梅雨が終わる頃、この町は少し独特な空気が流れる。
田舎町だから隠し事なんて出来ないだろうし、自宅が病院なのでご年配の方が忙しなく噂話をする。
インターネットの世界に入ると町の閉塞感を少しだけ忘れることが出来た。
この町で生まれて、成長して、そしてきっとこの町で死ぬのだろう。
そんな漠然とした…けれど確定事項のような未来を時折考えてはため息をついた。
「ユキくん、ユキくん!」
「どうしました?須沙野さん」
「大変!また買い物袋忘れてきたみたい!どうしよう!」
須沙野さんは僕よりも7歳年上だけれど、ご覧の通り元気いっぱいだけど、うっかりすることも多い。
「僕が探してきますから、須沙野さんはフロントをお願いします」
「ごめんねー!うん、分かったよ!!」
いつもの日常。
須沙野さん以外の従業員がいなくなったあの日から、これが僕にとっての日常になった。
田舎町だから、噂が広まるのがはやい。
ツチノコ急便を見かけたら両手を合わせて祈ると好きな人といい事があるとか。
あのツチノコの舌にキスすると恋愛が成就するとか。誰がそれを実行して恋愛が叶ったとか。
そんな噂がいくつも耳に入る。
けれど、須沙野さんの噂を聞いたことがない。
(・・・恋人とか、欲しいと思ったことないんだろうか)
夏休み、誰とどこにいくとか。
クラスの女の子だったり、生徒会メンバーだったり、声はかけられた。
諸々忙しいことを伝えると、彼女たちは残念だと少し悲しそうに笑う。
そんな顔を見ると、申し訳ないなと少しだけ胸は痛む。
だけど・・・
「すいません、先ほど買い物来た時に須沙野さんが・・・」
「ああ!取りに来てくれたのかい、ほらこれだよ」
万屋へ行くと須沙野さんの忘れていった買い物袋を受け取る。
それからいくつか言葉を交わし、僕は買い物袋をぶら下げて風厘館へと戻る。
梅雨が終わり、夏が来る。
毎年のことなのに、なんでだろう。心がざわつく。
もうすぐオフ会があるからだろうか。それともライブがあるからだろうか。
僕の心はいつもより少し穏やかじゃない。
「ただいま戻りました」
「おかえりー!!ありがとう、ユキくん!」
僕の姿を見るなり、まるで飼い主の帰りを待ちわびていた犬のような勢いで駆け出してきた須沙野さん。
「今度は気をつけてくださいよ」
「うんうん!分かってるよ~!本当にありがとう!」
買い物袋を受け取ると、心底嬉しそうに笑った。
いつも見る表情の中で、僕はこの笑顔が一番好きだ。
「…もうすぐ夏祭りですね」
「あーそうだね。8月に入っちゃえばあっという間だもんね」
「須沙野さんは行く予定あるんですか?」
「私?うーん、この調子ならここで働いてるんじゃないかな」
「…ですよね」
「そういうユキくんは?女の子に誘われたりしないの?」
「僕だってここの仕事があります」
「学生のうちにしか出来ないことだってあるのに」
「夏祭りに行くのなんていつでも出来ますよ」
「好きな女の子と夏祭りいって、ひと夏の思い出作ったりとかさ。
やっぱり若いうちにしておかないと!」
「須沙野さんはそういう思い出、作ったんですか?」
「ふふー、内緒」
「…それはずるいです」
「拗ねてるの?可愛いなあ」
須沙野さんの手が僕の頭を撫でる。
子ども扱いされている事と甘やかされている事と。
「や、やめてくださいっ」
「ふふ、良いではないか。良いではないか~」
「須沙野さん!」
「あ、荷物片付けてくるねー」
旗色が悪くなると僕の頭から手を離し、ひらひらと手をふって奥へと消えていった。
自分で頭をなでても、さっきのような気持ちにはならない。
須沙野さんにだけ感じる想いがあった。
(…今年は従業員が少ないから難しいかもしれないけど、来年は誘ってみよう)
好きな人と夏祭りにいって、ひと夏の思い出を作る…とか。
彼女とならやってみたいと今はまだ言葉に出来ないけれど、来年は。
もしかしたら急に背が伸びて彼女を見下ろせるかもしれない。
僕が、彼女の頭を撫でられるようになるかもしれない。
いや、来年は難しくても・・・あと数年経てば。
そんな事を考えながら、7月の終わりに僕は来年への決意をしていた。