辞書を買って以来、何かとその辞書を引くのが習慣になった。
こはるさんと市ノ瀬さんがいなくなり、私と暁人の二人きりになった家。
少しだけ広く感じてしまう。
二人が使っている部屋が余っているけれど、私と暁人の部屋は相変わらず同じままだ。
「七海、器持って行ってくれるか?」
「うん、分かった」
朝食の支度は二人でする。
一週間の間に、暁人が作る日、私が作る日、二人で作る日と決めた。
今日は二人で作る日だ。
暁人がよそってくれたお茶碗をテーブルへ運び、並べる。
二人でテーブルにつくと、両手を合わせた。
「「いただきます」」
暁人が作ったお漬物は凄く美味しい。
これは私がどんなに努力しても作れる気がしない。
ひょいひょいと口に運び続けると、暁人が見かねたのか漬物が載ったお皿を私の手の届かない場所へと移動させる。
「お前、食いすぎ。後で喉渇くぞ」
「暁人のお漬物が美味しいのが悪い。もっと食べたい」
「夜にしろ、夜に」
じっと見つめて訴えるが、暁人は漬物を戻してくれない。
諦めて他のおかずに箸をつける。
美味しくてついおかわりをしてしまう。
「暁人のご飯食べると凄く幸せになる」
「ああ、そうか。俺もお前見てると幸せになるよ」
「え?」
後半、声が小さくて聞き取れず聞き返すと頬を赤らめて「なんでもねえよ」と返されてしまった。
まあ、いいか。
暁人のご飯はいつも美味しい。凄く幸せ。
暁人のご飯を食べるおかげで朝から凄く幸せだ。
暁人も幸せなら良いなって考えていた時、辞書をひいてみた。
『新婚』
結婚したての男女のこと。
朝でも昼でも夜でもちちくりあう男女。
嫁は旦那が仕事に出掛けるときにいってらっしゃいのキスをするのが通例のようだがー
私たちはまだ籍は入れていないが、新婚みたいなものだ。
いってらっしゃいのキス。
暁人はこれをしたら幸せになるだろうか。
私が後片付けが終わる頃、暁人は仕事に行く準備が出来たみたいで私の傍にやってきた。
「今日は早く帰れると思うから」
「うん、分かった」
暁人が玄関に向かうのについていく。
毎朝、こうして暁人が仕事に行くのを見送ることが私の日課だ。
靴を履くと、ドアを開ける前に振り返る。
「それじゃあ行ってくるな」
「暁人・・・!」
「ん?」
暁人の手を取ると、引き寄せて頬にキスをした。
「-っ!!」
「いってらっしゃい、暁人・・・」
自分でしたのに、恥ずかしくて頬が熱い。
暁人を見つめると、暁人も顔を真っ赤にしていた。身体を離そうとすると強い力で抱き締められ、そのまま唇が触れ合った。
「んっー!」
「・・・っ、はぁ」
唇が離れ、再び抱き締められる。
「帰ったら・・・覚悟してろよ」
「ん?何を?」
身体を離すと、暁人はまだ赤い顔のままドアを開けた。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
ドアが閉まると、なんだか力が抜けてその場に座り込んでしまった。
怒ったような顔をしていたけど、あれは多分照れ隠しだ。
明日からも頑張ってやってみようと心に誓った。
その日の夜、暁人からいってらっしゃいのキスは禁止だと正座して怒られた。
理由を聞いても赤くなるだけで教えてくれないから、やっぱりいってらっしゃいのキスは習慣化しようと改めて心に誓うのだった。