる。

「摘まなくていいの?」

「見るだけで十分ダヨ!それにワタシが探したかったのは四葉のクローバーじゃないんダヨ」

「え?」

「イヅミとの思い出ダヨ」

「…!?」

顔を上げると、すぐ傍にシトロンくんの顔があった。そっと私の手をシトロンくんが握った。

「アナタと四葉のクローバーを探す思い出が欲しかっただけダヨ」

「…シ、シトロンくん」

どうしよう。心臓の音がうるさい。

「カントク、ドキドキした?」

「…!また冗談いって…!」

シトロンくんがにっこりと笑うので、冗談だったのかと安心して胸をなでおろす。が、離れると思いきやシトロンくんの顔は近づいてきて、私の頬にそっとキスをした。

「冗談なんかじゃないヨー!四葉のクローバーも見つかったし、手つないで帰るヨー!」

私の手を取って立ち上がって歩き出そうとするシトロンくんの手を慌てて振りほどく。

「もう手つなぎません!」

「カントクがいじわるダヨー」

「意地悪なのはどっちなんだか…」

さっきのキスの意味も、四葉のクローバー探しも一体どういう意味があったのか、私には理解出来ない。
ただ赤くなった顔を見られまいとシトロンくんの前を懸命に歩く事しか出来なかった。

 

 

 

その日の夜、夕食が終わってからムクとおしゃべりをしていた。

「シトロン様、今日出かけてたんですか?」

「ソダヨー!カントクとデートしてきたんダヨー!」

「えぇ…っ!大人…!さすがです、シトロン様!ええと、何をしてきたんですか?」

「フフフ…幸せを見つけてきたんダヨ」

「少女漫画みたい!素敵です!」

キッチンで明日のカレーを仕込んでいるカントクをちらりと見ると、くすりと笑ってしまった。

(幸せはすぐ傍にある。カントクが早くそれに気付けばいいのにネ)

内緒のハーブティー(綴×いづみ)

「ただいまっす~」

「あ、おかえり。綴くん」

誰もいない談話室で、書類を書いていると綴くんが帰ってきた。
今日は自宅に寄ってくると朝聞いていたのだが、思ったより早い帰宅で少し驚く。

「って、なんかボロボロだね」

「はは、久しぶり…っていっても先週会ったばっかりだったんすけど、弟たちがはしゃいじゃって」

弟たちと全力で遊んできた名残が垣間見えるボロボロ具合だ。
上着を脱ぐと、アイロンを綺麗に当てていたシャツは皺だらけだった。

「お疲れ様。お茶でも飲む?」

「いや、そんな悪いっす」

「私も今ちょうど飲もうかなって思ってたところだから」

「それならお願いします…」

「うん」

冷蔵庫を開け、臣くん特製のハーブティーをグラスに注ぐ。談話室に戻ると、綴くんは両手をソファに預けて伸びていた。

「はは、お疲れ様だね」

「さすがに脚本を仕上げた次の日に弟たちと遊ぶのはきついっす」

「そうだよね、いつもならぐっすり寝てるところなのに」

「下の弟が誕生日だったんで、行かないわけにはいかなかったんですけどね。
あ、ありがとうございます」

余程喉が渇いていたんだろうか、グラスを受け取り、お茶を一気に飲み干す。
隣に座り、私もお茶を一口。
ハーブティーは体に良いんだと言っていたけど、確かに普通のお茶より飲んだ時すっとする。

「綴くんはいいお兄ちゃんだね」

「そんな事はないですけど、弟達はやっぱり可愛いっすね」

そう言って笑う綴くんはどうみても優しいお兄ちゃんだ。

「春組のお兄ちゃんでもあるしね」

「まぁ…至さんはお兄ちゃんって感じしないですしね」

「至さん、お姉さんいるって言ってたはず」

「あー…っぽいっすね」

シトロンくんは不明だが、弟や妹がいるのは、春組では綴くんだけだ。
お兄ちゃんっぽいのは納得いく。

「明日はゆっくり休んでね、お兄ちゃん」

「っす。…て、監督にお兄ちゃんって言われるのはちょっと照れます」

「そう?」

「そうっす」

そういうものか…と少し頬が赤くなった綴くんを横目で見る。
ふと、綴くんはテーブルの上に広がる書類に目を落とした。

「監督、まだ仕事あるんですか?」

「あ、うん。明後日もって行かなきゃいけないやつなんだ。
最初、部屋でやってたんだけど煮詰まっちゃったからここでやってたんだ」

「あー分かります。気分転換、大事っすよね」

「綴くんは部屋で集中してるタイプだと思った」

「あー、脚本はそうですけど。勉強する時とかはちょっとうるさい方が捗りますね」

「たまにカフェとかでやると捗るのと一緒だね」

「そういうもんすよ」

頷いて、綴くんは立ち上がった。

「ご馳走様でした」

「いえいえ」

綴くんは軽く咳払いをすると、私の頭に手を伸ばした。

「あんまり無理したら駄目だぞ、いづみ」

「え…?」

「なんちゃって。おやすみなさい」

「お、おやすみ…なさい」

綴くんはグラスを台所に片付けると、何事もなかったように自分の部屋へ戻っていった。
ぽんぽんと撫でられた頭に思わず手を伸ばしてしまう。

(…綴くんはたまにお兄ちゃんパワー全開で……ずるい)

書きかけの書類に視線を落とすと、今日はもう集中出来ないかもしれないと飲みかけのハーブティーをさっきの綴くんのように一気に飲み干した。

手の中の幸福(エイプリル×フランシスカ)

街を歩いていると、若い男女が手を繋いで歩く姿や年老いた夫婦が一つの買い物袋を二人で持っている姿を見かける。
その人たちの表情はとても幸福そうに見えた。

どういうものが、幸福というのだろうか。
道行く人は当たり前のように幸福を手にしているのに、自分が持っているそれは幸福ではないのだろうか。
分からなくて、私は自分のスカートの裾をきつく握り締めた。

「おや、どうしたんだい。フランシスカ」

ふと、後ろから声をかけられる。
振り返らなくたって相手が誰か分かってる。
振り返るか振り返るまいか躊躇していると、私の前に彼は現れた。
そして、スカートの裾を握り締めていた手を取って、いつもの軽薄そうな笑みを浮かべた。

「君の手は冷たいんだね」

「ええ、そうね。あなたに触れられても平気なように冷たいの」

私の言葉を聞いてきょとんとした顔が次の瞬間優しい笑みに変わった。

「はは、そうか」

「何がおかしいっていうの」

「君は私に触れられる前提で手を冷たくしていたなんて、可愛いところもあるんだな」

「-っ!!そんなんじゃ…!」

慌ててエイプリルの手を振り払おうとしたが、彼は私の手を離すまいと強く握った。

「それなら私が温めないといけないな」

そう言って笑ったエイプリルの手は温かくて、苦しくなった。

 

 

***

結婚した当初は当主としての務めを果たそうとしていたエイプリルは、気づけばふらふらと出かけては深夜だったり、朝に帰ってくるようになってしまった。
けれど、ラヴァンがおなかに宿ったと分かるとエイプリルは心を入れ替えたように結婚した当初のように働き始めた。

「フランシスカ、こんなところで眠っていたら風邪をひいてしまうだろう」

ラヴァンが揺り篭の中ですやすやと眠っている隣で、私は編み物をしていたのだけど、気付いたら眠ってしまっていたようだ。
エイプリルに肩を揺すられて、目を覚ます。

「帰ってたのね、エイプリル」

「ああ、ただいま」

そう言って私の肩を引き寄せると、優しく抱き締められた。
この季節は夜が冷える。エイプリルの体は冷え切っていた。
彼を温めるように私は抱き締め返した。

「いつの間にか君は温かくなったな」

「何を言ってるの」

「覚えていないのか、私たちが初めて手を繋いだ日のことを」

なんでもない日だった。
一人で茶葉を買いに出かけた時、エイプリルに出会った。
スカートを握り締めていた私の手を、エイプリルが握った。
ただ、それだけの日。

「覚えていたの…?」

そんな些細な事をエイプリルが覚えていた事に驚いて、彼の顔を見るといつもの軽薄な笑みを浮かべていた。そして、あの日のように私の手を取って、離すまいと握った。

「君との思い出を忘れるわけ、ないだろう」

軽薄な男が言いそうな台詞。
それなのに、私はあの時のように苦しくなる。
溺れて呼吸が出来ないみたいに苦しい。
こんなものが幸福なわけがない。
私の手には、幸福なんてない。
じゃあ、これは一体なに?

「エイ…」

名前を呼ぼうとした時だった。

「ふぎゃあああ!!」

いい子に眠っていたラヴァンが火がついたように泣き出した。
私は慌ててエイプリルから離れるとラヴァンを抱き上げた。

「どうしたの?ラヴァン」

あやすように揺すると、少しずつ泣き声は小さくなっていく。

「君は立派な母親になったね」

エイプリルはそんな私とラヴァンを見て、どこか淋しそうに呟いた。

「あなたは変わらず駄目な父親ね」

「おや、手厳しいね」

「ええ、当然でしょう。ねえ、ラヴァン」

ラヴァンに微笑むと、私に同意するみたいに手をばたばたとさせた。
エイプリルはわざとらしく肩をすくめると、ラヴァンの小さな手をそっと包んだ。

「ラヴァンもそう思うかい?」

「あうー」

「ラヴァンはそんな事ないって言っているぞ」

「全く…あなたって調子が良いんだから」

自分の都合の良いようにラヴァンの言葉を解釈するなんて。
エイプリルらしいと笑った。

 

 

多分、あれが幸福だったのだろう。

エイプリルがいなくなった屋敷の中、
エイプリルの代わりに当主として働きながら憎たらしい笑みを思い出す。
軽薄な笑みばかり浮かべて、どうしようもない人だと憎んでいたのに、ふと思い出す彼との時間は優しいものばかりだった。

 

スカートの裾をきつく握り締めても、もう誰も私の手を握ってはくれなかった。

 

及第点(月刊少女野崎くん:若瀬尾)

いつも傍若無人で俺を振り回してばかりの瀬尾先輩の弱点を知った。

 

「若ー、ファミレス寄って帰ろうぜー」

ミーティングも終わり、後片付けをしていると瀬尾先輩が体育館の隅に転がっていたバスケットボールを弾ませながらいつもの事のように俺を誘った。
周囲にいた友人たちは巻き込まれまいと蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

「それはいいですけど瀬尾先輩、ボール片付けるんで返してください」

「はいはい」

瀬尾先輩はシュッとボールを投げてよこすと、受け取った俺を見て嬉しそうに笑った。

「それじゃあ後でなー!」

瀬尾先輩は……子供みたいな人だ。
楽しい事があれば愉快そうに笑うし、興味がある事を見つけると目を輝かせて近づいてくる。嫌なことがあれば不満げな顔をするし、分かりやすい。

「若松は凄いな…あの瀬尾先輩を相手にできるんだから」

「さすが瀬尾担当だな…」

仲間達は口々にそう言って俺の肩を叩いた。
確かにはじめの頃は瀬尾先輩の扱いが分からず、睡眠不足の原因になったり、胃が痛くなったこともあったけど、今はそこまで嫌じゃない。

後片付けも終わり、制服に着替えて部室を後にすると瀬尾先輩が下駄箱の前でしゃがんでいた。

「お待たせしました、先輩」

「お、若!」

声をかけると瀬尾先輩は嬉しそうに目を輝かせた。
そんなにファミレスに行けることが嬉しいんだろうか。
瀬尾先輩は子どもみたいな人だからな…しょうがない。

「瀬尾先輩」

「ん?」

待ちきれなかったのか、俺が靴を履き替える前に立ち上がっていた瀬尾先輩の手を両手で握る。野崎先輩の家にあった少女漫画で見て覚えた告白のシーンのように。

「瀬尾先輩、好きです」

にっこりと笑って瀬尾先輩にそう告げると、さっきまで嬉しそうにしていた顔が一転して困ったように俺から目を逸らす。
いつもなら逃げるように距離をとるが、今日は手を繋いでいるので逃げられない。
こういう時の先輩は素直に可愛いって思ってしまう。

「先輩、変な顔してますよ」

「若が変なこというからだろ!」

むっとすると慌てて俺の手を振りほどいた。

「好きだって言われて慌てる先輩は可愛いですよ」

「だからそういうのは…!!!」

あんまりいじめると可哀想だから今日はこれくらいにしておこう。
俺は瀬尾先輩のカバンを左の肩に自分のと一緒にかけた。

「嘘です、嘘。気にしないでください」

「そ、そうだよな!あーびびったぜー」

安心したように俺の右側に立つ瀬尾先輩。
他の誰かになついて、迷惑をかけるくらいなら俺の隣にいればいい。
振り回されて散々な時もあるけれど、慌てふためく先輩を見れるのは俺だけだからそれで多目に見よう。

「さ、若!今日は新作パフェ制覇するぞー!」

「俺そんなに食べれませんよ…!!」

ご機嫌な様子で俺の肩を抱いてきた瀬尾先輩に俺も思わず笑みを零した。

【OFFLINE情報】5/21(日)ラヴコレ お18

5/21に開催されるラヴ♥コレクションに参加いたします。
スペースは「お18」です。
pixivにお品書きとサンプルをアップしております。ご興味ある方はよろしくお願い致します~!

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=62849030

*新刊情報*
・灰鷹のサイケデリカ ウサギアンソロジー「ウサコレ」
・灰鷹のサイケデリカ ルーエア・レビジェド小説本「素晴ラシキ世界」
・黒蝶のサイケデリカ ALLCP小説本「黒蝶童話集」
・黒蝶のサイケデリカ 緋紅・山紅・紋紅小説本「sweetbox2」
・悠久のティアブレイド シュドイヴ・クレイヴ小説本「Eternal Memory」

*その他*
・カラマリアンソロにて峰市の小説で参加させて頂いています。
・しろのさん発行のA3!の漫画の基になるお話(至いづ・真いづ・天いづ・一いづ)を書かせて頂いてます。

宜しくお願い致します!

 

s_お品書き_横

花舞う、穏やかな恋心(孔花)

「花、そろそろ終わりそう?」

「あともう少しです」

忙しさにかまけてついつい放置していた書簡の山を見やすいように並べ終えたところだった。最後の一つを整頓し終えたところで師匠の手のひらが私の頭に乗った。

「うん、綺麗になったね。お疲れ様」

「師匠はなんでも積み上げる癖がついてますよね」

「場所を有効活用してるんだよ」

「積み上げすぎてなだれが起きます」

一つ一つは軽くても私の背丈を越えるくらいに積み上げられた書簡は崩れてくると大変だ。なだれに巻き込まれて散々な目にあったことだって指折りある。

「そうだ、庭に出てみようか」

「庭、ですか?」

「そんないぶかしげな目で婚約者を見ない」

「だって師匠が庭に出ようなんて…」

でもよく考えれば師匠は姿を現す前は茂みの中から私に話しかけてくることが多かったから意外と自然が好き…とか?

「ほら、行くよ」

師匠は私の手をつかむと歩き始めた。私は師匠に手をひかれるまま、繋いだ手を見つめた。

(手……つないでる)

婚約者という立場になってからも恋人っぽいことって私と師匠のなかではあまり起きなくて、だからこうやって手をつなぐことも珍しい。
繋いだ手から師匠のぬくもりを感じて、少しドキドキした。
師匠はなんとも思ってないのかな、とちらりと師匠の後ろ姿を見ると耳朶が赤くなっているのが見えた。それに気付くと、さっきよりも胸が高鳴った。

手を繋いだまま何も会話をせず、ただ歩いた。
師匠の背中ばかり(というか耳朶)見つめていたせいで師匠が突然止まったせいで私は師匠の背中に突っ込んでしまった。

「ちゃんと前見てあるきなよ」

「…はい」

「何か言いたげだね」

「いいえ」

「あっそう。ねえ、花。ボクのことばかり見ていないで上を見てごらん」

師匠はなんでもないように上を指差した。
私は言われるがまま上を見上げた。

「わぁ…!!」

そこには一面桃の花が咲き誇っていた。

「師匠、すごいですね!!」

「庭に出て良かったでしょ?」

「はい!」

師匠が木の幹に背中を預けるように座るので、私もその隣に座った。
すると師匠は私が座るのを見計らって、私の膝の上に頭を預けてきた。

「よいしょ」

「………」

師匠は膝枕が好きなようだ。
私も嫌いじゃない。
そっと頭を撫でてみると、師匠は微笑んだ。

「君はボクを子ども扱いしてるのかな」

「違います。頭を撫でられるのって気持ち良いなぁって思いません?」

「そうだね…そうかもね。ボクにそんな事をしてくるのは君しかいないから分からないな」

「そうですか」

最近忙しくて丸々一日の休みなんてなかった。
私もできる限り仕事を手伝っていたけれど、師匠の睡眠時間が削られていることも知っていた。
気付けば師匠は小さく寝息を立てていた。

「にゃー」

どこからやってきたのか、猫が暖かな陽気に誘われて私たちの元へやってきた。

「師匠起きちゃうから静かにね」

猫にひそひそと話しかけると理解してくれたのか、猫は小さく鳴くと師匠の隣で丸くなった。

「平和だなぁ」

ひらひらと桃の花が舞う。
桃の花を見るのも嬉しいけど、師匠が私に見せたいと思ってくれたこと。
私の傍で師匠が穏やかに眠ってくれること。
そういう事が凄く嬉しかった。

「恋っていいなぁ」

恋というとなかなかピンと来ないこともあるけれど。
師匠と過ごすこの時間をとても大事に思える気持ちが恋なのかと思ったら優しい気持ちになった。
私はもう一度師匠の顔を見つめて、穏やかに微笑んだ。

不思議な組み合わせ(ルーエア)

約束をして会う間柄ではない。
けれど女の格好をして、聞き込みをしている時なんとなくあの人の姿を探す自分がいた。

「ぷう!ぷう!」

「ん?ウサギ、どうしたの?」

屋台の近くを歩いていると、偶然ウサギに出会った。
いつもエルリックと一緒にいるのに珍しいなと思いつつ、ウサギの傍に寄ると私の胸元目掛けて飛び込んできた。

「エルリックとはぐれたの?」

「ぷうう」

エルリックのようにはウサギの言っている事は分からない。
だけど、この反応ははぐれたわけではないという事だろうか。
教会に送り届けてあげた方が良いかもな、と思い今日のところは聞き込みをやめようとして、方向を反転させようとしたその時だった。

「おい」

背後から声をかけられ、肩を叩かれる。

「はい、なんでしょうか」

と振り返ると、そこにいたのはルーガスだった。
驚いて思わず叫んでしまいそうになるが、そこはぐっと堪えた。

「こ、こんにちは」

「ぷう!」

ウサギも挨拶するみたいに一声鳴く。
ルーガスは私が抱えているウサギに目をやると見覚えがあったのか、眉間に皺が寄る。

「…そのウサギ」

「ああ、知人の飼っているウサギなんです」

飼ってるんじゃない!!とエルリックがいたら怒鳴られそうだけど、この場はそう説明した方が分かりやすいだろう。
ごめんね、ウサギ…と思いつつウサギを見ると、当のウサギは鼻をひくひくさせていた。

「ウサギ?どうかしたの?」

「ぷうぷう!」

「もしかして、これか?」

ルーガスは手に持っていた紙袋を開き、私へ差し出した。
中を覗くと香ばしい香りがしてきて、香りだけで胃が刺激される。

「焼き菓子だ。ティへの土産に買ったのだが買いすぎた。食べないか?」

「いいえ、そんな!私へなんて…それより早く持って帰ってあげた方が喜ぶと思いますよ」

「だが、今ティはダイエット中だ。あまり沢山持って帰ってもティが悩む。
それならいいだろう」

いいわけあるか、と言いたかったが、ルーガスの顔を見ると困ったような恥ずかしそうななんとも言えない顔をしていた。
慣れない事をしているのだろうか。そう思うとなんだか可愛らしく思えてくすりと笑ってしまった。

「…それなら一緒に頂きませんか?」

「俺は別に」

「一人で食べるより、二人で食べた方が美味しいと思います」

「そうか、それなら一緒に食べよう」

ルーガスはそう頷くと、私はウサギを抱えたまま一緒に移動する。
以前はベンチにそのまま座ったが、ティを見習ってハンカチを取り出して敷く。
そしてその上にそっと腰掛けた。

「では頂きます」

ルーガスの紙袋から一つ取り出すと、私はぱくりと一口食べた。
以前食べた焼き菓子も美味しかったが、これも劣らず美味しい。
ドライフルーツが練りこまれているらしく、果物の甘味が口に広がる。
ウサギも欲しそうな顔をして、じぃっと焼き菓子を見つめていたので食べやすい大きさをちぎってウサギに手渡す。

「ぷう!」

「ウサギも美味しい?」

「ぷうぷう!」

「…お前はこのウサギが話すことが分かるのか」

「いいえ、分かりませんけど。なんとなくです」

「そうか」

ルーガスは私たちのやり取りを見ながら、パクパクと焼き菓子を平らげる。
私はまだ半分も食べていないのに、ルーガスは食べ終わるのが早い。

「あなたも…美味しかったですか?」

「ああ、美味かった」

ルーガスは本当にそう思っているのか分からないような顔で答えた。
私は食べ終わるのが惜しいくらいしっかり味わっていた。
自分で作れたらいいのに、と思うがドライフルーツは意外に値が張る。
今度…今度機会があったら作ろう、とひっそり決意をしながら最後の一欠けらを飲み込んだ。

「ドライフルーツがこんなにたくさん入った焼き菓子は初めてです。ご馳走様でした」

「ああ、もっと食べるか?」

「いえ、それは持って帰ってあげてください」

「…そうか」

ふとルーガスの口元を見ると、焼き菓子の欠片がついている事に気付いた。

「あ、ちょっと待ってください」

私は手を伸ばし、ルーガスの口元に触れる。

「-っ!」

ルーガスは驚いたように動きを止めた。
よく見ると、頬が赤くなっている。
そんなルーガスを見て、私は自分のした行動に気付いた。

「あ、ごめんなさい!ついていたからつい!!」

「いや、お前に触れられるのなら構わない」

ルーガスのその言葉に思わず胸が高鳴った。

「ご馳走様でした!!それじゃあ、私はウサギを送っていかなきゃいけないので!!」

「待て」

恥ずかしさのあまり逃げ出すようにウサギを抱えなおし、その場を去ろうとする。

「また会えるか?」

「…ええ、近いうちに」

「それでは約束を」

「ぷうぷう!!!」

私が困っているのが伝わったのか、ウサギは私の腕の中を飛び出し駆け出した。

「あっ!ウサギ待って!!ごめんなさい、それじゃあ!」

ルーガスが何か言った気がするが私は振り返らないでウサギを追いかけた。
角を曲がるとウサギはちょこんと座って私を待っていてくれた。

「ウサギ…ありがとう」

「ぷう!」

走ったせいなのか、それともルーガスのせいなのか。
いつもより高鳴っている鼓動を沈めるように私は深呼吸をした。

「ぷうぷう!」

ウサギは目を輝かせて私を見上げる。
それはなんだか恋の話をしたがるロレンスに似ていた。

「そういうのではないよ、ウサギ」

私はウサギの頭を撫でて、そっと抱き上げた。

「さて、教会に帰ろうか」

「ぷう!」

ウサギと私とルーガスと。
不思議な取り合わせで過ごした時間は案外悪くなかった。
また今日みたいに過ごせたら楽しいな、なんて考えながら私は笑みを零した。

 

一人だった夜、二人になった朝(景市)

時折考えるんだ。
もしも、君に何かあったら。
正義感が強くて、誰にでも優しい君だから困っている人を見つけたら迷わず手を差し伸べてしまうんだろうな。
でも、君は警察官だから。
普通の人よりも事件に巻き込まれる危険性があるから…
君の身に何かあったらどうしよう、と心配になるんだ。
君が命を脅かすような怪我を負ったとしても、俺は君の手を握る事さえもできないんだ。
塀の中、俺はただその事だけを心配していた。
君が傷つきませんように。
優しい君がこれ以上傷つくことがありませんように、とひたすら強く願っていた。

 

 

 

****

「景之さん、起きましたか?」

「…市香ちゃん」

ベッドの中、目を覚ますと俺を見ていたらしい君と目が合う。
まだ寝ぼけている頭で、俺は手を伸ばして市香ちゃんの頬に触れた。

「ああ、いる…」

「いますよ。ずっと一緒にいたじゃないですか」

「そうだね、うん。そうだ」

昨日も一昨日もその前も一緒にいた。
俺が刑期を終えて、出てきてから離れた日なんて一日もない。

「市香ちゃんはいつ起きたの?」

「私も今さっきです」

「ふーん」

その割に頭がはっきりしているように見える。
市香ちゃんは起きてすぐは眠そうな目で俺を見つめるんだ。
そのとろんとした目つきが可愛くて、俺は市香ちゃんを起こしてからいつもの調子になるまでの彼女を見ているのが好きだった。

「嘘です。本当は大分前に目を覚ましてました」

「だよね」

「景之さんがうなされているように見えて、起きちゃいました」

「ああ、それはごめん」

「いいえ。私の名前、呼んでたから」

今度は市香ちゃんが俺の頬に触れた。
その手が愛おしくて、俺はその手をきゅっと握った。

「おっちょこちょいな君が泣いてないか、ずっと心配してたんだ」

「おっちょこちょいじゃありませんよ。柳さんからは優秀になったって褒められましたし」

「ふうん」

「でも、たまに泣いてました」

「…ごめんね」

俺がいない時間、どんな風に過ごしていたかは聞いている。
だけど、数え切れない夜。市香ちゃんは何度俺を思って泣いただろう。
申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合う。

「でも、これからはずっと一緒です」

「うん、そうだね」

俺の帰る場所は、いつだって君のところだから。
俺がそう言うと、市香ちゃんは嬉しそうに目を細めて笑った。

Happy hug(アキアイ)

「王様だーれだ!」

いつもよりテンション高めなアキちゃんには今日が月曜日だということは関係ないらしい。
授業が終わって、放課後になると教室までやってきて、私を回収すると気付けば家でお茶を飲んでいる。今日のアキちゃんはとても行動が早い。
テンションが高い理由は分かっている。今日はアキちゃんの誕生日だから。

「王様じゃなくて、お誕生日様の間違いじゃないの?」

「うん、まあそうなんだけど」

アキちゃんは意を決したように私に向き直った。

「ねえ、アイちゃんオレのお願い聞いてくれる?」

「内容によるけど…出来る限りは」

宿題を代わりにやって、とかそういう事ではないだろうし。
…キスして欲しいとか言われたらどうしよう。
あまりにも真剣な瞳で私を見つめてくるから、なんだか恥ずかしくてアキちゃんから視線を逸らしたいのに逸らせない。

「アイちゃん、オレのこと抱き締めて」

「…え?」

そう言われて、時間が止まった気がした。

(…抱き締めるってハグみたいな?)

キスして欲しいって言われたらどうしようと考えていた自分が恥ずかしくなる。
穴があったら入りたいってこういう事だ。

「…いいよ」

「本当!?やったー!」

アキちゃんは万歳する勢いで喜んでいる。
熱くなった頬をおさえて、私は「ははは」と苦笑いする。

「それじゃあ、いい?」

「…はい!」

アキちゃんは深呼吸して、私に向き合う格好になる。
今までだって何度も抱き締めあった事はあるけど、改まって自分から抱きつくというのは非常に恥ずかしい。
アキちゃんは両手を広げたそうにしているが、それさえもぐっと堪える。

「いくよ…」

「うん」

そうは言ってもなかなかアキちゃんを抱き締める事が出来ない。
いつもアキちゃんがしてくれるみたいに両手を広げようかと思ってもそれさえも恥ずかしい。

「アキちゃん、あんまりじっと見つめないで」

「だって見ちゃうよ。こんな可愛いアイちゃん」

待てと飼い主に言いつけられた犬のようにアキちゃんは辛抱強く私が動くのを待っている。

「あ」

「え?」

視線をアキちゃんの後ろに移動させ、そう言うとアキちゃんはつられて後ろを振り返った。
今だ!と私は勢いに任せてアキちゃんの胸に飛び込んだ。

「-っ!?」

勢いに任せた結果、アキちゃんを押し倒すような格好になってしまった。
アキちゃんの胸に頬をくっつけると、心臓の音が聞こえた。

「アキちゃん、お誕生日おめでとう」

今顔を上げるのはあまりにも恥ずかしいから私はそのままの態勢でアキちゃんを抱き締める。

「~~~っ、オレが望んだ以上の事しちゃうなんてアイちゃん…!!」

盛大なため息をつくと、アキちゃんの手が私の腰当たりに回される。

「ありがとう、アイちゃん。すっごい嬉しい」

「…でもこのお願いはちょっと恥ずかしいかな。
来年は違うことにしてね……」

「うん…来年かぁ」

そう呟いくとアキちゃんは私をぎゅうっと抱き締める。
それから何も言わずに黙っていた。

「アキちゃん?」

不思議に思い、恥ずかしい気持ちを抑えながら顔をあげると、アキちゃんが涙ぐんでいることに気付いた。

「アキちゃん…」

「来年もアイちゃんとこうやって一緒にいられるんだって思ったらすっごい嬉しくて」

私と一緒にいられることをこんなにも喜んでくれる人がいるだろうか。
きっとどこを探してもアキちゃん以上に喜んでくれる人なんて存在しない。

「来年だけじゃないよ。再来年もその先もずっと一緒だから」

「うん、うん」

「お誕生日おめでとう、アキちゃん」

「ありがとう、アイちゃん」

これからきっともっとずっと大好きになる。
一つ大人になったアキちゃんの傍で私はそんな予感を感じていた。