浴室を覗きに行くとちょうど良い具合にお湯がたまっている事を確認して蛇口をひねり、居間へと戻る。
「風呂わいたから順番に入れよ」
「うんー、あとちょっとー」
妹たちが夢中になって見ているテレビがどうやら佳境のようだ。
画面には走る女。それを追いかける男が映っていた。
息を切らし、男はようやく女の腕をつかむ。
そもそもこの男はたいして足の速そうにない女を捕まえるために息を切らす程走るなんて体を鍛えていないだけではないのだろうかと呆れてしまう。
他人のラブストーリーのどこがおもしろいのか、やはり分からない。
いや、ひなこと追いかけっこをしたら俺もこれくらい息を切らすのだろうか。
そんな事を考えていると、妹たちが「きゃあっ!」と声をあげる。
さっき腕をつかんだと思いきや、男は女のあごを持ち上げ、そして…
「お兄ちゃん!画面みえない!!」
「これはお前たちには早い!」
キスシーンが終わると、妹たちの目元から手をどかす。
せっかく良いところだったのに!と文句を言われたが、ドラマも終わり、妹たちは浴室へと消えていった。
(…あれが顎クイってやつか……)
目を閉じて想像してみる。
目の前にいるひなこの頬を撫で、その手をそのまま滑らせて顎を持ち上げ、そして—
「!!!!
駄目だ!!!そんな事出来るわけがない!」
想像さえもうまくいかない。
あんなドラマのようにさらりと流れるように事を運べるとは思えない。
「兄ちゃん何してるの?」
「!!い、いや!なんでもない!」
気づけば弟たちが俺の挙動をじぃっと見つめていた。
俺は誤魔化すように咳払いをし、いたたまれなくなってトイレにかけこむのだった。
「やっぱり運動するなら朝が一番良いよねー」
気持ちよさそうにぐっと伸びをするひなこ。
日曜日の朝、ランニングに付き合うと連絡が入り、ひなこと二人で軽くランニングをした。
「お前は自転車でも使えば良かったんだぞ。何も俺にあわせて走らなくても」
「でもせっかくなら並んで一緒に走りたかったんだ。あ、もしかして速さ合わせてくれてた?」
「いや、いつもどおりだ」
「そっか、なら良かった」
ベンチに座って、一旦水分補給。
ふと、昨日みたドラマのワンシーンが頭をよぎる。
俺があんな事をしたら、ひなこはどんなリアクションをするんだろうか。
怒りはしないだろう。
…喜ぶんだろうか。照れて、笑ってしまわないだろうか。
そんな風に考えていたら無意識に手が伸びていた。
「どうかしたの、金春くん」
「!!」
ひなこの頬に触れる寸前で手はぴたりと止まる。
ひなこは不思議そうにその手を見つめる。俺はこの手を前にも後ろにも横にも動かせない。
「あ、もしかして髪に何かついてた?」
ひなこは慌てて自分の頭に触れる。
なんだかそれだけでかわいくて、思わずひなこの肩を掴んだ。
「えっ、」
肩を引き寄せ、俺はひなこの唇に自分のそれを重ねた。
つい今しがた飲んだスポーツドリンクの甘さが伝わってくる。
時間にすれば一瞬だっただろう。
そっと唇を離すと顔を真っ赤にしたひなこが俺を見上げる。
「悪い、したくなった」
「えっ!?」
本当にしたかったのは顎クイだが、我慢が出来なかった。
ひなこは恥ずかしそうに笑って、頭をかく。
「驚いたけど…うん、嬉しい」
頭の中で何かがはじけたようだ。
俺はもう一度ひなこにキスをする。
「ちょ、こんぱ…」
ひなこの制止も聞けず、何度か繰り返しキスをする。
もう、スポーツドリンクの味なんてしなかった。
「悪い」
「…絶対悪いなんて思ってないでしょ、金春くん」
ひなこには隠し事が出来ないようだ。
(次する時は、顎くいを…)
そんな小細工、ひなこを前にしたら吹っ飛んでしまうと気づくのは似たようなやりとりを何度かした後だった。