分岐点(空疎尊×詞紀:智則視点)

いつからだろう。
彼女が命を削られる度に泣き喚いていたはずなのに、泣かなくなったのは。

いつからだろう。
彼女が泣かなくなったのは。

いつからだろう。
彼女が笑わなくなったのは。

 

いつからだろう。
いつから、俺は彼女を縛る檻にしかなれなくなったのは。

 

 

 

 

 

三年前のあの日。
秋房が詞紀の手を取って逃げ出したあの日。
俺たちの運命はあそこで分かれた。

 

 

分岐点

 

 

「姫様、そろそろお支度を」

「はい」

月に一度、剣の封印のための儀式を行う。
昔は泣き喚いていたのに、今は静かなものだ。
彼女の横顔を盗み見れば、何の感情も見えない。
近くに控え、儀式が終わるまで全てを目に焼き付ける。
彼女が命を削られるようになってから、俺はずっとそうやって見つめ続けてきた。
彼女が背負う重責を俺が一緒に背負うことが出来ないのなら・・・
せめて、彼女のその姿を全て焼き付けたいと強く思っていた。
俺が出来るのはそれしかないと知っていたから。

 

 

 

「貴様はあの女をどのように想っているのだ?」

漆黒の鴉・・・姫の婚約者である空疎尊様が気付けば俺の目の前に立っていた。
冷めた瞳で俺をとらえる。

「どう・・・とは。
私がお仕えする主君としか申し上げられません」

「ふん、お前もあの女もつまらぬ」

不愉快そうに顔をしかめると、きびすを返して歩き出した。

「空疎殿は、姫様をどのように想っていらっしゃるのですか?」

遠くなる背中にぶつけるように紡いだ言葉。
振り返った空疎殿の瞳には、何も感情が読み取れなかった。

「本心を語らぬ貴様に、どうして我が本心を語るというのだ?」

空疎殿が立ち去った後も、俺はその場から動けずにいた。

 

 

 

 

自分の本心を押し殺して生きるのは容易い。
何も望まなければいい。
何も期待しなければいい。
だって、俺がずっと望んでいたのは彼女の笑顔だけだったから。
幼い頃、泣き叫ぶ彼女を見て決めたのだ。
俺が、彼女を幸せにすると。
それが出来ないのなら・・・

 

 

 

彼女が旅から戻ると、俺にこう言った。
鬼と魂を結び付けてしまった。
自分は死ぬ、と。
目の奥が熱くなるのを感じた。
一度目を閉じ、俺は彼女に気付かれないように一呼吸した。
俺が彼女に出来ること。
玉依姫としての彼女を支えること。
ただ、それだけだ。
儀式の準備を取り仕切って、進める。
彼女は部屋でぼうっとしていた。
その姿が痛ましくて、あと数日もしたらそんな姿も見られないのだと思うと、ただただ苦しかった。
彼女の後を追うことが出来たらどれだけ幸せなことだろう。
泣けない彼女の代わりに泣くなんて出来ない。
同じように俺も涙を堪える。
そうしなければいけないんだ。

 

空疎殿に、秋房が掴みかかっていたという話を聞いた。
感情の思うままにぶつけられる秋房を羨ましいと思っていた。
彼女の運命を、他の誰よりも嘆いて涙する秋房が羨ましいと本気で思った。
儀式を行う前日。
彼女の最後の夜。

空疎殿が彼女を抱きしめる姿を見た

ようやく芽生えた愛情が、ここで費えるなんて
どうして、こんな事になってしまったのだろう

 

 

 

 

 

戦が終わり、彼女は呪縛から解放された。
あんな風に笑う彼女を見たのは、玉依姫になる前の優しい時間以来だろう。
空疎殿の隣で笑う彼女はとても綺麗だった。
俺の手で幸せにしたい、とどれだけ願ったことか
それが出来ないと大人になるにつれて理解していった自分をどれだけ呪ったか
それでも、彼女が恋をして、幸せだと思える時間を紡ぐことが出来るのなら。
それだけで十分だった。

 

「いよいよ明日は婚礼の儀ですね」

「うん、ちょっと緊張してる」

話し合いが終わると、詞紀と俺は雑談を交わしていた。
そう、明日は彼女と空疎殿の婚礼の儀だ。
ようやく、二人は本当の夫婦になる。

「おめでとうございます、姫様」

「ありがとう、智則」

にっこりと笑う彼女は綺麗だった。
彼女の腕を掴み、抱き寄せた。

「・・・っ、智則?」

驚いたように声をあげる愛おしい人。
初めて抱きしめたその身体は想像していたよりも華奢だった。
この小さな身体にどれだけのものを抱えていたのだろう。
力を込めて抱きしめる。

「おめでとう、詞紀。
どうか、幸せになって」

好きだとは、言えなかった。
彼女を困らせたくなかったんじゃない。
彼女に嫌われたくなかったんだ。

「ありがとう、智則。
私、幸せになるわ、きっと」

「ああ、幸せになって」

そっと抱きしめ返した彼女のぬくもりが、身体を離した後も消えなかった。

 

 

 

 

 

その後、部屋を出ると縁側には空疎殿が月見をしていた。

「空疎殿、」

「言わなかったようだな」

俺のほうを向かず、月を見つめたまま空疎殿は言った。

「何をでしょうか?」

「まだ偽るのか、貴様の心を」

「・・・どうか、姫様を幸せにしてください。
俺のただ一人お仕えする・・・愛おしい姫様を」

手を固く握り締め、俺は堪えた。
何を堪えたのか分からない。
彼女への想いや、後悔や嫉妬。

「詞紀は、我が誰よりも幸せにしてみせよう。
貴様が見守り続けた詞紀を、誰よりもな」

「よろしくお願いします・・・」

空疎殿に頭を下げる。
俺の分まで、どうか。
俺はただ、彼女の笑顔が見れればそれで十分だから

 

 

翌日、彼女は愛する人の隣で幸せそうに笑っていた。
こんな日が迎えられるなんて、想っていなかった。
それを叶えてくれた空疎殿に、俺は心底感謝していた。
彼女のこれからの人生に幸せだけが舞い降りるように祈りながら、
俺はようやく涙を零した。

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