「ねえ、耶告」
学校へ行って、帰って来て、眠って、耶告のご飯を食べて、眠って…
大体毎日同じことを繰り返している。
耶告はそんな私を見て、時折わざとらしいため息をつく。
それを聞こえないふりをして、私は耶告の名前を呼ぶ。
「耶告、彼女とかいらないの?」
両親が亡くなって、友達だった耶告が私を引き取ってくれた。
実の親よりも長い時間を過ごしている世界でたった一人の私の家族。
「何言ってんだよ、おまえは。そんな事よりお前はもっと外に遊びにいけ」
「えー」
「えーじゃない!そんなところでごろごろしてるんなら掃除手伝ってもらうぞ」
そう言って耶告は私に雑巾を押し付ける。
今日はベランダの窓を綺麗にするとか言ってたのを思い出す。
しかし、今更思い出してももう遅い。
逃げ出すことも出来るけど、たまには耶告のお手伝いをしてあげようとのろのろと起き上がった。
「顔だって悪くないのに、どうして耶告には彼女とかお嫁さんがいないんだろう」
「今日の晩御飯、にんじんだけにするぞ」
「何にもいってませーん」
窓をせっせと拭く耶告の横顔をちらりと盗み見る。
顔だって悪くない。世話焼きだし、料理は上手だし、まぁ…性格だって悪くない。
だけど、今まで一緒に暮らしてきて、耶告に恋人がいる気配を感じた事が一度もないのだ。
私に気を遣っているのかもしれない。
そんな気遣いなんて、いらないのに。
「このままじゃ耶告の老後が心配になるかも」
「俺はお前のぐうたらが心配だよ」
昔から眠ることが大好きで、めんどくさいことが嫌いだった私に根気よく髪の結い方を教え込んだ耶告。
小さな女の子の面倒をある日突然見るだなんてきっと大変だっただろう。
デパートに私を連れて行き、ファッションショーのごとく大量の服を着せられた日もあった。
長期休暇の宿題が終わらず、徹夜で一緒にやってくれたこともあった。
耶告との思い出なんて数え切れない。
耶告は私にとって何よりも大切な人。
両親を失って、ぽっかりと胸に穴があいたような気持ちになって眠れない夜。
耶告は私の手を握ってくれた。
初めての授業参観で、少し気まずそうにしながらも最後まで私を見ていてくれた耶告。
うたた寝しそうになったことを帰り道に怒られたのも覚えてる。
「じゃあ耶告が結婚できなさそうだったら私がもらってあげる」
耶告にお嫁さんが来たら―
私と耶告は家族じゃなくなるかもしれない。
それでも、私の世界で一番大切な人が、幸福になるのならそれでもいいかと思っているのに
少しだけそれが寂しいと思ってる自分がいる
「…紘可」
耶告が、驚いたような、悲しそうな顔をした。
そんな表情をする耶告なんて見たことなかったから、私は内心どきりとしてしまう。
「お前が心配しなくたって大丈夫だよ」
「そう」
いつか。
家族じゃなくなる日が来るのかもしれない。
そう思うとたまらない気持ちになるが、でもいつかはまだ来ない。
「今日は焼肉が食べたいなー」
「肉ばっかり食べてたら栄養かたよるだろ、却下」
「えぇー。こんなに手伝ってるのに」
いつかが来た時。
私は耶告の幸福を祝福できるように。
笑えますように。
だから今は、私だけの耶告でいてくれますように。
二人だけの部屋で、私はそんな子どもみたいな独占欲の感情の名前を探していた。