手のひらの世界(ナツアイ)

―世界中の誰よりも君を幸せにしたい

―君と一緒に生きたい

 

そんなありきたりな願いを僕が子供ながらに抱いていたんだ。

 

 

 

「鉤翅さん、味見お願いしてもいいですか?」

キッチンで夕食の準備を二人でしていた時の事。
夜になると雨が降るせいなのか、少し冷えるので今日は温かいスープと、パンとハンバーグとサラダといった定番と言えば定番の品目を用意していた。
紅百合ちゃんは少しだけ手際は悪いけど、作ってくれる料理が美味しくて、いつも感謝している。
一緒にキッチンに立っていると新婚さんの気分を味わえるので、手伝う事が多くなる。
手渡された小皿にあるスープを一口飲む。

「もう少し塩足した方が良いんじゃないかな」

「やっぱりそうですよね、塩加減難しい」

塩を一振り足すと、もう一度味見をする。

「うん、ばっちりだよ」

「やった!ありがとうござます」

紅百合ちゃんが嬉しそうに笑ってくれるから僕もつられて微笑む。
こんな時が一生続けばいいなんて思ってる事を彼女は知らない。

 

彼女にもう一度会いたい。
僕の手で幸せな花嫁さんにしてあげたい。
そんな事ばかりずっと考えながら、この屋敷で生きながらえてきた。
いや、生きながらえるというのは表現が間違っているのかな。
僕はもう死んでいるんだから・・・
彼女に会いたい。
会いたい会いたい会いたい。
ずっとずっと祈ってたことが叶って、僕がどれだけ嬉しかったのか・・・
誰も知るわけない。

 

 

 

 

彼女が、僕以外の人に惹かれていく姿を押し黙って見つめる。
呼吸が苦しい。
喘ぐように息を吸い込む。
似た苦しみを抱く人に惹かれていく彼女を見ているだけなんて苦しくて、泣きそうになった。
あの頃に戻りたい。
君と約束を交わしたあの頃に。
記憶を失くした彼女の心の中に鉛のように僕は居座る。
どこにも行かせないように。
僕だけを想っていてほしい。
そんな傲慢さを抱えていたなんて知らなかったんだ。
ただ、好きなんだ。
ただ、傍にいて欲しい。
それさえも、もう叶わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

化け物になりそうになりながら泣き叫ぶ彼女を見て、目が覚めた。
いや、諦めがついた。
僕は死んでいるんだから、彼女を幸せに出来るわけなんてない。
知ってたくせに。
僕の一番大切な人を苦しめ続けた。

 

「アイちゃん、笑って」

 

本当なら、あの時死んだ僕は別れを告げる事なんて出来なかったんだから。
だから、この屋敷での時間は無駄じゃなかったと信じたい。
アイちゃんにもう一度会いたい。
そんな願いは叶ったんだから良いじゃないか

「ナッちゃん・・・ありがとう」

涙をこぼすまいとしながらも溢れる涙を止められずに、僕の願いに応えるようにぎこちない笑みを向けてくれる。

(アイちゃん・・・
そんな君の事をずっと愛してたよ
さようなら)

零れた想いはもうアイちゃんには届かない。
違う道があったなら、僕は君と一緒にいれたのかな。
でも、アイちゃんに出会えてよかった―

 

 

 

意識が泡のように消えていく。
まるで僕なんて存在しなかったように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ちゃん、ナッちゃん!!」

 誰かに呼ばれて、沈んでいた意識を取り戻す。
ぼんやりと映る世界はなんというか・・・庶民的。
真っ白い天井が視界に映る。
それから、紅色の髪が視界の端で揺れた。

 

「・・・アイ・・・ちゃん?」

「うん、そうだよ!私だよ!」

声のする方向を向きたくても身体が思うように動かせない。
すると、僕の身体に覆いかぶさるように彼女が抱きついてきた。

「ナッちゃん・・・!良かった、良かったよ!!」

 

それから色々とあって聞かされた事。
僕は死んだと思われていたが、湖から別の土地まで流されて、身元が分かるようなものを持っておらず、身元不明の患者として近隣の病院に入院していたというのだ。
それがあの屋敷から戻ったアイちゃんたちが僕を探してくれたらしく、こうして再会することが出来た。

 

「ナッちゃん、体調どうー?」

元気よく病室のドアを開けるアイちゃんの手にはビニール袋に入った林檎。

「うん、良いよ。
今日のリハビリも終わったし」

「そっか、良かった。
今日は林檎持ってきたよ、一緒に食べよう」

パイプ椅子に腰かけ、病室にあった果物ナイフで丁寧に林檎を剥いていく。

「毎日来てくれてありがとう」

「ううん、私がナッちゃんに会いたいから来てるんだよ」

僕が喜ぶような言葉を彼女はくれる。
それが同情だとしても幸せだ。

「でも、カズヤだって目が覚めたばかりだしお見舞い行ってあげなくて良いの?」

「カズヤ君にはタクヤ君がついてるし、休みの日には顔出すようにしてるから!」

「そっか」

「それに・・・」

林檎を可愛らしくウサギの形にして、皿に置いていく。
彼女は林檎と言えば、ウサギカットなんだろうな。
屋敷で食べた林檎を自然と思いだしていた。
そういうところが、彼女らしくて可愛らしい

「未来の旦那さんを心配するのは当たり前だよ・・・」

「え?」

顔を林檎のように赤らめるアイちゃんが放った言葉は衝撃的すぎて。
僕もつられて赤くなる。

「アイちゃん、それって」

「今でも、約束は有効・・・なんでしょう?
戻ったら恋人になろうって言ったのナッちゃんでしょう」

 リハビリのおかげで大分動くようになった身体で、彼女に手を伸ばしてきゅっと抱きしめた。

「ナッちゃん!私、今刃物持ってるから危な・・・」

彼女の肩に額をくっつけ、顔を見られないようにする。
でも、彼女は分かってしまったようだ。
僕が泣いている事を。

「・・・ありがとう、ありがとう。
僕、アイちゃんを好きで良かった」

「私も、ナッちゃんを好きで良かったよ。
これからはずっと一緒にいようね」

君と生きたいと渇望した世界が、ここにある。
彼女のぬくもりを感じながら、僕は世界を手に入れた。

 

 

 

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