予行練習(景市)

「あ、白石さん。見てください」
「ん?」
外出許可が下りた日のことだ。養護施設での手伝いが終わると、二人でスーパーへ買い物をして、白石さんの自宅へと向かう。それが最近の私たちの日課だ。
「市香ちゃん、きゅうりが安いって」
「ダメです。安いからって買っても結局使いきれなかったら意味ないので」
二人で食べるにはきゅうり五本は多い。白石さんが手に取ったきゅうりを元に戻して、カゴを手に食品売り場を歩く。
「君は他の人みたく、ああいうのおさないの?」
白石さんはカートを押している人を指さした。
「大量に買い出しする時は使いますけど、今日みたくたくさん買う予定がない時は買いすぎないためにカートは使わない事にしてるんです」
「そういうもんなんだ」
「そういうもんなんです」
白石さんは子供のように、私にあれは何これは何と聞いてくる。私はそれを一つ一つ丁寧に答える。
買い物も終わり、買い物袋を手に私たちは自宅へと向かう。夕暮れが近く、私たちの影は随分と伸びていた。
「君は俺が知らない事をたくさん知っているんだね」
「でも男の人はあまり気にしないかもしれませんよ、買い物のことなんて。あ、柳さんは別かもしれないですけど」
「ああ、柳君はね」
ふふっと二人で笑うと、さっと私たちの前を白い猫が横切った。
「! 白石さん、今猫いましたね!」
「ここらへんにもいるみたいだね」
「私のマンションの周辺って猫いないんですよね。白石さんの家のまわりには結構いますよね」
彼が猫をひきつける体質とか? なんてくだらない事を考えていると、白石さんはくすりと笑った。
「猫が見たかったら俺のところに来ればいいんだって言ってるんじゃないかな」
「猫に会いたくなくても、白石さんに会いたいから来ますよ、いつだって」
自由に会えるわけではない。今こうして手を繋いで歩ける事だって奇跡みたいなものだという事を私たちは分かっている。
「そっか」
照れたのか、それとも夕焼けのせいなのか、頬が色づいた白石さんを見て、私はこの人が好きだと改めて思った。

今日のメニューはハンバーグ。種をこねていると興味津々な様子で白石さんが私の手元を見つめている。
「白石さんもやってみます?」
「…うん、やってみようかな」
白石さん手を洗っている間に種を半分ボウルにわける。
「こんな感じにします」
種をキャッチボールするみたいに両手を行き来させると白石さんは驚いたように目を丸めた。
「こう?」
おそるおそる私の真似をして、白石さんも種を手のなかで遊ばせる。ぎこちないけど、はじめてにしては上出来だろう。私は強く頷く。
「あとは形を整えて、まんなかをへこませます」
「どうしてわざわざへこませるの?」
「ハンバーグって焼いてると縮んじゃうんです。だからまんなかをへこませて、火の通りを均一にしてあげるんです」
「市香ちゃんは本当によく知ってるんだね」
「これくらい料理する人なら誰だって知ってますよ」
出来上がった種をトレイにのせようとした時、白石さんが突然
「君は良いお嫁さんになりそうだね」
なんて言うから思わず種を落としそうになる。
「…私がなるのは、白石さんのお嫁さんですからね」
「!」
「わっ、白石さん! 種!」
白石さんの手から出来上がった種が零れ落ちそうになり、私は慌てて手を伸ばしてそれをキャッチした。ふうと安心しながらトレイに種を置くと、きゅっと手を握られた。
「君はどうしてそんなに」
そして甘えるみたいに私の額に自分の額をこつんと合わせた。いや、甘えるみたいにじゃない。これはきっと甘えているんだ。そう思ったら体がじわじわと熱くなっていく。
「白石さん」
「俺が考えてる事って君に漏れてるのかなって時々怖くなる」
「え?」
「最近、一緒に買い物にいったり、こうやってキッチンに並んで料理したりとか…凄く新婚みたいだなって思ってたんだ。そしたら君が可愛い事いうから」
可愛い事を言っているのは白石さんです、と言いたかったけどそんな言葉は口に出せずに消えた。
意味もなく、繰り返されるキス。
したいからするというシンプルなキスを出来るようになったのは最近で、私はまだまだ慣れない。離れては近づき、を何度も繰り返され私の頭のなかはもう沸騰しそうだ。
「白石さん…!」
ぐっと彼の手を握ると、熱っぽい瞳が私を射抜く。
「…まず手を洗いましょう。そうしないと白石さんの背中に手も回せないです」
ハンバーグを作った手は脂でべとべどだ。ムードもへったくれもない事を口にすると、白石さんはいつもの瞳に戻り、ぷっと噴出した。
「そうだね。手、洗おうか。あとはハンバーグ焼くのもみたいし」
「…ぶち壊してすいません」
「ううん。楽しみはたくさんあった方が良いんだよね、きっと」
「家族になったら、きっともっと楽しい事も増えます」
楽しいだけではないかもしれない。けど、白石さんが私の隣にいてくれるだけで全部なんとかなる気がする。
「そっか。楽しみだな」
「でも、待ってるだけじゃダメなんです。夢は願うものじゃなくて、叶えるものなんだから」
だって私たちは互いに手を伸ばしたから繋ぐ事が出来たんだから。きっとこの先もそうして未来を掴んでいくんだろう。
「君は時々かっこいいね」
白石さんは眩しそうに目を細めて笑った。

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