「ねぇねぇ、イシュマール」
「なんだね、姫」
イシュマールは毎日寝る前に何かを書いている。
覗こうとすると慌てて本を閉じられてしまう。
「何書いてるの?」
「今日あった出来事を書いているだけだ」
「ふーん。例えば?」
「この街で流通しているものなども詳しく書いているのだよ。
例えばここはオアシスが近いから、ここの特産品になるフルーツがよく出回っている。君も今日おいしそうに頬張っていただろう。だからそういうのをつけているんだよ」
「それは今日の出来事じゃないと思うんだけど。
で?今日の出来事って何?」
「君も一緒に体験しているじゃないか。それをわざわざ説明する必要はないと思うんだが」
ほら、この通りになぜか頑なに書いてることを教えてくれない。
それが面白くなくて、わたしはベッドの上で枕を抱えて転がりながらイシュマールに隙が出来るのを待った。
イシュマールはちらりとわたしの方を見ると、わざとらしいため息をついて、ペンを机に置いた。
「…君には女性としての恥じらいというものはないのかね?」
「なにが?」
「そんな格好で転がっているのは感心しない」
「何急に関白宣言みたいな事言い出してんの」
「関白宣言とは失敬な。そもそも私が関白宣言なるものをするのならばもっと細かくだな…」
「はいはい、関白宣言だなんて言っても見てる人には伝わらないわよ」
起き上がり抱えていた枕をイシュマールに向かってひょいと投げる。
イシュマールは片手でキャッチすると、もう一度ため息をついた。
私はその隙を逃さなかった。
ベッドから勢い良くイシュマールにとびかかった。さすがに飛び掛られるなんて思ってなかったらしいイシュマールは持っていた枕ごと私を抱きとめた。
「君はどうしてそう突拍子もないことを…!」
「届いたっ!」
イシュマールが先ほどまで何か書き留めていた本にようやく手が届く。
「しまった!」
「どれどれ」
「こら!君はプライバシーというものを知らないのか!?」
「はいはい、知りませーん」
「知らなければいいというものではない、こら!読んでいいと言っていないぞ!」
じたばたと暴れるイシュマールを片手であしらいながら本を開いた。
「…なにこれ?」
ドキドキワクワクと書かれているものを読むと、そこには起きた時間。食べたもの。行った場所とかそういうものが書かれていた。
まぁ、それはいいんだけど。
「これ、わたしの観察日記…?」
「ち、ちがう!そういうつもりで書いていたわけじゃない!」
「じゃあどういうつもり?」
わたしが何した、どうした、こうした。みたいな事が書いてあるのだ。
わざわざこんなものをつける意味が私には理解できない。
じっとイシュマールを見つめると観念したのか、眉間の皺をもむように指で押さえながら口を開いた。
「観察日記のつもりで書いてたわけではない。
だが、気付いたら君のことばかりを書いていたわけだから、観察日記に近しい内容になっていただけだ。
そもそも君が毎日楽しそうにしているからその出来事を記録としても残したいと思うようになってしまっただけであって、君にも多少の責任はあると思うんだが」
「ほう」
「だから君に見られたくなかったんだよ」
「ふーん」
イシュマールは参ったといわんばかりにがっくりとベッドに座り込んだ。
わたしはイシュマールの膝の上を陣取り、本を捲る。
「これは新しい拷問かね?」
「ううん。あー、こういう事あったね。イシュマールが珍しい植物見つけたって近づいたら人を食べようとする植物だったとか」
「どうしてそこをチョイスするんだね?」
「あー、あとイシュマールが食べたケバブだけ異常に辛くて死にそうな思いしたとか」
「君は私の失敗談を選んで楽しいのか?」
イシュマールの不服そうな声をあげるから、堪えきれなくなってくすりと笑ってしまう。
「あんたとの旅、凄い楽しいね!こうやって見直すの、いいかも」
イシュマールを背もたれ代わりにしてわたしはページを更に捲ろうと手を動かした。
が、その手をイシュマールに握られてしまう。
「君が喜んでくれるのは光栄なことだが、これ以上はもう駄目だ」
「ケチ」
「ケチでも何でもいいだろう」
振り返ってようやく気付いた。
イシュマールの顔が真っ赤なことに。
あー、恥ずかしかったんだと思うとちょっとだけ悪い事をしたなって気持ちになる。
「イシュー、大好きよ」
「なっ…いきなりどうしたんだね」
「今そう思ったから言っただけ。
でも、これはそれに書かないであんたの記憶に残しておいてね」
だってわたしもちょっとは照れるから。
イシュマールの首に手を回して引き寄せると、唇を奪ってやった。