※コピー本企画に収録したものです。
俺が彼女にはめた枷。
いや、枷なんかじゃない。
彼女をこの事件の渦中に引きずり込んだ大切な証。
「星野、最近いっつもココ、絞めてるんだな」
「え?」
自分の首元をトントンと叩いてみせると、星野の表情は分かりやすく固まった。
気付かないふりをして話しを続けると、星野は苦笑いを浮かべて誤魔化した。
その隠された場所にある首輪を思い浮かべる。
それは俺と星野が繋がっている証だ。
他の男と話している会話も全て聞こえる。星野が、誰かに心惹かれていくのも、全部聞こえている。
そして、ゼロが誰なのか分かった時、星野の声が震えた。
ああ、その場に居合わせられなかった事だけが悲しい。
星野が絶望する顔が見たかった。
「なあ、星野」
ソファに据わっている星野に声をかけると、虚ろな目で俺を見上げる。
俺はわざとらしいため息をついてから、彼女の耳元へ唇を寄せた。
「弟、どうしてるんだろうな」
「……っ! 香月に何かしたらただじゃおかない」
弟のことを口にすれば、そうやって俺を睨みつける。
彼女を助けにきた奴らを俺が殺してから、星野は虚ろな目をする事が増えた。
俺は星野を壊したかったわけじゃない。
同志として、俺の隣に並んで欲しかっただけだ。
「殺すわけないだろう? お前の大事なものはもうこれ以上奪わない」
「……」
疑うように俺を一睨みしてから、目を逸らす。
「星野」
名前を呼んでもこちらを向かない。
仕方がないから星野の隣に身を寄せるように座ると、肩が震えた。
「ほーしの」
同期として一緒に警察にいた頃。
彼女を何度もこうやって呼んだ。
あの頃は二人でよく飲みにいって、仕事の愚痴とか、正義について熱く語った。
冴木弓弦という人間として生きていたあの頃。
星野は酔っ払った俺をよく家まで送ってくれたり、タクシーに突っ込んだりしてくれたっけな。
「なあ、星野」
一向にこちらを向こうとしない星野の首を指でなぞる。
「俺がどうしてお前に首輪をはめたと思う?」
「どうしてって…」
確かに命を握られてるって思ったら怖いだろうな。
監視するにしても、そこがベストだったというのも勿論ある。
「星野」
今しがた指でなぞった場所へ唇を寄せる。
「-っ!? 何するの? やめて…!」
暴れようとする星野の両手を片手で押さえつける。
そのまま押し倒すと、先ほどとは違う瞳で俺をとらえた。
「何って、いわなきゃ分かんないほど子どもじゃないだろ?」
本当はそこまでするつもりなんてない。
酷い言葉を投げかければ星野の瞳に光が灯る。
「……っ、ゼロ」
その名前で呼ばれて、俺は言葉に詰まる。
ああ、そうだよな。
星野はもう俺を『冴木くん』なんて呼んでくれないんだ。
『冴木くんと飲むのが一番楽しいよ。やっぱり同期っていいよね』
いつだったか星野がそう笑ってくれた瞬間が頭をよぎる。
俺もお前といる時間が、どうしようもなく楽しくて、幸福だった。
「いちか」
彼女の名前を口にして、俺は無理矢理唇を奪った。
「-っん…ふっ、ん」
頑なにきつく閉じる唇をこじ開けるように舌をねじ込むと苦しそうな声が漏れた。
もうこの世にはいない好きな男とは何回キスしたんだろう。
そんなどうでもいい事を考えながらキスを続けた。
腕の中でしばらく暴れていたが、唇を離す頃には息も上がっていて、頬を紅潮させていた。
「好きな男のキスでも思い出した?」
下卑た笑みを浮かべると、星野の手が振り上げられた。
平手打ちを素直に受け入れてやろうと目を閉じるが、痛みはいつまで経ってもやってこなかった。
「…どうして、どうしてなの?」
星野の目から涙が零れ落ちた。
「どうしてって?」
「冴木くんは…、私が警察学校からずっと一緒で…ふらっと私のところに来て飲みに誘ってくれて、仕事の愚痴とか、夢とかそんな事たくさん話した冴木くんは…どこにいるの?」
どこにもいないんだよ、そんな男。
はらはらと零れる涙を見つめることしかできない。
「冴木くん…さえきくん……」
俺の名前だった言葉を何度も何度も繰り返して星野は泣いた。
「あなたは誰なの? 冴木くんはどこにいったの」
星野だって答えが分かっているくせに、そんな事を言う。
もしかしたらこれは復讐なのかもしれない。
彼女の大事なものを奪った俺への、復讐。
俺を認めないことで、俺を否定することで、復讐をしているのかもしれない。
「ゆづる」
冴木弓弦でも、ゼロでもない。
ゆづる。
その名前で呼んで欲しくて、言葉にする。
「…ゆづる」
「そう、そうだよ。いちか」
俺にとっての星野はもういない。
今、俺が見つめている女は、大事なものを奪われて、それでもまだ手の中に残っている大事なものまで奪われまいと抵抗している普通の女だ。
いや、普通じゃないのか…普通じゃなくしたのは、俺だ。
いちかの両手を取り、自らの首へと持っていく。
「お前が俺を殺す日を、待ってるんだ」
純粋な正義を抱いていたかのじょを俺と同じ場所まで引き寄せた。
「私があなたを殺す日なんて…」
彼女の手に力が入る。
首をぎりぎりと絞められる。
絞めてる彼女の方が苦しそうな顔をしていて、笑いそうになる。
彼女が、誰かを殺めるのならまず俺がいい。
綺麗な顔で笑って、怒って、呆れたり。
そんな姿ばかりみていた。
隣に並んで歩いても、触れる距離にいても決して触れられなかった。
「なんでおまえがそんな顔してんの」
「わかんない、わかんない」
涙を零しながら、大きく首を振った。
「だって、私にはもうあなたしかいないから…!」
俺しかいないなんて事はないのに。
だけど、その言葉は今までのどんな言葉よりも響いた。
「バカだな、お前」
目の前のいちかをそっと抱き締める。
「…ふっ…ああああっ!」
殺したいほど憎い相手の腕の中で彼女は泣き叫んだ。
首輪をつけたのは、星野市香という存在に執着していたから。
欲しくて欲しくて仕方がなかったから。
この計画では絶対欠かせない人物…としてだけではなくて、俺は本当はずっと…
初めて抱き締めた彼女は、とても小さくて頼りなくて、愛おしかった。