月が見ている(孫関)

筆を走らせてどれくらいの時間が経ったんだろう。
日が沈む前にお茶をお持ちしたけれど、それがまだ残っているようだった。

「孫権様」

名前を呼ぶと、ようやく顔を上げてくれた。
少しだけ孫権様の表情が緩んだことに私もほっとする。

「ああ、あなたか」
「そろそろお休みになりませんか?」
「もう少しで終わりそうなんだ」

孫権様の傍らに積まれている書簡の山はもう少しという量ではない。
新しく煎れ直したお茶に取り替えると、孫権様はすぐ一口飲んだ。

「あなたの煎れるお茶は美味しいな」
「ありがとうございます」

湯のみを机に置くと、再び筆に手を伸ばす。
あの山を片付けるとしたら、きっと夜も更けてしまうだろう。
ここ数日、夜遅くまで仕事をしていて、心なしか顔色がすぐれない。

「孫権様っ」

私は筆をとる前に孫権様の手を握った。

「すこしだけ、私に付き合っていただけないでしょうか?」

孫権様の右手を両手で包み込むように、祈るように握ると孫権様は小さく頷いて、手を握り返してくれた。

 

手を繋いだまま、私と孫権様は中庭へ移動した。

「孫権様、見てください」

空を見上げると、雲ひとつない空に満月が輝いていた。

「美しいな」
「綺麗ですね」

繋いでいる手が少しだけ強く握られた。
不思議に思い、孫権様を見ると彼は月を見上げていた。
その表情は穏やかだ。

「孫権様、少し座りませんか?あ、でも汚れてしまいますか・・・」
「構わない、座ろう」

日ごろから手入れされている芝生の上に腰を下ろすと、私は孫権様の腕を強く引っ張った。
突然のことでそのまま私の膝の上に倒れこむ形になると、驚いたように私を見上げる緑色の瞳と視線がぶつかった。

「関羽、いったい・・・」
「孫権様はすこしご自分の身体を労わるべきです」

膝の上にある孫権様の頭をまるで子どもをあやすように撫でる。
思いのほかやわらかい髪にまるで猫をなでているような気分になる。
孫権様は少し困ったような顔をして私がすることを見つめていたけど、観念したらしく目を閉じてそれを受け入れ始めた。

「あなたはたまに大胆になる」
「そうですね・・・孫権様のためといいながら、本当は自分のためだからかもしれませんね」
「・・・というと?」
「私がただ、あなたと一緒にいたいから・・・
こうやってわがままを言ってみたくなりました」

夜の風は少し冷たい。
だけど、火照った頬にはちょうど良く感じられた。

「こういう時」

孫権様の手が私の頬に伸びる。

「なんと言えばいいのか分からないが・・・
私もあなたと一緒にいたいと思っているから。
あなたがこうして私といたいと言ってくれたこと、凄く嬉しい」

顔にあまり出ないと言われる孫権様だけど、照れたように言葉を紡ぐとき少し赤らむ頬が私は好きだ。
私だけが知ってる孫権様の表情だと思うと、たまらなく愛おしく感じてしまう。

「本当のことをいうと、あなたと過ごす時間を作りたくて急いで執務をこなしていた」
「一日のなかで少しの時間でも構わないんです。
眠りに着く前、お茶を一緒に飲む時間でも構いません。
私のために、無理をしないでください」「ああ、それであなたに心配をかけているのではいけないな」

目を開け、私に優しく微笑んだ。
先ほど見えた疲れの色は少し消えたような気がした。

「もう少しだけ、このままでいても良いだろうか」
「あまり長居すると風邪をひいてしまうかもしれませんけど・・・もう少しだけなら」

もう一度空をみあげる。
満月が、私たちを見守ってくれているような気がした。

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