調理班があるとはいえ、朝と昼は各自で用意する事がほとんどだ。起きるタイミングによって朝食にありつけるかどうかが決まるといってもいい。
今日はいつもより少し早く目が覚めた。寝癖がない事を確認してからリビングに降りると香ばしい匂いがふわりと漂っていた。
(また朝からパンを焼いてるのか、獲端。マメだな)
クロワッサンが手作り出来るなんて獲端に出会わなかったら一生知らなかったかもしれない。そんなどうでもいい事を考えながらテーブルの方を見ると、萬城が一人で朝食を食べていた。
「…おはよう」
「おはようございます」
すぐさま俺から視線を離して、器にたっぷりとつがれたクリームシチューのようなものをスプーンですくって口に運ぶ。
「あ、おはよう! 陀宰くん」
「…おはよう、瀬名」
キッチンからひょいっと姿を見せたのは瀬名だった。手には萬城と同じ器を持っていて、どうやら瀬名もこれから朝食のようだ。
「もし良かったら陀宰くんも食べる? 多く作りすぎちゃったから食べてくれると嬉しいんだけど」
「…!」
まさか瀬名の手料理にありつけると思っていなかったので、思わず気持ちが跳ねる。
「ああ、助かる」
「パンは獲端くんが作ったんだけど、いつも通り美味しそうだよ。じゃあ、陀宰くんの分用意してくるから座ってて」
「ああ」
瀬名はくるりと反転し、キッチンへと舞い戻る。その姿をぼんやりと眺めていると突き刺さるような視線を感じ、恐る恐るそちらに目をむける。
目で人を殺せるなら、俺はとっくに萬城に殺されていそうだと思うような視線だ。
「……何か用か?」
「陀宰さんってヒヨリの事、よく見てますよね」
「…それをお前に言われるのか」
萬城の事はここに来る前からもちろん知っていた。瀬名の彼氏かと思っていた時期があったくらいだ。委員会で共に行動する事がある時、萬城は今のような目をして俺を見ていた事もある。
「一つ言っておきますけど」
「ああ」
「このクラムチャウダーはヒヨリが俺のために作ったクラムチャウダーです」
クラムチャウダーと言われて、一瞬犬種か何かかと思ったが、得意げな顔をして器のものをすくって食べる萬城を見て、それがクラムチャウダーなのだと分かった。
萬城に何か言葉を返そうかと思ったが、うまい言葉が見つからなくて一度開いた口は何も言葉を紡げずに閉じてしまう。そのタイミングで瀬名が戻ってきた。
「お待たせ! おかわりもあるからいっぱい食べてね!」
「ああ、ありがとう」
俺の目の前に置かれた丸い器には乳白色のスープがなみなみとそそがれていた。一緒に置かれた木製のスプーンを手に取り、俺はそっとスープをすくう。あさりと厚めに切られたベーコン、煮込まれて程よくくずれたジャガイモ、玉ねぎ、それと小さくニンジンが入っていた。
(ニンジンか…)
苦手な食べ物はどう食べても苦手だ。けど、瀬名が作ってくれた料理に入ってるんだから食べないわけにはいかない。俺は恐る恐るスプーンを口に運んだ。
「ん…うまい」
クリーム系のスープだからもっと重たい感じなのかと思いきや、さらりと口のなかにひろがり、優しい味がした。あさりのだしが出ていて、それもまた美味い。
「良かった! クラムチャウダーはトモセくんの好物なんだよ」
「ああ、だからか」
さっき得意げに萬城が言ったのは。自分の好物を瀬名が自分のために作ってくれたから自慢したかったのか。
(その気持ちは…正直分かる)
「ヒヨリ、食べないと冷めるぞ」
「あ、そうだったね。いただきまーす!」
瀬名は俺と萬城が食べている姿を見て、満足していたのか自分の食事を始めるのを忘れていたらしい。きっと家でも、妹や弟たちが食事をする姿を見て、自分の事をおろそかにしていたんだろうな。そんな姿を想像するとふと笑みが浮かんだ。
「ん! 美味しい! 今日はね、隠し味にあるものを入れてるんだ。分かる?」
「隠し味?」
「いつもそんなのいれてたか?」
「ふふ、実はさっき獲端くんに教えてもらっていれてみたの」
瀬名の声が聞こえたのか、キッチンから盛大な舌打ちが聞こえてきた。余計な事をしゃべるなという意思表示だろう。
「…隠し味なんていれなくたってヒヨリが作るクラムチャウダーはいっつも美味かった」
「でも今日のも美味しいでしょう?」
「それは…まぁ、そうだな」
幼馴染の会話を聞きながら、俺は隠し味を探るようにクラムチャウダーを口に運ぶ。ニンジンを一緒に食べる時は出来るだけかまずに飲み込むようにしながら、一旦パンに手を伸ばす。獲端の作ったクロワッサンは中央から割ると、さくっとドラマのワンシーンみたいな音を奏でる。一口かじると、ふんだんに使われているバターが、口の中いっぱいに広がった。
それでふとあることを思い出して、俺はクロワッサンを皿に置いて、クラムチャウダーをもう一度口に運ぶ。ゆっくりと舌の上を転がすように飲み込んで、俺は答えを見つけた。
「味噌、じゃないか」
「え?」
瀬名が驚いたように俺のほうを向く。視線がぶつかり、俺はとっさに目をそらしてしまうが瀬名は気にした様子もなく、「凄い! 陀宰くん!」と明るい声をあげた。
「正解だよ! お味噌がちょっとだけ入ってるの。お味噌を隠し味にいれるとぐっとコクが深くなるんだって。入れた私でさえ味噌の味なんて見つけられなかったのに、陀宰くん凄いね!」
興奮気味に瀬名はまくしたてるように言葉を紡ぐ。その隣で萬城は面白くなさそうな顔をしながら、クラムチャウダーを食べるのを再開した。その顔も、一口好物を食べれば喜びをかみしめるような表情へと変わった。
「ヒヨリ、おかわり」
「ふふ、了解! あ、陀宰くんもおかわりする? もうすぐなくなりそうだけど」
言われて器のなかを見ると、もうすぐ底が見えそうだった。隠し味の事を考えながら食べていたからか、気づいたらずいぶん食べていたようだ。少し腹も膨れてきていたけれど、俺は―
「じゃあ、俺も頼む」
「うん! 二人とも待ってて」
瀬名は俺たちの器を持って、キッチンへと消えていく。「隠し味の事、ばらしてんじゃねぇ」と獲端の声が聞こえてきた。
「…陀宰さん」
「ん?」
「あれはヒヨリが俺のために作ったクラムチャウダーです」
おかわりするなと言いたいんだろう。確かにあれは瀬名が萬城のために作ったのかもしれない。
「でも、瀬名は俺にもおかわりを勧めてくれたから…」
「…ヒヨリはそういう奴なんです。誰にでも親切にする性分なんです」
「それは……お前に言われなくても知っているよ」
嫌というほどに。瀬名の優しさに俺は何度も心を揺さぶられた。けれど、ただ優しいだけの子じゃない事も俺はよく知っている。
(だから、好きになったんだ―)
萬城はわざとらしい溜息をつくと、「おかわりしたんですから、残したら承知しないですよ」と言った。
「ああ、そのつもりだ」
しばし沈黙が流れたところで、瀬名が戻ってきた。器にはさっきと同じくらいそそがれたクラムチャウダー。
「二人ともお待たせ! まだあるけど、無理しないでね」
そう言われて、俺と萬城は視線をかわす。他の誰にも渡してたまるかと萬城も思ったんだろう。2杯目も黙々と食べているとようやく朝食を再開した瀬名が俺を見つめた。
「トモセくんがクラムチャウダー好きなのは知ってたけど、陀宰くんも好きなんだね。グラタンも好きだからクリーム系の料理が好きなのかな?」
「…確かにそうかもな」
クラムチャウダーをこんなにかきこむように飲んでるのは間違いなく目の前にいる人物が作ったものだからだ。これが獲端だったらおかわりなんてしない。
「また作るね。あ、もちろんグラタンも」
「…グラタン、楽しみにしてる」
きっと俺の真意には瀬名は気づいていないだろうけど、瀬名の手料理が食べれるならこれ以上の幸せなんてない。なんて事を思うくらいには今の俺は胸も腹もいっぱいだった。