二人で海を渡ってからしばらく経った。
ニケについていく、と決めた心に嘘偽りなんてなかった。
だから、今手を繋いでいられる距離に彼がいて嬉しい。
一軒のお店を持つのはまだまだ叶いそうにないけれど、私たちはそれを目標に今、二人でパンを焼いている。
「今日は私が売ってくるね!」
「僕も行くよ」
朝早くから焼いていたパンがいつもよりなんだか美味しそうに見えて嬉しくなる。
そのパンを詰めて、私は露店の支度を始めた。
そう、あのおばあさんのようにして、私たちはパンを売っていた。
ジャムも季節に合わせた果物をたっぷり使って煮詰めて作っている。
ニケのセンスの良さに私も頑張らなきゃ・・・!と気合が入り、自然と握りこぶしが出来た。
「私だけで大丈夫だよ!そろそろジャムも新作作らなきゃでしょ?
ニケはそれを頑張って!」
「ランがそういうなら・・・分かったよ」
一度言い出したら聞かない、という事を分かっているからか、ニケは仕方がないね、と言うように私を送り出してくれた。
「おはようございますー!」
「おはよう!今日は1人なんだ?」
露店のお隣さんに挨拶をすると、ニケがいない事に気付いて尋ねられる。
お隣の露店からも良い香りが漂ってきて、楽しくなる。
お隣さんはいつも挨拶とちょっとした雑談をする気のよいおばさんだ。
「今日は仕入れとかそういう作業があるので、来ないんです」
「そうなんだ。いっつも仲睦まじいから羨ましいなぁって思っていたんだよ」
「いえ、そんな・・・」
「二人はもう結婚してるのかい?」
「け、結婚なんて・・・・!まだです!!」
「なんだ、そうなのかい」
いつもニケがいるからか、こんなにお隣さんと話すのも初めての事で、それでもこうやって話せるのは嬉しい。
でも、確かに今はニケと同じ家に住んで暮らしているし、これから先もずっと一緒にいるつもりだけど
結婚という言葉に置き換えるのはまだ早い気がして少し気恥ずかしい。
「あんたたちを見てるとなんだか若い頃を思い出すよ」
目元にある少しの皺に年月を感じ、私もいつかこの人のように昔を懐かしむ日が来るのかな、と想いながら話を続けた。
「ニケ、ただいまー」
パンも順調に売り切れて夕方には家に着いた。
家に入ると甘い香りが漂っていて、私は台所にいるであろうニケの下へと足を進めた。
「おかえり、ラン」
「ただいま!今日も売り切れたよ」
「そう、良かった」
ジャムは瓶に詰められていて、テーブルの上には色とりどりのジャムがおいてあった。
「すっごい良い香り!それは何のジャム?」
「これは試作品なんだけど、バラのジャムだよ」
「うわぁ、凄い!バラもジャムに出来るのね!」
鍋の中を覗き込むと、ピンク色のジャムが煮込まれていた。
「試食してみる?」
「え、いいの?」
「勿論」
スプーンで一匙すくうとニケは私の口元へそれを運んで微笑んだ。
「はい、あーん」
「あーん」
少し恥ずかしかったけれど、ニケに食べさせてもらうと口の中に甘さと、鼻にはバラの香りが残って凄く美味しくて思わず目を見開いた。
「ニケ!これすっごく美味しい!!」
「君に喜んでもらえてよかった」
「これ何に合うかな?紅茶に入れてあげるのも美味しいだろうし!」
「ふふ、そうだね。あとはクラッカーとかヨーグルトにも合うかもね」
「それも美味しそう!」
二人であれはどうだ、これはどうだって話す瞬間がとても好き。
以前まではニケと見ている先が同じなのか分からなかったけれど、今は二人で同じ世界を見ていると思えるから。
「ふふ」
「どうしたの?ラン」
後片付けをし、夕食の時間まで少しゆっくりしようということになり紅茶を二人でソファに並んで座って飲む。
バラのジャムを一匙落とした紅茶はいつもよりずっと美味しくて幸せな気持ちになる。
「今日ね、お隣さんにニケと結婚しているの?って聞かれて凄く恥ずかしかったけど・・・嬉しかったの」
「・・・っ」
「それで帰ってきたらニケが美味しいジャム作ってくれてるし、幸せだなって」
「ラン」
気付けば、ニケがそっと私の頬を撫でていた。
いつも可愛らしい(といったら怒られるけど)ニケが、急に大人びた表情をする時、私の心臓は高鳴る。
「ニケ、ちょっと待って・・・っ」
「だーめ」
慌てた私を見て、くすっと笑うと啄ばむような口づけを繰り返しされる。
少しだけ私より低いのか、ニケの唇が段々熱を帯びていくのを感じるとそれだけで頭の中が真っ白になって、
与えられる快楽を追うのだけで精一杯になる。
「ニケ・・・」
「こうやってランが僕の傍にいて、こうして触れることが出来て、本当に幸せだよ」
気付けばソファの上に押し倒される形になり、口付けは唇以外のところにも落ちてくる。
「このまま、いい?」
夕食の時間まではまだ時間もある。
それに、私もニケにもっと触れたい。
両手をニケの首に回し、そっと引き寄せると今度は私から口付けた。
「これ以上、僕を君に溺れさせないで」
耳元でそっと囁かれると、私たちは身体を重ねた。
「ねぇ、ラン」
「なに?」
行為が終わっても離れる気にならなくて、私たちはそのままじゃれあっていた。
夕食の時間はもうとっくに過ぎているけど、たまにはいいか、なんて想ってしまう私も重症だ。
「バラのジャムなんだけど・・・あれ売りに出すつもりはないんだ」
「え?どうして?」
あんなに美味しいのに。
「あれは、ランをイメージして作ったから君専用にしたいんだ」
「・・・っ!嬉しい・・・っ!」
「喜んでくれてよかった」
「私、すっごく幸せ。ありがとう、ニケ」
「うん。僕も幸せだよ、ラン」
見つめ合うと自然に笑みがこぼれ、私たちはどちらからともなくキスをした。