もしもの話(真柘)

五年以上前の記憶はない。
けれど、俺はどうやら好きになった女の子の双子の弟らしい。
ふわふわとしたクリームのように柔らかそうな髪だと見つめていた彼女の髪は、良く見たら俺のそれと似たくせ毛のようだし。
目元も似ているかもしれないと隣にいる彼女をこっそりと盗み見ながら考えていた。

「知也?」
「ああ、ごめん。ぼーっとしてた」
「疲れちゃったんじゃない? 私が代わりにかき混ぜようか」
「これを女の子の細腕でやるのは大変だよ」

俺が抱えていたボウルを奪おうと手を伸ばす彼女。
その手から逃れるために数歩横にずれると、距離をとった事が面白くなかったのか頬を膨らませて、彼女は俺に近づいた。

「だって知也がぼうっとしてるから」
「ごめん、姉さん。大丈夫だよ。もう少しで出来上がると思うから、姉さんは生地の様子を見てきて」
「うん、分かった」

ホールケーキを食べたいと駄々をこねたクランとラズのためのケーキ。
生地はもうすぐ焼きあがる。ホイップクリームもようやくつのが立った。
シャカシャカシャカシャカ、懸命にかきまぜたおかげで出来上がったホイップクリームを一口味見する。ちょうど良い甘さだ。これならフルーツの甘みの邪魔をしないだろう。

「知也、生地焼きあがったよ」
「ありがとう」

焼きあがった生地をケーキクーラーの上に反対にして冷ます。
本当は一日置いた方が美味しく頂けるんだけど、出来上がりを楽しみに待っている彼らにあと一日もお預けするのは可哀想だから、ちょっとくらい質が落ちるのは許してほしい。

「クリーム、出来た?」
「うん、ばっちりだよ」
「私も少し味見したいな」

近くにあったスプーンを使い、一さじ分掬うと彼女の前に差し出す。
それをためらいもなく、ぱくりと頬張る彼女。
俺が『真井知己』だった頃は、そんな風にしても彼女はためらっただろう。
ためらった後、俺からスプーンを受け取り食べただろうか。
それとも照れながらも俺から食べさせてもらうんだろうか。
どちらが正解なのか、それとも正解が含まれていないのかも今になっては分からない。

「美味しい?……姉さん」
「うん、美味しい。これなら二人とも喜ぶね」
「クリームが出来ただけじゃケーキは完成じゃないよ」
「そっか、そうだよね」

笑みを浮かべる彼女を見ていて、胸が痛むのはどうしてなのか。
恋をすると、心が躍るし、世界が輝いて見えるというのに。
俺の世界はまだ輝いていないよ。

(もしも、)

もしも俺が、君にキスをしたら君はどうするんだろうか。
そんな馬鹿みたいな考えが頭にこびりついて離れない。

「ねえ」

呼びかけると、彼女は小首をかしげて俺を見る。
君の瞳に映っているのは、僕じゃなくて、俺だよね?

そっと手を伸ばし、頬に触れる。つるりとした綺麗な肌。
俺なんかが触れてはいけない肌。

「知也?」

ああ、今俺の名前を呼んでくれたらためらいもなく君にキスが出来たのに。
例え血がつながっていようが、そうでなかろうが俺には関係ないと言えたかもしれないのに。

「クリーム、ついてたよ」

ついてもいないクリームをぬぐうように彼女の唇の端を指の腹でこすってやる。

「…恥ずかしいね、それ」
「気を付けてね、姉さん」
「うん、ありがとう。知也」

彼女が俺を、『知也』と呼ぶ度に。
俺の頭の中では、もしもの話が浮かぶんだ。
もしも姉弟じゃなかったら、俺と君は恋に堕ちる事が出来たんだろうか。
もしも姉弟じゃなかったら、君は俺に笑いかけてくれたんだろうか。
もしも姉弟じゃなかったら、君は俺の事を好きになったんだろうか。

けれど、そんなもしもは全て無意味で。
記憶があろうとなかろうと、俺と彼女を結ぶのは血の繋がり。
欠けたはずの半身が目の前にいる幸福感。

(君に好きって言いたかったな)

俺の初恋はどうしようもない現実の前でただただ押しつぶされる。
その先で、君が笑っていてくれるならそれでもいいやと思えるんだから恋というものは恐ろしい。

 

気を取り直して、俺は彼女に笑いかける。

「さ、続きをやろうか。姉さん」
「うん!早く二人を喜ばせてあげよう」

そう言って彼女は微笑んだ。

 

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