マーマレードの恋(天いづ)

今まで生きてきた17年という歳月の中で、この一年ほど濃密な一年はあっただろうか。
小さい頃から芝居に打ち込んで生きてきた俺は、多分他の人が経験しないであろう日々を過ごしてきた。
そんな俺だから取りこぼしてきた何気ない日々―例えば、花見や花火をしたり、クリスマスにはパーティーを開いたり、年末にはみんなで大掃除をしたり…友達や家族と過ごす思い出をこの一年には詰まっていた。
そして、多分……今まで芝居の中では何度も繰り返してきたソレを、俺は初めて俺自身として体感している。

「あれ、天馬くん。どうしたの?」

「ああ、監督か」

中庭で台本の読み合わせをしていると監督がひょっこり姿を現す。

「今、幸が修羅場だからミシンの音がうるさくて移動してきた」

「そうだよね、幸くん衣装追い込みだもんね」

もうすぐ春組の公演が控えているので、衣装担当の幸はわき目も振らず作業に没頭している。さすがに瞬きさえも惜しむような作業場で、次のドラマの台本に集中できるわけもなく、暖かくなってきた事だし、中庭で練習をしようと移動してきたのだ。

「監督は?」

「今日はあったかいし、たまにはこっちで本でも読もうかなーって。あ、でも天馬くんの邪魔になりそうなら…」

「別に邪魔じゃない」

「そう? じゃあ、天馬くんのお茶も持ってくるね」

初めて会った時はなんとも思わなかった。
だけど、一緒の時間を過ごして、思い出を共有して、自分を認めてくれて…
惹かれないわけがなかった。
多分監督にとっては、俺はまだ子どもに見えている事くらい分かってる。
ふと、青々とした葉っぱをつけた桜の木を見上げた。
桜の花のつぼみがついていて、きっと一週間も経たないで開くだろうと一成と椋が話していたのを思い出す。
一週間もすればきっと幸の衣装作りも終わっているだろうし、今年はみんなと花見ができるかもしれない。

「天馬くん、お待たせー!」

「ああ、ありがとな」

中庭にある小さな丸テーブルに、紅茶の載ったトレイを置くと、監督も桜の木を見上げた。

「もうすぐ咲きそうだね」

「ああ、そうだな」

「天馬くん、楽しみでしょ?」

「そこまで楽しみになんて…!!」

「ふふ、今年はみんなとお花見出来そう?」

「ああ、今のところは…」

監督の淹れてくれた紅茶を一口。
仄かにマーマレードの甘味を感じた。
そういえば最近紅茶にジャムを落とすのが好きだと言っていた事を思い出す。
監督は持ってきた本を広げると、そっちに視線を落とした。
さらりとした髪が顔にかかる。邪魔にならないように耳にかけるが、何本かはらりと落ちる。

(……そういう表情も、あるんだな)

いつも明るく元気で、みんなの監督で、しょっちゅうカレーに心を奪われる奴だけど。
ふとした時に見せる表情が、監督は大人の女性だと言っている。
俺を見てほしくて、その髪に触れてみたくて、気付けば手を伸ばしていた。

「天馬くん?」

監督は対して驚きもせず、俺を見る。
初めて触れた監督の髪はさらさらとしていて、手から零れ落ちる感覚がこの人みたいだ。

「葉っぱ、ついてた」

「とってくれてありがとう」

ついてもいない葉っぱをはらう仕草をすると、疑いもせずお礼を口にする。
それが俺を意識していませんと言っているみたいで、妙に腹が立った。

「いづみ」

監督の名前を呼ぶ。
もう一度彼女の髪に触れ、毛先を持ち上げると、そこにそっとキスを落とした。

「いつになったら俺を意識するんだ?」

大人になったら一年なんてあっという間だというけれど、俺たちにとって一年という時間はまだ長い。
その長い時間、見つめ続けている相手がいつまで経っても俺を子ども扱いするんだ。溢れ出たって仕方ないだろう。

「え?え、天馬く…ん?」

何をされたのか認識した監督の顔はじわじわと赤くなっていく。

「なんてな。次の芝居の台詞」

「な、なーんだ!そうだよね!てっきり私は…」

監督は安心したように笑う。
その表情に、俺もこっそり安心してしまった。

「次のドラマもラブストーリーなんだね」

「まあな」

本当は全然違うけど。

「天馬くんのお芝居、好きだから楽しみにしてるね」

「ああ、ありがと」

ドラマの放送を見て、全然違う内容だって知った時、監督はどんな反応をするんだろう。
その時には、俺も誤魔化さないで気持ちを伝えられるだろうか。
すっかり頭の中をかき乱された俺は、紅茶を一気に飲み干した。
しばらくマーマレードは食べられそうにない。

 

 

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