独りだった宿舎が、今は十人と大所帯になった。
姿が見えなくても、自分以外の誰かの存在があるだけで宿舎の中が明るくなる気がする。
その中に、自分の好きな女の子もいるんだから当然…落ち着かない気持ちにもなる。
(いやいや、そういうやましいんじゃなくて、俺が瀬名を呼び寄せて巻き込んだから)
自分の胸の中に渦巻くのは罪悪感だ。その罪悪感を振り払うように俺は顔を小さく振った。
その時、小さく腹の音が鳴った。慌てて、自分の腹を抑えるがその行動のせいで今度は大きな音を立てて、空腹は主張してきた。
(とりあえず…つまめるもの探しに行くか)
もしかしたら獲端が何か作り置きしているかもしれない。正直な気持ちを言えば瀬名の作った何かが食べたいけど、ひとまず下に下りてみる事にした。
階段を下りてリビングへ行くとキッチンから人の気配がした。こんな夜遅くに誰かいると思わなかったので、少し警戒しながら近づく。
「誰かいるのか?」
「え?」
声をかけながらキッチンに踏み込むとそこにいたのは明瀬だった。
「こんな時間にどうしたんだ?」
「なんか腹減ってさ、無性にインスタントラーメンが食べたくなってさ」
明瀬はキッチンの戸棚に腕を突っ込んで、ごそごそとお目当てのものを探していた。
「あんまり散らかすと獲端がうるさいんじゃないか…?」
「ちゃんと片付けるから大丈夫だって。で、陀宰は?」
「ああ、俺もお前と同じだ。小腹が減ったからなんかないか探しにきた」
「おっ、やっと見つけた! 醤油と塩があるけど、どっちがいい?」
「醤油で」
「了解。じゃ、俺も醤油にするかな。陀宰、鍋出してくんね?」
「ああ」
そう言われて伸ばした手を止める。
「…鍋ってどこにしまってるんだ?」
普段、キッチンに立つ事なんてほとんどない。あっても既に調理器具が出された状態の事が多く、どこにしまわれているのかさえ把握していなかった。
「んー、ここらへんじゃね?」
そう言って明瀬は適当に戸棚を開けていく。ぐしゃぐしゃになっている棚の中はおそらく明瀬がひっかきまわした名残だろう。「ここじゃない、ここでもない」と開いては閉めを繰り返し、四つ目に開いた棚の中に小さめの鍋を見つけた。
「おっ、これでいいじゃん」
「じゃあ、お湯沸かすか」
「俺は具を探すかなっと」
蛇口から水を計量カップで測って鍋に移し、それから火をかける。鍋の中を見ていると小さな気泡が浮かんでは消えていく。
「明瀬、なんか具あったか?」
「大量に作られた煮卵は見つけた。けど食べたら獲端怒るだろうなぁ」
「ああ…確かに」
先日、廃寺が勝手に煮卵を食べた時に激怒していたのを思い出す。食べごろに食わないといけないらしいからそっと煮卵は冷蔵庫に戻した。
「普通の卵と、あ…ハムあるな。それとネギでどうだ?」
「十分だ」
明瀬は取り出した食材をまな板の上に置いて、手早く切っていく。それを横目で見ながら、俺は袋から麺を取り出し、お湯のなかに放り込んだ。
「バウンサー。三分経ったら教えてくれ」
「リクエスト、受け付けました」
菜箸で麺をつつきながら、ぐるぐるとお湯のなかで回しているとぽいぽいと細かく刻まれたネギが放り込まれ、そのあとに卵が落とされた。白身が衣のように舞う姿はちょっとキレイだなっと思った自分に少し笑えた。
「なんか楽しそうな顔したけど?」
「ああ…いや、白身がキレイだなって思った事に笑った」
「なんだよ、それ」
「さあ?」
明瀬もまじまじと白身を見つめ、「ちょっと陀宰の気持ちが分かったかも」と笑った。そんな事で笑える俺たちは、なんて平和なんだろうかと思うとまた笑いがこみあげてきた。
「三分経ちました」
後ろにいたバウンサーの声を聞き、俺は火を止める。器には粉末とたれを入れてあったが、気づいたら何かが追加されていた。
「それ、にんにく。ちょっと入れるだけでめっちゃ美味くなるから」
「へぇ…意外と詳しいんだな、明瀬」
てっきり料理(と呼べるほどのものではないが)なんて出来ないだろうと思っていたのに、俺よりも手際良く包丁を使ったり、隠し味を用意したりと芸が細かい気がする。
「家でよく腹空いたら作ってたからな」
「そうか」
家にいた頃、腹が空けば冷蔵庫には何かしら入っていたし、自分で何かを調理するなんて事はほとんどなかった。もう少し何かやっておけばよかったかもしれないと少し後悔する。
ゆであがった麺とお湯を入れてから、鍋に残った卵をお玉ですくって器に盛る。そこに明瀬がハムを追加して出来上がった。美味しそうな香りが胃袋を刺激する。
「じゃ、食べるか」
テーブルに移動し、向かい合って座ると俺たちはラーメンをすすり始める。スープを一口飲んでみると、ほのかに感じるにんにくが醤油味をひきたてていて、美味い。
「久しぶりに食べたけど、美味い!」
「ああ、うまいな。明瀬のいれたニンニクが効いてる」
「だろ? あとは塩ラーメンだとごま油とか少し垂らすとうまいぞ」
「やめろ、塩味食べたくなるだろ」
「ははっ、もう夜食の域を超えるだろ、それ」
そんな他愛のないやりとりをしながら、途中からラーメンを食べることに夢中になっていった俺たちの間にはラーメンのすする音しか聞こえてこなかったが、不思議だ。
独りで食べてた時は美味いなんて思わなかったのに。目の前に誰かがいて、一緒に同じものを食べているだけなのに、一袋百円にも満たないであろうインスタントラーメンがどうしようもなく美味しく感じた。
「ーはぁ! 美味かった! 御馳走様」
「確かに美味かった。御馳走様」
それぞれ手を合わせ、食器をキッチンへ運ぶ。ささっと済ませたかったが、調理をほとんどしたことない俺は、当たり前のように洗い物もあまりした事がなかった。自分でも手際が悪いなと考えながら、食器を洗う。
膨らんだ腹を満足げに撫でながら二人で階段を上る。別れる間際、明瀬がにやりと笑った。
「じゃ、今度の夜食は塩ラーメンだな」
「今度っていつだよ」
「俺たち、成長期なんだからすぐ夜中に腹出るだろ。例えば明日とかも」
「ふっ、確かに。じゃあ、次の時は俺が作るよ」
「お、いいじゃん。陀宰の塩ラーメン楽しみにしておく」
「……あんまり期待はしなくていい」
「了解。じゃ、おやすみ」
「ああ。おやすみ」
明瀬と別れて、自室に戻る。満たされたのは腹だけじゃないのかもしれない。
ベッドにもぐりこむと、さっきのラーメンの味をもう一度思い出す。
(にんにく…ごま油…味噌ラーメンなら何が合うんだ)
そんな事を考えながら眠りについたのは、初めてだったかもしれない。
翌日、キッチンの戸棚を開けて、とんでもない惨状に気づいた獲端が激怒するなんて事も浮かばない程に穏やかな眠りだった。