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独り占め(ソウヒヨ)

「ねーねー、ヒヨリちゃん」

昼休み、凝部くんは退屈そうに頬杖をつきながら、明日提出の課題をせっせとやる私を呼んだ。

「凝部くんはもう課題終わったの?」
「え、課題? ぜーんぜん☆」
「凝部くんもやりなよ」
「うん、後でね。それでさ、ヒヨリちゃん。今日は何の日か知ってる?」
「今日?」

期待を込めた瞳で私を見つめる。
凝部くんって意外とそういう事気にするんだと知って、少しだけ嬉しい。
もう一年……いや、まだ一年一緒にいるけれど、まだ知らない凝部くんがいるんだなぁと思うと自然と笑みが零れる。

「忘れてるなら別にいいんですけど」
「ふふ、忘れてないよ。今日は付き合って一年記念日だよ」

アルカディアから戻ってきて一年ともいうけれど。
凝部くんがその日を大切に思っていてくれた事が嬉しい。

「なーんだ、覚えてたんだ。さっすが俺のヒヨリちゃん☆」
「そんな私の凝部くんは、彼女とのデートをするために課題をやっつけてしまおうとは思わないの?」
「え~、その聞き方はずるいな~」

凝部くんは机に突っ伏して、ちらりと隙間から上目遣いに私を見る。
ああ、ずるいなぁ。彼氏の事を可愛いと思う日が来るなんて、一年前の私に教えてあげたい。
凝部くんは大きなため息をついた後、バングルを操作して、真っ白な課題を表示する。

「これが終わったら、今日の放課後はヒヨリを独り占めしていいって事だよね?」
「…お好きにどうぞ。それにそもそも私は」

ずっと凝部くんに独占されてるよと言おうと思ったが、やめておく。

「ん?なに?」
「ううん、後で」

凝部くんはぺろりと唇をなめると、真剣な表情で課題に向かった。

 

素直な凝部くんも、素直じゃない凝部くんも私の自慢の彼氏です。
放課後はどこに行こうかなと胸を弾ませながら、私も課題の続きにとりかかった。

喜ぶ顔がみたいから(ケイヒヨ)

昼休み。
一緒にお弁当食べたい食べたいという凝部くんを完璧にあしらい、獲端くんは私の手を取って屋上へと移動した。

(…手、ずっと握ったままなんだけど良いのかな)

ここに来るまでも何人かの生徒とすれ違い、その度に視線を感じたけれど獲端くんは何も言わず、屋上を目指すだけだった。

「獲端くん」
「ああ、なんだよ」

八月の屋上は日差しが眩しい。
そのせいか私たち以外の人の姿は見当たらない。
いつも使うベンチに座ると、獲端くんが舌打ちをした。

「え、今舌打ちされるような事した!?私」
「してねぇ」
「ええー、じゃあなんで舌打ち…?」
「言うの忘れただけだ」
「何を?」
「それ寄越せ」

そう言って、獲端くんが要求したのは私のお弁当だ。
何がしたいのか分からず、お弁当箱を渡すと獲端くんの横に置かれる。

「これは俺が後で食べる」
「え? じゃあ、今は?」

獲端くんは盛大なため息をつきながら、今日手にぶら下げていた大き目の紙袋を私にぐいっと手渡した。

「見てもいいの?」
「良くなかったら渡さねえだろ」
「一応マナーとして尋ねたんです!」

承諾を得たので、紙袋の中を覗き込む。
そこにはホールケーキでも入っていそうな箱が入っていて、私はまさかなと思いながらそれを開けた。

「-!」

そのまさかだった。
箱の中には猫の顔の形をしたホールケーキがおさまっていて、早く食べてと言わんばかりに私を見つめていた。

「可愛い!!! どうして!?」
「お前、そういうの好きだろ」
「好きだよ!すっごい好き!」

思わずテンションが上がってしまい、食い気味に頷く。
獲端くんは私の反応が嬉しかったのか、口元が緩んでいるのを見逃さなかった。

「今日は何日だ」
「え?」

今日は私と獲端くんが付き合うようになって一年の日だ。
きっと獲端くんは記念日とかお祝いするの好きじゃないだろうなと思い、私は何も言わなかった。
だけど、獲端くんは覚えていてくれた。

「ど、どうして……」
「お前、こういう事好きだろ。好きな奴喜ばせるためなら俺だってこれくらいする」
「こんな事出来るの獲端くんくらいだよぉ」
「大げさ」

獲端くんが私の事を想って、用意してくれたケーキ。
嬉しくて仕方がなくて、気づけば私の目から涙があふれていた。
獲端くんは小さく舌打ちすると私の頭を抱き寄せ、自分の肩口に押し当てる。

「お前は黙って、これからも隣で笑ってろ」
「…しゃべっちゃダメなの?」
「うるせえ」

そう言って私の涙をぬぐってくれた。

獲端くん、喧嘩もまだまだたくさんしちゃうけど。
これからもずっと隣にいたいと思う相手は獲端くんだけだから。
私が泣き止むまでどうか抱きしめていてほしいです。

 

これからもずっと(メイヒヨ)

放課後。
学級委員の仕事が終わる頃、外はすっかり夕焼けで赤く染まっていた。

「遅くなっちゃったね」

隣にいる陀宰くんに話しかけると、陀宰くんもようやく最後のまとめが終わったところでほっとした様子でこちらを見た。

「そうだな、これ提出したら帰るか」
「うん」

データを送信後、報告も兼ねて担任の先生がいる職員室に向かう。
廊下を二人で並んで歩いていると、陀宰くんが深いため息をついた。

「どうかした?」
「いや、悪い。せっかくの記念日なのに」

今日は私と陀宰くんが付き合って一年の記念日だ。
放課後に猫カフェに行く約束をしていたんだけど、急遽学級委員の仕事が入ってしまったのだ。

「陀宰くんのせいじゃないよ、今日のは」
「いや、担任と目が合った時やばいなって思ったんだよ。俺の顔を見て、何か思いだしたみたいな様子だったし」
「あはは」

私もその一瞬を見ていたが、確かに先生は陀宰くんの顔を見て思い出した様子だった。その後の陀宰くんの絶望しきった顔を思い出して、私は笑ってしまう。

「笑いすぎだぞ」
「ふふ、ごめんね。つい……」
「ったく」

職員室に着き、先生に報告を済ませると私たちは晴れてお役目から解放された。

「今日はもう遅いし、猫カフェは今度のお休みにしよっか」
「ああ、そうだな」

隣を歩く陀宰くんにえいっと肩をぶつけてみる。軽い体当たりだから陀宰くんは微動だにしないけど、驚いた様子で私を見下ろす。

「今のは?」
「…じゃれついてみました」
「ふっ」
「陀宰くん、笑ってる!?」
「いや…ふふっ」

陀宰くんのツボだったのか、肩を揺らしてくっくっと笑う。

「猫に会えないから落ち込んでる陀宰くんを励まそうと思ったのに」
「いや、俺が落ち込んでるのは猫カフェに行けないからじゃないぞ。いや、行きたかったけど。瀬名と…二人で過ごしたかったなって思ってたから悔しくなっただけだ」
「一応さっきまでも二人で過ごしてたけどね」
「仕事してただろ」
「うん、ふふ」

そんな事で落ち込む陀宰くんが可愛くて、私は思わず笑ってしまう。

「今日だけじゃなくたって、明日でも明後日でもいつでも二人で過ごす事は出来るよ」
「…それもそうか」

陀宰くんの大きくてゴツゴツした手に触れる。

「明日からもよろしくお願いします」
「こちらこそ」

互いにぺこりと頭を下げあって、そんな事を言い合った。

今日も明日も明後日も、いつまでも仲良くしてください。
大好きな陀宰くん。

これを言うのは猫カフェの後にしようと心に誓いながら、陀宰くんの手をきゅっと握った。

君の寝顔(蒼玲)

刑事というものは一度事件が起きれば解決するまで寝食を忘れて事件を追うものだ。
マトリもおそらくそうだろう。
俺たちはそういう生き方を選んだのだ。
後悔なんてない。
んだがーー
ようやく追っていた山が片付き、深夜二時頃に帰宅した。当然の事だが、家の中は静まり返っていた。二階にあがり、すぐ自室に戻ろうと思っていたんだが、玲の顔がみたくなって、自室のドアを開けようとする手が止まった。
(寝てる…よな?寝てるところの部屋に入るのはさすがにまずいだろ)
まずいと思いながらも、俺の足は玲の部屋の方向へと向かう。鍵がかかっていたら諦めようとドアノブを回してみるとあっさり開いてしまった。
(自分の他に住んでるの俺とサエコさんだからって不用心すぎるだろ)
そう思いながらも音をたてないよう、そろりそろりと部屋へ忍び込む。
何度か来た事がある部屋。ベッドに近づくと規則正しい寝息が聞こえた。
(久しぶりに顔、見れた)
起きている時に会えたらもっと嬉しいが、寝顔を見れただけでも儲けもんだろう。
そっと顔にかかっている髪をはらうと、「んん」と玲が小さく声をあげる。
「悪い、起こしたか?」
声をかけてみるが、返事はない。寝言だったんだろうか。少し残念な気持ちになりながら、もう少しだけ寝顔を見つめていると、「そーせーさん…」 と彼女の口から自分の名前が紡がれた。
「ー!」
俺の夢を見てるんだろうか。そう思うと柄にもなく、少し胸がときめいた。
「なんだよ、玲」
起こさないように小さな声で返事を返す。しかし、その後玲の口から飛び出した言葉は想像もしていない言葉だった。
「そーせーさんの、えっちぃ」
「なっ…!」
えっちってなんだ?起きてる時でもえっちだと言われるような事はほとんどしてないはずなのに。夢の中の俺は一体何をしてるというんだ。
動揺しているうちにごろんと寝返りを打った玲の手が俺の首に届く。ぬいぐるみを抱き抱えるみたいに強く俺を引き寄せた。
「ちょ、それはまずいだろ…!」
なんとか玲の手をはずそうともがくが、なぜか強く掴まれていて離す事ができない。
しばらく格闘してみたが、玲の甘い香りとここのところロクに寝ていなかったせいで睡魔がすぐそこまできていた。
「起きたら…夢の話、ゼッテー聞くからな」
覚悟しておけ、と眠る彼女に告げて、俺も目を閉じた。その日は夢もみずにぐっすりと眠った。

「えーと?」
朝、目をさますと私の腕はその場にいるはずのない人をしっかりと掴んでいた。
「どうして蒼生さんが…?」
首をかしげながら、恐る恐る彼の顔をのぞきこむ。すやすやと気持ち良さそうに寝てることを確認して、追っていた事件が片付いた事を理解した。
「お疲れ様です、蒼生さん」
そういえば夢で、蒼生さんに抱き締められた気がする。あれは夢だったんだろうか?それとも現実…?
分からないけど、気持ち良さそうに眠る彼を見つめながら、彼が起きるまでのんびり待とうと決める。
「ゆっくり寝てくださいね、蒼生さん」
私は誰にも見られてない事を確認してから、そっとキスを落とした。

恋人セラピー(司玲)

私の恋人は可愛い。
多分そんな事を職場の人間に言ったら笑われてしまうかもしれない。だって仕事をする彼は一ミリも隙がない男だから。
だけど、私だけが知っている彼の可愛い部分がたまらなく愛おしいのだ。
「クライナー、取ってきて!」
勢いよくフリスビーを投げると、クライナーは徐々にスピードをあげて、それを追いかけ、ちょうど良いタイミングで飛び上がってキャッチした。それはまるでドラマのワンシーンのようで、惚れ惚れする動きだ。
「よーしよし、お利口だね!クライナー!」
フリスビーをくわえて戻ってきたクライナーをわしゃわしゃと撫でると、私の背後に立っている恋人がなぜか咳払いをした。
「クライナーは第二陣を待ってますよ」
「司さんも投げます?」
「いえ、玲さんが投げて構いませんよ」
司さんの了承も得たので、私はさっきより遠くを目掛けてフリスビーを投げる。
その期待に応えるようにクライナーはまたもやフリスビーを華麗にキャッチ。戻ってきたクライナーをわしゃわしゃと撫でた。
「アニマルセラピーって本当に効果ありますよね」
クライナーと戯れてると日頃の疲れなんてどこかへ飛んでいくようだ。
クライナーは撫でられるのが気持ち良いのか、次第に甘えるようにごろんと横になる。
「はぁー、可愛い」
「玲さん、顔が緩んでますよ」
「いけない。ついつい」
「わふっ!」
二人と一匹で過ごす休日。私はささやかな幸せを感じながら大切さを噛み締めた。

その日はジンさんにクライナーを預け、夕方頃には司さんの家へと戻った。
今日は外食せず、私が作る予定だったので帰りにスーパーに寄って食材を買った。

「お疲れ様です。クライナーも随分あなたに懐きましたね」
「嬉しい限りです」
元々賢い子だから私にも粗相なんてしなかったけど、最近では私の姿を見る前から尻尾を振ってくれてるそうで、可愛さ倍増だ。
思い出して思わず笑みをこぼすと、不意に司さんから抱き締められる。
「つ、司さん?」
突然の抱擁に上擦った声をだすと、頭上からくすりと笑いが落ちる。
「可愛い声だ。まだ夕食の支度を始めるには早いでしょう」
「確かに…まだ早いですね」
「クライナーを甘やかした分、今度は俺の事も甘やかしてください」
恐る恐る顔をあげて、司さんの表情を確認すると、少し恥ずかしそうに笑っていて、思わず胸が締め付けられる。
(もしかして、クライナーにヤキモチとか?)
そういえば今日はやたらと咳払いをしていた。風邪でも引いたのかと心配するほどに。
でも良く考えるとあれは私がクライナーを撫で回してる時にばかり聞こえたような。
そう考えると目の前の恋人がどうしようもなく可愛く見えた。
「司さんはいい子、いい子」
私は両手を彼の頭に伸ばし、クライナーを撫で回した時のようにわしゃわしゃと撫でる。
柔らかな髪はクライナーのそれとは違うけれどこれはこれでひたすら撫でたくなる。
しばらくされるがままになっていた司さんは満足したのか、閉じていた目を開き、私の額に自分の額をこすりつけた。
「これは癖になる撫でられ方ですね。思わずクライナーに嫉妬してしまいました」
「クライナーも可愛いですけど、司さんも可愛いですよ」
「俺のことを可愛いなんていうのはあなたくらいですよ」
「いいんですよ。私だけが可愛いところを知ってるんで。誰にも見せたくないです」
こうやって甘えてくれる姿も、私のことを好きだといって笑ってくれるところも。
全部全部私だけのもの。
「今度は俺が玲さんを癒す番です」
「今のでも癒されましたよ?」
「いいえ。俺がまだまだあなたを甘やかし足りない」
そっと優しいキスが一つ、二つ。
くすぐったくて、笑みが零れるとほぼ同時に私はゆっくりと押し倒される。
「いっぱい甘やかしてください。私も司さんのこと、甘やかしますから」
両手を広げて、彼を乞う。
「あなたには敵いませんね」
司さんは優しく笑うと私の腕のなかに落ちてきた。

名前を呼んで(郁玲)

「早乙女さん、コーヒーと紅茶どっち飲みますか?」
「紅茶。ミルクと砂糖多めで」
(早乙女さんの多めは予想を上回る多めだからなぁ)
勝手知ったる他人の家。今日は土曜日。私も早乙女さんも仕事が休みだったので、家にお邪魔している。
手土産に買ってきたケーキを食べようとお茶の支度をしていると背後から物凄い圧を感じて振り返った。
「おい、あんぽんたん」
「そうです、あんぽんたんですね。どうしました?」
返事をしながら電子ケトルに水を入れ、お湯を沸かしながらアールグレイの茶葉が入った缶を手に取る。その様子を不機嫌そうな顔をしながらなぜかすぐ近くで見守っている早乙女さん。
「どうしました?」
もう一度訪ねてみると、早乙女さんは深いため息をついて、私の肩を掴んだ。そのまま私を振り向かせると頭突きする勢いで私の額に自分の額を寄せてきた。
「ぐっ、痛い…」
「お前の頭は石なのか、割れるかと思ったぞ頭」
「いや、私も痛かったんで痛み分けです。それでどうして私は頭突きされたんでしょうか…?」
「頭突きじゃない、スキンシップだ」
(スキンシップで頭突きって斬新だなぁ)
額を撫でながら早乙女さんを見上げる。早乙女さんのおでこもうっすら赤くなっていたから大層痛かったのではないかと思う。
「早乙女さん、おでこ」
「それだ」
「え?」
「俺はお前のなんなんだ」
そう言われて、じわりと頬が熱くなる。休日にプライベートで頻繁に異性の部屋を訪れる理由なんて、一つしか私には浮かばない。そして、その一つが今の私たちの関係の名称だ。
「…恋人、ですね」
「その恋人をいつまで苗字で呼び続けるんだ、この間抜け」
「呼びなれたものを変えるのってなかなか難しいんですよ……それに早乙女さんだって私の名前、呼んでないと思いますけど」
「玲」
きっぱりとした口調で私の名前を口にする。
「玲」
今度は優しげに。ああ、表情も少し柔らかくなっている。この人はそういう部分がずるい。胸の奥がきゅっと締め付けられるようなトキメキが私を襲う。
「ほら、呼んだぞ。お前も呼べ」
「うぅっ…い、郁人さん?」
「なんで疑問形なんだ。俺の名前は疑問形で呼ぶようなものじゃない」
「郁人さん!」
今度は力いっぱい呼ぶ。
「ああ、なんだ?玲」
「…どうしてそんなにすんなり切り替えられるんですか、早乙女さんは」
「おい、戻ってるぞ。あんぽんたん」
「早乙女さんも戻ってますよ」
ちっと盛大な舌打ちの後、早乙女さんは私が買ってきたケーキをお皿に移動させてくれた。その隣で私はティーポットにお湯を注ぐ。
「…郁人さん。私も出来る限り早く呼べるように頑張ります」
「ああ、善処しろ」
「はい…!」
笑顔で返すと、早乙女さんも少し呆れが混じった表情で笑ってくれた。

(どうしてすんなり呼べるかって…そんなもん、もうずっと前から心の中ではお前の事をそう呼んでたからに決まってるだろうが)

なんて事を郁人さんが考えていると知るのは、もっともっと先のお話。

大好き(Side Kicks! シシイノ)

初めてのキスはエレベーターの中だった。
シシバの言葉が悲しくて零れた涙を止めるような優しいキスだった。

二回目のキスはバニラスカイを見た浜辺で。
これは今思い出しても顔が熱くなるくらい恥ずかしい…けど嬉しかった事をよく覚えている。

「イノリ、何してるの?」

シシバを待ちながら、指折りキスをした回数を数えていたなんて言えるわけがない。
慌てて両手を背中に隠すと、シシバは不思議そうに首をかしげる。

「なんでもないよ、シシバ」
「そう?」
「もう帰れそう」
「うん、大丈夫」

今日は仕事終わり、シシバの家に寄って一緒にご飯を食べる約束をしていた。
このままスーパーによって、食材を買い、シシバの家で料理を作る。
そうして夜を一緒に過ごすのはかけがえのない時間だ。
その時、きっとまたキスを交わすだろう。

「ねえ、シシバ」
「ん?」
「シシバは今まで何回したか覚えてる?」
「え!?」

おずおずと尋ねてみると、眼鏡越しに見える彼の瞳が大きく見開かれる。

「私とした、キスの回数」
「ああ、そっち」

うっすら赤くなった頬を見て、シシバの勘違いに気づく。
それを見て、私もつられるように赤くなった。

「最初は数えてたんだけど」
「数えてたんだ」

私と一緒だと思ったら嬉しくて、思わず頬が緩む。

「でも数えるのやめたんだ」
「どうして?」
「だってこれからイノリとは数えきれないくらいキスをすると思うから。何回したかなんて関係ないって気づいた」
「-っ!」

自分の好きという気持ちが、相手と同じものか不安になることもあったのに。
今はそんな事を考えないくらい、私たちは通じあっている。そういわれたような気持ちになった。

「シシバ、大好き」

ぎゅっと彼の腕にしがみつくと、シシバは「僕だってイノリが大好きなんだけど」と笑われてしまった。

お互い様(ケイヒヨ)

今日の授業が終わるとクラスメイトは教室を出ていく。
部活に行く人、帰宅する人、場所を変えて友達とおしゃべりする人。みんな様々だろう。
私はちらりとドアの方を見て、ため息をつく。昼休みに獲端くんと喧嘩をしてしまった。
今思い返すと本当に些細な事だった。もう知らない!とお互いに顔をそむけた時に昼休みが終わり、私たちは何も会話をせずに別れた。
(本当は今日、買い物に行く約束をしていたのになぁ)
あの調子だったらきっともう獲端くんは帰ってしまっているだろう。はぁーと深いため息をつきながら私は鞄を持って席を立った。
「ヒヨリ、帰るの?」
「うん、バイバイ」
「ばいばーい」
友達に手を振り、私は教室を出る。と、突然目の前に人が現れて、激突してしまった。
「いたっ…ごめんなさい!」
慌てて顔をあげると、目の前にはとてもとても見知った相手。
「お前、何回ぶつかるんだよ」
「獲端くんだって、そろそろ避けるか受け止めるかしてくれてもいいと思う。ていうか、なんで獲端!?」
「なんだよ、俺じゃ悪いかよ」
不機嫌そうな顔をしながら私を見下ろす彼はいつもと変わらぬ悪態をつく。
「だって私たち、お昼に喧嘩したよね」
「忘れた」
「忘れたって…!」
「うるさい、お前も忘れろ」
そう言って、獲端くんは私の手を掴んだ。まだ学校の中なのに突然の事に驚いてしまう。
「お前は驚いてばっかりだな」
「だ、だって!」
驚く事ばっかりするんだもん。私が掴まれた手をぎゅっと握り返すと、獲端くんの頬が少し赤くなった。
(あ、照れてるんだ)
さっきまでの暗い気持ちはどこへやら。喧嘩した事なんて獲端くんの言う通り忘れてしまえばいい。
「ふふ」
「なんだよ、今度は笑いだして」
「え? 獲端くんの事、大好きだなーって」
「…! お前はそういうこと、もっと」
「もっと?」
「なんでもねえ! 行くぞ、ヒヨリ!」
大股で歩き出した獲端くんに引っ張られるようにして歩き出す。こんなところで普段は呼ばない名前を呼ぶなんてずるい。獲端くんよりきっと顔が赤くなっているだろう。
「! 獲端くんのそういうところがずるいと思う!」
私が叫ぶように反論すると、獲端くんは「お互い様だ」と言い返した。

Happy Birthday(吉成×市香)

「吉成さん、お誕生日おめでとうございます!」
「ありがとうございます~!!」
「おめでと、吉成さん」

今日は俺の誕生日。
星野さんと香月くんに迎えられ、星野家で俺の誕生日会を開いてくれた。
しかし、香月くんの目は時折(なんで二人で出かけないんだ)という強い訴えが伝わってくる。

(本当は誘おうかと思ったんだけど、自分の誕生日にデートしてくれって断られたらちょっとっていうか、大分凹むなってうじうじしてたとはさすがに香月くんには言えないなぁ)

お花見をした日に、星野さんには気持ちを伝えた。
その後、仕事が忙しくなり、なかなか星野さんに会う時間も取る事が出来ず、現在もお返事は保留のままだ。

星野さんの手料理を存分に楽しんだ後、出てきたイチゴのホールケーキにはチョコレートのプレートが載っていて、そこにも「吉成さん、お誕生日おめでとうございます」と綺麗な文字で書かれていた。

「凄い豪勢っすね、このケーキ」
「プレートまではやりすぎだろって言ったんだけど、市香のやつノリノリでプレートまで書いたんだよ」
「え!?これ、星野さんの字ですか!?」
「やっぱりやりすぎでした?」

星野さんは恥ずかしそうに俺を見つめる。ああ、その顔めっちゃ可愛いです。

「いえ!!!めっちゃくちゃ嬉しいです!!!それにこの字凄い綺麗っすね?びっくりしました!」
「喜んでもらえたなら良かったです…!」

星野さんが安心したように笑う。すると香月くんは俺をちらりと見てから。

「あ、飲み物切らしたみたいだからコンビニ行ってくる」
「え?香月の好きなジュースなら冷蔵庫にまだ入ってるよ」
「急に炭酸が飲みたくなったんだよ! じゃ、吉成さん。後よろしく」

財布を掴むと、香月くんはあっという間に部屋から出て行ってしまった。
これはもしかしなくても香月くんが気を遣ってくれた奴では…?
ホールケーキを切り分け、お皿に一番大きいケーキとプレートを乗せてくれる。

「吉成さんは紅茶でも良いですか? それとも香月が買ってくるの待ちましょうか」
「いえ! 紅茶が良いです!!!紅茶が飲みたいです!」
「ふふ、分かりました。ちょっと待っててくださいね」

そう言って星野さんはキッチンへと移動する。その後ろ姿を見つめながら、俺は想像する。
星野さんと付き合ったらこんな感じなのかなぁって。
会えば会う程、好きだと思う。
好きになればなるほど、自分の事も好きになってほしいと思う。
そういう貪欲な気持ちを自分が持っていた事に驚かされるばかりだ。
このままではいけない、と俺は立ち上がりキッチンにいる星野さんの隣に立った。

「星野さん」
「どうかしましたか?」
「俺、今日誕生日なんです」
「ふふ、そうですね」

優しく笑う星野さん。その笑顔を独占したいなんて言ったら笑われるだろうか。

「それで、欲しいものがあるんです」
「ええと、今からでも間に合いますか? まだ遅くない時間だから買いに行けると思いますけど」
「買い物に行かなくても大丈夫です。それに星野さんにしか叶えられないものなんです」

俺はそっと星野さんの手を握る。
小さくて、細い手。この手を、あなたを守りたい。俺は今でもそう思ってるんです。

「あなたを、名前で呼びたい。
そして、俺の名前をあなたに呼んでほしい。そういう関係が、欲しいんです」

俺の言葉で、星野さんの顔が赤く色づいた。

「…それは誕生日の贈り物には無理かと」
「ああ、ですよねー」

一瞬期待してしまって、がくっと肩を落とす。
すると、星野さんがくすりと笑った。

「その関係は、私も欲しかったんです。
…言うのが遅くなっちゃいましたけど、秀明さん、私もあなたが好きです」

そう言って、はにかむような笑顔を見せてくれた星野さんは今までみたどんな笑顔よりも可愛すぎて、俺は思わず強く抱きしめていた。

「きゃっ!」
「好きです、大好きです!これからずっと大切にします!」

決意を口にすると腕の中に閉じ込められた星野さんはまた笑って。

「はい、私も大切にしますね」

と漢前な返事を返してくれた。

寝顔を見せて(ソウヒヨ)

割り振られた掃除も終わった後、自室も少し片づけようと籠っていた午前中気づけば夢中で掃除をしていた。
監視者さんにお願いすればあっという間に綺麗になるとは分かっていても自分の手で綺麗にするのは気持ちが良いものだ。
それに何かに集中していると余計な事を考えなくて済む。

「こんなところでいいかなぁ」

両手を腰にあて、部屋を見回す。いつもより丁寧に磨いた床は輝いて見える気がした。

(そういえば喉乾いた。下に降りようかな)

そういえば朝食以降、何も水分をとっていなかった。ここでは熱中症にはならないだろうけど、気を付けないとトモセくんに怒られてしまうなと思いながら、階段を降りる。昼間はほとんどの人が出払っていて、リビングは静まり返っていた。
そのままキッチンへ行こうとすると、ダイニングテーブルに突っ伏している後ろ姿を見つけた。

「凝部くん?」

そっと声をかけるが返事はない。ゆっくりと顔を覗き込むと、凝部くんは目を閉じていた。

(あ、寝てるんだ…なんでこんなところで寝てるんだろう)

そう思いながらもいつもは口を開けば周囲を巻き込んで良くも悪くも騒がしい彼が静かに寝入っている姿は新鮮で…思わず見つめてしまう。

(凝部くんって意外と睫毛長いかも)

顔にかかる髪の毛もさらさらとしていて、もしかしてきちんと手入れもしているんだろうか。私の髪よりも手入れされているかもしれないと思ったらなんだかいたたまれない気持ちになってくる。

「そーんなに見つめられたら、穴が開いちゃいそうなんだけど?」
「!!!」

ぱっと凝部くんの目が開く。
まさか起きると思っていなかったので、私は驚いて一歩下がろうとするが凝部くんの手が伸びてきて、距離が取れない。

「ごめん、起こした?」
「ううん。ずっと起きてたから」
「ええ!?」

悪びれた様子もなく、凝部くんは言葉を続ける。

「僕は寝てるなんて一言も言ってないし、君が勘違いしただけだよね?
それとも何?僕の寝顔が見たかったとか?」
「別にそんな事は言ってないよ!」
「えー、ヒヨリちゃんが見たいっていうなら見せてあげてもいいのに。僕の寝顔。
でも、その時はここじゃなくてヒヨリちゃんのへ……」

凝部くんが最後まで言い切る前に、突如現れたトモセくんが私の腕から凝部くんの手を振り払った。

「凝部さん、なんでヒヨリの腕を掴んでいるんですか。離してください」
「げっ、トモセくん。今いい所だったのに~」
「何がいい所ですか。そもそも凝部さんまだ掃除終わってないでしょう。早くやってください」
「はいはーい。トモセくんもお母さんみたいだね~☆あ、褒めてないよ」
「褒められてるつもりもありません」

けだるそうに椅子から立ち上がると、トモセくんに引きずられるようにして凝部くんがその場を去っていった。

(びっっっくりしたぁ)

凝部くんに掴まれた部分をそっと手で押さえる。
そこだけ熱を持ったみたいに熱く感じるのは、彼の手が温かったからだ。そう思う事にしよう。

(凝部くんの冗談には困るな)

時折見透かすように私を見つめる瞳に居心地の悪さを覚える時がある。
私はため息をつきながら、飲み物をとるために冷蔵庫を開けるのだった。

 

 

◆◇◆◇

「なんて事もあったなぁ」

アルカディアにいた頃をふと思い出す。
目の前では気持ちよさそうにすやすやと眠る私の彼氏。
学校を休むと一言連絡があったので、様子を見に凝部くんの家に立ち寄った。
チャイムを鳴らしても応答がなく困っていると、家に忘れ物を取りに戻ってきた凝部くんのお母さんと出くわした。何度か会った事があったため私を見て、すぐ誰か分かってくれたらしく私を招き入れてくれた。
すっかり親公認になった私の凝部くん家の訪問。そっと彼の部屋に入ると、凝部くんは机に突っ伏して眠っていた。

狸寝入りをしていた彼にからかわれた事を思い出す。
ああやって揺さぶりをかけられて、気づけば凝部くんから目が離せなくなった。
そっと手を伸ばして、彼の髪に触れてみる。
ああ、やっぱりさらさらしていて、私の髪より綺麗だ。
これは彼女として負けるわけにはいかないな、と帰りにドラッグストアに寄ってヘアトリートメントを新調しようと考えていると、凝部くんの瞼がゆっくりと開いた。

「おはよう、凝部くん」
「…え、はぁ?!なんでキミが…!」

私の姿を見て、凝部くんは意識が覚醒したのか驚きのあまり声を上ずらせた。

「お母さんにいれてもらっちゃった☆凝部くってば気持ちよさそうに寝てるんだもん」
「いやいや、なんで俺の寝顔見てるの」
「だって可愛いから」
「はあ?」
「それに凝部くん、前に言ってたよね。私が見たいならいつでも見せてあげるって」

にっこりと笑って見せると、凝部くんは不貞腐れたように私から視線を逸らす。
その頬が少し赤く染まっている事に気づいてしまった。

「ふふ」
「何その笑い方」
「ううん、なんでもないよ。凝部くんの事が好きだなぁって思っただけ」

あの頃は気づけなかった彼の可愛い部分を見つける度に愛おしく思う。
寝顔もきっとそのうちの一つ。

凝部くんからの反撃のキスをもらうのは、また別のお話。

予行練習(景市)

「あ、白石さん。見てください」
「ん?」
外出許可が下りた日のことだ。養護施設での手伝いが終わると、二人でスーパーへ買い物をして、白石さんの自宅へと向かう。それが最近の私たちの日課だ。
「市香ちゃん、きゅうりが安いって」
「ダメです。安いからって買っても結局使いきれなかったら意味ないので」
二人で食べるにはきゅうり五本は多い。白石さんが手に取ったきゅうりを元に戻して、カゴを手に食品売り場を歩く。
「君は他の人みたく、ああいうのおさないの?」
白石さんはカートを押している人を指さした。
「大量に買い出しする時は使いますけど、今日みたくたくさん買う予定がない時は買いすぎないためにカートは使わない事にしてるんです」
「そういうもんなんだ」
「そういうもんなんです」
白石さんは子供のように、私にあれは何これは何と聞いてくる。私はそれを一つ一つ丁寧に答える。
買い物も終わり、買い物袋を手に私たちは自宅へと向かう。夕暮れが近く、私たちの影は随分と伸びていた。
「君は俺が知らない事をたくさん知っているんだね」
「でも男の人はあまり気にしないかもしれませんよ、買い物のことなんて。あ、柳さんは別かもしれないですけど」
「ああ、柳君はね」
ふふっと二人で笑うと、さっと私たちの前を白い猫が横切った。
「! 白石さん、今猫いましたね!」
「ここらへんにもいるみたいだね」
「私のマンションの周辺って猫いないんですよね。白石さんの家のまわりには結構いますよね」
彼が猫をひきつける体質とか? なんてくだらない事を考えていると、白石さんはくすりと笑った。
「猫が見たかったら俺のところに来ればいいんだって言ってるんじゃないかな」
「猫に会いたくなくても、白石さんに会いたいから来ますよ、いつだって」
自由に会えるわけではない。今こうして手を繋いで歩ける事だって奇跡みたいなものだという事を私たちは分かっている。
「そっか」
照れたのか、それとも夕焼けのせいなのか、頬が色づいた白石さんを見て、私はこの人が好きだと改めて思った。

今日のメニューはハンバーグ。種をこねていると興味津々な様子で白石さんが私の手元を見つめている。
「白石さんもやってみます?」
「…うん、やってみようかな」
白石さん手を洗っている間に種を半分ボウルにわける。
「こんな感じにします」
種をキャッチボールするみたいに両手を行き来させると白石さんは驚いたように目を丸めた。
「こう?」
おそるおそる私の真似をして、白石さんも種を手のなかで遊ばせる。ぎこちないけど、はじめてにしては上出来だろう。私は強く頷く。
「あとは形を整えて、まんなかをへこませます」
「どうしてわざわざへこませるの?」
「ハンバーグって焼いてると縮んじゃうんです。だからまんなかをへこませて、火の通りを均一にしてあげるんです」
「市香ちゃんは本当によく知ってるんだね」
「これくらい料理する人なら誰だって知ってますよ」
出来上がった種をトレイにのせようとした時、白石さんが突然
「君は良いお嫁さんになりそうだね」
なんて言うから思わず種を落としそうになる。
「…私がなるのは、白石さんのお嫁さんですからね」
「!」
「わっ、白石さん! 種!」
白石さんの手から出来上がった種が零れ落ちそうになり、私は慌てて手を伸ばしてそれをキャッチした。ふうと安心しながらトレイに種を置くと、きゅっと手を握られた。
「君はどうしてそんなに」
そして甘えるみたいに私の額に自分の額をこつんと合わせた。いや、甘えるみたいにじゃない。これはきっと甘えているんだ。そう思ったら体がじわじわと熱くなっていく。
「白石さん」
「俺が考えてる事って君に漏れてるのかなって時々怖くなる」
「え?」
「最近、一緒に買い物にいったり、こうやってキッチンに並んで料理したりとか…凄く新婚みたいだなって思ってたんだ。そしたら君が可愛い事いうから」
可愛い事を言っているのは白石さんです、と言いたかったけどそんな言葉は口に出せずに消えた。
意味もなく、繰り返されるキス。
したいからするというシンプルなキスを出来るようになったのは最近で、私はまだまだ慣れない。離れては近づき、を何度も繰り返され私の頭のなかはもう沸騰しそうだ。
「白石さん…!」
ぐっと彼の手を握ると、熱っぽい瞳が私を射抜く。
「…まず手を洗いましょう。そうしないと白石さんの背中に手も回せないです」
ハンバーグを作った手は脂でべとべどだ。ムードもへったくれもない事を口にすると、白石さんはいつもの瞳に戻り、ぷっと噴出した。
「そうだね。手、洗おうか。あとはハンバーグ焼くのもみたいし」
「…ぶち壊してすいません」
「ううん。楽しみはたくさんあった方が良いんだよね、きっと」
「家族になったら、きっともっと楽しい事も増えます」
楽しいだけではないかもしれない。けど、白石さんが私の隣にいてくれるだけで全部なんとかなる気がする。
「そっか。楽しみだな」
「でも、待ってるだけじゃダメなんです。夢は願うものじゃなくて、叶えるものなんだから」
だって私たちは互いに手を伸ばしたから繋ぐ事が出来たんだから。きっとこの先もそうして未来を掴んでいくんだろう。
「君は時々かっこいいね」
白石さんは眩しそうに目を細めて笑った。

ブリキの心臓(ロン七)

心とは、どこにあるんだろう。
頭だろうか、それとも心臓だろうか。
心とは、記憶とは、一体何なんだろう。
「七海、七海」
はっと気付くと、目の前にいるロンが私のことをじぃっと見つめていた。
「ようやく気付いた。君は割とぼうっとする事が多いね」
「そんな事ない」
「ふうん。まあ、いいけど。それより雨が降ってきたけど、いいの?」
「え?」
ロンに言われてようやく外から聞こえる雨音に気付いた。食事が終わったらすぐに次の街を目指そうと思っていたのに。肩を落とすと、ロンは近くを通りかかった店員にお酒の注文をした。
「ロン」
「だってこんなに雨が降ってるから今日はもう動けないでしょ? だったらちょっとくらい良いかなって」
「……」
ロンはお酒が強いので、一杯飲んだところで変わりないけれど、切り替えの早さに何ともいえない気持ちになった。
店員がロンのお酒とアイスクリームを持って現れた。アイスクリームを目の前に置かれて、戸惑っていると「七海、好きでしょ?」とロンは言った。ロンの紫色の瞳が私を見つめていた。

以前、こはるさんから聞いた事がある。ブリキの人形が感情を持った話。そのブリキは心が欲しいと言って魔法使いを探した。心が欲しいと願ったブリキの人形は作り物の心臓を得る…そんなお話。
結局雨は止まず、食堂の上にある宿屋に一泊することにした。部屋には二つのベッドはあったけど、ロンは私を自分のベッドへと引きずり込んだ。
「ロン、狭い」
「そう? 七海は温かいね」
ロンの手は私のおなかの前で組まれた。その触れあいには欲望が見えなかった。眠りに落ちた時だと、ロンの体からはもっと力が抜けるはず。だから今は起きているはずなのに、ロンは何もしてこなかった。
不思議に思い、体をよじろうとするとロンは小さく笑った。
「起きてるよ。早く七海が寝ないとオレが先に寝ちゃうかもしれないね」
「…今日のあなたは変」
「そうかな」
いつも私にお構いなしに眠ってしまうのに。先に眠りに落ちたロンの寝顔を見て、同じ夢を見れないだろうかと願って目を閉じるのに。
同じ夢さえ見れない事が悲しくて、願った次の日の朝はいつも少し悲しかった。
「心って」
「ん?」
「心ってどこにあると思う?」
こはるさんから聞いた物語を時々思い出しては考える。心とは、心臓のことなんだろうか。それとも脳のこと? 私が触れた記憶は、心なんだろうか。
「んー、そうだね」
ロンの手がゆっくりと上へ移動する。
「ロ、ロン…!」
ゆるりと左の胸をなぞられる。ロンの手は大きいから私の胸はすっぽりと収まってしまう。
「オレの心は、七海がいるかな」
「……」
「オレが興味を持つのは、愛情を注げるのは君に関する事だけだ。それってつまりオレの心には七海に関する事しか存在しないんじゃないかな」
「……」
心がどこにあるのか、という質問の回答としてはきっと不正解だ。私が知りたかったのは、私が消した記憶が心だったのか、そうじゃないのかだったのに。
「前にこはるさんから聞いたの。ブリキの人形が心を欲しいと願って、魔法使いに作り物の心臓を貰う話」
「へぇ、魔法使いなんているんだ。すごいね」
「問題はそこじゃない。作り物の心臓は心なのかなってずっと気になってた」
「ふうん。本人がいいんならそれでいいんじゃないかな」
興味なさげにロンは答えると、私の耳朶にキスを落としてきた。
「ねぇ、オレは七海が足りないよ」
「さっきアナタの心は私がいるって言ったのに」
「そうだね。いるね」
心がどこにあるかなんて考えたって結局答えは出ない。私が知りたいのはどこかの誰かの心じゃなくて、この人の心だ。
体の向きを変えて、向かい合わせの状態になる。
「ロン、抱き締めて」
滅多に言わない台詞を口にすると、ロンは壊れ物に触れるみたいにそっと抱き寄せてから、きつく抱き締めた。
私の心にも、ロンばっかりだ。

僕のゆりかご(累ツグ)

「い…累…」

遠くなのか、近くなのか定かではないが、愛おしい人が僕の名前を呼んでいる。
それはひどく心地よい。思わず手を伸ばしてしまうほどに。

「きゃっ」

両腕の中に閉じ込めた可愛い人が、小さく悲鳴をあげる。

「もう累、寝ぼけているの?」
「ツグミ…?」

ぼんやりとした意識の中、ゆるゆると昨夜の出来事を思い出す。
明日は休日だという彼女を部屋に招き入れ、帰らないでほしいとねだればまるで天が味方したかのようなタイミングで激しい雨が降った。

「これじゃあ、帰れないわね」

少し困ったように微笑むと、ツグミは僕の腕の中に納まった。
それからとびきり彼女を甘やかして、眠りについた…というところまでは覚えている。つまりほぼ全てだろうけど。
彼女との思い出は何一つだって取りこぼしたくはない。

「ねえ、外を見て。昨日の雨が嘘みたいに綺麗に晴れているのよ」
「そうなんだ」
「もう…全然興味なさそうね」
「僕が興味あるのは、今腕の中にいる人の事だけだから」

甘えるようにツグミの肩にすり寄ると、くすぐったそうに身じろきする。
その時に昨夜の名残を見つけて、愛おしさがこみあげてきた。

「ツグミが起こしてくれたから、今日は良い日になりそうだよ」
「そんな事なら毎日起こしましょうか?」
「それは是非お願いしたいね」

見つめあって微笑みあい、啄むような口づけを落とす。

「ツグミといると、よく眠れるから眠るのも一緒がいいな」
「もう…累ったら」

今度は少し長めの口づけ。
ツグミの瞳にうっすらと涙の膜が張る。
それが零れる瞬間が、いつも魅力的で何度見ても見惚れてしまう。
もう一度、と唇を寄せるとツグミの両手が僕と彼女の間に現れ、僕の唇を押しやる。

「ねえ、累…私はあなたを起こそうとしたはずなんだけど」
「もう少しだけ、こうしていたいな。たまにはいいと思うんだけどな」

ツグミの手のひらにそっと唇を寄せると真っ赤になった彼女は降参したようにその手をどける。

なんて幸せな目覚めなんだろう。
幸せを噛みしめながら、ツグミにキスを送った。

分からない、分かりたい、知りたい人(ミズヒヨ)

射落さんの助手になって、数日が経った。
自分としては全く役に立てている気がしない日々の中、射落さんに「助かるよ、ありがとう」という言葉をもらってよいのだろうか。そんな事を夜、ベッドの中で一人悶々と悩んでいた。

「眠れない……」

考え出すときりがない。私が転がる度に監視者さんがふわふわと宙に浮きながら右へ左へと付き合ってくれる。
それが可愛いな、と監視者さんに手を伸ばしぎゅっと抱きしめる。
射落さんから見れば、私も似たような存在なのではないだろうか。
自分の後ろをついてくるだけで、何も出来ない…

(いや、監視者さんは色々出来るし!!!それに私は監視者さんの事を可愛いと思ってるけど、射落さんが私の事を可愛いって思ってくれてるかなんてわかんないし…って!自分で何考えてるんだろ!!!)

可愛いと思ってほしいという自分の心にうっかり気づかされ、私は監視者さんごと転がる。

「はぁ……なんかダメだ。お水飲んでこよう」

監視者さんから手を離し、部屋を出る。しん、と静まり返った廊下に足音を立てないようにそっと歩き出す。
階段を下りてリビングにいくが当然のように誰もいない。
リビングを通り抜けて、キッチンで水をコップ一杯飲むと、昂っていた気持ちがようやく落ち着いた。

「そうだ」

ふと、ある事を閃いた私は冷蔵庫を開ける。
お目当てのものを見つけ、私はそれに手を伸ばした。

 

 

翌日——
当番だった朝食も終わり、その日も射落さんのお手伝いで午前中は図書館で調べものをした。お昼に一旦戻ってきて、また外で調べものをしていたが、私はちらちらと太陽の位置ばかり気にしていた。(ここの太陽の位置があてになるとは言わないけど)

「瀬名くん」
「はい!」
「実はちょっと小腹が空いてきたんだ。今日はこのへんにして、宿舎に戻ろうか」
「え?」

予想していなかった言葉に驚いて、目をぱちくりさせると射落さんはにっこりと笑った。

「瀬名くん。僕に気を遣わないで用事がある時は優先していいんだよ」

私を気遣う優しい言葉に、嬉しさよりも悲しさがちらつく。

「私が射落さんの事より優先したい事なんてあるわけないじゃないですか!」

あ、言ってしまった。慌てて口をおさえてももう遅い。射落さんはそんな私の手を取って、私の顔を覗き込むように距離を縮める。

「そんな可愛い事、君に言われるなんて光栄だね」
「……滅相もございません」

精いっぱい大人ぶった言葉を言ってみるが、射落さんのツボに入ったのか笑われるばっかりで、恥ずかしくなる。

「とりあえず宿舎に戻ろうか」
「はい……」

微妙な空気のまま、宿舎に戻るとリビングには誰もいなかった。
私はほっと胸を撫でおろす。

「お茶でも淹れてくるから瀬名くんは座っていたら。あ、ジュースの方が良いかな?」
「いえ!射落さんの方こそ座っててください!私が準備してきます」

キッチンへ行こうとする射落さんを慌てて引き留め、返事も聞き終わらないうちにキッチンへ駆け込んだ。
お湯を沸かしながら、冷蔵庫の中を確認する。
瀬名と書かれたメモを貼ったタッパーを取り出して、お皿に移し替える。
そして紅茶を準備し終わると射落さんの元へと持って行った。

「お待たせしました」

ソファでバックナンバーの確認をしていたのか、映像を再生していた射落さんの前にお皿とティーカップを置く。

「おや、これは…」
「アップルパイです」

射落さんは前からずっとアップルパイを食べたいと獲端くんに言っていた。
が、今のところ獲端くんがアップルパイを作った事はない。
もしかしたら射落さんに喜んでもらえるのでは、と昨夜閃いたのだ。

「瀬名くんが作ったの?」
「はい……射落さん、アップルパイ食べたいって言ってたので」
「覚えててくれたんだ。嬉しいな」

フォークを手に取り、一口分を口へ運ぶ。
一晩寝かせたアップルパイはしっとりしていて、リンゴの甘みも十分に出ているだろう。ドキドキしながら射落さんの感想を待っていると視線がぶつかった。

「美味しいよ。今まで食べたアップルパイの中で一番美味しい」
「射落さんは褒めすぎです!……でも嬉しいです、ありがとうございます」
「毎日僕の手伝いで大変だろうに、ありがとう。瀬名くん」
「いえ!私なんて全然力になれてないのに…だからせめて射落さんを喜ばせたいなって」

フォークを置くと、射落さんは私の肩をそっと抱き寄せた。
突然の事に心臓が跳ね上がる。

「君は本当に……優しい子だね」

そっと髪を撫でられて囁かれる言葉はどうしようもなく甘く感じてしまう。

(私の中では射落さんが男の人とか、女の人とか関係なくて……射落さんが大好きで。でも射落さんの事が分からなくて、それだから知りたくて…)

溢れ出そうになる気持ちをなんとか押し込めると、それと同じタイミングで射落さんが私から離れた。それが少し寂しくて、射落さんを見つめると

「もしかして欲しかった?」
「え!?」
「でもこのアップルパイは僕のだから」

悪戯っぽい笑みを浮かべて、また一口アップルパイを口に運ぶ。

(…アップルパイの事か。私はてっきり)

「これを食べ終わったら、うんと甘やかしてあげるよ。瀬名くん」

まるで私の心を見透かすように、射落さんは笑った。

ファーストキス(緋紅)

ある日を境に彼女が僕のまわりをうろつくようになった。

「緋影くん、緋影くん!」
毎日些細な質問をぶつけ、その返答を聞くと脱兎のごとく逃げていく。
一体何をしたいのかさっぱり分からない。

早朝の誰もまだ起きていない時間に読書をするのが好きだった。
なのに最近はペースを乱されていて、静かな時間なんて滅多に訪れない。

「なぜだ……」

思わずぼやくと、元凶がひょっこり顔を出す。

「緋影くん、おはよう!今日も朝早いね!」
「……ああ」
「私、飲み物淹れるけど緋影くんも何か飲む?」
「じゃあ同じものを」
「はーい」

紅百合は朝からいつも通りの調子だ。
鼻歌まじりに飲み物の準備をしているのか、ご機嫌な様子が伝わってくる。
紅百合が起きてくるまで集中して読んでいた本は、今はもう文字を目で追ってもうまく頭に入ってこない。
しばらくして彼女がカップを二つ持って戻ってくる。

「はい、どうぞ。熱いから気を付けてね」

テーブルに置かれたカップに手を伸ばす。レモンのスライスが浮かんでるそれを一口飲むと、甘酸っぱい味が口に広がった。

「ホットレモネードだよ。昨日ウサギちゃんがレモン持ってきてくれたんだけど、余っててもったいないから使っちゃった」

聞いてもいない事をしゃべると、紅百合はじぃっと僕を見つめる。

「その、口にあわなかった?」
「こういう飲み物はあんまり飲まないから正直よく分からない」
「そっか……」

言葉が見つからなかったのか、その後は大人しくレモネードを飲む。
「あ、そうだ。今日も質問、いい?」
「好きにしてくれ」
「えーとね」

謎のメモ帳を広げると、紅百合は質問を始める。

「ファーストキ…!?」
「は?」
「え、えーとね!ファーストキスはいつかって…いう質問を…」

自分から言い出したくせにどんどん声が小さくなり、顔は真っ赤だ。
僕は何も言わず、レモネードを口にする。
そういえば小説で読んだ事がある。

「一説によるとファーストキスは、レモンの味らしい」
「え!?」

思ってもみない事を僕が口にするから紅百合は驚いたらしく、すっとんきょんな声をあげる。

「なんなら試してみるか?今ならレモンの味がすると思うが」
「な、な!!!試しません!!!」

紅百合はメモ帳を胸に抱きしめるようにして、勢いよく立ち上がると

「ご協力ありがとう!また明日も宜しくお願いします!」

などとなぜか敬語で締めて、自分の部屋へと逃げて行った。
その後ろ姿を見送った後、体から一気に力が抜ける。

(何をらしくない事を言っているんだろう、僕は)

自分のペースを乱され、そんな事を言うなんて。
真っ赤になった彼女が可愛いなんて思ってしまうなんて。

彼女が淹れてくれたレモネードを飲んで、さっきは感じなかった苦みを覚えた。

唐揚げ(弓弦x市香)

仕事帰り。
いつもの飲み屋。
いつもの席。
いつもと同じ一杯目のビールを飲みほして。
隣にいるのは少し酒の回った同期の星野。

「やっぱり冴木くんと飲むビールはおいしいね」
「嬉しい事言ってくれるじゃん。まあ、そういう俺も星野と飲むビールが一番美味いと思ってるけど」
「私は一番とは言ってないよ」
「えー、一番だろ?」
「うーん、どうだろ」

星野は楽しげに笑うと残っていたビールを飲み干す。
俺もそれにあわせて残りを飲み干して、二杯目を注文する。
それから他愛のない雑談を交わしながら、酒と食事が進む。
三杯目から数える事をやめたビールジョッキをテーブルにどん、と置くと星野はおもむろに口を開いた。

「きょうね、香月と同い年ぐらいの男の子から電話が入ったの」
「へぇ」

香月というのは星野の高校生の弟で絶賛反抗期中だそうだ。
たびたびぶつかる事があるようで、誰とでも打ち解ける星野もさすがに家族となると手を焼いているようだ。

「悪戯電話だったから良かったんだけど、ちょっと話し込んじゃって」
「悪戯電話と話し込めるってすげーな、星野」
「あはは。あーあー、そんな風に香月と話せるようになるかなぁ」

今日、どこか元気がなかったのはそれが原因だったようだ。
テーブルに突っ伏した星野の頭をぽんぽん、と撫でてみる。
ぴくっと肩が震えたので、振り払われるかと思いきや星野は深いため息をついた。

「なんだよ、そのリアクション」
「やっぱり冴木くんと飲むビールが一番おいしいかも」

起き上がった星野の頬は、酔いのせいなのか、俺のせいなのかは分からなかったが、確かに色づいていた。
俺は何も答えず、皿にぽつんと余って唐揚げを口に放り込んで、ビールを流し込んだ。

 

とっておき(峻玲)

「はぁー、お疲れ様です」
「声が死んでるぞ」
「いやもういつも通りで凄いですね、峻さん」

ここ一ヶ月の間、大小問わず案件が勃発しまくり、睡眠時間・休日を削りに削りまくったのだ。それがようやく終わった金曜日の夜。
峻さんのバイクに乗って、彼のマンションまでやってきた。
エレベーターの中で繰り広げられる会話はいつも通り。
峻さんは疲れのにじまないような声だけど、目元にうっすらクマが見える。

(そりゃ私より忙しかったから疲れてるよね)

横顔を盗み見しながら私はそっと自分の胸元を手で覆う。
実はマトリに入ったばかりの頃にブラウスでも透けない色を…!と下着をベージュに一新してしまったのだ。
それから峻さんとお付き合いするようになって、揃えた可愛い下着。
今日の夜は一緒に過ごせると思ったので、思い切って可愛い下着をつけてきたけど、さすがに疲れた顔をしている峻さんを見ると今夜はお披露目の機会はなさそうかなと少しだけ肩を落とす。

エレベーターが目的の階に着くと、私より先にすたすたと歩く峻さん。
開錠し、ドアを開けると私に先に入るように促す。

「おじゃましまーす」

家主は背後にいるけれど、家に挨拶してることにして私は声をかけた。
靴を脱いで、脇にずらしてから顔をあげると、乱暴に靴を脱いだ峻さんと目があった。

「靴の脱ぎ方お行儀悪いですよ」
「うるせぇ」

一瞬何が起きたか分からなかった。
壁に背中を押し付けられるようにして、峻さんが私に覆いかぶさっている。
触れている唇は熱く、角度を変えて何度もキスが交わされ、逃げ腰だった私の舌をあっという間にからめとって、熱を分け与えられる。性急なキスに驚いて、峻さんの胸を押すが、その手も片手でまとめられてしまう。

「しゅ、んさんー!」
「悪い、我慢できねぇ」

峻さんの瞳は、さっきまで疲れを滲ませていたはずなのに、そんなものはマンションの廊下に捨ててきたというみたいに熱のこもった瞳で、私をとらえる。
ああ、そんな瞳で、そんな切羽詰まった顔で見られたら心臓が壊れるんじゃないかと思うくらい激しく高鳴る。

「後でちゃんとゆっくりするから」

だから今は付き合ってくれ、というように彼の手が私の服の中に滑り込む。

「待って!!!」

私は渾身の力を込めて、その手を掴んで制止した。

「…嫌だったか」

拒絶だと思ったのか、さっきまでの熱は消え失せていつもの峻さんに戻る。

「いえ、嫌なんじゃなくて」

言うか言わないか悩んで、言葉を濁していると峻さんが早く言え、というように視線をよこす。仕方ない…私は笑われる覚悟を決めて、口を開いた。

「じゃあ、はっきり言いますね!!!私、今日は可愛い下着なんです!!」
「は…?」
「だからちゃんと見てから脱がせてほしいというか。あ、今日は可愛い下着つけてるんだなって峻さんに思ってほしいというか…て、聞いてます?」

峻さんは私から顔をそむけながら口元を覆い、肩を震わせていた。つまり盛大に笑っている。

「いや、笑われる覚悟でいいましたけど。そんなに笑わなくても」
「お前って、本当に――」

ふわっと体が浮いた。
落ちないように慌てて峻さんの首に腕をまわす。

「ちゃんとじっくり見てやるよ、どれだけ可愛い下着なのか」
「…ご期待にそえるか分かりませんが」
「お前が何を着てようが、どんな下着をつけてようか構わないんだけど、俺のためにっていうのがぐっときた」

寝室のドアを開き、ベッドにそっと下ろされる。
さっきとは比べ物にならない程、丁重な手つきで私に触れ、峻さんは私の上に覆いかぶさる。
どっちの峻さんも好きだけど、私を求めてくれる瞳が、たまらなく愛おしい。

「峻さん、だいすきです」

私が微笑んで伝えると、返事の代わりに甘いキスが返ってきた。

初恋の味(リョウヒヨ)

夢を見た。
そこはアルカディアではなくて、現実世界。
下校しようとした時、ぶつかった双巳さんと知り合って、恋に落ちる。
年が6歳も違うから、私なんて子供にしか見えなかっただろう彼に私から精いっぱいアタックした。
そうしてようやく想いが通じて、私と双巳さんは恋人同士になる。
そんなありもしない夢。

 

「さっきのドラマの演技、なかなかだったんじゃないか?」
「……そうですか」

ドラマの配信が終わって、私は双巳さんがいる廃墟へとやってきた。
さっきのドラマは凝部くんと陀宰くんが演じる男の子との三角関係を描いたドラマの第3話だった。
凝部くんに抱きしめられるシーンがあったのに、双巳さんは何にも気にしていないそぶりで私を褒めた。

「双巳さんって、意地悪ですよね」

私の精一杯の抵抗なんて彼には届かず、私は頬を膨らませるしか抵抗する術が浮かばなかった。

「双巳さんの分もレモネード入れますからね!」

甘い飲み物が得意ではないといった双巳さん。
あれ以来、私はレモネードを飲んで、彼はコーヒーを飲む。
だけど今日は彼用にコーヒーをいれてなんてあげない。
はちみつとレモン汁をいれたカップにお湯を注いで、かき混ぜる。
タッパーに入れて持ってきたスライスしたレモンを浮かべて完成。

「ヒヨリ、機嫌悪いんじゃないか」
「そう思うんならそうだと思います」

カップを渡すと、双巳さんは苦笑いを浮かべながらレモネードに口をつける。
甘すぎたのか、一瞬顔をしかめた彼を見て、少し悪戯がすぎたかなって不安になった。

「やっぱりコーヒー淹れますか?」
「いや、今日はこれでいい。そもそも俺へのあてつけなんじゃないのか、これもあれも」
「あてつけっていうほどのものでもありません。ん?これもあれもって…?」
「さっき、凝部に触れられていたのはここだったよな」

左手で私の肩を抱き寄せて、首筋をそっと撫でられる。

「凝部くんはそんなところ触ってなんか」
「ああ、触ったんじゃないか。見てたのか」
「見てもいないです!」
「ヒヨリは隙が多いから」

首筋を撫でていた手がゆっくりと下へと移動していく。肩から腕、そして手が重なった。

「双巳さ…」

触れられるのは嬉しい。
だって双巳さんは大好きな人だから。彼がどんな人間であったとしても私は彼の事が好きだ。振り向いてくれるまで…いや、振り向いてくれた後だって私は彼に好きだといっぱい伝えたい。
だけど、彼の指がゆっくりと私に触れると、まるで自分が知らなかった自分を暴かれるみたいで鼓動が高鳴ってしまう。

「ヒヨリ」

私の名前を呼ぶ双巳さんの声がいつもより優しい気がした。
唇が触れ合うと、啄むようにキスを繰り返す。
もう何度キスしたか、両手で数えられなくなってから数える事をやめた。
しばらくして、唇が離れると双巳さんは甘えるみたいに私に額をこすりつけた。

「もしかして、本当はさっきのドラマ気にしてました…?」
「さあ、どうだろうな」

双巳さんの表情は見えない。私は彼の頭に手を伸ばし、そっと触れた。

「じゃあ、気にしてたって解釈しちゃいます」
「はは、ヒヨリらしいな」

おかしそうに笑う双巳さんにほっとして、今度は私から双巳さんにキスをする。
子供のような下手くそなキスしか仕掛けれないのが悔しいけど。
まるで子猫にじゃれつかれたみたいに双巳さんは頬を緩める。

夢で見たような出会いだったら、私たちはどうなっていたんだろう。
でも、私はこの世界で出会えた事を後悔はしない。
今目の前にいる、双巳さんを愛しているから。

「やっぱり甘いな」
「レモネードですか?」
「いや……そうかもな」

いつもより果汁多めにしたレモネードを一口飲んだ。

甘い苦い甘い(メイヒヨ)

学校の帰り道。
瀬名と二人で帰る事が当たり前になった日常のとある日。

「ね、陀宰くん。コンビニ寄ってもいい?」
「ああ、珍しいな」

自動ドアが開き、そのまま店内に入る。
ひんやりとした空気が漂うコンビニの中、瀬名は目当てのものを目指して迷う事なく歩いた。

「あったー!よかった!」
「それは…?」
「新作の抹茶ラテ。今日、お昼に友達が飲んでるの見て美味しそうだなぁって」
「へぇ」

嬉しそうに瀬名は抹茶ラテを手に取る。

「陀宰くんも飲む?」
「いや、俺はいいや」

ラテは甘い。あんまり甘い飲み物は得意ではないので、俺は自分用に缶コーヒーを手に取った。

「ブラックなんて大人だね」
「そうか?」
「私はブラック苦手だもん」
「瀬名っぽいな」
「それは子供っぽいって事?」
「いや、可愛いって事」

会計を済ませ、コンビニを出る。
瀬名は早速ストローを刺して、ラテを飲み始める。

「ん!美味しい!」
「はは、良かったな」
「陀宰くんも一口飲んでみる?」

目を輝かせて、瀬名が言うから俺は試しに一口もらうことにする。

(…でも、これって)

間接キスだな、と思ったが言葉にしたらきっと瀬名まで赤くなるからぐっとこらえる。何度かキスをしたって、やっぱりこういうのは照れてしまうのは性分だ。
ストローをくわえ、一口飲む。甘ったるい味が口の中に広がったと思いきや、その中に微かに苦みを感じた。想像していたよりも飲みやすい味で、少し驚いてしまう。

「美味いな」
「でしょ?甘すぎず苦すぎずって微妙なラインが美味しいよね」

ご機嫌な様子で瀬名は再び抹茶ラテを飲む。
俺は缶コーヒーを一口。さっきまで口の中にあった甘さはあっという間に消えてしまった。

「それ…美味しい?」
「ああ、そこそこ?」
「そこそこなんだ」

俺の回答を聞いて、瀬名が楽しそうに笑う。

「そうだ、今度のお休み買い物に付き合ってくれませんか」
「ああ、いいけど。珍しいな、そういう誘い」
「…陀宰くんがもっと積極的に誘ってくれたら嬉しいんだけどね」
「…!」

手から缶コーヒーが滑り落ちるかと思った。
帰ってきてから今まで、しょっちゅう情報局に呼び出されて、瀬名と過ごす時間もあまりとれずにいた。それに対して不満を一切漏らす事のなかった瀬名が、ようやくこぼした愚痴…みたいなものに俺は驚きより、嬉しさが勝っていた。

「もう一回、やり直していいか?」
「うん、どうぞ」

残っていたコーヒーを一気に飲み干してから、俺は瀬名を見下ろした。

「あー…今度の休み、出かけないか」
「…うん、行きたいな」

はにかんだ笑顔で、瀬名は嬉しそうに頷いた。
瀬名の顔を見ていたら口の中にあった苦みは、どこかへと消えてしまった。

空いた手を瀬名に差し出すと、瀬名は俺の手をきゅっと握った。

「…やっぱり甘いな」
「え?抹茶ラテ?」
「あー…そうだな」

どんな甘い飲み物よりも、瀬名の笑顔がとんでもなく甘くて俺は困ってしまうとは、さすがに言うのが恥ずかしいから曖昧に笑うのだった。

 

君は可愛い(ソウヒヨ)

「凝部くんもこれ食べる?」

放課後、凝部くんの家に遊びに来た私はカバンの中から小さな包みを取り出した。
それはお父さんにもらったチョコレートだった。なんでも会社でもらったらしいが、甘い物が得意ではない父が私にくれたのだ。
パッケージからしてなんだかお高そうにみえたので、せっかくなら凝部くんと一緒に食べようと持ってきたというわけです。

「何それ」
「開けてないから分かんないけど、チョコじゃないかな?」

パソコンの前にある椅子に座っていた凝部くんはくるっと回転し、私の方を向く。
私はその隙に包みを開く。包装紙を丁寧にはがし、箱を開くとそこには宝石箱に納まっていてもおかしくないチョコレートが4つ入っていた。
椅子から降り、中身を覗き込むように私の正面に凝部くんがやってきた。

「すごい高そう」
「ヒヨリちゃんパパ、モテるんだね☆」
「えー、そうかなぁ」
「本気を感じるチョコレートだと思うけどな、僕は」
「私もそう思うけど…お父さんは開けてないから知らないよ」
「ふーん、じゃあ僕たちで証拠隠滅、しちゃう?」
「証拠隠滅って…でも美味しそうだしたべよっか」

紫色に輝くチョコレートを選んで、私はそれを口に運ぶ。
凝部くんは赤みがかったチョコレートをひょいと口に投げ込んだ。

「ん、これなんだか大人の味だ…」

口の中に広がる濃厚な味はチョコレートのそれだけではなく…お菓子に使うラム酒をとてもとても上等にしたような味だった。

「でも美味しい。ね、凝部くん」
「え? ああ、そうだね」

勢いのまま、もう一個も口に運ぶ。
口の中であっという間に消えてしまったチョコレートが名残り惜しくて私は口の端をぺろりと舐める。
そんな私をじっと見つめている凝部くん。
不思議に思って小首をかしげながら彼に尋ねる。

「凝部くん、食べないの?」
「うん、食べるよ」

最初よりも重い動作で、凝部くんはチョコを平らげた。

「もしかしてあんまり口に合わなかった?」
「口にあわないていうか、ヒヨリちゃんは全然平気なんだ?」
「え、何が?」

聞きたい事が分からず、私はさらに首をかしげる。
そんな私を真似して、凝部くんも同じ方向に首を傾けた。

「何可愛い事してるんですか、俺の彼女は」
「それを言うなら凝部くんも可愛い事してるんじゃないんですか」
「ええー」
「ええーはこっちの台詞だよ」

私の真似をするなんて妹みたい、と心の中で思ったけどそれは言わないでおく。
すると凝部くんはそのままゆっくりと横にころんと倒れた。

「ええ、どうしたの?」
「どうもしませーん」
「どうもしなかったら寝転がらないでしょ」
「じゃあ、俺がどうかしたって言ったらヒヨリは俺の事、甘やかしてくれる?」

寝転んだ姿勢のまま、凝部くんは私に手を伸ばす。
その手を握ると、いつもより熱くてぎょっとした。

「え、凝部くん熱でもあるの?」
「熱はないんじゃないかなー」

よく見ると、仄かに顔が赤い。
ずりずりと移動して、凝部くんの頭を私の膝に乗せると、凝部くんは驚いたように目を丸くした。

「え、何この超展開」
「甘やかしてほしいんでしょ?凝部くんの彼女なんで、これくらいはするよ」
「普段はしてくれないのにー」
「普段だって、言われたらするよ。多分」
「ほら、多分じゃん」
「はいはい。もしかしてチョコレートのせい?」
「へぇー、ヒヨリちゃんは僕がそんなやわに見えるんだ」
「見えないけど、もしかしてって思ったんだけど」
「キミは案外強そうだもんね」
「え、そう?」
「今だってケロリとしてるじゃん」
「それは、そうだね」

ちょっとラム酒がきついけど美味しいチョコでした。
凝部くんはじぃっと私を見つめて、それからはぁーっと盛大なため息をついた。

「本当なら酔っちゃったキミを介抱するとかの方がおいしいのに」
「それは大人になったら試してみようね」

お酒を飲んだらどうなるかなんてまだ分からないし。
ゆっくりと凝部くんの頭を撫でる。さらっとした指通りの良い髪が心地よい。
観念したのか、凝部くんはされるがまま受け入れる。

(凝部くんは可愛いなぁ)

「言っておくけど、キミの方が可愛いからね」
「え、声に出てた?」
「顔に出てましたけど?」
「さすが凝部くん☆」
「あーーもう!」

ふてくされたように凝部くんは私のおなかに顔をくっつけてぎゅっと抱き着いてくる。そういうところが可愛いって思うんだけどな、なんて今度は顔に出さないように気を付けよう。

「復活したら押し倒すから」
「うんうん、そうだね」
「本気に取ってないでしょ、ヒヨリちゃん」
「さあ、どうでしょ」

ふふっと笑う。
私の彼氏は可愛いな。誰にも教えたくない彼の一面をまた一つ知ってしまった。

 

可愛い人(宮玲)

「美味しい焼酎が手に入ったんです。良かったらどうですか?」

なんてにこにこと笑顔を浮かべた豪さんに誘われたら首を縦に振る事しか出来ないのは私だけじゃないはず…
ここのところ毎日午前様まで働いて、ようやく案件が片付いてもぎ取った休暇前日の夜。
豪さんの顔が見たくなって、疲れた体で彼の家を訪れた。
家に入る前、手鏡で髪や化粧を三回チェックした私は「これなら大丈夫!」と意気込んで訪問したが、開口一番「疲れた顔してますね、お疲れ様です」なんて言われてしまって、豪さんには隠し事が出来ないなぁと苦笑いを浮かべた。
小腹をすかせた私のために、手早く夜食を用意してくれた豪さんは思い出したかのように戸棚から焼酎を取り出した。

グラスに注がれていく焼酎を目を輝かせて見つめていると「玲さんは焼酎が大好きなんですね」と豪さんに笑われてしまう。

「焼酎、美味しいじゃないですか」
「僕も好きですよ」
「本当ですか? 嬉しいです!」
「でも玲さんの事の方が大好きですけどね」

さらりと言われる甘い言葉に慣れたつもりでも、やはり私の心臓はときめいてしまう。赤くなった顔を見て、「玲さんは可愛い」と豪さんは嬉しそうに笑った。

(…豪さんだって可愛いくせに)

穏やかに微笑む笑顔とか、たまにドジをするところとか、『猫さん』と猫を呼んで、猫語を話しちゃうところとか。
みんなに敬語で話すのに、私にだけは時々それが崩れちゃうところとか。
可愛いと思うところを挙げたらキリがない。

焼酎が注がれたグラスをそれぞれ持ち、小さく乾杯する。

「お疲れ様です」
「豪さんもお疲れ様です」

それから会えなかった時間のとりとめのない話を始める。
例えば、今日の九条家での出来事。今日はハンバーグを作ったら桐嶋さんが大喜びした事とか、庭のスイートピーが綺麗に咲いたとか。
私は仕事に関係のない話、青山さんに新しいレシピをこっそり教えてもらったとか。合気道の練習を兼ねて電車の中でバランス感覚を養おうとして手すりにつかまらないでいるとか。

「バランスボールとか良いんじゃないですか?」
「ああ、確かに! でもああいうのが部屋にあるとはしゃいじゃいそうですよね」
「はしゃいじゃうって…想像するだけで可愛いですね」
「じゃあ私は豪さんで想像しちゃいますからね」

焼酎を一口、また一口と飲む。豪さんのペースに合わせて飲んでいるとあっという間にグラスが空になった。
二杯目をつぐ豪さんの手を黙って見つめていると少しだけ熱のこもった瞳が私をとらえる。

「困りましたね、ちょっとだけ酔ってしまったかもしれません」

そういって豪さんは私の頬をするりと撫でる。
その指先はひどく熱い。私は少しだけ上目遣いで彼を見上げる。

「私、豪さんの嘘は分かるんですよ」

これくらいのお酒じゃ酔わない事なんてとっくの昔に知っている。
私も普段なら一杯くらいじゃ酔わないけれど、今日はもうすっかりアルコールが回ってしまっている。疲れた体にはお酒が染みる…それだけじゃなく、豪さんの存在も。

「私も少し、酔っちゃったかもしれないです」

だから私は素直に言葉にし、普段なら恥ずかしくて出来ないけどお酒の力を借りて甘えるように豪さんの肩にそっと寄りかかる。

「今日は泊まっていける?」
「…うん、そのつもりで来ました」

会える時間はめいっぱい傍にいたい。甘やかしたいし、甘やかされたい。
九条家に潜入捜査してた頃はずっと一緒にいれたから今が少し寂しく感じる事もあるけれど、お互いの居場所で頑張って、そして休む時は寄り添える、そんな今がとても好きだ。

豪さんがもう一度私の頬に触れる。
重なった唇から漏れる甘い息と、温度に私は安堵するように彼の背中に手を伸ばした。

君と食べるご飯 おやつの時間(マモル+ヒヨリ+メイ)

昼下がり。休憩をかねて庭のベンチに座っていると「お疲れ様です」と言って、茅ヶ裂さんが現れた。

「この場所、気持ち良いですよね。僕もよく来ます」

「仲間ですね。今日も図書館でバックナンバーを調べてたんですか?」

「はい。ずっと見てると目が疲れてきちゃって」

「俺もずっと図書館の本を呼んでた時は結構目が疲れたっけ…」

「ああ、やっぱり」

情報収集も進まず、進展はほとんどない。もっと焦りを見せるべきなのだろうか。いつも集めた情報は夕方、情報収集班のミーティングで話す事になっているが、今日は大した報告は出来なそうだ。

「あ、二人とも! ここにいたんですね」

「瀬名?」

「瀬名さん、お疲れ様です」

ひょこっと姿を見せたのは瀬名だった。制服のスカートがひらりと揺らしながら瀬名は小走りで俺たちのもとへやってくる。手には大き目のお皿を持っていた。

「ちょっと気分転換にクッキー焼いたんですけど、良かったら食べませんか?」

「クッキー」

そういえばお菓子作りも好きだと言っていたのを思い出す。クラスの女子たちがお菓子を持ち寄って食べている時、瀬名が手作りクッキーを持参したのを見かけた事があった。心底羨ましいと思ったそれを、今食べる機会がめぐってこようとは……

「ありがとうございます、いただきます。ね、陀宰くん」

「食べる」

「良かった!」

瀬名はお皿を俺たちの前に差し出した。クッキーは犬や猫、ウサギ、ひよこ…様々な動物の形をしていた。俺は猫の形をしているクッキーに手を伸ばし、割るのが可哀想に思えたので一口で食べる。さくさくとした食感と、程よい甘さをかみしめる。

「ちょうどいい甘さだな、これなら食べやすい」

「…そうですね。さくさくしてて美味しいです」

茅ヶ裂さんはひよこの形をしたクッキーを頬張りながら頷く。

「良かった! 久しぶりに焼いたのと、獲端くんの腕前を散々見せつけられてたから自信がどんどんなくなってたから」

瀬名はえへへと安心したように頬を緩めた。確かに獲端は料理もお菓子作りも貪欲に取り組んでいる。あの腕前を見せつけられ続けたら自信喪失しそうになるのも無理はない。

「でも、獲端くんから刺激を受けたり、色々教えてもらえたりするから勉強になってるんだけどね」

そういえばクラムチャウダーの隠し味も獲端に教わったと言っていたから、他にも色々と教えてもらっているのだろう。

「瀬名は強いな。あの暴言の数々から教わるなんて」

「獲端くん、言葉は厳しい時がありますけど面倒見良いですよね」

「こんなに話題にされたら獲端くん、今頃くしゃみしてるかも」

そう言って瀬名はくすりと笑った。ふと茅ヶ裂さんが何かに気づいたように口を開く。

「あ、瀬名さんも座って一緒に食べませんか?」

確かに瀬名は俺たちの前に立って、食べやすいように皿を支えてくれている。俺と茅ヶ裂さんはそれぞれ端に寄って、瀬名の座るスペースを作った。

「それじゃあ、お邪魔します」

(…これは)

思ったより瀬名が近い距離にいて、少し緊張してしまう。顔が赤くなっていないか少し心配しながら首元を撫でた。

「うん、美味しい! さっき焼きたてを味見したんだけど、熱くてあんまりわかんなかったんだよね、実は」

「それはそれで美味しそうですけどね」

「そうだな、ちょっと気になる」

瀬名が作るものならなんだって気になるんだけど、それは言葉にしない。

「じゃあ今度焼いた時はアツアツのまま二人に持ってきちゃいますね」

いたずらっこのような笑みを浮かべて、瀬名は約束をしてくれた。しゃべりながら食べているうちに皿の上のクッキーはずいぶんと減っていた。あと数匹しかいない猫に手を伸ばす。

「それにしてもやっぱり陀宰くんは猫が好きなんだね」

「え?」

「僕も思いました。さっきから猫ばっかり食べてますよね」

瀬名だけじゃなく茅ヶ裂さんにまで見られていて、照れくささから顔が熱くなる。

「別に猫ばっかりを選んでたわけじゃない。自然とだな」

「自然と猫ちゃんを選んじゃうんだもんね、陀宰くんは」

「ちが…! わないけど」

「ふふ、じゃあ残りの猫ちゃんは陀宰くんにあげるね」

瀬名は猫の形のクッキーを俺の近くに寄せる。

「そういえば明瀬さんの分、とっておいてあげなくて良かったんでしょうか」

この場にいない班の仲間の名前を出す。

「茅ヶ裂さん、こういうのは戦争なんで、この場にいない明瀬が悪いんです」

「それはそれは……」

俺の言葉に茅ヶ裂さんが納得したように頷きかけたところで、突然でかい声が庭に響く。

「ちょっと待った!! お前たちだけでなんか美味そうなもの食ってる?」

「ちっ、勘の良い奴」

その声の主は今話題に登った明瀬。タイミングが良いにも程がある。けれど、皿の上に残っているのはあと2枚。俺は自分の猫を急いで手に取る。

「一枚どうぞ、明瀬さん」

「サンキュー、茅ヶ裂さん! 陀宰、お前散々食べたんだろ?お前のそれも俺によこせ」

茅ヶ裂さんが譲った一枚をぺろりと平らげると明瀬は俺の手にあるクッキーを狙う。

「絶対嫌だ。これは俺のだ」

「いいだろ、減るもんじゃないし」

「減るだろ! クッキーは減るだろ!」

「あはは、二人とも仲良いなぁ」

「そうですね」

俺と明瀬の攻防戦を見守りながら、瀬名と茅ヶ裂さんはほほ笑む。

最後の一枚は良く味わって食べようと決めていたが、明瀬に取られるくらいならと急いで口に放り込む。

「あー! マジで食った!」

「俺のだ、悪いか!」

子供のような言い合いをしていると、さすがにもう見かねたのか瀬名が両手を腰について立ち上がる。

「もう! 二人ともまた焼くから喧嘩しないの!」

瀬名の一喝が響き、俺と明瀬は言い合いをやめる。

「さすが瀬名さんはお姉さんですね」

ぱちぱちぱちと茅ヶ裂さんの拍手を聞いて、俺と明瀬は顔を見合わせて笑ってしまう。

こんなくだらないけど、愛おしい日常みたいなものがこの場所で感じられるなんて。俺は心の奥深くに沈んでいた感情を少しずつ思い出していた。

君と食べるご飯 昼食の時間(ミズキ+リョウイチ+メイ)

午前中、情報収集するために図書館に足を運んだ。いくつかの本に目を通し、疲れた左目の瞼を軽く親指の腹で押す。じんわりと疲れが消えていった気がした。

(そろそろ昼飯にするか…)

一旦宿舎に戻るために外に出ると、射落さんとばったり出くわした。

「おや、陀宰くん。君も宿舎に戻るところかな?」

「そろそろ昼飯でも食べようかと思って」

「僕もなんだ。じゃあ、一緒に戻ろうか」

射落と連れだって歩く。班も違うし、年齢も離れている事もあって積極的に関わらない相手だ。あと、以前ドラマでからかわれた事があって、射落さんとは何を話していいかちょっと困る。

(からかわれたというか…もしも女だったら? っていうやつだけど。女の人にしては背が高いけど、男といえるほどガタイは良くないよな)

今時、これくらい背の高い女の人は探せばそこらへんにいるだろうし、ひょろっとした男だっていくらでもいる。だけど、どっちだ! と断言できないのは射落さんから発せられる雰囲気なんだろう。

「なんだか陀宰くんは僕と話すのが苦手そうだね」

「そんな事は…ないですけど」

「はは。君は素直な子だなぁ! 僕の事はお兄さんだと思ってなんでも相談してくれても良いんだよ」

「お兄さん…」

「お姉さんの方が良ければお姉さんでも構わないよ」

「いや…射落さんは射落さんのままでいいです」

射落さんはおかしそうに声をあげて笑った。

 

宿舎に着くと、リビングはがらんとしていた。昼食を取りに誰かいるかと思ったら今日はいなかったようだ。

「冷蔵庫にも…作り置きはなさそうだね」

射落さんは残念そうに肩をすくめる。冷蔵庫を閉めた。

「ん? 珍しい組み合わせだな」

「やあ、双巳くん」

キッチンに現れたのは双巳さんだった。

「ああ、二人とも昼飯か」

「そういう君もだろ?」

「まあ、そうですね。その様子をみると作り置きはなさそうですけど」

「今日は出遅れたみたいだね」

はは、と笑うと双巳さんは顎を一撫でして、炊飯器をあけた。どうにか三人分くらいは米は残っているようだ。

「仕方ない。たまには俺が作るかな」

「今日は双巳お母さんの出番だね」

「射落さんに言われるとなんとも言えないですね」

「…手伝います」

「ああ、すまないな。それじゃ、豚肉とネギ…と葉物野菜なんか適当にを出してもらえるか」

指示されるがまま、冷蔵庫の中を覗く。豚肉は夕食用とラップに書かれていて使ってはいけないようだった。代わりになりそうなものと思い、ベーコンを手に取る。それとネギとレタスを持って、双巳さんに手渡した。

「豚肉使うなって書いてあったんで、ベーコンでもいいすか?」

「ああ、十分だ」

「食材が足りないならバウンサーに頼んでみたら良いんじゃないかい?」

「あり合わせで飯を作るのは慣れてますから。」

そういえば以前、双巳さんは自炊をすると言っていたっけ。

「出来上がるのが楽しみだね」

射落さんは見守る事に決めたらしい。俺たちの数歩後ろに立って、様子を見守っている。

「じゃあ、悪いけどそのレタスを洗って、適当な大きさにちぎってくれるか」

適当な大きさというものが全くもって分からない。レタスを洗ってから固まっていると、射落さんが吹き出した。

「疑部くんは分かりやすいね。適当な大きさは一口サイズ…くらいで良いんじゃないかな」

「…なるほど」

あんまり感情が表に出るタイプではないんだが、射落さんから見ると俺は分かりやすいらしい。洗ったレタスをちぎり、ざるにあげておくとその隙に双巳さんは厚めに切ったベーコンをバターを溶かしたフライパンで焼いていた。ほのかににんにくの香りもするから一緒に焼いているのだろうか。明瀬と食べたインスタントラーメン以来、少しにんにくを意識している自分がいる。ベーコンから出る脂のはじける音がすでに美味しそうだ。一体何を作るつもりなんだろうかと見守っていると「丼ぶりに飯、盛ってくれ」と指示を出される。大人しく器に持っていると、じゅわぁ!と焼ける音が響く。ご飯をついだ丼ぶりを持って戻ると、さっき俺がちぎったレタスをご飯の上に乗せ、さらにその上には醤油で味付けしたベーコンが三枚ずつ乗せられた。フライパンに残っていた醤油をその上に少し垂らすと、そのフライパンをささっと洗って、再び火にかけて今度は目玉焼きを作った。

「慣れてますね…」

「独り暮らししてたら誰だってこれくらい出来るようになるって」

「陀宰くんは料理に興味ないと思ってたけど、違うようだね?」

俺が射落さんの事を少し苦手だと思う理由は、きっとこれだ。勘が良すぎる。

「……そんな事はないですけど」

「もしかして手料理でも振舞いたい相手がいるとかかな。若いなぁ」

射落さんは楽しそうに笑ったところで、「よし、完成だ」と仕上げに目玉焼きを乗せた丼ぶりを俺たちに手渡した。

普段座る位置に座ると、俺の隣には射落さん、正面には双巳さんが座って、逃げ場を失った気分になる。

「いただきます」

それぞれ手をあわせ、食事を始める。まず厚く切られたベーコンにかぶりつくとじゅわっと脂があふれた。そのままご飯をかきこむようにして食べるとベーコンのしょっぱさと醤油だれが絡んで美味い。さっぱりしたくなったらレタスを食べる。アクセントにちらされているネギもちょうど良い。

「うん、美味しいね。少しわさびが効いていて、そこがまた美味しいよ」

「大人になってからわさびの良さが分かるようになりますよね」

「確かにそうだったかもね」

「そういうもんですか……」

確かに俺はわさびが効いていて美味い! というより、にんにくバター醤油で味付けされているのが美味いと感じた。

「陀宰くんも大人になれば分かるよ」

「なんだかおっさんみたいな口ぶりですよ、射落さん」

そう言って、二人は笑った。

大人になれば味覚も変わる。子供の頃食べれなかったものが大人になって美味しく感じるようになるといった話は、姉たちも言っていた気がする。

「大人になるということは何かしら変化することだからね」

俺の考えを見透かしたみたいに射落さんが言葉にする。

「でも、変わらないものも必ずあるんだよ。ね、双巳くん」

「そこで俺に振るんですか。ま、全部が全部、変わるわけないな」

「だから…好きな女の子のために料理の腕前をあげたいと思う君の気持ちは素晴らしいと思うよ」

「…!!! いつ、そんな事言いました?」

「おや、違ったのかな?」

「陀宰は分かりやすいな」

二人の生暖かい視線がいたたまれなくなって、俺は勢いよく残りの丼をかきこむのだった。

君と食べるご飯 朝食の時間(トモセ+ヒヨリ+メイ)

調理班があるとはいえ、朝と昼は各自で用意する事がほとんどだ。起きるタイミングによって朝食にありつけるかどうかが決まるといってもいい。

今日はいつもより少し早く目が覚めた。寝癖がない事を確認してからリビングに降りると香ばしい匂いがふわりと漂っていた。

(また朝からパンを焼いてるのか、獲端。マメだな)

クロワッサンが手作り出来るなんて獲端に出会わなかったら一生知らなかったかもしれない。そんなどうでもいい事を考えながらテーブルの方を見ると、萬城が一人で朝食を食べていた。

「…おはよう」

「おはようございます」

すぐさま俺から視線を離して、器にたっぷりとつがれたクリームシチューのようなものをスプーンですくって口に運ぶ。

「あ、おはよう! 陀宰くん」

「…おはよう、瀬名」

キッチンからひょいっと姿を見せたのは瀬名だった。手には萬城と同じ器を持っていて、どうやら瀬名もこれから朝食のようだ。

「もし良かったら陀宰くんも食べる? 多く作りすぎちゃったから食べてくれると嬉しいんだけど」

「…!」

まさか瀬名の手料理にありつけると思っていなかったので、思わず気持ちが跳ねる。

「ああ、助かる」

「パンは獲端くんが作ったんだけど、いつも通り美味しそうだよ。じゃあ、陀宰くんの分用意してくるから座ってて」

「ああ」

瀬名はくるりと反転し、キッチンへと舞い戻る。その姿をぼんやりと眺めていると突き刺さるような視線を感じ、恐る恐るそちらに目をむける。

目で人を殺せるなら、俺はとっくに萬城に殺されていそうだと思うような視線だ。

「……何か用か?」

「陀宰さんってヒヨリの事、よく見てますよね」

「…それをお前に言われるのか」

萬城の事はここに来る前からもちろん知っていた。瀬名の彼氏かと思っていた時期があったくらいだ。委員会で共に行動する事がある時、萬城は今のような目をして俺を見ていた事もある。

「一つ言っておきますけど」

「ああ」

「このクラムチャウダーはヒヨリが俺のために作ったクラムチャウダーです」

クラムチャウダーと言われて、一瞬犬種か何かかと思ったが、得意げな顔をして器のものをすくって食べる萬城を見て、それがクラムチャウダーなのだと分かった。

萬城に何か言葉を返そうかと思ったが、うまい言葉が見つからなくて一度開いた口は何も言葉を紡げずに閉じてしまう。そのタイミングで瀬名が戻ってきた。

「お待たせ! おかわりもあるからいっぱい食べてね!」

「ああ、ありがとう」

俺の目の前に置かれた丸い器には乳白色のスープがなみなみとそそがれていた。一緒に置かれた木製のスプーンを手に取り、俺はそっとスープをすくう。あさりと厚めに切られたベーコン、煮込まれて程よくくずれたジャガイモ、玉ねぎ、それと小さくニンジンが入っていた。

(ニンジンか…)

苦手な食べ物はどう食べても苦手だ。けど、瀬名が作ってくれた料理に入ってるんだから食べないわけにはいかない。俺は恐る恐るスプーンを口に運んだ。

「ん…うまい」

クリーム系のスープだからもっと重たい感じなのかと思いきや、さらりと口のなかにひろがり、優しい味がした。あさりのだしが出ていて、それもまた美味い。

「良かった! クラムチャウダーはトモセくんの好物なんだよ」

「ああ、だからか」

さっき得意げに萬城が言ったのは。自分の好物を瀬名が自分のために作ってくれたから自慢したかったのか。

(その気持ちは…正直分かる)

「ヒヨリ、食べないと冷めるぞ」

「あ、そうだったね。いただきまーす!」

瀬名は俺と萬城が食べている姿を見て、満足していたのか自分の食事を始めるのを忘れていたらしい。きっと家でも、妹や弟たちが食事をする姿を見て、自分の事をおろそかにしていたんだろうな。そんな姿を想像するとふと笑みが浮かんだ。

「ん! 美味しい! 今日はね、隠し味にあるものを入れてるんだ。分かる?」

「隠し味?」

「いつもそんなのいれてたか?」

「ふふ、実はさっき獲端くんに教えてもらっていれてみたの」

瀬名の声が聞こえたのか、キッチンから盛大な舌打ちが聞こえてきた。余計な事をしゃべるなという意思表示だろう。

「…隠し味なんていれなくたってヒヨリが作るクラムチャウダーはいっつも美味かった」

「でも今日のも美味しいでしょう?」

「それは…まぁ、そうだな」

幼馴染の会話を聞きながら、俺は隠し味を探るようにクラムチャウダーを口に運ぶ。ニンジンを一緒に食べる時は出来るだけかまずに飲み込むようにしながら、一旦パンに手を伸ばす。獲端の作ったクロワッサンは中央から割ると、さくっとドラマのワンシーンみたいな音を奏でる。一口かじると、ふんだんに使われているバターが、口の中いっぱいに広がった。

それでふとあることを思い出して、俺はクロワッサンを皿に置いて、クラムチャウダーをもう一度口に運ぶ。ゆっくりと舌の上を転がすように飲み込んで、俺は答えを見つけた。

「味噌、じゃないか」

「え?」

瀬名が驚いたように俺のほうを向く。視線がぶつかり、俺はとっさに目をそらしてしまうが瀬名は気にした様子もなく、「凄い! 陀宰くん!」と明るい声をあげた。

「正解だよ! お味噌がちょっとだけ入ってるの。お味噌を隠し味にいれるとぐっとコクが深くなるんだって。入れた私でさえ味噌の味なんて見つけられなかったのに、陀宰くん凄いね!」

興奮気味に瀬名はまくしたてるように言葉を紡ぐ。その隣で萬城は面白くなさそうな顔をしながら、クラムチャウダーを食べるのを再開した。その顔も、一口好物を食べれば喜びをかみしめるような表情へと変わった。

「ヒヨリ、おかわり」

「ふふ、了解! あ、陀宰くんもおかわりする? もうすぐなくなりそうだけど」

言われて器のなかを見ると、もうすぐ底が見えそうだった。隠し味の事を考えながら食べていたからか、気づいたらずいぶん食べていたようだ。少し腹も膨れてきていたけれど、俺は―

「じゃあ、俺も頼む」

「うん! 二人とも待ってて」

瀬名は俺たちの器を持って、キッチンへと消えていく。「隠し味の事、ばらしてんじゃねぇ」と獲端の声が聞こえてきた。

「…陀宰さん」

「ん?」

「あれはヒヨリが俺のために作ったクラムチャウダーです」

おかわりするなと言いたいんだろう。確かにあれは瀬名が萬城のために作ったのかもしれない。

「でも、瀬名は俺にもおかわりを勧めてくれたから…」

「…ヒヨリはそういう奴なんです。誰にでも親切にする性分なんです」

「それは……お前に言われなくても知っているよ」

嫌というほどに。瀬名の優しさに俺は何度も心を揺さぶられた。けれど、ただ優しいだけの子じゃない事も俺はよく知っている。

(だから、好きになったんだ―)

萬城はわざとらしい溜息をつくと、「おかわりしたんですから、残したら承知しないですよ」と言った。

「ああ、そのつもりだ」

しばし沈黙が流れたところで、瀬名が戻ってきた。器にはさっきと同じくらいそそがれたクラムチャウダー。

「二人ともお待たせ! まだあるけど、無理しないでね」

そう言われて、俺と萬城は視線をかわす。他の誰にも渡してたまるかと萬城も思ったんだろう。2杯目も黙々と食べているとようやく朝食を再開した瀬名が俺を見つめた。

「トモセくんがクラムチャウダー好きなのは知ってたけど、陀宰くんも好きなんだね。グラタンも好きだからクリーム系の料理が好きなのかな?」

「…確かにそうかもな」

クラムチャウダーをこんなにかきこむように飲んでるのは間違いなく目の前にいる人物が作ったものだからだ。これが獲端だったらおかわりなんてしない。

「また作るね。あ、もちろんグラタンも」

「…グラタン、楽しみにしてる」

きっと俺の真意には瀬名は気づいていないだろうけど、瀬名の手料理が食べれるならこれ以上の幸せなんてない。なんて事を思うくらいには今の俺は胸も腹もいっぱいだった。

君と食べるご飯 夜食の時間(キョウヤ+メイ)

独りだった宿舎が、今は十人と大所帯になった。

姿が見えなくても、自分以外の誰かの存在があるだけで宿舎の中が明るくなる気がする。

その中に、自分の好きな女の子もいるんだから当然…落ち着かない気持ちにもなる。

(いやいや、そういうやましいんじゃなくて、俺が瀬名を呼び寄せて巻き込んだから)

自分の胸の中に渦巻くのは罪悪感だ。その罪悪感を振り払うように俺は顔を小さく振った。

その時、小さく腹の音が鳴った。慌てて、自分の腹を抑えるがその行動のせいで今度は大きな音を立てて、空腹は主張してきた。

(とりあえず…つまめるもの探しに行くか)

もしかしたら獲端が何か作り置きしているかもしれない。正直な気持ちを言えば瀬名の作った何かが食べたいけど、ひとまず下に下りてみる事にした。

階段を下りてリビングへ行くとキッチンから人の気配がした。こんな夜遅くに誰かいると思わなかったので、少し警戒しながら近づく。

「誰かいるのか?」

「え?」

声をかけながらキッチンに踏み込むとそこにいたのは明瀬だった。

「こんな時間にどうしたんだ?」

「なんか腹減ってさ、無性にインスタントラーメンが食べたくなってさ」

明瀬はキッチンの戸棚に腕を突っ込んで、ごそごそとお目当てのものを探していた。

「あんまり散らかすと獲端がうるさいんじゃないか…?」

「ちゃんと片付けるから大丈夫だって。で、陀宰は?」

「ああ、俺もお前と同じだ。小腹が減ったからなんかないか探しにきた」

「おっ、やっと見つけた! 醤油と塩があるけど、どっちがいい?」

「醤油で」

「了解。じゃ、俺も醤油にするかな。陀宰、鍋出してくんね?」

「ああ」

そう言われて伸ばした手を止める。

「…鍋ってどこにしまってるんだ?」

普段、キッチンに立つ事なんてほとんどない。あっても既に調理器具が出された状態の事が多く、どこにしまわれているのかさえ把握していなかった。

「んー、ここらへんじゃね?」

そう言って明瀬は適当に戸棚を開けていく。ぐしゃぐしゃになっている棚の中はおそらく明瀬がひっかきまわした名残だろう。「ここじゃない、ここでもない」と開いては閉めを繰り返し、四つ目に開いた棚の中に小さめの鍋を見つけた。

「おっ、これでいいじゃん」

「じゃあ、お湯沸かすか」

「俺は具を探すかなっと」

蛇口から水を計量カップで測って鍋に移し、それから火をかける。鍋の中を見ていると小さな気泡が浮かんでは消えていく。

「明瀬、なんか具あったか?」

「大量に作られた煮卵は見つけた。けど食べたら獲端怒るだろうなぁ」

「ああ…確かに」

先日、廃寺が勝手に煮卵を食べた時に激怒していたのを思い出す。食べごろに食わないといけないらしいからそっと煮卵は冷蔵庫に戻した。

「普通の卵と、あ…ハムあるな。それとネギでどうだ?」

「十分だ」

明瀬は取り出した食材をまな板の上に置いて、手早く切っていく。それを横目で見ながら、俺は袋から麺を取り出し、お湯のなかに放り込んだ。

「バウンサー。三分経ったら教えてくれ」

「リクエスト、受け付けました」

菜箸で麺をつつきながら、ぐるぐるとお湯のなかで回しているとぽいぽいと細かく刻まれたネギが放り込まれ、そのあとに卵が落とされた。白身が衣のように舞う姿はちょっとキレイだなっと思った自分に少し笑えた。

「なんか楽しそうな顔したけど?」

「ああ…いや、白身がキレイだなって思った事に笑った」

「なんだよ、それ」

「さあ?」

明瀬もまじまじと白身を見つめ、「ちょっと陀宰の気持ちが分かったかも」と笑った。そんな事で笑える俺たちは、なんて平和なんだろうかと思うとまた笑いがこみあげてきた。

「三分経ちました」

後ろにいたバウンサーの声を聞き、俺は火を止める。器には粉末とたれを入れてあったが、気づいたら何かが追加されていた。

「それ、にんにく。ちょっと入れるだけでめっちゃ美味くなるから」

「へぇ…意外と詳しいんだな、明瀬」

てっきり料理(と呼べるほどのものではないが)なんて出来ないだろうと思っていたのに、俺よりも手際良く包丁を使ったり、隠し味を用意したりと芸が細かい気がする。

「家でよく腹空いたら作ってたからな」

「そうか」

家にいた頃、腹が空けば冷蔵庫には何かしら入っていたし、自分で何かを調理するなんて事はほとんどなかった。もう少し何かやっておけばよかったかもしれないと少し後悔する。

ゆであがった麺とお湯を入れてから、鍋に残った卵をお玉ですくって器に盛る。そこに明瀬がハムを追加して出来上がった。美味しそうな香りが胃袋を刺激する。

「じゃ、食べるか」

テーブルに移動し、向かい合って座ると俺たちはラーメンをすすり始める。スープを一口飲んでみると、ほのかに感じるにんにくが醤油味をひきたてていて、美味い。

「久しぶりに食べたけど、美味い!」

「ああ、うまいな。明瀬のいれたニンニクが効いてる」

「だろ? あとは塩ラーメンだとごま油とか少し垂らすとうまいぞ」

「やめろ、塩味食べたくなるだろ」

「ははっ、もう夜食の域を超えるだろ、それ」

そんな他愛のないやりとりをしながら、途中からラーメンを食べることに夢中になっていった俺たちの間にはラーメンのすする音しか聞こえてこなかったが、不思議だ。

独りで食べてた時は美味いなんて思わなかったのに。目の前に誰かがいて、一緒に同じものを食べているだけなのに、一袋百円にも満たないであろうインスタントラーメンがどうしようもなく美味しく感じた。

「ーはぁ! 美味かった! 御馳走様」

「確かに美味かった。御馳走様」

それぞれ手を合わせ、食器をキッチンへ運ぶ。ささっと済ませたかったが、調理をほとんどしたことない俺は、当たり前のように洗い物もあまりした事がなかった。自分でも手際が悪いなと考えながら、食器を洗う。

膨らんだ腹を満足げに撫でながら二人で階段を上る。別れる間際、明瀬がにやりと笑った。

「じゃ、今度の夜食は塩ラーメンだな」

「今度っていつだよ」

「俺たち、成長期なんだからすぐ夜中に腹出るだろ。例えば明日とかも」

「ふっ、確かに。じゃあ、次の時は俺が作るよ」

「お、いいじゃん。陀宰の塩ラーメン楽しみにしておく」

「……あんまり期待はしなくていい」

「了解。じゃ、おやすみ」

「ああ。おやすみ」

明瀬と別れて、自室に戻る。満たされたのは腹だけじゃないのかもしれない。

ベッドにもぐりこむと、さっきのラーメンの味をもう一度思い出す。

(にんにく…ごま油…味噌ラーメンなら何が合うんだ)

そんな事を考えながら眠りについたのは、初めてだったかもしれない。

 

翌日、キッチンの戸棚を開けて、とんでもない惨状に気づいた獲端が激怒するなんて事も浮かばない程に穏やかな眠りだった。

欲しかったモノ(タクヒヨ※BADEND)

二人きりの世界。
望めばなんだって手に入るこの場所はきっと楽園だろう

「ヒヨリ」

彼女の名前を呼ぶと虚ろな瞳でボクをとらえ、そうしてゆるく微笑んだ。

「タクミくん、どうしたの?」
「ヒヨリはどこか行きたいところ、ある?」
「行きたいところ?」

ヒヨリは人差し指を顎にあてて、考え込む。
そのしぐさが少し幼くて可愛かった。

「うーん…タクミくんがいるならどこでもいいよ」
「ボクと一緒だ」
「ふふ、嬉しいなぁ」

甘えるようにヒヨリがボクにもたれかかってくる。
そんな彼女の肩を抱いて、ボクは目を閉じる。

 

全部全部ほしかった。
瀬名お姉ちゃんの瞳に映るものがボクだけになればいいと思ってた。
ボクの全部をあげるから、キミの全部が欲しいと初めて伝えた時は戸惑った顔をされたけど。

「ねえ、ヒヨリ」
「なぁに?」
「ヒヨリの全部、ボクにちょうだい」

ヒヨリは驚いたように目を丸くし、それから緩く微笑んだ。

「私の全部、もうタクミくんのものだよ」
「あ、そっか」
「ふふ、変なタクミくん」

全部欲しかった。
欲しかった彼女は、今はもうボクの腕のなか。
その瞳に映るのも、記憶に存在するのも、ボク一人。

だけど、どうしてだろう。
目を細めて見つめた、眩しい笑顔だけはこの腕のなかには見当たらなかった。

 

本番は来年に(ヴァンカル)

いつもより少し豪華な夕食を食べ、今日という日があと数分で終わる頃。
屋敷の庭から空を眺めていた。

「晴れてよかったね」
「ああ、そうだな。寒くないか?」
「うん、大丈夫」

ヴァンにそっと寄りかかり、彼の体温を感じる。
これが恋人同士の距離感だと思うと、少し照れくさい。
だけどようやくこうやって甘えることにも慣れてきた・・・ような気がする。

「もうすぐお前と出会った年が終わるんだな」
「なんかあっという間だったね」

色んなことがあった。
何もない日々からあっという間に。
鮮やかなほど世界は変わった。ヴァンと一緒にいられて、良かった。
手袋越しに触れることにも慣れたけれど、やっぱりいつかは触れ合いたい。

「ヴァン、来年は私もっと頑張るね」
「ん?なにをだ」
「ヴァンともっと恋人みたいなことが出来るように。
いつか、素肌で触れるように・・・」
「それは私にとっても悲願だからな」

私の肩を抱くと、少しだけ力が籠もる。
外気から私を守ろうとしてくれてるんだろうか。それがくすぐったい。

「カルディア、知っているか」
「なに?」
「年が変わるそのときに、恋人同士はしなければならないことがあるんだ」
「え?」

私の手を、持ち上げるとヴァンはそっと口付けた。
そのとき、遠く街から歓声と鐘の音が聞こえる。
新しい年が、来た。

「来年はここに口付けできるだろう」

ヴァンは私の唇を指でなぞると、真剣な瞳で私を見つめた。

「・・・ヴァン、えと・・・」

どうしよう、凄く恥ずかしい。
顔から火が出るんじゃないかっていうくらい熱い。
じっとヴァンを見つめていると、ヴァンはようやく表情を崩した。

「そう固くなるな、そのときには私の全てでカルディアを愛するからな」
「・・・え?」

もう一度手の甲にキスを落とすと、ヴァンは笑った。

初詣(夏深)

夏彦の手をとり、私は少し足早に歩く。

「おい、危ないぞ」
「大丈夫よ、昔は着物で過ごしていたんだから」

久しぶりに身につけた着物は、まるで昔の記憶を呼び覚ますようだった。
辛い記憶じゃない。懐かしい、と穏やかな気持ちで思えるようになったのはこの人のおかげだ。
普段の洋装も好きだけど、やはり和装は身体に馴染む。
少し浮かれた気持ちで歩いていると、つるりと地面が滑った。

「きゃっ」

転びそうになった私を夏彦は受け止めると、だから言っただろうといわんばかりの表情になる。
繋いだ手をきゅっと握り、ぽつりと呟く。

「おまえに何かあったら、俺がこまる」
「・・・ごめんなさい。ちょっと浮かれていたわ」
「浮かれていた?」
「夏彦と一緒に初詣に行けるなんて思っていなかったから」
「・・・!」

最近は徹夜続きだった為、なかなか二人でゆっくり過ごせないでいた。
だから今朝、夏彦が初詣に行こうと誘ってくれた時凄く嬉しかったのだ。
実家から持って帰ってきた荷物のなかから着物を引っ張り出し、私はうきうきと身につけた。

「・・・その、」
「?」

ごほん、と咳払いすると夏彦は私の手を握りなおした。

「着物、よく似合っている」
「ありがとう、夏彦」

参拝客ですっかり行列が出来ている中、私たちもそれに並ぶ。
沢山出ている屋台を見ると、七海のことをふと思い出した。
あの子、ああいうもの好きそうだし、こはるも喜びそうだわ。
そんなことを考える相手が出来た事が嬉しい。
そして、一緒に初詣に行きたいと思う相手が出来た事・・・それがなんだかくすぐったい。

「でも夏彦が誘ってくれるなんて思わなかったわ。
夏彦ったらこういうの好きそうじゃないもの」
「ああ、好かんな」
「じゃあどうして?」
「・・・お前が好きそうだからだ」

じんわりと、夏彦の言葉が胸のうちに広がるようだ。
自分が好きじゃないものなのに、私のために誘ってくれるなんて。

「ありがとう、夏彦」

ゆっくり進む列のなか、私は神様じゃなく夏彦に感謝した。

きっと彼は、来年も私を誘い出してくれるんじゃないだろうか。
そんな未来を想像して、私は小さく微笑んだ。

これからもずっと(暁七)

飲食店なのだから元旦も仕事になるんじゃないかと危惧していたけれど、
店自体が休みになったおかげで今こうして七海の隣にいられる。

「七海、手」
「うん」

人混みのなか、七海と離れないようにぎゅっと手を握る。
七海は人混みよりもその先に見える屋台が気になるようで視線がうろうろしている。

「参拝が済んだら寄るからちゃんと前、見てろ」
「うん。暁人、いか焼き食べたい」
「おまえ、せっかくの着物よごさないか?」
「大丈夫、綺麗に食べるから。
それに暁人がせっかく作ってくれた着物だもの。絶対汚さない」
「・・・そうか」

せっかくの正月だ。
初めて二人で過ごす正月だから特別なものにしたい、っていうと少し大げさだけど。
七海に似合う着物の生地を見つけてしまったのだ。
着せてやりたいと思うのは当然のことだろう。
参拝客の列に並んでから随分経っているが、ようやく拝殿前にたどり着いた。
二人で賽銭を入れて、願い事をする。
ようやく参拝も終わり、七海が狙っていた屋台へと移動する。

「うまいか?」
「うん!」
「そうか。あんまり食いすぎるなよ。帰ったら飯あるんだから」
「大丈夫。暁人のごはんはいくらでも入るから」

幸せそうにいか焼きを食べる七海の口元についたたれを指先で拭ってやるとぺろりと舐めた。
いか焼きのたれの味を記憶し、今度作ってやろうと内心意気込む。

「ねえ、暁人」
「ん?」
「暁人、真剣にお祈りしてたけど何を祈ってたの?」
「家内安全、かな」
「ふふ、暁人らしい」
「そういうお前は?」
「私は、お願いっていうより・・・暁人と一緒にいさせてくれてありがとうってお礼を言ってた」
「・・・ばーか」

ぽんぽんと七海の頭をなでると、俺は笑った。

「ありがとうって言うのは俺の方だよ」
「・・・暁人」
「ありがとな、一緒にいてくれて」
「・・・私がお礼を言ったのは暁人にじゃなくて神様だけど」

恥ずかしかったのか、七海は残りのいかを口に入れて俺から視線をそらした。
誰かとこんな風に穏やかな気持ちで正月を迎えられるなんて思っていなかった。

「俺も神様に言ったんだよ」

来年も再来年も、こうやって七海と過ごせるように。
そんな事を願ったのは、内緒だ。

入りきらない(ヴィルラン)

なんだかよく分からないが、そわそわしてる。

「・・・」

隣にいるランを見ると、ぱっと目があうが慌てて逸らされる。
なんか怒らせるような事をした覚えはない。
ランが作ったというマフィンを頬張りつつ、あたりを見回した。

「なんか落ち着かないな」
「え、そうかな」
「ああ、なんでこんなに妙にそわそわしてるんだ?みんな」
「それは・・・その、」

言いづらそうに俺を見つめる。
なんでそんなに言いづらいのか分からず、首をかしげるとランは意を決したように口を開いた。

「だって明日はクリスマスだから」
「へぇ」
「・・・あの、ヴィルヘルム」
「くりすますってなんなんだ?」

俺のその言葉を聞いて、ランは盛大なため息をついた。

「要は相手が欲しいものを靴下にいれるってことか?」
「うーん・・・そんな感じ、かな」

サンタクロースというじいさんがソリにのって空を飛んで?
プレゼントを配るというのがクリスマスらしい。
そこから派生して、靴下をつるしておくと欲しいものがもらえるみたいな話らしい。

「おまえ、なんか欲しいものあるのか?」
「え、私はヴィルヘルムが選んでくれるものなら・・・」
「俺、サンタじゃないけど良いのか?」

クリスマスはサンタからプレゼントをもらうって話だったと思うんだが。
ランは頷くと、同じ問いを俺に返した。

「ヴィルヘルムは何かほしいものある?」
「俺の欲しいものは靴下には入らないんじゃねーか」

そもそも俺が欲しいものなんてひとつしかない。
ランの肩を抱き寄せると、心地よい体温がすぐ傍になった。

「おまえ、靴下はいれそうか?」
「-っ!」
「俺が欲しいものっていったらお前しかないけど」
「・・・ヴィルヘルムはたまにずるいよね」
「なんだよ、それ」
「思ったことを言っただけ」

ランが嬉しそうに笑った。