涙雨がやむ時(緋影×紅百合)

悲しい恋をした。

私が忘れてしまったら全て消えてしまうような、そんな悲しい恋だった。

 

 

 

 

 

「緋影くん、何の本読んでるの?」

ある日の夜。
夕食も終わり、各々の部屋に戻っている中緋影くんだけはソファに腰かけて古い本を読んでいた。

「ああ、ちょっと懐かしいタイトルを見つけてな」

「ふーん」

私に視線をくれることもせず、緋影くんは本を読み進める。
私は一旦キッチンへ戻り、お湯を沸かす。
お茶っ葉の残りを確認すると、もう少しで茶筒が空になりそうだった。
明日にでも補充をしなきゃと考えながら二つのマグカップにお茶を注いだ。

「はい、どうぞ」

「…僕は頼んだ覚えはないんだが」

「自分が飲むついでだったから」

緋影くんの隣に座り、本を覗き込む。

「君は時々大胆になるんだな」

「え?」

指摘されて気付く。
本を覗き込んだ私と緋影くんの距離は非常に近くて、肩と肩が触れ合っていることに気付いた。
服越しなのに、緋影くんの体温がほのかに伝わってきて、私は自分から近づいたのに恥ずかしくなって慌てて離れた。

「…え、えと、ごめんなさい」

最近、ウサギちゃんからのアドバイスで緋影くんに質問を投げかけまくっていたからか、彼の傍にいることが自然になってきていた。
人にはパーソナルスペース、というものがある。
鴉翅くんは、あっという間に近づいてきてぐいぐいと距離を詰めていく。
紋白さんも鴉翅くんとはちょっと違うけど、気付いたら私にべったりくっついている。
だからなんだろうか、私にはパーソナルスペースがほとんどないのかもしれない。
あんまりべったりくっつかれると困るけど、不快には思わない。
だから打ち解けてきた(と私はちょっと思ってる)緋影くんに対して躊躇なく近づいてしまったんだろうか。

「今は夜だ。冷えるのは分かるが僕で暖をとるのはおすすめしない」

「えーと、そうだね」

そういうつもりはなかったけども。
曖昧に私が笑うと、緋影くんはようやく私へ視線を投げた。

「…ところでなんで日本茶なんだ?」

「緋影くん和食好きだし。本当はコーヒーより日本茶の方が好きかもって思って」

「そうか」

それだけ言って、緋影くんはマグカップに口をつけた。

 

雨の音が聞こえる。
ザアザアと、朝も昼も晩もずっと聞こえる音。
一人で部屋で聞いているとたまに言いようのない不安に襲われるけれど。
どうしてだろう。
緋影くんの隣で聞くと、なんだか心地よく感じている自分がいた。

 

 

 

 

 

初めての恋は、幼い自分に深く傷を残した。
結婚しようと子どもながらに誓った優しい思い出を思うと今でも苦しくなる時がある。

そして、二度目の恋は…

 

「アイ、今週も湖行くの?」

「うん、そのつもりだよ」

「ふーん、そっかぁ」

転校してきた彼女は、言動もかっこいい男の子のような不思議な少女。
今までずっと他人と距離をとってきた私に初めて出来た女の子の友達。
彼女にだけは話した、彼のこと。
もう二度と会えるかも分からないけれど、私は月に一度はあの湖へ足を運んでしまう。
もう一度会えたら、私は何を伝えるつもりなんだろうか。
…もう一度なんて来るのか分からないけど。

 

そして週末。
湖を目指していた私は、あのバスに乗り込んだ。
バスに揺られているうちに天気は崩れ、気付けば土砂降りになっていた。

「あー…これはちょっと厳しいのかな」

バスから降り、私はどうしたものかと思案する。
とりあえず少しでも雨脚が弱まらないとあそこへ向かうのは厳しいだろう。
バス停で雨宿りをしていると、一人の男性が歩いてきた。
そして、その人は傘を閉じて、一人分空けて私の隣に座った。

「君は、どうしてこんなところにいるんだ?」

「…蝶を、探していました」

声が震えそうになる。
人が亡くなると、まず最初に忘れてしまうのは声だという。
どんなに思い出そうとしても声は記憶の中では再生されない。
どんな言葉を交わしたか、会話は思い出せても彼の声は再生できない。
だから、この声が合っているのかちょっと怖い。

「白い蝶が、黒い蝶になってまで探した…その場所を、探していたのかもしれません」

「…そうか」

「……あなたは?」

「僕も似たようなものだよ。紅い蝶を探していたんだ、ずっとずっと。
その蝶の声も、顔も、何もかもよく思い出せないのに。
僕はただ探していたんだ」

そう言って、彼は私を見つめた。
私の頬に涙が伝った。

「おかえりなさい」

 

 

ああ、雨が上がる。

 

 

 

 

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