塗りつぶされる視界。
オレの世界はあの日位置づけられた。
SPの仕事は拘束時間が長い。朝から晩まで睡眠時間を削って護衛対象を守る。
守るためなら自分の身体だろうがなんだろうが、全てをつかって守るのだ。
そこらへんに落ちている石っころとオレの命は同等かもしれない。
そんな事を考えていた時もあった。
「岡崎さん?」
「あ、市香ちゃん」
市香ちゃんちのマンションの前でしゃがんでいると、驚いたような声でオレの名を呼んだ。
「おかえり」
「どうしたんですか、こんなところで」
顔が見たくなった。
会いたくなった。
メールや電話じゃ足りないくらい、キミが欲しくなった。
いくらでも理由なんてあった。
だけど、うまく言葉が出てこない。
だから言葉の変わりに市香ちゃんを引き寄せてぎゅっと抱き締めた。
ああ、久しぶりの彼女の匂い。
首筋に顔を埋めて、しばらくそのまま動かなかった。
「岡崎さん、良かったら家に上がっていきませんか?」
「んん、そろそろ時間だから」
特別な何かがあったわけじゃない。
休憩時間を使って走ってきただけだ。
会えたらラッキー。もしも会えなかったらそこまで。
それくらいの軽い気持ちだったのに、身体を離すことがどうしても出来ない。
「市香ちゃん、市香ちゃんは・・・」
言葉を続ける前に市香ちゃんがオレをぎゅうっと抱き締め返した。
「・・・痛いな、それ」
「痛いかなって思うくらい強くしてますもん」
「そっか」
キミの為ならこの命惜しくない。
そうだな、眼球だってえぐって見せてもいい。
キミになら腎臓だけじゃなくて、心臓だってあげてもいい
オレの望みなんて今ではこんな簡単なコト。
ただ、キミと一緒にいたいだけなんだ
「次のお休み、一緒に映画に行きたいです」
ふと、オレを抱き締める腕の力が緩む
「あとは一緒に干したての布団に転がったりしたいです」
「・・・ほかには?」
「そうですね。たまには一緒に料理とか・・・は心配なので料理している私の隣にいてください」
「うん」
「あとは、ちゃんと寝てくださいね」
そう言って俺の顔を見上げると目の下を細い指でなぞった。
「くま、出来てます」
「・・・」
「岡崎さん、眠るの大好きなのに・・・よっぽど忙しいんですね、今の現場」
「うん・・・そうかも」
「一段落したら、私のお願い叶えてくださいね」
「うん・・・うん、」
こつん、と額をあわせる。
「いってらっしゃい、岡崎さん」
「いってきます、市香ちゃん」
触れるだけのキスをして、送り出してくれた。
空を見上げれば、さっきまで雲で隠れていた月が笑っているように見えた。