「樹さん、この部屋は10回キスしないと出られない部屋なんです!」
「…はぁ?」
玲が突然おかしな事を言い出した。
ここは俺の寝室。昨夜、残業を終えて家に帰ってきたのは午前二時を過ぎていただろうか。
玲も自室で眠っているだろうと思っていたが、まさか俺の寝室のベッドで丸まっているなんて想像すらしていなかった俺は変な声が出そうになるのをぐっと堪えて、玲を起こさないように気を付けて隣で眠った。
そして、よく眠れたんだか眠れなかったんだが曖昧な睡眠時間を終えて目を覚ますと隣で眠っていた玲の姿はなかった。
寝起きの玲を見るのがささやかな楽しみだった分、肩を落としながら部屋を出ようとするとすっかり身支度を終えたいつもの玲が俺が部屋を開けるより先にドアを開け、俺の前に立ちふさがって、冒頭の台詞を述べた。
「樹さん、今日のご予定は?」
「今日は休みだからまだ目を通せてない持ち帰りの資料に目を通して、玲の好きな料理を作ろうと思ってたところだけど。あ、買い出しにも行った方が良いよな」
俺の言葉を聞いて、玲はぶんぶんと首を左右に振る。
「樹さんは休みがどんなものか理解していないです!休みの日はぐうたら過ごすんです!」
「お前だって休みの日、普段出来ない事してるだろう。それと同じだ」
「確かに忙しい平日じゃ手が回らない掃除だったり、洗濯物だったりもありますけど…それはそれとして。
せっかくのお休みなんですから今日はのんびりしてほしいんです。なので、この部屋を出たかったら私にキスを10回してください」
絵にかいたようなどや顔を決める玲。
おそらく誰かに入れ知恵されたんだろう、自分で何を言ってるか分かってないんだろうな。
「玲」
名前を呼ぶと、ぴくりと睫毛が揺れた。
ドアの前に立つ玲に一歩二歩と近づき、逃げ場をなくすと、玲の顎を軽く持ち上げた。
「樹さん…?」
「10回でいいのか?」
「え?-っ」
何かを言いかけた唇を自分の唇で塞ぐ。久しぶりに触れた唇はふにふにと柔らかく、わずかに開かれた隙間に舌を差し込むとあっさりと玲の舌を捕まえる事が出来た。
深くなっていくキスに驚いたのか、玲が俺の胸を押しているが、そんなもの知るか。
しばらく玲の唇と口内を堪能して、唇を離す。
「い、いつきさん…」
すっかり息が上がった様子の玲を見て、にっこりと笑って見せる。
「10回で済むと思ってんのか?」
「-っ!?」
キスで腰が抜けたらしい玲をひょいと持ち上げて、ベッドへ逆戻り。
持ち帰りの仕事も、家事も今はどうでもいい。
今はただ、この可愛い恋人を思う存分味わい尽くす事だけに集中しよう。
その日、キスを10回しても部屋から出る事はなかった。