窓の外を見つめる。
何も見えない、何も映らない。
どこにも行けない。どこにも戻れない。
鍛え上げた身体から少しずつ筋肉が減り、手足も短くなった。
怖くなって、自分の身体を自分で抱きしめる。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
何が怖いのか分からない。
自分が消えてしまうのが怖い。
だけど、このままこの部屋にいるだけで俺は何も出来ないのに?
泣き叫んだところで誰も気付かない。
誰に気付いて欲しいというのだろう。
俺には縋る相手なんて誰一人いないはずなのに。
俺は孤独だった。
孤独、というものしか知らなかったんだ。
消えてしまった記憶の中には、孤独じゃない時間もあったんだろう。
だけど、今の俺には何もなかった。
俺は、孤独だった-
あれからどれくらいの時間が過ぎたのか、思い返すこともなくなった。
ニルヴァーナでの生活には随分と慣れて、昔の事もあまり思い出さなくなったのに
久しぶりにあの頃の夢を見た。
「ヴィルヘルム、どうかしたの?」
昼食にランが買ってきてくれたパンを食べていた時のこと。
いつもならさっさと食べ終わる俺がまだ食べていることを不思議に思ったらしいランは心配そうに俺の顔を見つめていた。
「いや、なんでもねぇ。
ちょっと夢見が悪かっただけだ」
「大丈夫?午後から模擬戦だよ」
「ああ、心配すんなって。
俺なら楽勝だって」
「もう・・・そんな風に油断していると怪我しちゃうよ?」
「大丈夫だって、お前こそ頑張れよ」
ランの言葉をさえぎるように抱きしめた。
周囲には人がまばらにいたけれど、気にしない。
腕の中の体温が俺を孤独じゃないと教えてくれるから。
「はぁっ!!」
いつも通り勝ち進み、俺はラスティンと手合わせしていた。
ラスティンの獲物は斧っていうだけあって、重みがある。
正面から受けると、その振動で腕が若干しびれる。
弾くようにして、剣を振るうとラスティンは飛ぶように下がった。
それを追いかけ、追撃の剣を振り下ろそうとした時だった。
「-っ!」
視界が歪み、俺はバランスを崩した。
その隙を逃すわけがなく、ラスティンは斧を振るう。
「しまっ、」
「!」
ラスティンも俺の様子がおかしいと気付いたが、もう遅かった。
斧のスピードを緩めようとしてくれたが、斧は俺の左腕を深く切りつけていた。
「勝負あり!」
「ヴィルヘルム、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
試合終了の声がして、ラスティンは俺を支えるようにした。
そうして移動していると、ランが駆けて来る足音が聞こえた。
「ヴィルヘルムっ!!」
顔を見れば、目には涙が溜まっていて、それを堪えようとして表情を歪ませていた。
「悪い、ラン。俺まだ試合あるからヴィルヘルムの事頼んでもいい?」
「うん、分かった。ありがとう、ラスティン」
ラスティンの代わりに俺の隣に来て、その小さな身体は俺を支えるように歩いた。
肩の負傷だから、支えなんていらないが、まだ視界がくらくらするからそれに甘えた。
「ラン、あのさ」
「何も聞きたくない」
なんだか気まずくて、何も言葉を発することが出来なかった。
医務室に着くと、上の服を脱ぐように言われたので、俺はそれを脱ぎ去った。
ランは一瞬顔を赤くしたが、左右に首を振って怪我の手当てをしてくれた。
出血は多かったが、縫わなくても大丈夫だろう。
包帯を巻き終わった頃には、俺はようやく口を開けた。
「ありがとな、ラン」
「・・・ヴィルヘルム、今日体調悪かったんじゃないの?」
「いや、そこまでは」
「そこまでは・・・て。
練習試合だって言っても真剣勝負なんだよ?
もしもラスティンの斧が、肩じゃなくて・・・首に当たっていたらどうなってたの?」
「そうなったら危なかったかもしれないけどよ、
そんなに怒ることじゃ」
ないだろう、って言おうとしたのに言葉を続けることが出来なかった。
ランの瞳からは大粒の涙が零れ落ちていたからだ。
明らかに怒りを滲ませながら泣いていた。
「私、怖かった・・・
もしも、あれが本当の戦で・・・ヴィルヘルムが殺されたらどうしようって」
戦うことに慣れた俺は、死と隣り合わせという感覚にもなれていた。
だから、戦で死んだとしてもそれは俺が悪い。
ランが、泣く理由が分からなかった。
「・・・ラン、悪かった」
「ヴィルヘルムなんて、知らない・・・!!」
残っていた包帯を俺の顔に投げつけると、医務室から逃げるように出て行ってしまった。
「ランと喧嘩したんですか?」
次の日の朝、男子寮でアサカに会った。
「ああ、まあな」
本当は俺が行くはずだった野外警備にアサカが代わりに行くことになった。
アサカも腕が立つし、心配はないだろう。
「悪いな、ランの事も頼むな」
「はい、任されました」
俺は特に何かあるわけでもないので、予定通りの授業を受けていた。
いつもランと一緒にいるわけじゃないけれど、今日はなんだか隣が寂しい。
ふと過る過去の孤独。
そんな時だった。
「おい!!今日の野外警備でディモスが現れたらしいぞ!」
「!」
教室に響くその声に俺は凍りついた。
「誰か怪我したって話らしいぞ!」
「もう戻ってきてるのか?」
「今、医務室にいるって」
その言葉を聞いて、俺は走り出していた。
腕を振れば昨日の傷がじくじくと疼く。
その傷よりも胸が苦しくて、俺は喘ぐようにしながら走った。
「ラン!」
医務室のドアを蹴り破る勢いで開くと、そこにはランとアサカがいた。
「ラン・・・!」
「ヴィルヘルム?」
驚いたように目を見開いたランに駆け寄ると、俺はきつく抱きしめた。
「ちょっ、ヴィルヘルム!?」
上擦った声が聞こえた。
腕の中にはいつものぬくもり。
どっと息を吐き出した。
「お前が・・・怪我したかとおもって」
安心した俺の目からは熱いものが流れ落ちた。
ランの髪に頬を摺り寄せると、ランは俺の背中を優しくさすった。
「私は大丈夫だよ、ヴィルヘルム。安心して」
子供に言い聞かせるように、ランは何度も優しい声色でそう囁いた。
ようやく落ち着いた俺は身体を離すと、アサカの存在を思い出した。
「あはは、すいません・・・僕、お邪魔ですよね?」
「いや・・・アサカが怪我したのか?」
「こんなのかすり傷です、大丈夫です。
ラン、僕は大丈夫だから、ヴィルヘルムと戻ってください」
「うん、そうするね。それじゃあ」
二人で医務室を出ると、そのままルナリアの花の下へと移動した。
「あのさ」
ランの顔をちらりと見る。
「俺、昨日・・・なんでお前が泣いたのかよく分からなかったんだ。
俺が怪我することも、戦って命を落とすかもしれないことだって当然だと思ってたし、
それは当たり前のことだったから」
「うん・・・」
「だけど、お前が怪我したかもしれないって聞いて・・・
すっげーあせった。お前がいなくなったらどうしようって、怖くなった」
考えた事もなかった。
ランがいなくなるかもしれない、と。
初めてそれを考えさせられた時、怖くなった。
「魔剣の中にいた頃、怖かった。自分が消えるんじゃないかってすっげー怖かった。
だけど、お前がいなくなるって考えた方がずっと怖かった・・・」
「ヴィルヘルム・・・」
きつく握り締めていた俺の拳をランの両手がそっと包む。
「私はあなたとずっとずっと一緒にいる。
だから、あなたも私とずっと一緒にいられる努力をして?
自分をないがしろにしないで・・・
私を大事にしてくれるように、自分のことも大事にして」
「・・・ああ、」
独りで生きるのと、誰かと生きるのでは重みが違う。
誰かと生きたいと願う事は今までなかったから俺は知らなかった。
自分よりも大事な存在を。
「お前と、ずっと一緒にいたい」
ただそれだけを叶えるため、俺はもっと知らない感情を知っていかなければならない。
「ラン・・・お前が好きだ」
これがきっと人を愛するということ。
俺がそう告げると、ランはいつものように笑ってこう言った。
「私もあなたが大好きよ、ヴィルヘルム」