いつもより早く目が覚めてしまったある日の事。身支度を整えると、私は朝の散歩をすることにした。
庭園まで足を運ぶと朝露で濡れる花がキラキラと輝いて見えた。そういえば城で暮らす前はこういう光景も見ていたんだ。
最近は忙しさに目を回してばかりで、花を愛でる時間さえなかった気がする。
気持ちに余裕がないと表情も強張る…。朝露を覗き込もうと身体を屈めると、突然肩を叩かれた。
「やあ、アル」
「……モードレット?」
振り向くと、にっこりと笑みを浮かべたモードレットがいた。驚いて固まる私を見て、くすりと笑う。
「なに、そのお化けに出会ったみたいなカオ」
「こんな時間にこんな場所で会うと思わなかったから」
「俺に会いたくなかった?」
「……その聞き方はずるいと思う」
好きな人に会いたくないわけがないもの。
「ふふ、ごめん。膨れないでよ、アル」
そう言って、私の頬をつついてくる。そんな事されたら余計膨れて、モードレットを困らせてあげたくなる。
「それよりもどうしてこんな朝早くにモードレットはこんな場所にいるの?」
「俺、早起きなんだ」
「………」
「というのは冗談で、今日は珍しく早く目が覚めて、窓の向こうを見ていたらアルが出てくるのが見えたからこうしてはせ参じたというわけさ」
「モードレットの部屋から見えるの?」
行った事はないけど、彼らが住んでいる場所は分かっている。果たして見えるんだろうか?と首をかしげると、モードレットは私の髪にそっと触れて、唇を寄せた。
「今度確かめに来てみたらいいと思うよ」
「お部屋に行くのは、その……」
からかわれているのかもしれないが、こういう時のモードレットはずるい。
何度されても慣れる事がなくて、頬が赤くなってしまう。
「アル、顔真っ赤」
そういうモードレットもよく見れば、赤くなっている気がする。
「モードレットだって」
私がそう言いかえそうとすると、モードレットは小さく笑った。
「ごめん。ちょっと浮かれてた」
「え?」
「朝からアルに会えたから」
よく見れば、モードレットの髪は少し跳ねていて、本当に彼は私を窓から見つけて、慌てて出てきたのかもしれない。そう思うと、胸が高鳴ってしまう。
髪に触れていた手を、私にそっと差し出すとモードレットは少しだけ真剣な瞳で私を見つめた。
「姫、お手をどうぞ」
「…姫、ではないよ。モードレット」
「俺にとっては愛おしいお姫様だよ、アル」
言葉にされるとくすぐったいけど、好きな人が自分を好きだと伝えてくれること。
こんなに嬉しい事は他にはないと思うくらい、私は幸福だ。
「じゃあ…モードレットは私だけの王子様だね」
彼の手をとると、私たちは並んで歩き始めた。
朝の庭園は静かだ。
小鳥の鳴き声もほとんど聞こえない。
空気は澄んでいて、とても落ち着く。
「なんだか世界に私とモードレットしかいないみたいだね」
湖に行った時も二人きりだったけど、あの時はこんな気持ちにはならなかった。
朝特有の空気がそんな事を考えさせるのかもしれない。
「もしもこの世界が俺とアルだけだったら幸せだろうね」
「どうして?」
「だっていつだって君を独占できるんだから」
たまに見せてくれる彼の独占欲が好きだ。
「モードレットってたまに子どもみたいな事いうよね」
「子ども、ねぇ」
私の言葉に眉間に皺を寄せるモードレット。
まさか子ども扱いされると思わなかったのか、不機嫌さを露にする。
「ふふ、可愛い」
「男に可愛いっていうのはナシだと思うよ。俺よりアルの方が可愛い」
ムキになって言葉を返すところもこうやって想いが重なるようになってから見せてくれるようになった一面だ。
私だけに見せてくれる全てが愛おしくて、抱き締めたくなってしまう。
「…アル。俺で遊んでる?」
「まさか」
「今凄いにやにやしてたよ」
「にやにやは言葉が悪いと思います」
「俺で遊ぼうとするアルが悪いと思います」
見つめ合ってしばしの沈黙。私が堪えきれなくなって噴出してしまう。
「あはは、モードレットってば」
「アルも人が悪くなってきたなぁ」
肩をすくませてやれやれといわんばかりに訴えてくるモードレットが可笑しくて私はまた笑ってしまう。
「それはお互い様だよ」
「俺はそんなに人悪くないよ」
「ふふ、そうだね」
「そうだねって顔してないけど」
「ん?そうかなぁ」
他愛のないやりとりをしていると、ライラックの花の前にさしかかる。モードレットは足を止め、それを嬉しそうに見つめる。
「色によっても意味が違うんだってね」
「何が?」
「花言葉」
「…どうだったかな」
「覚えてますって顔に書いてあるよ、アル」
白のライラックは、青春の喜びというらしい。
私が以前、モードレットに贈ったライラックは紫色のライラックだ。紫のライラックの花言葉は―初恋だ。
私に恋を教えてくれたモードレットにあげるならライラックしかないと思って選んだお花だけど、意味が知られてしまって少しだけ恥ずかしい。
照れを誤魔化すためにライラックに視線を移した。
「アル」
私の名前を愛おしそうに呼ぶ。
隣にいるモードレットを見上げると、彼の顔が近づく。
私も応えるように瞼を閉じると、そっと唇が重なった。
「今度さ、夜が明ける時一緒にいたら…紅茶を一緒に飲もうよ」
「え?」
「意味、分かる?」
唇が離れると、耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
言葉の意味を理解すると、私は慌ててモードレットの胸を押して距離を取った。
「…そういうのは、こんな時間から言っちゃダメだよ」
「今度って言ってるのになぁ。もしかして今夜いいのかな?」
からかうように言葉を続けるモードレットにもう一度近づき、彼の胸に手をやって背伸びをする。
「え、ア」
私の名前を呼ぶ唇をそっと塞ぐ。
しばらくして唇を離すと、モードレットは目を見開いたまま固まっていた。
「…夜明けの紅茶は保留として、これから一緒に紅茶どうかな」
自分から口付ける事なんてほとんどないから自分でも恥ずかしい。
早口にそう伝えるとモードレットは私の手を掴んだ。
「生殺しっていうんだよ、そういうの」
「…モードレットは私の気持ちを無視するような人じゃないと思うから」
「当たり前でしょ、もう…」
困ったように笑うと、モードレットは私を引き寄せて力強く抱き締めた。
「今日はこれで我慢する。だからもう少しだけこのまま抱き締めてもいいかな」
「…うん」
「その後、一緒に紅茶を頂くよ」
「うん」
モードレットの腕の中、私もただただ幸福をかみ締めていた。