私の本当の名前はフランシスカとの秘密だ。
だから誰も知らない、そう…あいつ以外は
誰も知らない
女の格好をして町を歩いていると、すぐ姿を見つけてしまった。
隠れようかとも思ったが、変な動きをする方が気付かれてしまうだろう。
平静を装って通り過ぎることにしよう。
ひっそり深呼吸をしてから私は歩き出した。だけど、そんな私の気配にさえ気付いてしまう鷹の次期当主。
「待て」
芯のある声が響いた。
それは自分に宛てられたものではないだろう。
そう言い聞かせ、去ろうとするがあっという間に腕を掴まれて振り向かされる。
「-っ!」
「聞こえなかったか。待てと言ったんだ」
「あはは。私に言ったものではないと思いました」
笑って誤魔化そうとすると、不機嫌そうに視線を逸らされる。
怖いイメージしかなかったはずなのに、会話を交わせば交わすほど、彼という人がどんな人なのか分かるような気がしていた。
もしかしたら仲良くなれるかもしれないと思う気持ちと時折ルーガスが強い瞳で私を見つめてくるから胸の奥がちりちりとした焦燥感を覚える。
焦燥感…っていっていいのか分からないけど。
正直戸惑っているのだ。
ルーガスの態度に。言葉に。
「時間をくれ」
「えーと…人と約束しているので、ごめんなさい」
いつも通り断りの言葉を口にすれば、私の腕を掴む手がより強くなる。
「…あの」
「次はいつ会えるんだ」
「さあ、いつでしょう」
「約束を交わしたい」
「約束は…できません」
「なぜだ」
「…えーと。それは」
ああいえばこう言うとは違うけれど、矢継ぎ早に言葉をかけられ、戸惑う。
「腕、痛いです」
「…すまない」
ようやく腕を離してもらい、ほっとする。
「近いうちにまた」
いつも通りの言葉を紡ぎ、私はなんとかルーガスから逃れる。
情報収集するのなら、もっと言葉を交わして情報を引きずり出せばいい。
なのに、そんな駆け引きが出来ない。
「…近いうちっていつだろう」
ルーガスから逃げたのは自分なのに。
私はぽつりと呟いていた。
◇
最後の夜。
色々な人に会った。
そして、私は道を決めた。
目を閉じると、なぜかルーガスの顔が浮かんだ。
(…なぜか、じゃないな。私は…)
ぼんやりと考える。
性別が皆に知られたけれど。
私の名前が『エアル』だと知っているのは、ルーガスだけ。
彼だけが私を知っている。
そう思うと、ああ…良かったと安堵してしまう。
恋しいと思う人だけが、本当の私だということを知っている。
本当はしてみたい事も沢山ある。
雪のない道を歩きたいし
太陽の下、駆け回ってみたい
女の子の友達を作って、恋の話に花を咲かせてみたり、
好きな人と…なんでもない時間を過ごしたり
そういう小さな幸福が欲しいと思っていた。
だけど、小さな幸福さえ手は届かない。
その中でたった一つ握り締めることが出来る想い。
好きと言葉にする事は叶わなかった。
好きという言葉が正しいのかさえ分からない。
唇を指でそっと撫でる。
(…私は、私じゃなくなってしまう。けれど、)
ルーガスが、私が誰かを知っていてくれるだけでいいと思えた。
そんな恋もあるのだと初めて知った。
(私がエアルだということを、この世界がなくなってしまっても覚えていて…なんて言えないけど)
私はただ願いを胸に目を閉じた。