ヒトが死ぬと、まず忘れられていくのはその人の声だと聞いたことがある。
どんな声で笑って、どんな声で泣いたのか、思い出すことが出来なくなっていくのだという。
「…トア」
全く似ていない私の弟。
赤の他人が私たちを見ても姉弟だなんて気付かない。
現に誰も気付かなかった。この世に未練を残して、彼は戻ってきてくれたのに。
遣り残したことをやらせてあげることも出来ず、あの子が願った想い人と報われることもなく、あの子が戻ってきた意味を考えていた。
町はいつもと変わらない。
殺人犯がこうして歩いているのに、誰も気付かない。
こんなに可愛い制服に身を包んでいる私が殺人犯であることを知らない。
「あら、ユアちゃん!今日は買い物、いいのかい?」
「あ、おばちゃん。うん、大丈夫だよ」
万屋のおばちゃんがちょうど店先に出ているところに遭遇する。
彼女の手には、丸められた紙があった。
「…おばちゃん、それ」
「ああ、これ?ほら、こないだのアイドルのポスターだよ。結局開催されなかったからねぇ、はがしてたんだよ」
「それ、もらってもいい?」
「ああ、いいとも。ユアちゃん、楽しみにしてたもんなぁ。残念だったね」
「う、うん」
ポスターを受け取ると、私は平静を装いながらおばちゃんと会話を続けた。
手のひらが汗ばんでいて、ポスターがくしゃくしゃになってしまわないか。それだけをずっと考えていた。
風厘館に戻ると、お客さんがいないフロントは酷く寂しかった。
従業員も私たちだけ。お客さんもあれだけいたのに、シーズンが終わって閑古鳥。
まだ夏は終わらないのに、どうしてだろう。私にはもう二度と夏が来ないような気がした。
「須沙野さん?」
名前を呼ばれて振り返ると、ユキくんが立っていた。
ちょっとだけ疲れた顔をしていたけれど、いつものユキくんだった。
私の手にあるポスターをみて、何のポスターか分からないはずなのに私が大事そうにしているのを見て分かったようだ。
「須沙野さんも楽しみにしてくれてましたもんね、ライブ」
「…残念、だったよね。ユキくん頑張ってたのに」
「いえ、もういいんです。また次頑張れば…もしかしたらまたエイトは来てくれるかもしれませんし」
世間にはまだ公表されていない、彼の死。
あの子は死んだの。
もう次なんてなかったのに。
それなのに、あの子の未練をかなえてあげることが出来なかった。
あの子を、救いたくて私は自分の手を汚した。
けれど、結局何にもできなくて。何もできない、何も残せない私は今日も生きている。
「…次なんて、もう」
「確かにこんな田舎町にはそんなチャンスはもうないかもしれないですけど…。諦めなければきっとまた」
私の顔をみて、ユキくんは口を閉ざした。
彼は驚いているようだ。私が泣く理由が分からないから。
「泣くほど楽しみにしていたんですね…」
ちがう、そうじゃない。
確かに楽しみにしていたけれど。
あの子の晴れ舞台、どれだけ心待ちにしていたか分からない。
「…っ、」
ユキくんの手が、私の頭に触れた。
背一杯背伸びをして、目一杯手を伸ばした。
「…ユキくん」
「泣かないでください、と言いたいですが…泣きたいなら泣いてもいいです。
僕が傍にいます」
まるで告白するみたいに、頬を赤らめてユキくんは言った。
私の手は汚れてしまって、もうユキくんの頭は撫でてあげれないけれど。
私は、何も言えずにただその優しさに甘えた。
あの子の歌声を聴く。
あの子の演技している声を聞く。
もう、本当のあの子はどこにもいないと私は繰り返し泣くのだ。