誰かを理解すること。
誰かに理解されること。
それはきっととても大切な事だったのだと今なら分かる。
魔剣に入ってしまう前の俺は、誰も信じていなかった。
隣で飯を食っている男が、いつ俺の喉元に剣をつきたてようとも冷静に対処出来ただろう。
今笑いあっている相手を次の瞬間、なぎ払うことだって出来た。
だって俺の瞳には、多分誰の顔も正確には映っていなかったから。
「あ、ヴィルヘルム!」
「んー?」
ようやくかったるい座学が終わり、大股に廊下を歩いているとアサカに呼び止められる。
「これ、どうぞ」
「なんだこれ……って前に寄越してきたやつじゃねえか」
アサカから渡された紙袋には魚の形をした…前にランといるときにアサカに半ば強引に渡されたお菓子だった。
「先週から城下のお店で期間限定で売ってるんです。嬉しくなってついつい買いすぎたので、良かったら彼女と一緒にどうぞ」
「お、おう」
買いすぎたという数ではない。おそらくアサカは俺とランの分を考えて買ったんだろう。それくらいは察せられるようになった。
「ありがとな、アサカ」
「いえいえ、それじゃ」
アサカと別れ、小脇にタイヤキが入った紙袋を抱える。作りたてなのかまだ温かい。さっさとランを見つけなければと俺は踵を返した。
ニケの手伝いをするために訪れた薬品準備室。
「ニケ、後はもう大丈夫?」
「うん、助かったよ。ありがとう」
摘んできた薬草を洗って、干すところまで手伝い終わり、ニケが折角だからと勧めてくれたので二人でお茶を飲んで一息ついていた。
「いっつもひとりでこんな事してるんだね、ニケって」
慣れない作業だったという事もあるけど、ちょっと手伝っただけで私の集中力はすっかり切れてしまった。花の洗い方にも注意点があって、汚れを払う程度で良いものや、花粉に毒素が含まれているものは洗う時に花弁は濡らさないようにするなど様々だ。ニケは花を見ただけでもう分かるようで、テキパキと私に指示を出してくれた。
「もうすっかり慣れちゃったよ。それに今日はランが手伝ってくれたおかげで早く終わったよ。ありがとう」
「困った時はいつでも言って。手伝うから」
そんなやりとりをしていたその時だった。部屋のドアが勢い良く開いた。乱暴にドアを開けたのは少しだけ不機嫌そうなヴィルヘルムだった。
「ラン、ここにいたのか」
「ヴィルヘルム!どうしたの?」
「ユリアナにお前がどこにいるか聞いた。ほら、行くぞ」
「え?え?」
ずかずかと近づいてきて、私の手を取ると強引に引寄せられた。突然の事で動揺していると、ニケはくすりと笑った。
「ヴィルヘルムが心配するから…今度からは二人一緒に来てよ」
ニケの言葉にヴィルヘルムは不機嫌そうに「はあ?」と口にする。嗜めようと思うとヴィルヘルムは小脇に抱えていた紙袋をニケの目の前に差し出した。
「一個取れ。食いきれないから」
「え?ありがとう、ヴィルヘルム」
ニケは言われるがままに紙袋からタイヤキを一つ取り出した。
「あ、まだほんのりあったかい」
「そうなの?」
「うん。ありがとう」
「言っとくけど、こんな薬品くさい場所の手伝いは俺はごめんだ!」
「ヴィルヘルム!」
ニケは一生懸命やっているのにそんな言い方はないだろう。私はきつめの声で彼の名前を呼ぶ。ヴィルヘルムはそれに構うことなく言葉を続けた。
「だけど稽古なら付き合ってやる。暇な時ならな!」
その言葉に驚いたのは私だけじゃなかった。ニケも少し驚いていたけれど、次の瞬間にはいつものように柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとう、ヴィルヘルム」
「じゃあな。行くぞ、ラン」
「ごめんね、ニケ!」
ヴィルヘルムに手を引かれ、薬品準備室を後にした。その後も何人かの生徒とすれ違ったけど、ヴィルヘルムは私の手を決して離そうとしなかった。
(何度繋いでも慣れない……)
誰かと手を繋ぐなんて子どもの時以来。異性は父親しか繋いだことがなかった。だからヴィルヘルムの手が他の男性に比べて大きいのか小さいのかは分からないけど、私の手をすっぽりと包み隠してしまいそうな程大きくて、手のひらは長年剣を握ってきたからだろう、少し固い。この手に触れられると私の胸はドキドキと高鳴ってしまう。
道を抜け、ようやく裏庭までやってきた。
「ここで良いだろ」
ヴィルヘルムは近くの木の幹に背中を預けるように座った。私もそれに続いて、隣に座った。今日は心地よい風が吹いている。
「ほら、これ」
「あ、そうそう。どうしたの?どこかで買ってきたの?」
差し出された紙袋に手を入れながら、私は質問する。
ニケが言った通りまだほんのり温かかった。
「アサカが買いすぎたっていって寄越してきた」
「そうなんだ」
そういえば今日の朝、タイヤキの話をしていた気がする。タイヤキのしっぽにかじりつくと、クリームが零れんばかりに入っていて驚いてしまう。
「凄い美味しい!」
クッキーやタルトといったサクサクとした食感のお菓子を食べる事が多いけど、アサカの祖国のお菓子であるタイヤキのふわふわとした生地の食感も大好きだ。
「アサカのやつ、買いすぎたって言ってたけど多分俺たちの分に買ってきたんだろうな」
ヴィルヘルムはお茶の味のクリームが入ったタイヤキを頭からかぶりつく。
「アサカらしいね。今度お礼しないと。何が良いかなー」
「甘いもんでいいだろ」
「甘いものって範囲が広すぎるよ」
「甘いもの適当に買って、またアサカの苦いお茶飲めばいいだろ」
「ふふ、そうだね」
ヴィルヘルムは変わった。以前よりよく笑うようになった。そして何より私以外の人にも関心を持つようになった。
以前までのヴィルヘルムなら、アサカにもらったタイヤキをニケに分けてあげる事なんてしなかったし、稽古に付き合うなんて言わなかったと思う。アサカについても、言葉通りの意味に受け取って、タイヤキをくれた意味なんて考えなかっただろう。
ヴィルヘルムのそういう変化が私は凄く嬉しい。
(なんて思ってるなんて言ったら、またお母さんみたいだってユリアナに言われちゃいそう)
「なんか嬉しそうだな」
「ヴィルヘルムに友達が出来たから嬉しいよ」
「な、友達なんて…!」
慌てて否定の言葉を口にする。それが少し可愛くて私はまたこっそりと笑いながらタイヤキを頬張った。
タイヤキを食べ終わると、ヴィルヘルムが私の手をそっと握る。
「お前の手は、体と一緒で強く握ったら折れちまいそうなくらい細いな」
「そんな簡単に折れないよ。それにそこまで細くないよ、普通だよ」
「普通なんてどうだっていいんだよ。俺がそう思うのはお前だけなんだから。お前以外、関係ない」
「………」
私にとって、ヴィルヘルムが唯一であるように。
ヴィルヘルムにとっても、私が唯一だと―そう言っているみたいに聞こえた。
「…そっか。でも、大丈夫だよ。もう少しくらい強く握ったって、私は折れないんだから」
鍛えてるしねと笑って見せると、ヴィルヘルムは何も言わないで私の頭を撫でた。
その手を、私は好きだと思った。
「それにしてもここの風は気持ち良いな」
「うん、そうだね。港の潮風も好きだけど、ここの風はなんだか優しく感じる」
まるで私たちを守るみたに、そっと抱き締めるみたいに吹く風。これはキオラ様の魔法の力なのかな、それとも…
「ねえ、ヴィルヘルム」
「ん?」
「春になったら、ピクニックに行こう。お弁当作るからそれを持っていこう。きっと楽しいよ」
「遠征みたいなもんか?」
「ピクニックはね、お弁当を持って景色の良い場所に行くの。それだけ。遠征とはちょっと違うかも」
遠くに行くのは一緒だけど。
「どこだっていいぜ。お前と一緒なら」
「うん、行こうね。絶対」
春が来たら、その時はきっと今よりももっと世界は優しくなっている気がする。