「緋影くん緋影くん!」
最近彼女がやたらと僕の名前を連呼しては、僕の後ろをちょこまかとついてくる。
それはまるで生まれたばかりの鳥が初めて見たものを親だと思ってついてまわるような刷り込み現象にも見えた。
(……最初に構いすぎただろうか)
館内で黒蝶狩りをするために高頻度でパートナーに選ばれていた自覚はある。
それに彼女の気持ちを掴んでおいたほうが事が運びやすくなるだろうという思惑もあったので、放っておいたのだ。
だが、これはなんというか――
「それでね、緋影くん!」
「紅百合」
彼女の話に割り込むように口を開く。
きょとんとした顔で、僕を見つめる瞳はなんだか幼くて、記憶にあるはずのない遠い日が一瞬頭をよぎった。
「緋影くん……?」
「ああ、いや」
呼びかけたくせに黙り込んだ僕に少し戸惑った顔をする紅百合。
僕は軽く咳払いをして、彼女に向き合った。
「君は少し僕の名前を連呼しすぎだと思う」
「そうかな? そんなつもりはなかったんだけど」
緋影くんって呼びやすいのかもしれないね、と頓珍漢な答えが返ってくる。
呼ばれる方がたまったもんじゃない。不快なわけではないけど、彼女が僕の名前を繰り返し呼ぶたびなんだか落ち着かない気持ちになる。
「紅百合」
「なに?」
「紅百合紅百合」
「えーと……緋影くん?」
「紅百合紅百合」
「緋影くん……!」
多分はたからみたら不思議な光景だっただろう。
僕の気持ちを分からせるために彼女の名前を繰り返し呼んでやった。
「あんまり呼ばれると恥ずかしいよ…!」
気づけば、彼女は頬を赤らめていた。
「そんなつもりじゃ……」
「え、えと。あ、私夕食の支度しなきゃいけないんだった! それじゃあ、緋影くん後でね!」
僕の言葉を最後まで聞かず、彼女はキッチンへと逃げていく。
「何をやってるんだ、僕は……」
距離を空けようとしたはずなのに、近づいてしまった気がした。
いや、それよりも。
彼女の熱が伝染したみたいに僕の顔も熱くなっている理由を、僕自身まだ気づいていない。