もう一度、(メイヒヨ)

深呼吸をする。
教室のドアをスライドさせ、開くとクラスメイトたちが思い思いの時間を過ごしていた。
おはようと投げかけられる言葉に俺も応え、自分の席へ着く。
彼女は……まだ来ていなかった。
ほっとしたようながっかりしたような気分になりながら、ホームルームまであと少し時間があることを教室の前にある時計で確認すると、俺は机に突っ伏した。

それから少しして先ほど俺がドアを開けたのと同じように音が響くと、彼女の声が聞こえた。ぴくりと反応してしまった肩を誰にも見られていないようにと祈りながら俺は顔をあげて、欠伸をかみ殺す。

「おはよう、陀宰くん」

「ああ、おはよう。瀬名」

瀬名はにっこりと微笑む。
その笑顔を早く見たかったくせに、いざ目の前にすると落ち着かない。
時間なんてもう確認する必要ないのに、再度時計に目を遣る。

「今日、いつもより遅いんだな」

「え?」

瀬名の表情が驚いた顔に変わる。聞いてはいけない事だったのだろうかと内心ひやりとするが、瀬名は気にした風もなく

「朝から妹たちが喧嘩しちゃって、その仲裁してたら家を出るの遅くなっちゃったんだ。トモセくんにも怒られちゃうし、朝から大変だったよ~」

トモセというのは、瀬名の幼なじみで登下校を共にしているようだ。
時折クラスまで迎えにくる姿を見て、クラスメイトたちは「瀬名の彼氏?」と邪推するが、もう否定しなれた口調で「そんなんじゃないよー」と瀬名は笑う。
それが本当なのか、嘘なのか。俺はそんな事さえもまだ確認できずにいた。

「それは大変だったな」

「うん。あ、でも見て見て。来る途中に見かけたの」

瀬名はバングルを操作して、何かのデータを俺に送ってくる。
なんだろうと思いながらデータを開くと、それは野良猫だった。
まるまると太った三毛猫が眠たそうに大きな欠伸をしていた。

「まんまるで凄く可愛かったんだ」

「…これは、確かに」

猫好きとして心をくすぐられる。
遅刻しそうになりながらも猫を見て、撮影せずにいられなかった瀬名を思い浮かべるだけで笑みが零れそうになる。

好きだ、と自覚してから学校に通うことが前より楽しくなった。
隣の席に瀬名がいるだけで、一日を幸せに過ごせると思っているなんて知られたら恥ずかしくて死んでしまいそうだけど。

瀬名の笑顔につられて、気付いたら俺もよく笑うようになっていた。

 

 

 

「……ああ」

夢を見ていた。
異世界配信に巻き込まれる前、普通の高校生だった俺と、隣の席に座るクラスメイトである瀬名。
今、ここにいる瀬名は俺の事をおぼえていない。
そして、あの頃と違って、ここにいる瀬名は笑う事より沈んでいる事の方が多い。
それは当然のことだ。こんなわけのわからない場所で、男だけに囲まれて生活し、わけのわからないドラマを演じさせられるんだから。
俺の我侭で……瀬名を巻き込んでしまった。
だけど―

深呼吸してからドアを開く。
まるで学校に通っていた時のように。

「あ、おはよう。陀宰くん」

「ああ、おはよう。瀬名」

ドアを開けるとちょうど部屋から出てきた瀬名と出くわす。
階下に降りたら顔を合わせると思っていたから少し油断していた。

「なんだか良い香りがするね。パン焼いたのかな」

「言われてみれば確かに」

「焼きたてのパンって美味しいから好きだな、私」

瀬名はそう言って、昔のように笑った。
その笑顔に会いたくて、俺を思い出してほしくて、俺は……

「ああ、俺も好きだ」

「ふふ、だよねー。イチゴジャムとかあるかなー」

「今日なくても明日になったら獲端が作ってそうだな」

「ああ、確かに」

こんななんでもない時間が泣きたくなる程求めていたものだったなんて。
感傷を誤魔化すみたいに手のひらを強く握り締める。

 

瀬名に気付かれないように、俺はこっそりもう一度深呼吸をした。

 

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