午前中、情報収集するために図書館に足を運んだ。いくつかの本に目を通し、疲れた左目の瞼を軽く親指の腹で押す。じんわりと疲れが消えていった気がした。
(そろそろ昼飯にするか…)
一旦宿舎に戻るために外に出ると、射落さんとばったり出くわした。
「おや、陀宰くん。君も宿舎に戻るところかな?」
「そろそろ昼飯でも食べようかと思って」
「僕もなんだ。じゃあ、一緒に戻ろうか」
射落と連れだって歩く。班も違うし、年齢も離れている事もあって積極的に関わらない相手だ。あと、以前ドラマでからかわれた事があって、射落さんとは何を話していいかちょっと困る。
(からかわれたというか…もしも女だったら? っていうやつだけど。女の人にしては背が高いけど、男といえるほどガタイは良くないよな)
今時、これくらい背の高い女の人は探せばそこらへんにいるだろうし、ひょろっとした男だっていくらでもいる。だけど、どっちだ! と断言できないのは射落さんから発せられる雰囲気なんだろう。
「なんだか陀宰くんは僕と話すのが苦手そうだね」
「そんな事は…ないですけど」
「はは。君は素直な子だなぁ! 僕の事はお兄さんだと思ってなんでも相談してくれても良いんだよ」
「お兄さん…」
「お姉さんの方が良ければお姉さんでも構わないよ」
「いや…射落さんは射落さんのままでいいです」
射落さんはおかしそうに声をあげて笑った。
宿舎に着くと、リビングはがらんとしていた。昼食を取りに誰かいるかと思ったら今日はいなかったようだ。
「冷蔵庫にも…作り置きはなさそうだね」
射落さんは残念そうに肩をすくめる。冷蔵庫を閉めた。
「ん? 珍しい組み合わせだな」
「やあ、双巳くん」
キッチンに現れたのは双巳さんだった。
「ああ、二人とも昼飯か」
「そういう君もだろ?」
「まあ、そうですね。その様子をみると作り置きはなさそうですけど」
「今日は出遅れたみたいだね」
はは、と笑うと双巳さんは顎を一撫でして、炊飯器をあけた。どうにか三人分くらいは米は残っているようだ。
「仕方ない。たまには俺が作るかな」
「今日は双巳お母さんの出番だね」
「射落さんに言われるとなんとも言えないですね」
「…手伝います」
「ああ、すまないな。それじゃ、豚肉とネギ…と葉物野菜なんか適当にを出してもらえるか」
指示されるがまま、冷蔵庫の中を覗く。豚肉は夕食用とラップに書かれていて使ってはいけないようだった。代わりになりそうなものと思い、ベーコンを手に取る。それとネギとレタスを持って、双巳さんに手渡した。
「豚肉使うなって書いてあったんで、ベーコンでもいいすか?」
「ああ、十分だ」
「食材が足りないならバウンサーに頼んでみたら良いんじゃないかい?」
「あり合わせで飯を作るのは慣れてますから。」
そういえば以前、双巳さんは自炊をすると言っていたっけ。
「出来上がるのが楽しみだね」
射落さんは見守る事に決めたらしい。俺たちの数歩後ろに立って、様子を見守っている。
「じゃあ、悪いけどそのレタスを洗って、適当な大きさにちぎってくれるか」
適当な大きさというものが全くもって分からない。レタスを洗ってから固まっていると、射落さんが吹き出した。
「疑部くんは分かりやすいね。適当な大きさは一口サイズ…くらいで良いんじゃないかな」
「…なるほど」
あんまり感情が表に出るタイプではないんだが、射落さんから見ると俺は分かりやすいらしい。洗ったレタスをちぎり、ざるにあげておくとその隙に双巳さんは厚めに切ったベーコンをバターを溶かしたフライパンで焼いていた。ほのかににんにくの香りもするから一緒に焼いているのだろうか。明瀬と食べたインスタントラーメン以来、少しにんにくを意識している自分がいる。ベーコンから出る脂のはじける音がすでに美味しそうだ。一体何を作るつもりなんだろうかと見守っていると「丼ぶりに飯、盛ってくれ」と指示を出される。大人しく器に持っていると、じゅわぁ!と焼ける音が響く。ご飯をついだ丼ぶりを持って戻ると、さっき俺がちぎったレタスをご飯の上に乗せ、さらにその上には醤油で味付けしたベーコンが三枚ずつ乗せられた。フライパンに残っていた醤油をその上に少し垂らすと、そのフライパンをささっと洗って、再び火にかけて今度は目玉焼きを作った。
「慣れてますね…」
「独り暮らししてたら誰だってこれくらい出来るようになるって」
「陀宰くんは料理に興味ないと思ってたけど、違うようだね?」
俺が射落さんの事を少し苦手だと思う理由は、きっとこれだ。勘が良すぎる。
「……そんな事はないですけど」
「もしかして手料理でも振舞いたい相手がいるとかかな。若いなぁ」
射落さんは楽しそうに笑ったところで、「よし、完成だ」と仕上げに目玉焼きを乗せた丼ぶりを俺たちに手渡した。
普段座る位置に座ると、俺の隣には射落さん、正面には双巳さんが座って、逃げ場を失った気分になる。
「いただきます」
それぞれ手をあわせ、食事を始める。まず厚く切られたベーコンにかぶりつくとじゅわっと脂があふれた。そのままご飯をかきこむようにして食べるとベーコンのしょっぱさと醤油だれが絡んで美味い。さっぱりしたくなったらレタスを食べる。アクセントにちらされているネギもちょうど良い。
「うん、美味しいね。少しわさびが効いていて、そこがまた美味しいよ」
「大人になってからわさびの良さが分かるようになりますよね」
「確かにそうだったかもね」
「そういうもんですか……」
確かに俺はわさびが効いていて美味い! というより、にんにくバター醤油で味付けされているのが美味いと感じた。
「陀宰くんも大人になれば分かるよ」
「なんだかおっさんみたいな口ぶりですよ、射落さん」
そう言って、二人は笑った。
大人になれば味覚も変わる。子供の頃食べれなかったものが大人になって美味しく感じるようになるといった話は、姉たちも言っていた気がする。
「大人になるということは何かしら変化することだからね」
俺の考えを見透かしたみたいに射落さんが言葉にする。
「でも、変わらないものも必ずあるんだよ。ね、双巳くん」
「そこで俺に振るんですか。ま、全部が全部、変わるわけないな」
「だから…好きな女の子のために料理の腕前をあげたいと思う君の気持ちは素晴らしいと思うよ」
「…!!! いつ、そんな事言いました?」
「おや、違ったのかな?」
「陀宰は分かりやすいな」
二人の生暖かい視線がいたたまれなくなって、俺は勢いよく残りの丼をかきこむのだった。